第13話 恋敵

 リシスは、アステリオンの驚いたような、惚けたような目から逃れて、困った様に俯いた。視界に華やかなドレスの裾が入る。久し振りに締めたコルセットが、妙に窮屈に感じられた。

「少し、派手じゃないでしょうか?これ」

 リシスが、ややうんざりしたように、カラに言う。

「あら、よく似合ってよ。ねぇ、アスティ?」

「月の女神様のようだ、っていうのが、この国じゃ、女に対する最高の誉め言葉だっていうけど、お前なら、十分にそう言われる資格ありだぜ」

「それは……どうも」

 リシスは顔をひきつらせながら、弱々しく笑った。


「それで、リシス……じゃなかった、リシアーナ。その傷じゃ、馬は到底無理だから、俺がひとっぱしり修道院に行って、お前のルイーシャとやらを連れてきてやるから。お前は、ここで、大人しくしてろ。い、い、な?」

 アステリオンは有無を言わせずそう言うと、あっという間に剣を掴んで部屋を出ていってしまった。

「ねーっ?女で良かったでしょう?」

 横からカラに満面の笑みで言われて、リシスが苦笑する。

「バレた後のことを考えると、頭痛いですね。この好待遇は」

「アスティは多分、責任感じてるのよ」

「責任?」

「大見栄切って、あたしを連れてきたのに、あなたに怪我をさせてしまったでしょ」

「そんな……私が、不甲斐ないばかりに、迷惑を掛けてしまっているのに」

「そう思うなら、都に着くまで、お姫様でいなさいね」

「……自分が、こんなに非力だなんて……しみじみ情けない」

「仕方ないわよ。今までずっと、そういう生活してきたんでしょう?人間そんなに急に変われるものじゃないもの。いっぱい他人に迷惑掛けて、いっぱいみっともない事して、そうして、少しずつ大人になるものだわ。あなた、まだ若いんだから。大丈夫よ」

「……そうですね。がんばらなくちゃ……」

「ルイーシャの為にもね」

「はい」

 リシスは、笑ってカラにそう答えた。

 その無邪気な笑顔に、カラは何か胸に重いものを感じて、リシスから目を反らすとバルコニーへ出た。


……あたしにも、あんな風に、笑えてた頃があったのかしら……


「……二度目からの恋は、幸せなら、幸せなだけ、せつないものよねぇ……」

 いつか失くしてしまいそうで、失うことに、いつも、びくびくしている気がする。最初の恋を失くしてしまった記憶が、その記憶の中に残っている心の痛みが、人を臆病にするのかも知れない。



――キャラシャ・ファンナ……キャラ……僕の愛しい人……何があっても、君を離さない……僕が君を守るから……



 胸の奥に沈めたはずの思い出が、不意に浮かび上がって、カラは溜め息をついた。

「あーやめ、やめ。辛気臭いのは、柄じゃないわ」


 今、幸せなら、それでいい。

 幸せなうちに、せいぜい、幸せを満喫しておこう。

 先の見えない未来を、案じていても、仕方がないのだから……


「……あら」

 耳に蹄の音が届いて、カラは、バルコニーから身を乗り出した。

「アスティにしては、ずいぶん早いけど……」

 程なくカラの視界に、馬に乗った男が現われた。アステリオンではないようだ。男は、仮面をつけた貴族であった。




 男が玄関の前に馬を乗り入れたのとほぼ同時に、玄関の扉が開いた。中から、執事よりも先に、館の女主人が走り出てくる。

「ああ、あなたなの?」

 女は、男にすがるように抱きついた。

「まあ、こんな仮面で顔を隠したりして……嫌な子。顔を見せて頂戴。私のシャルル」

 女は、男の仮面を外して、その顔を愛しげに見詰めた。

「僕はアルベールですよ、母上……」

 男が、抑揚のない声で言い直す。だが、女は彼の言葉など聞こえないという様に、男に話しかける。

「シャルルったら、なかなか来てくれないんですもの。来られなくなったのではないかって、それは心配したのよ」

「申し訳ございません、母上。ちょっと、急な用がありましたので……それに、今日は、あまりゆっくりしてはいられないのです。すぐに、都へ参らねばならなくなりまして……」

 男がそう言いながら、何気なくバルコニーに目をやった。二人の遣り取りを見ていたカラは、身を隠す間も無く、その場に佇んだまま愛想笑いをする。


「お客人か?バトラー」

 視線をカラに止めたまま、男が執事に問い質す。

「はい。旅のお方で……」

「シャルル。私を、またこの館に置いて行ってしまうの?ここは嫌。静かすぎるの……」

「母上……」

「誰か来たのか?カラ」

 外の話し声を聞きつけて、リシスがバルコニーに姿を見せた。リシスと男の視線が交差した。その美貌に男が目を見張る。


「これは、これは、美しい御婦人方。我がラスフォンテの館へようこそ」

 その声と、そして名前を聞いて、リシスの表情が氷つく。

「……ラスフォンテ伯爵」

 リシスの掠れたような呟きが、カラの耳に届いた。

「あれが、伯爵?」

 眼下の若者をまじまじと見ながら、カラは呆気に取られていた。

 見事な金髪が華やかな印象を与えるが、その表情は穏やかで、端正な顔立ちからは知的な印象を受ける。感じの良い青年貴族である。話に聞いていた伯爵の印象とは、大分違う。


「シャルル……」

「大丈夫ですよ、母上。都へ参るのは、母上が私のラスフォンテの城に一緒に住めるように、父上にお願いする為なのですから。御婦人方は、ゆっくりしていかれるといい。バトラー、お客人のもてなし、頼んだぞ」

「はい。かしこまりました」

「では、母上。近いうちに、また参ります。お体に気を付けて……」

 伯爵は、母親の手から仮面を取って、馬に乗った。

「嫌よ、シャルル。私を一人にしないで」

 自分をシャルルと呼んだ母親に、伯爵は、せつない様な寂しげな表情を浮かべ、その表情を人に見せまいとするかの様に、無表情な仮面を纏った。

「……もう昔の様に、アルベールとは、呼んでいただけないのですね……母上」

「アル……ベール……?」

「いいんです、母上。アルベールは、あなたを捨てた者の名。忌まわしい記憶と共に眠っている方がいいのです。シャルルの……兄上の代わりが、この私で務まるのなら……」

 伯爵は、そこで言葉を切って、鐙を蹴った。

「シャルルっ!」

 走り去る馬を、女が追う。女は門まで追いかけて、門柱に縋りつくようにしながら、力なくそこにうずくまった。





 アステリオンはエルシアの修道院に着くと、リシスに言われた様に裏手へ回り、赤茶けたレンガの塀をよじ上った。それから小石を拾い上げ、人気のない別棟の窓に投じる。と、小石が当たった小さな音に、まるでそれを待っていたかの様に窓が勢い良く開いた。顔を見せたのは地味な修道女の格好をした女だった。しかし、アステリオンはその女の顔を知っていた。


「キャ……キャロリーヌ……か?」

 そう呼ばれた女が自分を視界に捕えて嬉しそうな顔を見せたのに、アステリオンは思わず後ずさった。

「アスティっ。本当に、あなたなの?」

「なんで、お前がっ、ここにいるんだ?」

「あらっ。連れないお言葉ですこと。リシス様に、あなたを紹介したのは、この私なのよ」

「……だからっ、メルリーゼ家の当主のお前が、ここで何してるんだ?まさか、俺に失恋した勢いで、尼さんになったって訳じゃないだろうな?」

「自惚れないで頂戴。私は、リシス様の主席侍女なのよ。もっとも主席っていっても、今はまだ、一人しかいないのだけれど」

「メルリーゼ侯爵様が、侍女の真似事ですか?一体全体……」

「詳しい話は、後で。それより、リシス様、お怪我なさったそうじゃないの。あなたが付いていて、どういう事なの?ルイーシャなんか、可哀想に血相変えて出掛けていったわよ」

「ルイーシャが出掛けたって、それ、どういう事だ?」

「今朝、ラスフォンテ伯爵が迎えに来たのよ。リシス様が大怪我をされて、伯爵の屋敷に運び込まれたって」

「ラスフォンテ伯爵が、ここへ来たのか?何てこった」

 アステリオンは勢い良く塀に飛び付いて、そのまま塀を越えていこうとする。キャルは慌ててアステリオンを呼び止めた。

「ちょっと待ってよ、アスティ。私を迎えに来たんじゃないの?」

「何ねぼけたこと言ってる。俺は、ルイーシャを迎えに来たんだ」

「あなたが?じゃ、伯爵の話は」

「嘘に決まってんだろっ。気付けよ、そのぐらいっ!俺は、リシスに言われて、彼女を迎えに来たんだから」

「何ですってぇ……ちょっと、アスティ、飛ぶから、受け止めて」

「なっ」

 アステリオンが返事をする間も無く、キャルは窓枠に足を掛けると、思い切り良く飛び降りた。アステリオンは慌てて、空から降ってきたキャルを抱き止める。

「……相変わらず、無茶をする」

「あら、そうかしら」

 小悪魔の様に笑ったキャルに、アステリオンは溜め息を付いた。

「顔に似合わず、随分と、年寄り染みた溜め息つくのねぇ」

「……年は取ってるよ、ちゃんと」

 アステリオンは、キャルを地面に下ろすと、再び塀に手を掛けた。

「ねぇ?例の結晶石の持ち主、誰なのか知りたくない?連れてってくれなきゃ、教えてあげないわよ」

「結構だ。リシスが知ってる」

「あら、リシス様は何も知らないわよ。それって、私がそう言いなさいって言ったんだもの。そうでもしなきゃ、あなた、今もまだプランクスの檻の中でしょう?ね?」

 キャルは懐から小さな鍵を取り出すと、木戸を開いて優雅なしぐさで彼を扉の外へ誘う。

「全く、なんて女だ」

 アステリオンは、諦めたように塀から手を離して、女に言われるままに扉を潜った。

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