第21話 捕縛
歩きながらふとアステリオンは、不穏な空気に気付いて足を止めた。いつの間にか周囲をリブランテの警護隊の一隊に取り囲まれていて、その中に知った顔を見つけて彼は小さく舌打ちをした。胡散臭い満面の笑みを浮かべてそこにいたのは、リラ・ライラ・ライーザというダークブランカの弟子の一人で、確か緑の結晶石の所有者だ。
「リラ、お前、なんのつもりだ?」
「ほんのお小遣い稼ぎですよ、高額の賞金首さん。あのプランクスを抜け出してきたにしては、不用心過ぎやしませんか?アステリオンさま。メルブランカ中にあなたの手配書、回ってるんですけど。」
「随分と、情報が早いんだな」
「ていうか、この王都じゃ、二年前の騒動をまだ覚えている人も多いってことよね」
「……ああ、そっち」
思っていた以上に、随分と顔が売れてしまっていたようだ。
……だから嫌だったんだよな、リブランテ来るの……
「さあ、この男を捕えなさい」
リラの声に、警護隊の兵士がアステリオンを取り囲む。アステリオンは、腰の剣を抜いた。数は多いが、勝てないことはない。アステリオンが剣を抜いた、その気迫だけで、兵士は気圧されて半歩あとずさった。
「大人しく捕まっては、貰えない様ねぇ」
「この往来のど真ん中じゃ、ご自慢の攻撃魔法も使えまい?」
「なかなか、事情通でいらっしゃる」
リラは微笑を浮かべると、パチンと指を鳴らす。と、アステリオンの隣にいた筈のルイーシャはリラの腕に中に囚われていて、その喉元に短剣を当てられているという状況だ。
「リラ・ライラ……」
「おとなしく、捕まってくれるわね?」
「……分かったよ」
アステリオンは観念したようにして剣を捨てた。
カザリンは国王の晩餐会の前に、衣装部屋の秘密の通路を通ってやってきた新たな訪問者を迎えていた。
「ご苦労でしたね、リラ・ライラ……」
「アステリオン様は、南の塔にご案内しておきました」
リラの報告に頷きながら、カザリンはその後ろに控えているリィンヴァリウスとマーシュを見る。
「アランシアの王太子が見付かって、色々な厄介事が、一度に解決するのは、嬉しい事ね。リィンヴァリウス、お前はすぐに、私の手紙を持って、アランシアへ発ちなさい」
そう言われて、リィンヴァリウスは顔を上げた。
「カザリン様、私はアランシア王より、アステリオン様を一緒に連れ戻る様に、との命を受けているのです。アステリオン様をお連れしないで、国へ戻る訳には参りません」
「心配しなくてもよい。私とて、アランシアに所縁の者。アランシアの王太子に、危害を加えようなどとは思いません。兄が、国境の兵を引けば、アステリオンは無事に帰します」
「しかし、カザリン様」
「お前も、兄上も誤解しておられる様だから、この際、はっきり言っておくわ。私は、アランシアの王女として生まれたけれど、今は、メルブランカの太后です。メルブランカは、私の国です。アランシア王に、こう伝えなさい。この国を守るためなら、例え兄であっても、剣を交える準備があると」
「……畏まりました」
リィンヴァリウスは表情を殺したままカザリンに退出の挨拶をすると、秘密の扉の向こうへ姿を消した。
「……さて、晩餐会の前に、放蕩太子のご機嫌伺いでもしておきましょうか。ついておいで、マーシュ」
カザリンは晩餐会用のドレスの上からマントを羽織ると、軽快な足取りで彼女の甥が囚われている南の塔へと向かった。
アステリオンは囚われている牢の、窓の格子の間から外を眺めていた。リラの魔法で眠らされて、気が付いたらここに放り込まれていた。そこから見える景色からして、今いる場所が塔の上らしいと分かる。
しばらくすると、扉の向こうに人の気配が現われて扉の小窓が開いて、知っている顔が覗いた。
「珍しく、大人しくしているようね、アステリオン」
このリブランテで、彼が一番会いたくない人物だった。
「叔母上……」
カザリンが、アステリオンの驚いた表情を見て、微笑した。
「私の顔を、まだ覚えていてくれているとは思いませんでしたよ。あなたは、アランシアの事など、きれいに忘れ去ってしまっているのだと思っていました」
「……相変わらず、お元気そうですね」
アステリオンが、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「いつ、マリアリリアからお戻りになったのです?」
「プランクスへ遣った私の使者は、あなたを捕まえ損なった様だけど、あなたが、このリブランテへ来ているという話を聞いたのでね。ならば、あなたの顔を見ておかぬ手はないと思ってね」
「素晴らしい情報網をお持ちの様ですね」
「おや、メルリーゼは、結晶石の事は、何も言わなかったのかい?」
「まさか……あれは」
「赤の結晶石は、私がダーク・ブランカ様からいただいたものです」
「では、叔母上が、ダーク・ブランカを呼び出せるんですね?」
「あの方をお呼びしたところで、あの方がお前になど会うと思うのですか?自分の義務が何たるか考えもしない……全く、プランクスなどで、一体、何をしていたのです。アランシアの王族であるあなたが」
「あそこには、青の結晶石が眠っている。そう聞いたんです」
「なまじ、魔法の知識をかじったせいで、随分と回り道をしたわね」
不可解だという顔をしているアステリオンを無視して、カザリンは本題に入る。
「アランシア王へ使者を送りました。国境の地方と引き換えに、あなたをアランシアへ送る事になるでしょう」
「……馬鹿な。国には、両手に余るほど王子がいるのに、王がこんな取引に応じる筈がないでしょう」
「王子が何人いようと、あなたが庶子であろうと、あなたが王太子なのですよ。それは、アランシア王が決めたこと。アステリオン、もういい加減、国にお戻りなさい」
「……こんな姿のままで、国になんか戻れません。ダーク・ブランカに会って、この不老の魔法を解いてもらわなくては」
カザリンはアステリオンの若々しい姿を、冷めた瞳で見据える。彼女の記憶違いでなければ、アステリオン・ラスタークは、そろそろ三十になろうかという年のはずである。
「あなたが、国を出たのは十七才でしたね。その年から、王太子としての役目を、もう一度きっちりとやり直せ、という事なのでしょう。あの方は、あなたが本当にあの方の力を必要とする時に、あなたの前にその姿を見せるでしょう」
カザリンは、そう言うと窓を閉じた。閉じた窓の向こうから、付け加える様に声がする。
「ああ、そうだった。お前に会わせる者がいます。お前の妃になる娘です」
「妃?」
「ダーク・ブランカ様の予言の娘なのだけど、お前の妃になるのは嫌だと言っている。ダーク・ブランカ様は、お前の同意があれば、娘の言い分を認めるとおっしゃっています。ただし、その時には、お前が国に戻らねば、アランシアは滅びる。そういうお話でした。娘と話をして、どうするか考えておきなさい」
その言葉を最後に、人の気配は遠退いていった。そこにいるという娘の気配は感じられない。扉の小窓も閉じたまま、開く気配もない。
「おいっ、そこにいるのか?」
返事の代わりに鍵穴を擦るような音が聞こえ、カチャリという音と共に鍵の開いた気配があった。アステリオンは恐る恐る扉に手を伸ばす。開いた扉の向こうには、頭を垂れた少年がひとり控えていた。
「お前が……?」
「デューン家のマーシャ・アリシアと申します」
少女の声がそう言った。
「デューンの……リィンヴァリウスの妹か。結婚の話は聞いている。父上が決めた話だが、お前が婚約を破棄したいというのなら、話は白紙に戻そう。しかし……今すぐに、国に戻る訳にはいかないのだ。済まないが、もうしばらく待っていて欲しい」
「恐れながら、アステリオン様。先程の、カザリン様とのお話、聞かせていただきました。しかし、待つのは私の性に合いません。兄リィンヴァリウスは、カザリン様の使者として、アランシアへ参ります。だから、兄の代わりに、アステリオン様のお供をさせて下さい。ダーク・ブランカ様も、アステリオン様と一緒に居るのだと言えば、今すぐにランドメイアへ戻れとは、おっしゃらないでしょう」
「……しかし」
「あなた様の消息を追って、私も大陸の空を飛んで来た者です。もう、小さな鳥籠へは戻れません」
そこで初めて、少女は顔を上げた。
「ダーク・ブランカ様の予言の意味も考えずに、軽率なことをいたしました。その償いが出来るものならば……」
「お前ばかりが、悪い訳じゃない。それぞれの王子を立てて、妃達が跡目を相争う……そんな国なら、滅びたところで不思議はない。アランシア王は、ランドメイアの大魔法使いの予言という盾を持たせて、何の後ろ楯もない私を王太子にした。今思えばそれも、苦肉の策だったのだろうが……何しろ、私も若かったからな。運命から逃げることしか、考えられなかったのだ」
アステリオンは静かな微笑を浮かべると、マーシャに手を差し伸べた。
自分を追って、大陸を渡ってきたという少女。大貴族デューンの娘といえば、深窓の姫として大切に育てられたものだろうに。だが、この娘は運命と向き合う力を持っている。
マーシャはアステリオンを見上げて、ためらいがちにその手を取った。
その手は、思ったよりずっと小さかった。この娘は、この小さな手で剣を取り、闘ってきたのだ。
「年は幾つだ?」
「十五になります、殿下」
「……若いな。それから、国に戻るまで、殿下は止めてくれ」
「はい。アステリオン様」
自分は、十五の時には、まだ王宮の中にいた。それが、この娘は、たった一人ですでに大陸を横断してきたというのか。
……何てこった……
ダーク・ブランカの仕込みが良かったのだとしても、尋常ではない。
……成程。強い……強い運勢を持つ者だ……あのダーク・ブランカが選んだ娘……
この娘なら、アランシアを支える妃となれるだろう。しかし、自分の妃というには、若すぎるのではないか。そう考えて、アステリオンは、ふと、自分が年を取らない訳を思いついた様な気がした。
ダーク・ブランカに、詐欺まがいの賭事で負けて、不老の魔法を掛けられてしまった訳――
見掛けの年は十七のアステリオンと、十五のマーシャ。それならば、悪い釣り合いではない。あの時、ダーク・ブランカがそこまで考えていたのだとしたら、彼女の紡ぐ運命の糸は、とんでもなく途方も無いものだと言える。
「伊達に大魔法使いって訳じゃないのか……しかし、まさかなぁ……」
「アステリオン様?」
「いや、何でもない。とにかく、ここを出よう。おまえが付いていれば、この城内ぐらいは、出歩いても構わないのだろう?」
「はい」
「お姫様を探しにいかなきゃならないんだ。きっと、心細い思いをさせているはずだから」
アステリオンはマーシャを伴って、塔の長い螺旋階段を下りていった。
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