第34話 解かれる鎖

 アルベールは城門で馬を乗り捨てると、アイーシャを抱きかかえて、いつも使っている抜け道を通り、宮殿へ向かった。

 闇の薄れた東の空に、明け星が輝いていた。もう、夜明けが近かった。


 宮殿の中は、まだ落ち着かない空気に包まれていた。枢機卿の指示なのか、普段はいない場所に衛兵が配されており、何人かが廊下を走っていく様子も伺えた。アルベールは、懐から仮面を取り出し被る。それを腕の中のアイーシャが不思議そうに見ていた。

「……ねぇ、どうして違うお顔になったの?」

「この仮面は、通行証みたいなものだからね」

 仮面の表面には大抵、素顔の分からない相手を判別するために、その主の紋章が描かれているのだ。幼い少女を腕に抱えている伯爵を怪訝そうに見ながらも、行き会う衛兵たちは皆、ルビーリンクスの仮面を被る男をラスフォンテ伯爵であると認識して、会釈をして通行を許可してくれた。アルベールはそのまま、枢機卿の執務室に足を向ける。すると、途中でアイーシャがアルベールの袖を引いた。

「どうした?」

「そっちちがう……あっち……」

 アイーシャが、たどたどしい口調でそう言い、あらぬ方を指差した。

「あっち?」

「あっちに、シャルルがいるの……」

 少女の口から、思いがけない言葉が出た。

「シャルル?」

「うん」

 アルベールが聞き返した名前に、アイーシャは、にっこり笑った。

「星を待ってるから」

「星を……待っている?」

 アイーシャの中に、何か力の片鱗のようなものを感じた。


……この子は……


 アイーシャは、シャディアの巫女の血を引いている。ファラシアにその力の発現は見られなかったが、もしかしたら……そんなことを考えながら、アルベールは、その謎めいたその言葉に導かれる様に、アイーシャの差し示す方へ足を向けた。



「アルベール、このような所で何をしている」

 廊下を進んだ先で、苛立ちを含んだ声に呼び止められた。振り向けばそこに、父ヴィランドの姿があった。やはり、アイーシャの姿に目を止めて、怪訝な顔をする。

「何だ、その子供は」

 重ねて叱責するような口調で問われた。

「亡くなった、ファラシアの娘です」

「ファラシアだと……亡くなったのか」

「ええ、先刻。黒衣の使徒の巫女狩りにあったのですよ」

「巫女狩りだと?」

「ファラシアは、シャディアの巫女の血を引いていたのだそうです」

「シャディア……だと」

 ヴィランドが仮面の下で呻くような声を漏らした。黒衣の殺人者の狙いが、シャディアの巫女狩りだったという事実に声を失う。


――シャディアの巫女。


 その存在は、忌むべきものだ。先々代の王、ライディアス4世がシャディアの滅亡に関わってから……そして、その戦利品として、巫女姫イリーシャをこの国に連れ帰ってから……この国は、呪われた。


 大陸中で、グラスファラオンがシャディアの生き残りを狩っているという話は、情報として知っていた。だが、この西の果ての国にまで、その手が伸びているとは考えていなかったのだ。自分の認識の甘さを憤る。この半年ほどで、急に増えた殺人。その原因を、自分は突き止めることが出来なかった。言ってしまえば、リシアーナの事に気を取られ過ぎていて、他が疎かになっていたということだろう。だがそれも、クロードのお陰で、片が付いた。後は、クロードの口を塞げは、この件は終わりだ。


「その娘の処遇に関しては、後で話そう。これから陛下の元へ参らねばならないのでな。私の執務室で待っていろ」

「そういう訳にはいきません、猊下。私は、シャルルを探しに来たのですから」

「何……だと?」

「この国の玉座に座る者が、シャルルなのかどうか、今から確かめに行く所なのです」

「……馬鹿な真似はやめろ」

「おや?その狼狽えよう……やはり、私の兄は……」

「黙れっ!衛兵っ、この者を捕らえよっ!」

 廊下の向こうから、ヴィランドの命じた声に反応して、衛兵が数名走り寄って来る。

「……成程。これで確信いたしましたよ、猊下。ここが、最後の超えるべき壁、ということですね」

 アルベールが微かに笑い声を漏らす。そして、抱きかかえていたアイーシャを下すと、躊躇うことなく腰の剣を抜いた。アルベールの剣の前に、衛兵はあっけなく打ち倒されていく。

「強いな……」

 自分の息子の技量を初めて目の当たりにしたヴィランドは、仮面の下で苦虫を噛み潰したような顔をした。辺境の地で遊び暮らしているばかりの放蕩者だとばかり思っていた。遠く離れたこの王都にいる自分の耳に入って来る息子の情報は、どれも眉をひそめたくなるようなものばかりだったのだ。それが……

「……全く、たばかられたものだな」

「来いっ、アイーシャっ!」

 呆然としているヴィランドを尻目に、アルベールは呼び寄せたアイーシャを再び抱きかかえると、その少女の指さす方へ廊下を走り去っていく。その向かう方は、間違いなく国王の居室に違いなかった。


――秘密が暴かれる。


 長年、自分が抱え込んでいた、王家の秘密が。そんな思いに、ヴィランドは乾いた笑いを漏らす。そのことを、どこか安堵した自分に気付いたからだ。それは、長い間自分を苦しめてきた心の重荷が、そのことによって消えるのだと気付いたからだった。

「この私が、望んでいたことだというのか」

 ヴィランドはどこか信じられない思いを抱きながら、事の顛末を見届けるべく、アルベールを追ってゆっくりと歩き出した。





――そして、再び王の間。


「兄上っ!」

 アルベールの渾身の声が、そう叫んだ。

 今まさに、リシスに切りかかろうとしていたライディアスの剣が、その声によって止まった。見えない力に導かれるように、ゆっくりとライディアスがアルベールの方へ顔を向けた。

「……シャルル。本当にシャルルなのか……」

 自分と同じ顔を見て、アルベールが感嘆の声を漏らし、自らの仮面を外した。

「お前は……」

 

――呪われた双子の片割れ。


 神はこれ以上、私に何をお望みになるのか。自分と同じ顔を持った者の出現に、ライディアスは、その場に棒立ちになった。


 抱きかかえていたアイーシャが身じろぎをしたのに気付いて、アルベールは少女を下に下ろしてやった。地に足が付くと、アイーシャは真っ直ぐにもう一人の自分の元へ駆け寄っていく。そして少女は、ためらいもなく、そこに立っていた男に抱き付いた。

「お兄ちゃん、だっこ」

 アイーシャが、両腕を伸ばしてせがむ。瞬間、戸惑ったような表情になったが、ライディアスは少女を抱き上げ、そして小さく口元を綻ばせた。


……何だろう、気持ちが軽くなっていく様なこの感じは……


 アルベールは、そんなライディアスの元へゆっくりと歩を進める。一瞬でも目を放したら、消えてしまう。そんな心もとない感覚に、まばたきすら出来なかった。

「……シャルル」

 感極まって再び発した声は震えていた。

 涙で視界がぼやけた。伸ばした手がシャルルの手に触れ、その温もりを感じた途端に、涙が零れ落ちた。


……生きていてくれた……


 何ものにも代えがたいその思いに、歓喜が心の中から溢れかえる。アルベールはその腕に抱かれたアイーシャごと、その存在を確かめるかの様にシャルルを強く抱き締めた。

「……兄上の消息を知ったら、母上は、どんなにかお喜びになるでしょう」

「母上?」

「ずっと、兄上を捜しておられたのです、この十九年の間……」

「……私の母は……」

 カザリン様ではないのか。

 僧籍にあるヴィランドには、公には、婚姻の事実はない。だから、自分の母親は、カザリンなのだと、ランバルトの言葉のままに、そう思い込んでいた。


――違うのか……つまりそれは……


 自分を縛り上げていた罪という名の鎖が、緩やかに解けていく。

「母上は……どちらに……」

 シャルルは、そう問うた自分の声が震えているのを感じた。

「今は、エリンネーゼの館に。近いうちに、ラスフォンテの本邸へお迎えするつもりでいます」

 返された答えに、心に掛かっていた暗い霧が晴れていく。

「そうか……そう……なのか」

 アルベールのもたらしたその光は、シャルルの心の傷を静かに、しかし確実に癒していった。瞳から一粒零れ落ちた涙が、ちょうど差し込んだ朝の光を弾いて華やかな煌きを放った。




「陛下、お疲れのところ、申し訳ございません」

 そこへ、ヴィランドの声がライディアスを呼んだ。開け放たれたままの扉の向こうで、仮面を外したヴィランドが、室内の乱れた有様に目を止め顔を顰めていた。

「……これは、何事にございますか、陛下」

「構わぬ、入るがいい」

 ライディアスがそう答えると、ヴィランドが頷いて部屋に入り、扉を閉めた。

「……感動の兄弟対面は果たせたようだな、アルベール」

 そう水を向けると、アルベールが挑むような目をして言った。

「お聞きしたいことがあります、

「分かっている、だが、こちらの用件が先だ。陛下、」

「何事か」

 そもそもこの父が、自分たち双子を引き離した張本人なのだと思うと、自然、口調がきつくなる。だが、そんなライディアスの不機嫌な様子を気にすることもなく、ヴィランドは畏まりながら、それでもはっきりとした口調で言った。


「陛下、先刻捕えた刺客を、警吏の者にお引き渡し下さい。御前を騒がせた者を匿うなど、一体どういうおつもりでございますか……」

「……ああ、そのことか」

 なぜヴィランドが、キランの処遇を気にするのか訝しく思いながらも、問いを返す。

「お前、あれが、どういう素性の者なのか、存じておるか?」

「どういうとは……?」

「この私の宮廷を騒がせた罪ならば、死刑は免れぬ。それを承知の上で、凶行に及ぶなど、余程の訳があるのだろうからな。私はその訳というものに、興味があるのだ」

「その様な事は、警吏にお任せ下されば良いのです。陛下のなさる事では、ございません」

「そうもいかぬ。あれは、警吏ごときに処遇を任せる訳にはいかぬ者。あれは、ランドメイアの星見なのだからな」

「ランドメイアの……星見だと。まさか、あのクロードが……」

「ヴィランド」

 ライディアスの鋭い声が、枢機卿の名を呼んだ。

「お前が何故、あの者の名を知っている」

「……」

 ヴィランドは言われて絶句した。ライディアスの鋭い視線が、ヴィランドに注がれている。重い沈黙が下りた。

「答えよ」

「…………クロードには……私の密偵をさせておりました」

「ならば、リシアーナ姫を害したのは、お前の指示だったということなのかっ」

「……陛下、お聞き下さい。私は、このメルブランカの王家の一員として、常に、この国の行く末を案じております……」

 弁明するようなヴィランドの言葉を遮って、ライディアスは、より強い口調で問い詰める。

「答えよ、ヴィランド!お前が、姫を殺させたのか?」

「……はい」

 ヴィランドが神妙な顔で首を垂れた。

「……馬鹿なことを。なぜそのような……」

「お聞きください陛下、あの者は、この国に災いを呼ぶものでございました。このメルブランカの未来を思えばこそ……私は」

「災いだと?」

「……リシアーナ姫は前国王のご落胤を自称し、この宮廷に入り込んで、陛下に代わって王位に即くなどという、大それた野心を持つ者でございました」

「馬鹿な。あれは、女だったではないか……」

「女ではございません。リシアーナ姫は、男なのです。ランバルト王の血を継ぐものであるから、王位に即く資格があると、そう思い込んでいた不埒者でございました……」

「男……だと?」

 寸暇、ライディアスが考えを整理するように黙り込む。

「……ランバルト王の血を継ぐ、男?……なるほど、そういうことか……お前だったのだな、リシス・リンドバルト」

 ライディアスが言うと、その足元でルイーシャを介抱していたリシスが顔を上げて、ヴィランドの方を見た。 


「まさか、そなた……リシアーナ……生きて……」

 ヴィランドが驚愕に目を見開き、喘ぐような声を出した。そして、その間にライディアスが抱き起したメルリーゼ侯爵の姿に目をやって、事態を察して溜め息を吐いた。

「全ては、そなたのはかりごとだったのか、メルリーゼ侯爵」

 ヴィランドのその台詞を聞いて、今度はライディアスが事情を察したように、愉快そうに声を上げる。

「リシス・リンドバルト、本当にお前が、あのフィアミスか!」

 そう言われて、リシスは顔を赤らめて心底恐縮した様に、深く頭を垂れた。

「全くメルリーゼは、大した女だな……」

 抱き上げたキャルを長椅子に下ろして、その寝顔をどこか愛おし気に見ながらライディアスが言う。

「……やはり、私が見込んでいた通りの人だった……ヴィランド、メルリーゼの思惑はともかく、このリシスは、王位の纂奪など考えてはおらぬ」

「しかし、陛下」

「ヴィランド……心に負い目を持つ者は、猜疑心が強くなるものだな……人を裏切った事のある者は、人から裏切られる事に怯える様になる」

「陛下、私はっ……」

「もう、お止め下さい、……」

 ヴィランドの言葉を遮って、ライディアスはその前に跪き、父親の顔を見上げた。


「……私達は、罪を償わなくてはならないのではないのですか?ランバルト王を失意のまま死なせてしまった罪を。違いますか……父上」

「……ランバルトは……あれは紛れもなく罪を負った者だった。あの者は、自分の罪を償って死んでいったのだ。このメルブランカの為に。私は、国の為を思えばこそ……」

「……ならば、父上。ご自分に罪がないとおっしゃるなら、あなたは何故、全てを公になさらないのですか。この私が、あなたの子であると、何故、堂々と公表なさらないのです。仮面で全てを覆い隠したのは、そこに罪があると、ご自身がそう認めていらっしゃったからではないのですか?」


 彼の息子シャルルの言葉は、今までヴィランドの心の奥にありながら、どうしても認めることの出来なかった後悔の念を呼び起こした。そしてヴィランドは、気が抜けたように力なくその場に崩れ落ちた。

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