第22話 確執

 ヴィランド枢機卿は室内に人の気配を感じ、書き物をしていた手を止めて、顔を上げた。そこに不肖の息子の姿を見つけて、彼は冷ややかな視線を向ける。

「この宮廷には、顔を見せるなと言ってあった筈だが……」

 アルベールは、父親の、彼をあまり歓迎していない様な口振りを一笑に付すと、枢機卿が仕事をしていた机の前へ、ゆっくりとした足取りで近付いてきた。

「猊下には、私の領地の方へ、なかなかお運びいただく機会がない様ですので、私の方がお邪魔させていただきました」


 アルベールは、父であるヴィランドを“猊下”と呼ぶ。その血を受けていても、公には、親子ではない。枢機卿は、彼の息子に、自分を父と呼ぶことを許していなかった。

「私も、多忙な身なのでな。で?今日は、何用だ?」

「母上の事で、お話があって参りました」

「ジュリアなら、エリンネーゼの屋敷におる」

「ええ、存じております。昨日、そちらの方へお伺いいたしましたから」

「……エリンネーゼは、エルシアに近いな」

 枢機卿が小さく呟いた。アルベールは、その言葉の意味に気付かずに、話を続けた。

「母上を、ラスフォンテの私の屋敷にお迎えしたいのです」

 枢機卿は、そう言った息子の顔を冷めた目で見ていた。

「……あれは、気の触れた女なのだぞ」

「それでも、私の母上です。……猊下、ファラシア・リリィシュという女性を覚えておいでですか?」

 唐突に尋ねたアルベ-ルに、枢機卿は眉をひそめた。名前には覚えがあるが、どういう女だったかまでは、記憶にない。

「十九年前、エリンネーゼのあの屋敷で、母上の侍女をしていた女性です」


 その言葉に、彼の持つ忌まわしい過去が、その名前と共に記憶の底から浮かび上がってきた。枢機卿は封じ込めたはずの過去が、この息子の手によって、解き放たれるのではないかという不安を覚えた。


「あのファラシアか……お前は、どこでその名前を……」

 動揺を押し隠した低い声で、枢機卿は息子に尋ねた。

「ファラシアの事は、母上に伺いました」

 アルベールの方は、自分の放った言葉が、父親をどれほど動揺させているのかも知らずに淡々として答える。

「お前の母は、正気ではないのだぞ。いちいちその言うことを聞いていては、振り回されるばかり……」

「ファラシアは、今では、リブランテのワイン商の奥方で、子供もいましたよ。可愛らしい女の子です」

「……まさか、会ったのか?」

「ええ。何しろ、名前しか分からなかったので、探すのに苦労しましたけどね。彼女に会って、母上の探している“シャルル”が何者なのか、その答えを見つけることが出来ました」

「……」

「正気を失くされてからの母上は、しきりにシャルルという名の者に会いたがっておられました。近頃では、私をそのシャルルだと思い込んでしまわれるほどに……猊下、十九年前、エリンネーゼで、母上は双子の男児を生んだんですね?私が、その弟でアルベール。そして、もう一人の兄の名が、シャルル……」

「戯れ言は止めるのだ」

 枢機卿の怒気を含んだ声に、アルベールは一瞬口をつぐんだが、挑むような瞳を父親に向けて、再び話を続ける。

「そして、生まれて何日も経たぬうちに、あなたが母上の手から赤ん坊を奪い、何処かへ、連れ去ってしまった。今にして思えば、私がラスフォンテの伯爵号を継ぐ為に、エリンネーゼを出て行くと言った時に、母上が半狂乱になりながら、何故あんなに私を引き留めようとしたのか、分かります。それなのに私は、母上を一人残して、あの館に置き去りにしてしまったのです。猊下、私とあなたとで、母上の心を壊してしまったのですよ」

「口が過ぎるぞ、アルベール」

 枢機卿が声を荒げるが、アルベールは引き下がらない。

「兄は、どこにいるのです?」

「お前の兄は死んだのだ。もうこの地上のどこにもいない」

「あなたが殺したのですか。双子だというだけで、この国の、忌まわしい風習に倣って、女神の贄にしたのですか?」

「黙れっ!」

 枢機卿の怒鳴り声が、室内に響いた。あまりの剣幕に、アルベールはようやく口をつぐんだが、憎悪の炎を宿した瞳を父親に向けている。二人の間に沈黙が下りた。


「母親の事は、お前の好きにするがいい」

 枢機卿が、沈黙を破って言った。

「……ラスフォンテへ帰ります」

 返事代わりにそう言うと、アルベールは踵を返して部屋を出ていこうとする。息子の後ろ姿を、枢機卿は大事な事を思い出したという様に、慌てて呼び止めた。


「待て、アルベール。お前に、聞いておきたい事がある。お前が、エルシアの修道院から連れ出したお方は、今、どこにいる?」

 アルベールは、枢機卿の質問の、その意図を図りかねるという顔をして答えた。

「私が連れ出した……?それは、ルイーシャのことでしょうか」

「ルイーシャだと?まさかそれは、ヴァリエの娘のことではあるまいな」

「だとしたら、何なのです」

「……生きていたと言うのか」

 枢機卿が難しい顔をして押し黙る。

「……お前が連れ出したのは、その娘だけなのだな?」

「ルイーシャの他に、あの修道院に預けられていた、やんごとない姫君でもいたのですか?」

「心当たりがないのならば、それでいい」

 枢機卿はアルベールに退出を促す仕草をする。それに軽く会釈をしてアルベールは部屋を後にした。






 ルイーシャは宮殿の一室で、豪華だが彼女にとっては座り心地の悪い椅子に腰掛けたまま、じっとしていた。アステリオンと一緒に捕えられて、ここに連れてこられたのだが、ただ部屋から出られないというだけで、丁寧な扱いをされている。


 やがてドアにノックの音があって、扉が開くとそこに、見慣れない異国風の白いドレスを纏った女がいた。

 光沢のある純白の布地は、女の体のすっきりとした優美な曲線を綺麗に浮かび上がらせている。更にその上から、長い布を体に幾重にも巻き付け、女が歩く度に、床に届きそうなその布がふんわりと空気をはらんで優雅に脹らむ。女は、自分に見とれているルイーシャに優し気な笑顔で話しかけた。


「……ああ……ルイーシャ・ラ・ヴァリエ。元気そうで良かったわ」

 女が開口一番にそう言った。

「あなたに、お願いがあって来たのよ、ルイーシャ」

「どうして私の名前を……?それにお願いって一体……あなたは、誰?」

「私はランドメイアのダークブランカ」

「ランドメイアの……」

 その地名は、かつて父が若い頃に魔法の修行をした場所として、彼女の中に記憶されていた。その父に、魔法の手ほどきをしてくれた師という人が、

「……ダーク・ブランカさま」

 そういう名だった。


……ああ、アステリオンさまの探していた、魔法使いって……


 この人の事だと、今更に気付く。


――大陸にその名を轟かす大魔法使い、ダーク・ブランカ。彼女がその人なのだと。

 その人が紡ぐ言葉は全て、魔力を持つという伝説の魔法使い――


 ダーク・ブランカが、ルイーシャの額に二本の指をあてて静かに呟いた。

「ヴァリエ男爵の遺した、その瞳の力を……ねぇ、ルイーシャ。あなたのその、菫の瞳の力を、私に貸して欲しいの。この国に掛けられた呪いを解く為に……北の魔法使いの遺した最後の魔法……女神の瞳石の輝きを、さあ、この私に見せて……」


……お父様の遺した……何を?……


 ルイーシャは、自身の意識が遠退くのを感じていた。軽い痺れと共に、体躯から力が抜けていく。大きな不安に飲み込まれる様な感覚に、ルイーシャは救いを求める様に愛しい人の名を呼んだ。

「リシス……さま……」

 

 耳に流れ込む魔法使いの言葉を聞きながら、少女は静かに目を開いた。

 水晶の様な輝きを帯びた美しい菫色の瞳。

 その菫色の瞳には、先刻までなかった魔力を帯びた光が宿っていた。




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