第29話 仮面の下の顔

 少女の顔は赤紫の斑点に覆われて、醜く膨れ上がっていた。生前の美しい面影は、どこにも見付からない。首に付けられた一筋の傷に滲む血の跡も痛々しく、ライディアスは深い溜め息をついて、少女の顔に白布を被せた。

「メルリーゼ、済まないが、リシアーナに付いていてやってくれ」

「はい陛下」

 キャルは短くそう答えると、頭を下げた。


 ライディアスが出ていってから、程なくして、カザリンがやってきた。

「……惨いことを」

 横たわっている少女の屍を見て、カザリンは声を落とした。

「この様な蛮行が、この宮廷でまかり通るなど……」

「……マーメイドの涙という、南のアシャラの毒薬かと。……カザリン様、狙われたのは、リシアーナ・レティシアではなく、リシス様だと、そう考えてよろしいのでしょうか?ならば、犯人は限られてまいります」

「メルリーゼ……」

「リシス様の存在を、消したがっているお方が、ここにはおります」

「まさかヴィランドが……しかし、この十九年の間、何時でも機会はあったでしょう。それを何故、今になって……」

 キャルは、カザリンの言葉に、何か思案する様に俯いた。


……今になって。まさか、こちらの計画が気づかれたとは考えにくいけど……


 他に、リシアーナが、この宮廷に現われては都合の悪いことがあるのだろうか。

 もしリシアーナという女ではなくて、リシスという男として現われたなら……リシスは、ランバルト王に似ているという。当然、双子であるライディアスとも似ているのだろう……でも、仮面を被っているのだから、顔など分かりはしない。


……顔が分からない……そう、ライディアス王の顔は、誰も知らない……


「迂闊だった……どうして、気づかなかったのかしら……」

 そうあの時、リシアーナの顔を見た時。ライディアスは驚かなかったのだ。それが、自分と同じ顔だったならば、もっと違う反応を示したはずではないのか。


「カザリン様は、一度お部屋へお戻り下さい。後は、このメルリーゼが何とかいたします」

 キャルはカザリンを送り出すと扉を閉じ、大きな深呼吸をした。


……リシスとライディアスは同じ顔ではない……


 それは、一体どういうことなのか。

 キャルは嫌な予感を覚えて身震いをした。自分は、大事な事を見落としているのか。そもそも、仮面の法を作ったのは、先王ランバルトだ。しかし、ランバルト王は、リシスの存在を知らされていなかったはず。


 ライディアスに双子の弟がいることを知らなかったのだ。王に知られれば、双子は命を奪われる。そう言って、ヴィランドは王にはその存在を秘したのだ。ということは、先王がライディアスの顔を隠さなければいけない理由は、他にあったという事だ。


……例えば、自分に似ていないから?でも、似ていない親子など、珍しくはないわよね……もしかして……逆?……


 隠す理由は、似ているものがあったから。でも、それはリシスではない……としたら?誰かに似ていて、それを隠さなければならないとしたら、それは……


「似ていてはいけないはずのない人間と、似ていた……」


 リシスはランバルト王に生き写しだという。そして、ライディアスは、別の誰かに似ている。


 誰に似ているにしても、仮面を取って、二人を並べてみれば、ライディアスが正当な王でない事が露見する。そういう事なのではないだろうか。リシスが狙われる理由も、それならば納得がいく。


 キャルは、ベッドの上の少女を振り返った。

「リシス様の身代わりとして、よくやってくれたわ……苦しかったでしょう……ごめんなさい。あなたは、未来のメルブランカ王を守ったのよ。リシス様は、この国の王になるお方。私が探し出した、この国を滅亡から救う王になるお方なのだから。枢機卿などに、好きにさせやしないから」

 キャルはバルコニーに出ると、庭園の木へロープを投げて、その先端を手に握り、身軽にバルコニーから飛び下りた。





 月明りの中、キャルのドレスが風をはらんで大きく膨らんだ。宙を舞ったキャルが、いつもの要領で着地しようとした所に、先客がいた。

「アステリオンっ」

 キャルはバランスを崩して、アステリオンに抱き付く格好となった。

「お前……よく上から降ってくるよな……」

 アステリオンが、呆れた様に呟く。

「年を取ったって割りには、お転婆が増してるんじゃないか?」

「余計なお世話よ。それより何で、あなたがこんな所にいるのよ?ルイーシャはどうしたのっ?」

 その問いに応えたのは、マーシャだった。

「その娘なら、恐らく、陛下のところだと思う」


 思いがけない取り合わせに、二人の間をキャルの視線が行ったり来たりする。

「……えぇと。マーシュ、あなたが何で、アステリオンと?」

「……え?ああ……それはぁ……」

 咄嗟に言葉が出なかったマーシャに、アステリオンがニコニコと彼女を羽交い締めにしながら言う。

「こいつは、俺の許嫁の、マーシャ・アリシア」

「あ、あのっ、アステリオン様?」

 当たり前のように許嫁と言われて、マーシャが、戸惑った声を出す。確かに、現状はそうには違いないが、まだ何も話し合っていないし、マーシャ自身も、まだどうするのか決めていないのに。

「……許嫁。って。……ふっ……そういうこと……」

 キャルが心持ち目の座った表情になる。

「道理で……この私の色香に靡かないと思ったら……あなたって人はっ、散々、あちこちの女に手を出して弄んでおいて、結局、選んだのが、こんな年端もいかない若い男の子って……信じらんない」

「へっ?」

「はぁっ?」

 アステリオンとマーシャが、揃って間抜けな声を出す。

「ああ、そういえば、アランシアって、同性婚おっけーなお国柄でしたっけ?」

 言われた瞬間、二人の声が見事にハモった。


「「いや、これでもちゃんと女だからっ」」


「え?」

「いや、だからこいつは、女の子だから」

「は?」

「……まあ、年端もいかないって部分は、弁明出来ないけどな~」

 アステリオンが苦笑しながら言うと、すかさず、

「親が勝手に決めただけで、まだ結婚とかそういう話じゃ、全然ないですからっ」

 マーシャが補足する。

「「え?そうなの?」」

 今度は、アステリオンとキャルがハモる。うんうんと、マーシャは必死に肯定する。

……散々、あちこちの女に手を出して弄んでおいて、とか。

 キャルが大袈裟に言っているのだとしても、マーシャ的には聞き捨てならない案件だと思う。


「ちゃんと、真面目に考えて頂けるのでなければ、たとえアステリオン様とだって、マーシャは、イヤです」

 その言葉に、キャルが吹き出した。

「百戦錬磨が振られるとか。ふふっ、ざまぁみなさい、この遊び人」

「ひでぇ言われようだな」

「こんな真面目な子を、弄んだりしたら、この私が許しませんからねっ」

「しないって、しませんから、勘弁して」


「……ま、いいわ。それよりマーシャ、ルイーシャが陛下のところって、どういうこと?」

「ああ、その娘って、王者を惑わす、女神の瞳石の主みたいたから、この王宮に連れて来られたんなら、陛下の元にいるんじゃないかなって」

「女神の瞳石?」

 アステリオンが興味深そうに訊く。ダーク・ブランカの元にいたことのあるマーシャが、簡単に説明する。

「七色の結晶石の上位的なアイテム。手に入れれば、何でも願いが叶う的な?」

「……そりゃ、凄いな」

「でも、要求される代価がえげつないから、あまり、お薦め出来ない」

「えげつない?」

「素人が強力な魔法を発動させるってことは、大抵は命と引き換えだ」

「なるほど」

 アステリオンが肩を竦める。

「で?そっちは?リシスは一緒じゃないのか?」

「それが……控えの間でお待ち頂いていたのに、戻ったらお姿がなくて……」

「何だ?リシス、居なくなったのか?」

「……ええ。今、行方が分からなくて……」

 キャルか途方に暮れた様子でいう。


 控えの間で、リシスは身代わりの少女と入れ代わっていた。そこで、晩餐会が終わるまで隠れている様にと、そう言い含めておいたのに、キャルが戻った時には、リシスの姿は消えていたのだ。


「んじゃ、俺たちと一緒に、陛下のトコにでも行ってみる?」

「陛下のところ?」

「もしリシスが、ルイーシャが王宮に来ていることを知ったんだとしたら、ルイーシャを探しに行くよな?」

「そりゃぁ……知ればそうかも知れないけど」

「ていうか、あのリシスが、お前の言い付け無視して姿を消す理由、他に思い付くか?」

「……」

「なら、ルイーシャがいるっていう陛下のところに、リシスが現れる確率は、わりと高いと思うぞ」

「……そんな」

 もし、ライディアスが双子の兄でないのだとしたら、リシスはライディアスに会うべきではない。リシスは、ライディアスという王を否定する存在、そのものなのだから。

「会う前に連れ戻さなきゃ、取り返しの付かないことになってしまうかもしれないわ……」

 キャルの顔色が変わる。そして、慌てたように走り出した。

「ちょっ、待てよ、キャルっ……たくっ、あいつは、ま~た厄介事に首を突っ込んでんのかよ。追うぞ、マーシャ」

「はいっ」

 アステリオンはマーシャを連れて、キャルの後を追った。キャルはすぐに手から紐を繰り出して、木の枝に掛けるや、次の瞬間には、身軽に地を蹴って枝に飛び乗っている。かつて、自分が冗談半分に教えた技を、こうも見事に会得している彼女にアステリオンは複雑な思いを抱く。

「飛ぶぞ、マーシャ」

 アステリオンはそう言ってマーシャの腰を抱き寄せると、紐を投げて空を舞ったう。その、飛ぶことに意識を集中した一瞬の間に、アステリオンはキャルの姿を見失ってしまった。キャルは手近の窓から、いずれかの部屋へ入ったのだろう。

「仕方ない……」

 呟いてアステリオンは、窓が開け放たれていた部屋のバルコニーに着地する。そっと部屋の中を伺ってみたが、そこにキャルの姿はなかった。




 アステリオンはバルコニーにマーシャを残し、開いたままの窓から、気配を消して部屋の中へ体を滑り込ませた。

 と、向かいの扉が開いて、人が入ってきた気配がした。反射的に調度品の影に隠れたが、室内が暗かったせいもあって、相手には気付かれなかった様だ。


 入ってきた人物は、明かりもつけずに、最初からそれが目的であったかのように、真っ直ぐにベッドへ歩み寄る。

 そして、その呟くような声が、アステリオンの耳に聞こえてきた。


「……お前が、星を司る宿命の者でなければ……」


 アステリオンは物陰からそっと身を乗り出すと、声の主を目で追った。闇の中から現われた様な、黒色の仮面。それがまず目を引いた。


「星見の塔より舞い降りて、星の軌道を変えようとする……それを罪と言わずに、何と言おうか……」

 黒仮面はそこで言葉を切ると、纏っていた黒色のマントの中から、短剣を取り出し、ベッドの上へ振りかざした。


……この声……まさか……


 それは、アステリオンのよく知っている声だった。仮面のせいで、くぐもった低い声になっているが、自分は確かにその声を知っている。

「……アステリオン様っ」

 何かに引き寄せられる様に、物陰から出ていくアステリオンに、驚いたマーシャがバルコニー外から制止するように小さく声を掛けた。だが、アステリオンは、マーシャの声など聞こえないかの様に、その仮面の人物にゆっくりと歩み寄って行く。


「……止めろ」

 アステリオンの静かな声が、辺りの静けさに染み込むように部屋に広がっていった。


 その声の波動が伝わったのか、黒仮面は振りかざしていた短剣を懐に収めた。

「何故……こんな事を……」

 責める口調ではなかった。ただ、口をついて、その問い掛けが出た。そういう口調だった。だが、マーシャは、その中に、哀しい響きを感じ取った。


……アステリオン様は、この者を知っている?……


 マーシャがそう思った瞬間、黒仮面はマントを翻して、すぐ側の扉の中に姿を消した。

「マーシャ、お前は、ここにいろ」

 アステリオンは肩越しにそれだけ言うと、そのまま黒仮面を追っていった。

「アステリオン様っ」

 マーシャは、アステリオンを追って行こうとしたが、ベッドに横たわっている者に気づいて足を止めた。

「クロード兄様……」

 そこに眠っていたのは、マーシャの兄だった。兄の顔色は蒼白で意識はなく、その怪我の具合は、はた目にも深刻なのだと分かった。マーシャは、アステリオンの背中を目で追っただけで、結局、その場から動くことは出来なかった。





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