第19話 王家の双子

 地下水路には、途中、幾つかの格子がはめられていて、通常は容易には奥へ進む事は出来ない。その先は、城の地下へと続いており、選ばれた者だけが、そこを通る事を許されている様だった。

 船が格子に行き当たる度に、キャルは持っていた鍵の束からその鍵を差し、格子を抜けていく。そうして二人は、迷路の様なリブランテの地下水路の奥へと進んでいった。


 城の地下から、恐らく、壁の裏側に造られているらしい隠し階段を上がり、秘密の通路を辿って、二人は小さな小部屋に出た。四方の壁が、ドレスで埋め尽くされているそこは、衣装部屋の様だった。

 その部屋を抜けて隣の部屋へ入ると、落ち着いた造りの居間である。だが、室内の装飾をよくよく見てみると、相当に手の込んだ代物であるのが分かる。部屋の暖炉の側の長椅子に、中年の女性が編物をしながら座っていた。キャルが数歩そちらに歩み寄ってから優雅にお辞儀をし、仮面を外すと女に声を掛けた。


「公爵夫人には、ご機嫌うるわしゅう……」

「あまり、良くはないけれどね」

 顔も上げずに、忙しそうに手を動かしながら、マリアーナ公爵夫人カザリンが言った。気取りの無い、はっきりとした物言いに、キャルは思わず微笑する。


 黄金の髪に、海色の青い瞳。肌の色は健康的な小麦の色。典型的なアランシア美人である。メルブランカ風の襟の詰まったドレスが、何と無く、少し窮屈そうな印象を受ける。カザリンは、マリアリリアの山荘にいる時はもちろん、宮廷内でも仮面を付けないという。メルブランカの宮廷に、南方のアランシアの奔放さをそのまま持って来た彼女は、いつも枢機卿の頭痛の種を撒いて歩いているという話である。


「で?メルリーゼ。突然に文を寄越して、この王宮に私を呼び出した理由を聞きましょうか。そちらで、何事か不都合があったのですか?」

「はい。実は、今宵はリシス様をお連れ致しました」

 カザリンは、そこで初めて顔を上げた。その視線を受けて、リシスは慌てて自分の仮面を外す。

「リシス?……ああ、リシアーナ……」

 カザリンの澄んだ青い瞳が、リシスを射るように捉えた。

「前に会ったのは、陛下が亡くなられた年だったから……そう、二年振りね。元気そうで、何よりです」

「……ありがとうございます、母上」

 ドレス姿のリシスは、何と無く、居心地の悪さを感じながら、深く頭を垂れた。


「……修道院を離れるのは、まだ時期尚早だと、確か、そう言ってあったはずだけれど。一体、辺境で何があったのです?メルリーゼ。聞けば、枢機卿の放蕩息子もあの辺りに、姿を見せているとか……」

「はい。実は、少し前に、ラスフォンテ伯爵にリシアーナ姫の存在が露見いたしまして……」

 キャルがそう告げると、カザリンの顔が険しいものになる。

「それで?」

「どうやら姫を気に入られたご様子で、修道院の方へ日を置かずいらっしゃるように……」

「……それは、リシアーナの素性を知っての事なのですか?」

「いえ……そういう事ではない様ですが」

「埒もないこと……」

「それゆえ、エルシアも身を隠す場所としては、もはや、適当でなくなってきたと思いまして、ひとまず、そこを引き払い、リブランテへ参りました次第でございます」


 キャルの話を聞きながら、リシスは、その話が、微妙に事実と違っているのに気付いていた。ラスフォンテ伯爵が好意を寄せているのは、リシアーナではなく、ルイーシャだ。


「かといって、このリブランテへ留まるという訳にもいかないでしょうね。私と共に、マリアリリアへ参っても良いけれど……リンドバルトの公爵位をリシスに与えることを、ようやく枢機卿に認めさせたばかり……リンドバルト公爵として、正式に宮廷に迎え入れられるまでは、あまり目に付く振舞は、避けた方が無難なのだけど……」

「リシス様には、しばらくは、メルリーゼの屋敷に滞在していただきます。猊下には、ご子息の素行について、ご配慮いただければ、リシス様のマリアリリア行きも、そうそう難しい事ではないのでは?」

「そうね……リシアーナの事が公になっては、枢機卿も、困った立場に立つ事になるのだし」

 二人の話を聞きながら、リシスは、ややためらいがちに、話に割って入った。


「母上……私がここに参ったのは、お預かりしている、このムーンローズの剣をお返しするため……」

 リシスが言い終えない内に、カザリンが聞き返した。

「リシス、その剣はお前が王家の人間であるという証なのですよ。まさか、それを知った上で、その様なことを申しているのではないでしょうね」

「……大体の話は、キャル……いえ、メルリーゼ侯爵に聞いています。私が陛下の弟なのだと。それでも、十九年前に、私はすでに捨てられた身で、王家の名など、元より持たぬ者。そのような者に、ムーンローズを持つ資格があるとお思いですか?」

 一息に自分の思いを吐き出した。

「……」

 カザリンは言葉を失ったまま、リシスを見据えている。リシスは、そんなカザリンの瞳に映る自分の姿を意識する。そこにいるのは、ドレスをまとったリシアーナ姫だ。こんな姿は、本当の自分ではない。そう叫びたい思いに駆られる。

 ややあって、カザリンがようやく口を開いた。


「……リシス・フォン・リンドバルト・メルブリア。いいですか?これが、生まれたばかりのお前に、そのムーンローズと共に与えた名です。お前が、間違いなくランバルト王の子であり、現在においては、公でないにしろ、このメルブランカの第一王位継承者である証なのです」

「……」

「……自分は捨てられたのだと、そう思ってきたのなら、お前が、この母を恨めしく思う気持ちは分かります。でも、十九年前、生まれたばかりのお前を修道院へやらなくてはならなくて、この母も、辛かったのです。だけど、あの頃の私は、他国の宮廷へ来て、まだ一年足らず。味方になってくれる者もおらず、お前の命を救ってやることだけで、精一杯だった」

 カザリンが悔しそうに顔を歪める。

「……母上」

「十九年、本当に長かった……それでも、根気よく枢機卿に働き掛けて、ようやく、お前がリンドバルトの公爵位を継ぐことも、内々に認めていただきました。このことが正式に認められれば、お前はもう、どこにも逃げたり、隠れたりする必要はない。このメルブランカの宮廷で、上級貴族として、王のお側にお仕えすることができるのです。これまで失われていた地位を取り戻し、本来の生活に戻ることが出来るのですよ。それなのにお前は、その名を捨てて……国を捨てようというのですか?」

「……母上、私は、公爵などという地位が欲しかったのではありません」

「リシス、良くお聞きなさい。……十九年前、枢機卿は、生まれて間もないお前の命を奪おうとしました。双子を不吉なものとするこの国では、それが当たり前の事だったようですが、私には、理解できなかった。私は、必死でお前の命乞いをしました。枢機卿も最初は取り合わなかったけれど、ようやく条件つきで、お前を助ける事を許してくれたのです」

「条件って……まさかそれは……修道院で、女として、育てるという事ですか?」

「ええ……ええそう。そこまでの不自由を強いても、それでも私はお前に生きていて欲しかった」

 自分の呪われた時間の理由に、リシスは軽くめまいを覚える。

「……どうして……そんな」

「……今になれば、枢機卿が、何故そこまでしなければならなかったのか、分かるような気がします」

 カザリンは、そっとリシスの頬に手を添えると、目を細め、その顔を愛おしげに見据えた。

「……母上?」

「……二年前には、まだ気付かなかった。この二年で、急に大人びてしまって……お前は、お若かった頃のあの方に……恐いくらいに、似ている……」

「父上に?」

「ライディアスも、お前の双子の兄ならば、仮面の下の顔は、お前と同じ顔……皮肉なものだわ。仮面の法がなければ、お前は、この宮廷に足を踏み入れるどころか、修道院からも出られなかったかも知れないのだから」

「この顔は……国王と同じ顔……」

 カザリンは、リシスの手にしていた仮面をそっと取ると、その仮面でリシスの顔を覆う。

「いいですか、リシス。何があっても、その顔を人に見せてはなりません。この仮面が、お前を守るものだということを忘れてはいけません。この宮廷では……」

 カザリンが言い掛けた言葉を切った。廊下から、賑やかな話し声が聞こえてきた。その声が次第に近くなる。

「メルリーゼ」

 カザリンがキャルを呼んだ。キャルは何かを察した様に、軽く頷く。

「リシス様、こちらへ」

 キャルに手を引かれて、リシスは、例の衣装部屋に押し込められた。

「しばらく、ご辛抱下さいませね」

 そう言って、キャルはリシスだけをそこに残し、部屋の扉を閉じた。

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