第15話 両手に花を

 一台の馬車が街道を東へ、王都リブランテへと向かう。

 アステリオンは、彼の向かい合わせに隣り合って座っている二人の女が、先刻から、一言も口をきかず、不機嫌な面持ちであるのに閉口していた。

 カラとキャル――キャロリーヌ・フォン・メルリーゼ。

 生まれも育ちも、容姿や性格にいたるまで、対称的な二人である。唯一、アステリオンという男に好意を持っているという点で、この二人に共通項を見出すことが出来る。しかし、その事が逆に、二人の対立を決定的なものにしているのは、誰の目にも明らかなことであった。


 儚げだが、芯の強いカラ。

 お転婆で勝気だが、寂しがり屋なキャル。


 ありていに言えば、どちらも魅力的な女だと、アステリオンは思う。どちらもいい女だ。リブランテで、プランクスで、それぞれに閨の枕べでささやいた事は、嘘ではない。


――愛している。

 という、呪文のような言葉。


 単純な言葉だが、その持つ意味は、結構、広くて深くてそして曖昧なのである。

 二人とも愛している。ただ、愛し方が違う。そういう事である。どちらかが本当で、どちらかが嘘というものではない。アステリオンにとっては、どちらも本当である。ただ単に、気が多いだけだろうと言われれば、反論する言葉はない。アステリオンとは、そういう男である。一言でいえば、女好きとも言う。



「ルイーシャ……」

 隣に座っているリシスの口から、吐息のような微かな呟きがアステリオンの耳に届いた。アステリオンが横目でそちらを見ると、リシスは深刻そうな表情で、固く握り締めた自身の両手を見詰めていた。

 少女が憂いている。となれば、アステリオンのすべきことは一つだ。

「あんまり、くよくよするもんじゃないぜ」

「ア、アス……テ……リオンっ。何……?」

 アステリオンに肩を抱かれ、至近距離に迫られてリシスは絶句した。

「ルイーシャの行き先は、分かってるんだ。この俺が、すぐに助け出してやるよ。お姫様」

「あ、ありがとう……ござい……ます」

 リシスが、そのまま迫ってきそうな勢いのアステリオンから、精一杯、体を離してようやく答える。だが、狭い馬車の中である。逃げるといっても、限界がある。


 そんな二人の遣り取りに、リシスの性別を知る向かいの席の女たちは、互いに、何気なく視線を交した後で、同時に吹き出した。その笑いの意味が分からなくて、アステリオンは、きょとんとしている。そんな様子に女たちは益々笑いの深みに嵌っていく……




 リブランテのメルリーゼ家の屋敷は、街から少し離れた丘の斜面に建っている。リブランテという街は、四方を丘陵に囲まれた低地を流れる、リブリア川を中心にして発達した街である。

 街の中央をリブリア川が横切り、川から幾つもの水路が街を縦横に走っている。川沿いに商業地が広がる繁華街があり、そこがメルブランカの王都、リブランテの中心地であった。貴族達は込み入った市街地を嫌い、大抵は、メルリーゼ家の様に閑静な丘陵地に居を構えていた。


 屋敷のテラスへ出ると、リブランテの街が一望に見渡せる。アステリオンは、目でその様子を一通り追って、街を挟んだ反対側の丘陵地にある王宮を瞳に収めた。彼がこの街に来るのは、新王の御代になってから初めてのことだ。

「……まぁ……叔母上がいらっしゃらなくて、良かったよな……」

 彼が、この王都で会いたくない人物は、もうここにはいない筈だ。


「お一つ如何?」

 キャルがワイングラスを両手に、アステリオンに声を掛けた。グラスの中で、淡い琥珀色のワインが揺れ、雲間からわずかに差し込んだ夕陽を反射してきらめいた。

「うちの荘園のものよ。今年は雨が多すぎて、少し味が薄い様だけれど……どう?」

「メルリーゼのワインには、おいそれと文句はつけられないよ。メルブランカでも、逸品だからね」

 そう言ったアステリオンを瞳に捕えながら、キャルはワインを口に含む。

「……それでも、あなたには、気に入ってもらえないのよねぇ……このワインとメルブランカの侯爵位に、こんな素敵なお姫様までついてくるっていうのに。そんなに、メルリーゼはお嫌?」

 キャルの視線を外して、アステリオンは冗談めかして答える。

「俺は、侯爵様なんて柄じゃない。それだけのことだよ。メルリーゼが嫌いな訳じゃないさ」

 その答えが三年前のものと全く同じだった事に、キャルは溜め息をついた。

 三年前はまだ、自分は何も知らない世間知らずだった。自分で言うのもなんだが、彼の言葉をそのまま信じてしまうような、純真な乙女だったのだ。


……三年前、あなたがちゃんとサヨナラって、言ってくれていたら……


 この男が、自分の前からいきなり姿を消したことが、どうしても納得いかずに、大陸中から情報を集めた。そのお陰で、この男が大ウソつきだと知ることになった訳だが、それが良かったのか悪かったのか……


……言ってくれてたら、こんなに擦れた女になんかならなかったのよ……


 思えば、宮廷で大貴族の才色兼備な令嬢として、全方位からちやほやされていた自分が振られるとか、プライドが許さなかったのかも知れない。その恋によって、自分の価値観は変わった。まさに、頂点からどん底に叩き落されたのだ。その強烈な経験は女を鋼のように強く、強く、したのだ。


 それでも、目の前にいる彼に、もしかしたら手が届くんじゃないかしらって……そんな誘惑を感じるほど、悔しいぐらいに、三年前の思いはまだ燻っている。

 キャルの瞳の中で、アステリオンの像が揺れる。

 キャルは、ワインで濡れた唇をそっと、アステリオンの唇に重ねた。その口づけは、それ以上深くはならずに、そっと離れていく。それは、恋人同士のキスというより、母親が子供にしてやるキスだった。


 キャルがアステリオンの手から、空になったグラスを取り上げた時には、彼女は、もういつもの快活な彼女に戻っていた。

「リシス様を連れて、王宮へ行ってくるわ」

「……お前が首を突っ込んでると思ったら、やっぱ王室絡みか。あまり危ない橋を渡るような真似はするなよ?」

「……私は、国を守るべき貴族の責務を、果たしているだけだわ」

「すっかり侯爵さまだな」

 そう言われて、キャルは複雑な顔をする。


 アステリオンが愛したのは、キャルという女であって、メルリーゼ侯爵という女ではなかったのだ。今更ながら、それを思い知らされる。だが、侯爵位を継いで、メルリーゼ家の当主となった自分も、かつて、アステリオンと愛を語らった自分も、どちらもキャロリーヌ・フォン・メルリーゼなのだ。片方だけを消してしまう事など、出来はしない。


……結局、捨てられないものが多すぎるんだわ……


 カラの世界には、多分、アステリオンしか住んでいない。余計なものがない分、カラの方が、アステリオンをより近くに感じられるのだろう。

「ルイーシャの方は、頼んだわよ。あの子は、リシス様にとってかけがいのない存在なんだから」

「了解。あ、そうだ、結晶石の件、帰ったらちゃんと聞かせてもらうからな」

「はいはい……鼻先のニンジンはなくなったりしないから、安心して行ってらっしゃいな」

 そう言い残して、キャルはテラスを後にした。



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