第26話 魔女との契約

 鏡の前できらびやかな衣装を纏ったライディアスは、自身の仮面の中で光る、エメラルドの瞳を見据えたまま、物思いにふけっていた。

 無意識のうちに、幾つもの指輪の光る手が仮面を縁取っている赤みを帯びた金髪を弄ぶ。もっと上品で淡い光を放っていた先王の髪色とは、似ても似つかない。

「王者の金色とは、やはり違うものだろう……」

 ライディアスは、何時の間にか鏡の中に現われた、白いドレスの女に話しかけるように呟いた。


「……こんなに早くお前に会えるとは、思わなかったぞ、ランドメイアの大魔法使い。お前が、気まぐれな女であるのは承知している積もりだが……約束の期限には、まだ時間があるのではないのか」

 ダーク・ブランカは、白いドレスのひだを軽く摘んで小さく腰を屈めるだけの、ランドメイア風の挨拶をした。

「はい、陛下。あの時のお約束では、三年の後、という事でございました」

「陛下、か……私の師であったお前まで、私をそう呼ぶのか……」

 ライディアスは軽く笑った。

「まあいい。それで?何か計算違いでもあったのか?私は、お前の言う通りに、ちゃんと愚者の役を務めている積もりだが」


 そう言って、彼女に鋭い視線を向けるライディアスに、ダーク・ブランカは感心する。彼は、物事の核心を見抜く目を持っている。こんなごたごたに巻き込まれなければ、さぞかし名君になったであろうと思う。


「運命に翻弄される必要はございませんわ、陛下。ご自分の信じる道を、お取り下さいませ」

「魔女の甘言だな。私は、このメルブランカを愛している。だが、この私のしていることと言えば……」

「三年の沈黙。陛下、それが条件でございました。メルブランカがどうなろうと、例え、滅びる様な事態になろうと、お約束は守っていただく。魔女との契約とは、そういうものですわ。その約束の履行こそが、魔法を発動させる原動力となるのですから」

 白い魔女の言葉に、ライディアスはため息をついた。頭では理解していることだが、心の軋みは止めようもない。


「……分かっている。それで、今宵は何なのだ」

「思いがけない拾い物をいたしました。ルイーシャ、こちらへ」

 ダーク・ブランカが呼ぶと、控えの間から一人の少女が現われた。少女は、ライディアスの前に来ると、深く頭を垂れた。


 ライディアスの怪訝そうな様子を気に止めもせず、少女は抑揚のない声で言った。

「初めてお目に掛かります、陛下。ルイーシャ・ラ・ヴァリエと申します」

「ヴァリエ……?まさかそなたは、あのヴァリエ男爵の娘か?……顔を上げよ」

 ルイーシャが、ゆっくりと顔を上げた。その表情は固く、顔色は生気のない白である。そして、その菫色の瞳は、ただ眼前のものを映すだけの、鏡でしかなかった。


「……見るものを魅了せずにはいられない、綺麗な瞳だが……物を語らぬ瞳だな」

 ライディアスは、ダーク・ブランカが娘に掛けたであろう魔法を非難するように、魔法使いに言う。

「しかし……これが、ヴァリエの残した菫色の封印……女神の瞳石か」

「御意にございます。……陛下、その様に見詰めるものでは、ございませんわ、ルイーシャが困っております」

「ああ……そうだな。これは、まことに……見る者を惑わす魔の瞳だな……」

 ライディアスは、気が抜けたように、椅子に座り込んだ。ルイーシャは、ダーク・ブランカに言われて、再び隣室に下がる。


――女神の瞳石。


 それは、手にすれば、何でも願いが叶うと言われる、魔法の石だ。古来、数多の王者を惑わせてきたという、魔のモノ。その強力な魔力に触れた者は、命すら脅かされるという、危険な石――


「……あれが。錬金術師ヴァリエ男爵が遺したという……」

 魔女の言によれば、ヴァリエ男爵はそれを生成することに成功したのだという。かつて、ランドメイアという魔法の島で魔術を学んだ男爵は、類まれなる魔法使いとしてこの国に舞い戻った後、辺境に引き籠ってその魔法を完成させた――

「……先の陛下が、その願いを叶える為に望まれた……そして、その命を削ることになった原因を作った魔石……あれが……」


 ランバルト王は、その魔石を手に入れる為にメルブランカという国、そのものを代価とする契約を、東の魔女と呼ばれる魔法使いと結んだ。結局、王は魔石を手にすることが出来ず、契約は履行されず、メルブランカも未だ滅んではいない訳だが……代わりに、王はその命を失ったのだと言えた。あまりに大きすぎる代償だ。


 聞けば聞くほどに、正気の沙汰とは思えない話だろうと思う。例え、魔石を手に入れたとしても、国を失ってしまっては本末転倒もいいところではないのか。そうまでして、ランバルト王は、一体、何を望んでいたというのか……


「……ダーク・ブランカ。ランバルト王は、この王国が滅ぶのをお望みだったのだろうか。それほどまでに……この国を疎まれていたのか」

「ランバルト王には、そうしなければならない理由があった。それだけの事です」

 何度聞いても、ダーク・ブランカはそう言うばかりだ。

「その理由とは、何なのだ?国を引き換えにしても叶えたかった、ランバルト王の願いとは、何だったのだ?」

「今はまだ、お教え出来ません。私との契約が成就されれば、いずれ、お解かりになりますわ」

「……なかなか、口が固い」 

 ライディアスは苦笑しながら立ち上がると、鏡のほうに向き直り、晩餐会の為に仕立てさせた豪華な衣装を、丁寧に確認する。


 三年間、暗君として玉座に座るという条件を代価にした自分も、似たようなものなのかと思う。分を超える願いは、身の破滅と表裏を成す。そうと分かっていても、自分はそんな魔女の契約に縋らざるを得なかった。


 最近になって思う……ランバルト王も、そうだったのか、と。

 

「その女神の瞳石が、わたしの許に来たという事は……」

「はい。魔女の契約の果たされる時が、程なく参ります」

「……やはり、大魔法使いといえども、計算違いはあるのだな」

 ライディアスが面白そうに指摘する。

「私は、神様ではございませんと、以前にも申し上げたかと存じますが」

「そうだったな。この世界に、完璧などというものはない、か」

「今、このリブランテに、数多の強い星が留まっております。その星々の影響で、思っていたよりも早く、事態が動きました」

「……そうか。では、いよいよなのだな。私が、ルイーシャの瞳に宿る女神の瞳石を手に入れられれば……」

「はい。……陛下が犠牲になされた、この二年という時の代価として、陛下の願いが一つ、成就いたします」

 ダーク・ブランカが、淡々とした口調で答えた。


――この国の玉座に、正しき王が座ること。

 それが、ライディアスが心に秘めた願いだった。


 そしてそれは、先王ランバルトが、ライディアスに残した試練に他ならない。国を継ぐべき者ではない者が、国を継ぐために、彼が真の国王になるために、果たさなければならない試練だった。


 


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