第27話 暗殺者クロード
――お前は、私の子ではない。
ランバルト王が、臨終の際に漏らしたその言葉は、ライディアスが王太子として生きてきた十七年という歳月を、一瞬で砕いてしまった。
「お前は、罪の子である。その顔は、その罪の証。お前は、罪を背負って、仮面に顔を埋めて生きる定めだ」
王の子でないならば、自分は誰なのか。
何故、ここに……玉座に座らなければならないのか。
苦悩するライディアスに、追い討ちをかけるように、程なく隠されていた事実が明かされる。彼は、実の父親ヴィランドによって、自分と同じ顔を持つ弟がいるという事実を突きつけられた。それを知った時、彼は、自分の父親の犯した罪と、自分の存在そのものが、罪であるのだということを知ることになったのだ。
心に傷を負い……
顔を隠し……
過去を失い……
その資格がないのに、それでも玉座に座らなければならない。
その重圧に押しつぶされそうになりながら、喘いでいたライディアスの前に現れたのが、かつてランドメイアに留学していた時に、彼に魔法の手ほどきをしてくれた師、ダーク・ブランカだった。そして、ランバルト王が国を掛けて、東方の魔女と交わした契約の事を知らされた。
魔女は契約をこなすことで、自身の魔力を高めることが出来る。心に隙や脆弱を生じた者に近づき、その望みを叶える引き換えに、その者が最も大切にしているものを奪うのだという。契約者が、高い地位にあり影響力の大きな者であればある程、得られる魔力は大きくなる。だから、世界に数多いる魔女たちは、奪い合うように常にそのような人間を探し、契約を持ちかける。よって、国を導く立場の者は、そんな魔女たちの甘言に惑わされてはいけない。
――かつて、彼の師であったダーク・ブランカはそう言っていた。
ランバルト王の死によって、その契約は無効となった筈だった。だが、彼の叶えられなかった望みは、大きな絶望を生み、契約そのものを呪いに転化させてしまったのだという。その呪いによって、メルブランカという国は、今、滅びへ傾き始めている。
それを止めるには、呪いを解くため、その呪いを上書きする新たな契約が必要なのだと。
――彼の魔女はそう囁いた。
その話を聞いたとき、もしも自分が魔女の契約によって、国を救うことが出来るのなら、メルブランカの王としての資格が得られる様な、そんな気がした。その試練を果たせば、ランバルト王に後継者だと認めてもらえるのではないか……そんな風に思った。そして、負った罪を許してもらえるかもしれないという……そんな微かな希望すら抱いた。先王に対する贖罪を果たす。そうしなければ、この苦しみからは抜け出せない。その時のライディアスはそこまで追い詰められていた。
玉座に執着はなかった。国には王が必要で、他に座るものがいないから、そこにいる。ただ、それだけの事だ。だが、どんな理由があるにせよ、ここまで国を傾けてしまった責任は、償わなければならないから。このメルブランカを救わなければならないから。この私が……
――正しき王として。
考え事をしながら歩くうちに、気が付けばライディアスは、晩餐会の催される大広間の入り口に立っていた。
入り口にいた衛兵が、国王に一礼すると、王の来室を告げた。
「国王陛下のお成り……」
その衛兵の声に被さって、女の悲鳴が広間に響き渡った。
「何事か?」
そう叫んで、広間に足を踏み入れたライディアスは、悲鳴の主が、メルリーゼ侯爵である事を知った。そして、メルリーゼ侯爵に抱き抱えられるようにして、少女が口から血を吐いて倒れているのを目にしたのである。
「馬鹿な、リシアーナ・レティシアか……」
「衛兵、その男を捕えなさいっ」
カザリンの気丈な声が広間に響く。呆然としている貴族達の間を、仮面の男が擦り抜けて来る。反射的にライディアスは腰の剣を抜き、男の仮面目掛けて、その刃を振り下ろしていた。
――仮面が割れた。
「お前は……クロード・キラン……」
自分をそう呼んだライディアスの声に、クロードは、僅かに笑った様な表情を浮かべ、その場に崩れ落ちた。
――星が消える。北天の瞳星。碧の瞳星。かの星が、消える……
天球盤の上に光る幾つもの光点。神秘的な輝きを帯びたその光は、人の天命を示すものである。キランは、天球盤の上の、碧の光を見据えたまま、身じろぎもせずに、もう半時もそうして佇んでいた。
やがて、何かを決心した様に顔を上げると、纏っていた真紅のマントの止め具に手を掛け、マントを脱いだ。
「この星見の塔を、出ていくというのじゃないでしょうね?マイスター・キラン」
不意に後ろから掛けられた声に、キランは眉をひそめた。一番見付かりたくなかった人に、見付かってしまったのだ。
「ダーク・ブランカ様……私は……」
「その真紅のマントは、星見の証。そう簡単に脱いでもらっては困るのよ」
「……」
「メルブランカの碧の瞳星……に興味がある様ね」
「この星は、私の大事な人の星なのです……まだ消えるはずのない星なのに、だんだん光が弱くなっている。このままでは、消えてしまう……見過ごす事はできません」
「キラン、星見は、未来を予見する力を持つ代わりに……」
「地上の出来事に干渉してはならない……分かっています。それは、分かっています」
それは、このランドメイアで星見となって、星見の塔に入る時に立てた誓い。
それを破った者には、相応の報いがある。
塔を出た者は、記憶を少しずつ失っていくのだ。自分の力の事も、その出自も、親兄弟の事も、自身の名前すらも……やがて、すべてを忘れてしまう。
忘れてしまった故郷を、忘れてしまった人を探して、大陸中をさ迷い歩く……それが、塔を抜けた者の成れの果てである。
記憶が、どのくらいの早さで消えていくのかは分からない。ただ、この星が消えてしまうのを黙って見ていることは出来ない。だが、記憶が消えないうちに、友を探し出す事が出来るという保障など、どこにもなかった。
どこにいるのかも、どこの誰なのかも、知らないのだ。
分かっているのは、“シャルル”という名前だけだ。
ランドメイアの学舎で、六年間を共に過ごした大切な友である。
生まれも育ちも、大した重きを置かない学舎では、個々の持っている能力だけが、相手を認める術となる。そういう環境の中で、キランとシャルルは、お互いを友として認め合った。その絆の深さは、他人には計ることは出来ない。
……運命の星が交差する。それは、誰にも止められぬもの……
ダーク・ブランカの、歌うような声が響いた。
「……ダーク・ブランカ様?」
気付けば、魔法使いの姿はもうそこにはなかった。
……メルブランカの碧の瞳星……
ダーク・ブランカの先刻の言葉が、キランの頭の中で閃いた。
「メルブランカ……シャルル、お前は、そこにいるのか?」
ダーク・ブランカは、手掛かりを教えてくれたのだろうか。
薄暗い部屋だった。窓からカーテン越しに入ってくる月明りだけが、部屋を照らしていた。頭が重かった。額に巻かれた包帯の下から、血の流れ出ている感触があった。
意識を取り戻したクロードは、側に人の気配を感じて、重い頭を巡らした。
ベッドの脇に人が立っていた。その顔に、懐かしさがこみ上げる。
「シャルル……」
「シャルルは、私の兄の名だ」
ラスフォンテ伯爵の声が答えた。
「ここは……」
「王宮の一室だ。お前は、国王の命で、ここへ運ばれた。外には衛兵がいるが、窓からこうして忍び込む事は不可能ではない。ここの警備は、随分とずさんだ」
ラスフォンテ伯爵は揶揄するように言って哂う。そんな彼の様子を、深い蒼紫の瞳が、どこか戸惑いを帯びた色で見据えていた。
「お前に聞きたいことがあって来た。私は、兄を探している。生まれてすぐ引き離された双子の兄だ」
「……それが、シャルルか?」
「そうだ。私の父は、兄は死んだと言っている。だが、私は……」
「……シャルルとは、ランドメイアの学舎で出会って、六年を共に過ごした。二年前、父親が病気だというので、国に戻っていった。それ以来会ってはいない」
「二年前には、間違いなく、生きていたのか?」
「まだ、生きている。だが、もう間も無く……死ぬかも知れない」
「どう言うことだ」
「私は、ランドメイアで、星見の修業をした」
「ランドメイアの星見……未来見の星見か?」
「シャルルの星が消えかけている。それで、探しに来た」
「星が消える?」
「命が消えるという事だ。シャルルの星は、まだ消えるはずではないのに……何かの力によって、消されようとしている。何かが、シャルルを消そうとしている……この場所に絡み付く呪いが、あいつを取り込もうとしている」
「呪い?」
「この国は、何か変だ……」
シャルルは生きている。しかも、このリブランテにいる。このことを多分、父は知っている。だが、聞いても答えては貰えないだろう。他に、知っているとしたら、ファラシアだろうか……
「シャルルが生きているなら、私がきっと守ってみせる」
ラスフォンテ伯爵は、窓枠に手を掛けた。
「お前の名を聞いてもいいか?」
そう尋ねた伯爵に、クロ-ドは思わず微笑した。その姿が、かつて同じようにそう聞いてきたシャルルと重なる。
「クロード・キランだ」
「キラン、何か分かったら、知らせに来る」
そう言い残して、アルベ-ルは窓の外に姿を消した。
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