第26話 早速だけど作戦会議も兼ねて……

「うう……えっと……えーと」

 その日、沙織はテンパっていた。

 今日は日曜日。部屋に引きこもってテレビを見ながらお菓子を食べて、本を読んだりゲームをしたりするのが、沙織の一般的な休日の過ごし方である。

 高校に進学して野球を再開してからは、トレーニングを行うことも増え少しは健全化している。先週は珍しく、神子とお出かけというイベントまでこなした。

 とはいえ今週は、その反動から、家でのんびりするつもりだった。

 だが沙織のその思いは儚くも打ち砕かれた。

 なんと、葵が家にやってくるのだ。先週の神子とのデートに続いて、友達が休日に自宅に遊びに来るなんて、ぼっちだった沙織にとっては天変地異である。

 初めての経験を前にして、緊張とストレスで胃が痛い。リア充は毎週これに耐えているのだろうか。尊敬してしまう。

 父の鷹司は指導している草野球チームの試合があるということで、そちらに出向いており、今家にいるのは沙織だけ。すでに自室だけでなく家中の掃除を終え、お茶の準備も万全だ。

 そして家の中を行ったり来たりしながら待つことしばし、ようやく家の呼び鈴が鳴った。

「は、はいっ」

 沙織は準備万全で待っていたにも関わらず、慌てて玄関に向かって走って扉を開けた。

 すると扉の先には、ゴスロリのフリフリ衣装を身にまとった少女が立っていた。

「こんにちは」

「こ、こんにちは。って、葵ちゃんっ?」

 普通に挨拶されたので思わず返してしまってから、目の前のひらひら衣装の少女が葵であることに気づいた。一瞬目を疑ったが、葵の音声は間違いなくその目の前のゴスロリ少女から発生している。

 ――発声だけに。

 と馬鹿なことが頭によぎる程度に沙織は混乱していた。

 シンプルイズベストな葵の性格から、服装はティシャツにパンツというラフな感じなのかなと沙織は密かに予想していたのだが、それを完膚なきまでに打ちのめされてしまった。

「今日はよろしく。おうちの方は?」

「えっと、出かけてるけど」

「そう。なら、これを渡しておいて」

「あ、ありがと」

 紙袋に入った高そうなお菓子を沙織は両手で受け取った。

 沙織はまだ現実を受け入れられないでいた。

 そんな沙織の様子を前に、葵が軽く首を傾げる。

「やはりこの服装、珍しいのね? 道理で奇異の目で見られたわけだわ」

「そ、そうだよね……」

 この辺りはメイドさんが歩いている町とは違う、閑静な住宅街だ。

「駅から一人で歩いているだけでも、大注目だったんじゃないかな」

 その言葉に、葵はきょとんとして言った。

「一人? 今日来たのは私だけではないわよ」

「えっ?」

「……よろしく」

「あ、あんずちゃんっ?」

 もともと沙織並に高レベルなステルス機能を搭載しているのに加え、葵のインパクトもあって全く気づかなかったが、葵の背後にひっそりと、見慣れた学校の制服姿のあんずが立っていた。

「ど、どうしてあんずちゃんまで……?」

 お互いの性質上、日曜日の学校以外で会うことはまず無いと思っていたのに。

「どうして? って、私が助っ人として呼んだからよ。……沙織。今日の目的、当然分かっているわよね?」

「は、はい……」

 葵はただ遊びに来たわけではない。沙織の試験勉強に付き合うためである。

 友人が家に来るという大イベントを前にして、意図的に忘れるようにしていた沙織はがくりとうなだれた。

 野球の特訓なら大歓迎なのだが、勉強の特訓は勘弁したい沙織だった。


  ☆☆☆


 出見高等学校には特進クラスというものがある。有名国立大学を目指す生徒が在籍するクラスだ。沙織のような低偏差値の人間が入れるような場所ではない。

 久良あんずはそこの生徒にして、校内に共同の研究室を持っていて、部活で使うカメラを魔改造してしまうような天才なのである。

 内気な者同士に加え、馬鹿と天才という関係から、沙織とあんずが一緒に勉強する機会は今までに一度もなかった。だから、あんずを連れてきてくれた葵の考えはピンポイントで素晴らしいと思ったのだが……

「……この数式はこの辺を見ていると、変な感じだから、ぱぱっと分かりやすく変換する……すると、大体全体を見て、ぱっと、あの公式を使えば、良いと言うことが分かる」

「……えっと。ごめん、あんずちゃん、分からない」

「どこが?」

「えっと……分からないことが分からないと言うか……この辺ってのがどの辺なのか詳しく……」

「詳しくって言っても……感覚の問題」

「か、感覚……?」

 きょとんとするあんず。絶句する沙織。

 そんな二人の様子を前に、葵は軽く額を抑えた。

「迂闊だったわ。頭が良ければ勉強の教え方が上手い、というのは必ずしもイコールではないのよね。野球に関しての神子や沙織の例を見れば分かるのに」

「え、あたしと神子ちゃんが何だって?」

「感覚的で教えるのが下手」

「うっ」

 沙織だけでなく、あんずもうなだれた。

 彼女なりにショックを受けているようだった。

「仕方ないわね。あんずは……そうね。予想される試験問題でも作ってくれないかしら。最初、沙織が何も分からなくても繰り返し解いていけば学力につながるから」

「……分かった」

 あんずが素直にうなずいた。

「簡単なので良いわよ」

「分かってる。馬鹿にでも解けるレベルに設定する」

「……馬鹿って言われるとさすがに傷つくんだけど……」

「沙織、現実を見なさい。学力に関しては、あなたはまさにそれなのよ」

「ううっ……」

 沙織は現実から目をそらした。


 あんずが即席の問題集を作っている間、葵による指導が行われる。

 だが沙織は全く集中できていなかった。すでにわずかな勉強時間で、沙織の頭のHPはゼロに近づいていた。そもそも野球以外にまともな集中力があったら、こうはなっていない。

 そんな様子の沙織を見て、葵は軽くため息を付いて告げる。

「このままだと夜になっても終わらないわよ。今日来た目的は、試験勉強だけじゃないのだから。神子との勝負についても話したいことがあるのだから」

「え?」

 その言葉に、うつろな目をしていた沙織が、顔を上げた。

「例の件はさておき、神子に簡単に打たれたことがショックだったみたいだから、私なりに沙織のフォームの改善点を考えてみたの」

「本当っ?」

 沙織が大きく身を乗り出した。

「ええ。沙織のピッチングを見ていて気づいたのだけれど、基本的には、小学生のときに固めたフォームのままよね?」

「うん。今回ちょっと変えてみたけど」

 銀河のアドバイスを参考にして、打者からボールの出所が見えにくい投げ方をイメージしてみたけれど、基本的には前のフォームとそれほど変わりはない。

「沙織の体格は小学生の頃とあまり変わっていないようね。だから投げ方は前のままでもボールの質自体は変わらないから問題ないわ。けれど対戦する周りの打者はみな成長して大きくなっている。相対的にあなたの身長は低くなっているわ」

「う……うん」

 背が低い、というのは沙織的には「化け物」「友達いない」に次ぐNGワードである。最近では「試験勉強」もトレンド入りしそうな勢いであるが。

「それなのに沙織は、昔の感覚のまま、打者を「見下ろして」、上から投げおろすように投げている、そのような気がしたのよ。小さい相手ならいいけれど、成長した体格の良い打者相手に背の低い沙織がそのような投球をしたら、むしろ打ちごろの球になってしまうわ」

「うっ……」

 沙織は軽く唇をかむ。指摘を受けて客観的に考えると、確かに葵の言うとおりだった。

 そんな沙織に向け、葵はにやりと笑って続ける。

「けれど、それを逆手にとって、より低い位置から投げ込めば、高身長の投手とは違う、打者にとって浮き上がるような軌道で投げることも可能よ」

 沙織が顔を上げる。

「右足の踏み込む位置を一歩でも半歩でもいいから、出きる限り前に出す。それからリリースポイントも、なるべくぎりぎりまで前で行うようにするの。そうすれば必然的に、低い位置からボールが放たれることになるわ」

「……それに加え、その投げ方だと打者から近い位置でボールを離すことになる。打者はボールが見にくくて打ちづらい」

 試験問題をさらさらと作りながら、あんずが付け加えた。彼女も野球好きの一員である。今日一緒に葵と来たのは、あんずと葵が一緒になって新フォームを考えていたからかもしれない。

「そっか」

 葵とあんずの説明を頭の中で再生して、沙織はうなずいた。

 身長にコンプレックスがあった沙織からすれば目から鱗だった。こういう考え方もあったなんて、背が低いことも悪くなかった。

 でもやっぱり、あともう少しだけ身長は欲しいけど。

「あくまでピッチャー未経験の私の意見だけれど、どうかしら?」

「うん。やってみるっ」

 沙織は力強くうなずいた。

 まるでおもちゃを与えられた子供のようだ。

 慣れ親しんだフォームを変えることへの抵抗感はあまりなかった。むしろ楽しみの方が強い。

「それじゃ早速試してみようよ! お父さんが使っているグラブがあるし、河川敷はここから歩いてすぐそこだから――」

「その前に、勉強が先」

「うぐっぅ」

 身を乗り出していた沙織が、がくっと机の上に沈む。

 そんな分かりやすい反応を見せる沙織に向け、葵は微笑む。

「しっかり終えれば、練習に付き合うわよ」

「う、うんっ。分かった」

「……練習したければ先に勉強を終わらせろ。まるでアメとムチね……」

 あんずが面白そうに笑った。


 こうして問題を解いては、次の問題と繰り返される。

 沙織はどんどん体力を消耗しつつも、一人で勉強するときよりもずっと頭の中に入ってきて、それがものになってきているのを感じていた。

 いつもは一人の部屋に三人もいるにも関わらず部屋は静かで、道路を歩く子供たちの笑い声がやけに近く聞こえる。

 小心者の沙織は、他人と一緒にいて会話がとぎれると、自分が話し下手で一緒にいても楽しくないからなのだろうか、と必要以上に気にしてしまうので、無言空間は苦手だった。

 けれどよく考えれば、葵もあんずも無口なタイプなので、むしろ喋らない方がデフォなわけで。

 会話がないことを必要以上に気遣わなくても大丈夫なんだ、と思うと気が楽になった。もともと沙織もうるさいより静かな方が好きなのだ。

 そんな感じでしばらく静かに勉強を続けていると、葵が言った。

「……やっぱりこの服、動きにくいわね」

「え? いつも着ているんじゃないの?」

「まさか」

 葵が心外と言った様子を見せた。

「沙織の家にお邪魔するからよ」

「うち……そんなにお金持ちじゃないけど……」

「それでも礼儀というものがあるでしょう」

 ……それでも行き過ぎだ、と思って沙織は気づく。

「もしかして。葵ちゃんって、友達の家に遊びに行くことってあまりなかったりする?」

「ええ」

 沙織の問いに葵は素直にうなずいた。

「先週、神子と遊びに行ったのよね。私は先に用事を入れていて行けなかったけれど。後で神子から色々楽しかったと聞いていたら、私も沙織と休日で会ってみたくなったのよ。嫉妬というわけではないけれど、対抗心みたいなものが芽生えたのかしら」

 葵はさらりと言ったが、それではまるで沙織を巡る三角関係みたいだ。

 そういうことをあまり気にしそうのない葵がそう思っていることは意外だった。

 沙織は何となく自分の方が照れくさくなって、話題を変えた。

「そういえば、神子ちゃんの方は大丈夫かな」

 神子とはクラスも担当教員も異なるので、正確な学力の比較はできていないが、五十歩百歩なのは間違いなさそうだ。

「神子の方は、清隆が付きっきりだから問題ないわ」

「そ……そうなんだ……へぇ」

 葵の言葉を聞いて、神子と清隆が幼なじみの関係だったことを思い出した。清隆は草野球部の事務を取り仕切っており、頭は良さそうだ。眼鏡男子だし。

 けれど沙織は清隆とマンツーマンの試験勉強は遠慮したかった。変態だし。神子の目が死んでいたのも、もしかするとそのせいかもしれない。

 なんてことを話していると沙織の携帯が鳴った。中学のときは月に一回鳴ればいいくらいだった携帯電話だが、最近はちょくちょく使うようになってきた。おかげで今まで使わなかった機能も少しずつ覚えてきた。

「あれ、神子ちゃんから?」

 沙織は葵とあんずを見る。

 二人ともうなずいたので、電話に出る。

「……もしもし?」

「あ、さおりん。今日は葵も一緒なんだよね? 葵の携帯に掛けても出ないんだもん」

「ええ。電源切っていたので」

 沙織の会話内容を察したのか、葵がしれっと沙織に言った。

 沙織は苦笑いしつつ、電話先の神子に尋ねる。

「それで、どうしたの?」

「あ、そうだった。大会の初戦の相手が決まったから、葵とさおりんに報告しようと思って」

「あ、そうだった」

 沙織の口から神子と全く同じ台詞が出た。

 神子は、みなと町商店街の集会所に出向いているのだ。

 集会所では、第一回みなと町商店街草野球大会のルールや注意事項の説明、そして組み合わせ抽選会が行われているのだ。部活が休みの日曜日とはいえ、強制勉強から解放される神子は大喜びで出席しているようだった。顧問の千代美も同じく出席しているはずだ。

「で、どこに決まったの?」

「みなとフェアリーズだよ」

「……って?」

 聞いても分からない。

「あれ? さおりんとこの前見に行ったじゃない。商店街のチームだよ」

「あ、あぁっ」

 チーム名まで気にしていなかったので分からなかった。

 それにしても妖精って。森屋の趣味だろうか。

「うん。それでね、早速だけど作戦会議も兼ねて……えっ、せ、先生。やだっ。勉強は! 今日は休みだからお休み……あぁっ」

 神子の断末魔とともに電話が切れた。

 おそらく千代美も仕事をためていて、休日の仕事(勉強)に、神子を無理矢理付き合わせようとしているのだろう。何となく想像できた。

 沙織は苦笑いして携帯電話を耳から離した。

「一回戦の相手が決まったようね」

 電話内容を察して、葵が言った。

「うん。それでね、早速だけど作戦会議も兼ねて……」

「勉強ね」

「……勉強」

「うう」

 沙織と神子がその話をできるのは、もう少し先になりそうだった。

 

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