第12話 予言の花嫁

 鳥のさえずりが遠くに聞こえ、ルイーシャは顔を上げた。気が付けば夜が明けていた。女神への祈りを幾度繰り返したのだろう。

「リシス様……早く戻ってきて……」

 そう呟いて再び祈りを捧げようとした時である。

「……お待ち下さいませっ!」

 不意に、扉の向こうから、緊迫した声が聞こえた。更に、扉越しに何かもみあう様な音が続く。

「伯爵様、困りますわ。姫様は、ただ今、お祈りの最中でございますから。誰も中に入れない様にとの、お言い付けでございます」

「そこを、退かれよ。私は、姫に大事な話があって参ったのだ」

 キャルの声に応えた男の声に、ルイーシャの鼓動は早くなる。

「……アルベール様。どうして、リシス様じゃなくて、アルベール様が……」

 動揺するルイーシャをよそに、扉が勢いよく開かれた。ルイーシャは咄嗟に頭に被っていたベールを下ろして顔を隠した。


「お初にお目に掛かります、姫様。ご無礼をお許し下さい。わたくしは、このラスフォンテの領主、アルベール・フォン・ラスフォンテと申す者」

 ルイーシャは、近寄ってくる伯爵から逃れるように、少しずつ後ずさる。

「……こっ……このような刻限に、何事ですか」

「火急の事態にて、人を探しております」

「人?」

「あなたが懇意になさっていたという、修道女見習いの娘、ルイーシャです」

「……彼女は……もうすでにここにはいないと聞いています」

「それは困りましたね。実はルイーシャに会いたがっている者がいるのですよ」

 ジリジリと間合いを詰めてくる伯爵に、ルイーシャの方も、二人の距離が近づき過ぎないように、更に後ずさっていく。


「昨夜のことです。私の友人とその者の間に、少々揉め事がありましてね。決闘になったとか、ならないとかで……彼は大怪我を……」

 言いながら伯爵は、懐から布きれに包まれたものを取りだし、ルイーシャの眼前へ差し出した。その掌の上で、その布きれをゆっくりと開いてゆくと、その中から、血に染まった白い仮面が現われた。

「……これは」

 ルイーシャは小さく息を飲んだ。それは、リシスの為にと、キャルが用意した仮面だった。真ん中からきれいに二つに割れている。ルイーシャの細い指が、恐る恐る仮面に伸びた。その白い指で、仮面に付いた血糊に触れる。血はまだ生乾きで、ルイーシャの指を朱に染めた。


「リシス様……」

「……それが、あの男の名か、ルイーシャ」

 伯爵がルイーシャのベールを取り払ったのは、一瞬のことだった。

「……あ……アルベール様」

 見覚えのある仮面を間近に見て、ルイーシャは倒れ込むようにして、長椅子にへたり込んだ。

「全くたばかられたものだな。誰も知らない姫などという、作り話をでっち上げて、こんな所に私のルイーシャを秘匿するなど」

 伯爵がキャルをに向かって言う。

「お前も、ただの修道女という訳ではないのだろうな?何者なのだ?あの男の知縁者か。だとすれば、お前にも罪を問わねばならぬが」

「……キャルさんは、間違いなくここの修道女さまです……院長さまに言われて、私の世話をして下さっていただけなのです……」

 キャルが答えるよりも先に、ルイーシャの弱々しい声が割り込んだ。

「それよりも、リシス様は……リシス様は、ご無事なのですか?」

 伯爵は青ざめた顔でそう聞いて来るルイーシャを、苦々しい顔で見おろす。しかし、そんな表情も仮面の下だけのことで、彼女が伯爵の感情を察することは無かった。

「……深手だが、一命は取り止めた」

「生きているのね?」

「ああ。今は、私の屋敷に」

「……良かった」

 心底安堵したという表情で涙ぐんだルイーシャに、伯爵が告げる。

「お前に、会いたいと言っている」

 ラスフォンテ伯爵が、そう言って差し出した手を、ルイーシャは何のためらいもなく取っていた。伯爵が、その仮面の下で、微かに笑った事など、無論気付くはずもなく。




 マーシュは、止まった馬車の窓から、外を眺めていた。

 嵐の中、夜通し走ってきて、やがて夜明けと共に、馬車の屋根を叩く雨音が聞こえなくなったと思ったら、程なく馬車が止まり、伯爵の言っていたエルシアに着いたのだと知った。


 馬車は、修道院の前に止められたまま、動く気配はない。伯爵は修道院の中に入って行ったままで、馬車の外には、見張りに残った仮面の男が二人立っているだけである。他の男達は、何処に行ってしまったのか、いつの間にか姿を消していた。

「マーシャ……」

 向かいに座っていた、リィンヴァリウスが、唐突にマーシュを呼んだ。


 昨夜以来、リィンヴァリウスはずっと怒ったような顔で黙り込んだまま、一言も話さなかった。だから、戸惑いが先に立ち、マーシュはすぐには返事が出来なかった。

 すると、

「マーシャ・アリシア・デューン。お前は、こんな所で何をしているんだ?アランシアのデューン家の娘が、その様な格好で……」

 呆れた様な口調ながらも、年の離れた妹をからかうような、昔と変わらない兄の様子に、マーシュは微笑し、二人の間に立ちふさがっていた時間の壁をようやく取り除いた。



――五年ぶりの再会だった。

 最後に会ったのは、マーシュが十才の時。ランドメイアのダーク・ブランカという魔法使いが、予言を持ってやって来て、マーシュの未来を決めてしまった時だ。



「今は、マーシャ、ではありません、兄上。マーシュ・クライン。そういう名です」

 マーシュは、兄の瞳を真っ直ぐに見返して、言う。

「どういう事なんだ?お前は、ランドメイアのダーク・ブランカ様の元にいるはずじゃなかったのか?」

「アステリオン様を、探しているのです。私が、予言の花嫁で……アステリオン様の花嫁になる。初めは、そういう運命なら、それで仕方がないと思っていました。でも、アステリオン様は、弓を離れた矢の様。飛び去ったまま戻らない。ランドメイアで、来る日も来る日も、ただ、アステリオン様が戻られるのを待って、待って……私、待ちくたびれてしまった……」

「……それで、探しに?」

「時間を頂いたのです。ダーク・ブランカ様から、三年という時間を。そして、アステリオン様を見つけて、あの方の口から、婚約を白紙に戻すという言葉を頂ければ、この話は無かった事にするというお約束を……もし三年の間に、見つけられなければ、そういう運命なのだと、私も諦めて、ランドメイアへ戻ります」

「成程、お前らしいな。父上は、この事をご存じなのか?」

「いいえ……」

「アステリオン様と結婚しない、という事になれば、お前、デューンの家には戻れないぞ。一体どうするつもりだ?」

「その事でしたらご心配いりません。ダーク・ブランカ様の、お仕事のお手伝いをさせていただく事になってますもの」

 リィンヴァリウスはため息をついた。

「……ランドメイアになど、やるものではなかったな。あんなに可愛かった妹姫が、こんな女丈夫になってしまうんだからなぁ……」

「兄上っ」

「それで、その期限というのは?」

「……あと半月です。でも、もう追い詰めたも同じ、すぐに見つけてみせますわ。それに、婚約の話は、父上と国王陛下とで決められたことで、アステリオン様は、ご同意ではなかったと聞いています。だから、あの方は、国を出られたまま、戻られないのでしょう?」

「……そういう単純な話ではないのだがな。まあいい、アステリオン様と会ってみれば、お前の気も変わるかも知れないしな」

「いくら兄上が、アステリオン様と気が合われるからといっても……」

「いや、合っているという訳ではないよ。煙たがられている様だし。現に、プランクスに置き去りにされるところだったんだから」

「……?」

「私は、五年前、陛下のご命令で、アステリオン様に、婚約の話を伝える使者として、国を出た。アステリオン様を探して、大陸を巡って、ようやく見つけたのは、遙か東方の国、ファーズだった。すぐに帰国していただく様に説得するはずだったのだが、果たせずに、結局、あの方の後をついて回って……全く、大陸中歩いてしまったよ」

「アステリオン様は、国にお戻りになる気はないんですの?」

「いや、いずれは、お戻りになるよ。まだ時が満ちていないのだ……」

 リィンヴァリウスは、伯爵が戻ってきた気配に、そこで言葉を切った。



 伯爵の後に付いて、二人の女が修道院から出てきた。一人は、貴族の娘らしい出で立ちで、顔はベールに隠されていて判らない。今一人は、修道女の格好をしてはいるが、修道女にしては華やかな美しい女である。リィンヴァリウスは、その修道女の方に見覚えがある気がして、小首をかしげた。


 伯爵が直々に馬車の扉を開けて、娘に乗る様に促す。娘はややためらいながらも、それに従い、馬車に乗った。

「きっと、ご無事でいらっしゃいますわ、あまり、ご心配なさいますな」

 修道女が馬車の窓から中を覗き込み、娘に声を掛ける。中にいたリィンヴァリウスと一瞬視線が合って、女は慌てたように馬車から離れた。


……キャロリーヌ・フォン・メルリーゼ、か?……このような所で、一体何を……


 リィンヴァリウスは、記憶の中から、女の名を拾い出した。

「……尼になったという訳じゃなさそうだが」

 リィンヴァリウスの呟きに、娘が驚いた様に顔を上げたが、リィンヴァリウスは何も無かったかの様に再び黙り込む。


 そして、一台の馬車が、今度は王都リブランテへ向けて、街道を東へ走り出した。

 伯爵はそれを満足げに見送ると、馬首を返して、自身は逆の方向へ走り去った。

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