第42話 さよならは言わない【完結】
「伯爵さまぁ、お荷物は全て船室へお運び致しましたよ」
「ああ、ベルナール、ご苦労さま」
「いえいえ、お安い御用ですよ。この私めを旅にお連れ頂けるなんて、本当に有難いことで、感謝しております」
「私とアイーシャだけなら、そんなに荷物も無かったんだけどね。年ごろの女の子は何しろ荷物が多いからな。助かるよ」
「べるなーる、どうもあんとうね」
アルベールの外套の中に隠れていたアイーシャが、ひょいと顔を出してニコニコしながらお礼を言う。それを見た途端、ベルナールの顔が蕩けて、目じりが限界まで下がった。
「い~え~いえ、アイーシャ様。ど~ういたしまして~ですぅ~~」
「……お前。この娘にちょっかい出したら、承知しないよ?」
「イヤだな、出すわけありませんよ、ありませんって~」
……伯爵さまの将来の伴侶になるかも知れない、貴重な人材じゃないですかぁ……
という心の声は、多分、逆鱗に触れると思うので封印しておく。byベルナール。
それでも、外套の中にさも大事そうに、小さな女の子を隠してしまうとか。いつか、それが、そう転ばないとは、神様にだって言い切れない筈だ。
「そう言えば、ルイーシャは?」
「ああ、長い船旅になるから、船の中で食べるお菓子を調達してくるって、おっしゃってました」
「……お前、乗り遅れないように、そろそろ迎えに行ってやって?」
「了解です」
出港までは、まだ少し時間があるが、買い物に夢中になった女の子には、時間の概念など無きに等しい。旅行気分にどこか浮かれているベルナールを見送って、アルベールは港の雑踏を見るともなしに見ていた。と、その雑踏の人波に、馬が乗り入れて、ちょっとした騒ぎが沸き起こった。
「ルイーシャーーーーっ!」
風に乗り、馬上の男の絶叫にも等しい声が届く。
「……うっわ。ルイーシャ、お前、完璧に陛下の行動読み違えたなぁ……」
下の騒ぎに、アイーシャがもそもそと顔を覗かせる。
「ルイーシャおねえちゃん、どーしたの?」
「……うん。まあ……恋をすると、人は変わるよってことかな」
アルベールが苦笑いしながら答える。
「こ、い、?ってな~に~?」
首を傾げて聞かれて、その様子が、瞬間、一人前の女の子のように見えてドキリとさせられる。
「……君は、まだ、知らなくていいから」
慌ててそう突き放す。そんな誤魔化しがきくのは、あと何年だろうか。そんなことに狼狽えながら、アルベールは騒動の元になっている人物に視線を戻す。
お付きも連れずに、一国の国王が……というか、兄上がよく許したよな、と思う。まあ、代々将軍職を歴任してきた武門の家柄であるメルリーゼ侯爵仕込みであるらしいから、下手な護衛など必要はないのだろうなとは思う。というか、単騎だからこそ、追い付いたというべきなのか。
「ルイーシャ……」
雑踏の中に、その姿はあった。大きな買い物の袋を抱えて、呆けたように自分を見据える菫色の瞳を見つけた途端、リシスは体から力が抜けて落馬した。
三日三晩、途中で馬を何頭も乗りつぶし、ほぼ休みなしに駆けて来たのだ。その手前の慣れない激務と、睡眠不足も祟って、体はすでに限界を迎えていた。ただただ、精神力だけでここまでたどり着いたと言っていい。
「リ……シスさま……リシスさまっ!」
買い物袋を放り出し、駆け寄ってくる彼女の姿がぼやけて、意識が遠のきかかったところを、彼女の腕に抱き止められた。
「しっかりなさって下さい、リシスさまっ……」
「ああ……はは……ルイーシャだ……」
力ない笑いを漏らし、同じく上手く力の入らない腕を懸命に彼女の背に回して、いなくならないようにしっかりとしがみ付く。
「何を……一体、何をなさっているんですか、あなたはっ……」
会ったら真っ先に怒ってやろうと思っていたのに、先に怒られて、途端、理不尽な思いが膨らんだ。
「どうしてだよっ!一緒にいてくれるって、そう思ってたのに、何で私を置いていく……何でだよ……ルイーシャっ!!そりゃあ、伯爵に比べたら、私は確かに頼りない……けどっ、何も言わずに置き去りにされるほど、ダメな男なのか、私は……」
「リシスさま……ええと……その、何て言っていいのか……」
「ルイーシャっ!」
「……はい」
「ルイーシャ……ルイーシャっ」
その細い肩に額を乗せて、何度もその名を呼ぶうちに、切なさがこみ上げてくる。こんなに好きなのに、気持ちが届かないのか。繋がっていたと思っていたのは、自分ひとりの思い込みに過ぎなかったのか。
「落ち着いて下さい、リシスさま。私、ここにいます。今、ここにいますから」
「ルイーシャ……」
その声に少し冷静さを取り戻して顔を上げれば、ルイーシャの菫色の瞳が、顔のすぐそばでリシスを見詰めていた。
「……そのまま仮面、外さないで下さいね」
耳元でそう囁かれて、後頭部に手を添えられたと思ったら、リシスの顔をルイーシャが自分の方へ引き寄せる。
「バレたらこれ、大スキャンダルですよ」
「え……」
どこか小悪魔のような笑みを零して、ルイーシャの唇がリシスのそれと重なった。最初は、そっと様子を伺うように軽く。次の瞬間、どちらからともなく、お互いに思いを交換するように、何度も深く口づける。
……それはつまり。私が君を思うように、君も私を思ってくれているのだと、そう信じていいのか。
その答をねだるように、リシスは何度もルイーシャに口づける。やがて小さな吐息を漏らして、ルイーシャが少し距離を取った。
「……そんなに、ご自分に自信がおありにならないんですか、リシスさま」
そう言って、ルイーシャは微笑みながら手を伸ばし、そっとその頬に触れた。
「ルイーシャ……」
こんなに完璧な人なのに、長い年月の幽閉のせいで、人と比べるということがなかったからなのか、この人は自分を随分と低く見積もっている。早く気づけばいいのに、と思う。何とももどかしい。
「……こんなにボロボロになる程、わたしを思って頂いて、こんなに幸せなことはありません。ありがとうございます、リシスさま。大丈夫ですよ?そんなに心配なさらなくっても、リシスさまは、超絶素敵ですからっ」
「え……?」
「だから、他の誰にも取られないように、わたしは、リシスさまの隣にいても、恥ずかしくないような女性にならなくてはいけないんです」
「……?」
「この瞳の力で、リシスさまを誑かしたんじゃないってことを証明しなければ、わたしはあなたの隣にいる訳にはいかないから……だから、ランドメイアへ行って、この瞳を自分で制御する方法を学んで来なきゃって、そう思いました」
「学んで……来る……それは、つまり、帰って来るってこと?」
「そうですよ?」
「だったらっ、どうして、最初から、そうっ言ってっ……」
「申し訳ありません。お仕事が、とてもお忙しそうで、ろくに睡眠も取っていらっしゃらないとお聞きしたので、お時間を取らせては申し訳ないと思って。だから、直接お会いせずに、お手紙を残して来たのですが……」
「手紙……?」
「はい。エリアスさまに、言付けたのですが、あのお方もお忙しくて、お忘れになったのかも知れません」
「エリアスに……」
忘れたのは、不注意なのか、故意なのか。まあ、今更どうでもいいか。こうして、ルイーシャに会えたのだから。彼女の気持ちを知ることが出来たのだから……
「リシスさま……リシス……さま……リシス……」
自分を呼ぶルイーシャの声を心地よく思いながら、リシスの意識はついに限界を超えて、そこで途切れた。
リシスが意識を取り戻したのは、それから五日後、王宮の自分のベッドの上だった。アルベールの従者である、ベルナールという男が主人の命により、彼を王宮まで連れ帰ったのだと聞かされた。
その後しばらく、リシスは、自分のせいで、主人との楽しい旅行がふいになったと、その男、ベルナールの愚痴を延々と聞かされることになった。
――そんな騒動があってから、三年の月日が流れた。
静寂の中に、前に進む靴音だけが響く。ひんやりとした空気は、心に心地よい緊張感を与える。目的の場所に立つと、リシスは跪いた。父、ランバルト王の墓標の前である。両手を組み合わせ、祈りを捧げる。その手の中には、ルイーシャが魔法で生成した小さな菫色の石があった。
……この国の全ての民に、平穏で災いのない日々を与えたまえ……
組まれた手の中で、石が紫色の光を発した。その光が手の中から抜け出て、小さな光の玉となって天に昇っていく。見上げるリシスの目の前で、それは、音も無く弾け飛んだ。光の欠片は四方に飛び散り、空気に溶け込むように消えていった。リシスは立ち上がり、天に向かって再び祈る。この国を災いから守る結界が広がっていくのを感じる。これがルイーシャの魔法――
……我が愛する人々を、お守り下さい……
リシスが霊廟の扉を開くと、外界の明るい光が彼を包み込んだ。その眩しさに、思わず瞳を閉じる。再び開かれた瞳に、白い婚礼用のドレスを纏ったルイーシャの姿が映る。リシスは微笑んで、彼女に歩み寄ると、手を差し伸べた。ルイーシャがはにかんだような笑みを見せ、そっとリシスの手を取った。
【 そして僕らは仮面を被る 完 】
そして僕らは仮面を被る 抹茶かりんと @karintobooks
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