第24話 王太子の花嫁候補

 広間では、縦長のテ-ブルが幾つも並べられ、その上に、贅を尽くした料理が所狭しと並べられていた。正面に国王の席があり、その左隣の上座にマリアーナ公爵夫人がすでに腰を落ち着けていた。リシアーナ姫は、公爵夫人の隣に静かに座っている。そして、国王の右側の一番の上座が、ヴィランドの席だった。


 広間には、数十人の貴族がいたが、大方は、まだ席に付かずに、そこかしこに数人ずつ固まって談笑していた。ヴィランドが側を通ると、貴族達は形ばかりの会釈をする。その会釈にいちいち答えながら、ヴィランドは、ゆっくりとカザリンの方へ歩く。歩きながらヴィランドは、男たちに取り囲まれている、華やかなドレスの見慣れない女に目を止めた。


 女の仮面に葡萄の葉をあしらった文様が描かれているのを見て、ヴィランドはそれがメルリーゼ侯爵である事を確認した。女侯爵は枢機卿に気付くと、軽い会釈をして、ヴィランドの方へ歩み寄る。広間の男達の視線が、彼女の動きと共に、一斉にヴィランドに集まった。


……田舎暮らしにも、侯爵の華やかさは色あせなかった様だな……


 枢機卿は、メルリーゼ侯爵の出現に何か漠然とした不安を感じながら、彼女が近付いてくるのを立ち止まったまま待っていた。


 ラスフォンテ伯爵家と肩を並べる大貴族である、メルリーゼ侯爵家。その現当主であるキャロリーヌは、まだ二十を少し過ぎたばかりの小娘である。それでも、ヴィランドは、この女侯爵がどうも苦手であった。キャロリーヌは、何を考えているのか分からない、掴み所のない女だ。


 ライディアス王が王太子であった頃に、キャロリーヌに熱を上げていたこともある。キャロリーヌは、一時、王太子の花嫁候補として、宮廷一の寵姫の名を欲しいままにしていた。そのまま何も起こらなければ、今頃は、彼女がメルブランカの王妃ということになっていたかもしれないのだ。

 だが結局その話は、彼女がアステリオンとかいう下賤の若者と、駆け落ち騒ぎを起こして、ランバルト王の不興を買ってしまったために、立ち消えになっていた。


 ところが、ライディアスが国王になって一番最初にしたのが、その前年に亡くなった父親の跡をキャロリーヌに継がせ、彼女をメルリーゼ侯爵として、再び宮廷に迎え入れたことであった。まさか国王は、まだ彼女に未練がおありなのか。そんなざわめきが宮廷に広がった。だが、程なくメルリーゼ侯爵は宮廷から姿を消した。彼女の方が、分を弁えていたのだろう。そのことに、ヴィランドは安堵した。どこか田舎の荘園に引き籠もったという噂を最後に、彼女の消息を聞くことは、以降なかった。


 その彼女が、また、自分の前に現れた。厄介の種がまた増えるのか。ヴィランドは仮面の下でため息をつく。彼女が野心のある女であるのは、その瞳を見れば分かる。だが、自分から名誉を捨てるような真似ができる感覚が、ヴィランドには理解出来なかった。


……この宮廷の影を知るには、まだ若すぎるということなのか……


「猊下には、お変わりなくお元気そうで、何よりですわ」

 メルリーゼ侯爵は、枢機卿の思惑を知ってか知らずか、にこやかに挨拶をする。だが、その瞳には、やはり挑むような不敵な輝きが宿っている。枢機卿は、面白そうに、口許を僅かに歪めて微笑した。

「宮廷に姿を見せるなど、どういう風の吹き回しかな……」

「葡萄の出来が、あまり良くありませんでしたから、田舎で遊んでいる訳にもいかなくなったのですわ、猊下」

「二年続きの不作だからな。国庫もあまりゆとりがない。陛下に、あまり無理なお願いなどしないように願いたいものだな、メルリーゼ侯爵」

「猊下が陛下の金庫番でいるうちは、あまり“悪い事”はできませんわ……ホホホ」

 メルリーゼ侯爵は、持っていた扇で口許を隠しながら優雅に笑った。

「ランシエルの荘園を売却すれば、赤字は出さずに済みそうですし……」

「ランシエル……エルシアの近隣の……田舎と言うのは、あちらの方にご滞在だったのですかな」

「ええ、あちらにメルリーゼの傍系の子爵家から、二年前に買い上げた荘園がありますの。幸い、あちらの方の葡萄の出来は、そう悪いものではありませんでしたから、悪くない値で売却出来ると思いますわ」

「ほう。メルリーゼ侯爵殿は、なかなかに、商才がおありの様だ」

「猊下にお誉め頂いて、嬉しゅうございますわ……」

 メルリーゼ侯爵が、広間に入ってきた国王の小姓に気付いて、言葉を切った。

「陛下が、もういらっしゃるようですので、これで……」

 彼女はそう言うと、会釈をして、ヴィランドから離れていった。



 ヴィランドはしばらくそこに立ち止まったまま、メルリーゼ侯爵の姿を目で追っていた。そして彼女が、リシアーナ姫の隣席に腰を下ろしたのを見て、思わず眉をひそめた。

 晩餐会での席次は、国王の寵を計るものといえる。国王のより側に座る者が、より寵愛を受けている者という事である。


……メルリーゼ侯爵が、いきなり、あのような場所に……それは、国王が未だに彼女を大事に思っているということなのだろうか。それに……


 ヴィランドは足を踏み出しながら、カザリンとメルリーゼ侯爵の間で、身動き一つせずに、緊張した様子で座っているリシアーナに目を止めていた。


 リシアーナは国王の兄弟であるから、その身分が公のものであれば、席次は誤ってはいない。だがそれは、この宮廷の極秘事項である。カザリンは、リシアーナの身分を、この席で公にするつもりなのだろうか。しかし、リンドバルト公爵のお披露目なのだとしたら、ドレスなど着せて、女のなりで連れてきたりしないだろう。


……このような上座に座らせて、一体、どういう身分の娘だというつもりなのか……


 ヴィランドは心の中でそう問いかけながら、目の前に座っているカザリンに会釈をして、自身の席に腰を下ろした。





 その頃、ラスフォンテ伯爵は宮殿の庭園に通じる、テラスの階段の最上段に腰掛けたまま、月を見ていた。

「フィアミス……フィアミス……」

 月の女神の名を呟き、高ぶっている神経を落ち着かせようとする。


……お前の兄は死んだのだ……


 父の言葉が、心の一番深いところに刺さっている。

「兄上が亡くなっていたなんて……」


 心を病んでしまった母を元に戻せるのは、兄であるシャルルだけだと思っていた。兄はきっと何処かで生きている。ファラシアに話を聞きに行ってから、アルベールは、ずっとそう信じていた。そういう強い願望があったせいもある。それを、父親に打ち砕かれても、自分と血を分けて生まれてきた兄シャルルが、すでに死んでいるという事実を、自分はどうしても納得できなかった。


……シャルル、か?……いや、似て非なる者か……


 巡る思考の中で、屋敷に入り込んだ不逞の者の言葉が、ふと頭に浮かんだ。

「あの男……」

 自分の顔を見て、兄の名を呼んだあの男。それは、あの男が今のアルベールと同じ顔をした誰かを知っているという事なのではないのか。


……シャルルは、生まれてすぐに殺されたのではない?……


 少なくとも、つい最近までは、生きていたのではないのか。そんな考えに思い至る。と同時に、アルベールの中に父親に対する疑念が生じる。父親の言葉は嘘なのではないのか。



――お前が連れ出したのは、その娘だけなのだな?……


――ルイーシャの他に、あの修道院に預けられていた、やんごとない姫君でもいたのですか?……



「……まさか、いたのか」



――リシアーナ姫は、こちらか?

――こちらのお姫様も人違いか。



「あの男……あの男が探していたのは、まさか、それか」


……リシアーナ姫……それが、修道院にいた姫……


 記憶の中に残る、そこにいるはずのないお姫さまの姿が、急に現実味を帯びた存在になる。あの時は、幻でも見たのかと思っていた。だが、本当にいたのだ。


 彼の父親が、なぜそんな姫君を探すのか。それは分からない。ともかく、今言えることは、あの男を捕まえることが出来れば、シャルルの消息を知ることができるかも知れないということだ。


――まだ、希望は残っている。


「女神よ、感謝いたします」

 天空で淡い光を放つ月に、アルベールは頭を下げる。と、そこに、夜の静寂を裂いて女の悲鳴が響き渡った。そして間を置かず、広間の方でざわめきが沸き起こる。

「何だ?」

 不穏な空気に腰を浮かせると、回廊を衛兵達が慌てた様子で走っていくのが見えた。国王の晩餐会が行われる広間の方で、何事か起こった様だった。

 アルベールは仮面を付けると、ラスフォンテ伯爵に戻り、衛兵達の後を追った。

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