第38話 魔法使いの娘

――済まない、ルイーシャ。こんなことをお前に押し付けることになってしまって。どうか、お前に、フィアミスの加護があらんことを。


「とう……さま……」


 自分のこの瞳には、魔法の力がある。

 正確には、魔法を増幅させる力だと、父はそう言った。


――これは、錬金術師のごうなのだと。

 父は、詫びるようにそう言った。



 誰も見たことのない、魔法を作って見たかった。そんな思いに憑りつかれた魔法使いは、娘に菫色の美しい瞳を与えた。女神の瞳石。それは、聞けばどの魔法使いも欲しがる、魅惑的なマジックアイテム――


 二年前、父の前に現れた魔女は、東方の魔女と名乗った。

 すでに強大な力を持つその魔女も又、女神の瞳石が欲しいのだと言った。

 

「だって、それを使えば、私より強い魔法を使える魔法使いが、現れてしまうかも知れないじゃない?私、そういうのは、嫌なの」

 そう言って、魔女は哂った。


 それに抗った父と、気まぐれに力を欲した魔女と。その二人の争いによって、ノースラポートは炎獄と化した。それが、自分の瞳によって、二人の魔法の力が増幅された結果なのだという事を、ルイーシャは絶望の中、思い知らされた。


「思い出してはいけない。記憶を消すことは出来ないから。ただここに封印するだけだ。……全てを、お前の瞳の中に。だから、忘れなければいけない。何も起こらなかった。何もなかった。それは、お前の為なのだよ、ルイーシャ」

「とうさま……でも、私は……」


 記憶を消しても、自分が災厄の引き金になる存在なのだという事実は変わらない。自分が知らないうちに、もしかしたら自分の大切な人を傷つけてしまうかも知れない。


――そんなこと、私には耐えられない。


「……だから、記憶を消すんだ。いつかお前と一緒に、その運命を乗り越えてくれる人と出会えるその日まで」


――お願い、とうさま。

  私も一緒に、連れてって……

  私は、あなたの生み出した魔法。

  魔法使いのあなたが消えるなら、一緒に消えるべきでしょう。

  だから……


「置いていかないでよぉっ!!」

 絶叫は炎に飲み込まれる。私の魔法使いなら、私の願いを叶えてよ。

「お願いだ、ルイーシャ、生きるんだ!勝手な願いだと分かっているけど。それでも、私はお前に生きていて欲しい」


――本当に、勝手。

  一生解けない魔法を残したまま、置いていくなんて。





「……とうさま」

「ルイーシャ、しっかりしろ、ルイーシャっ」

 呼び声にうっすらと目を開くと、目の前に心配そうなリシスさまのお顔があった。

「……だい……じょうぶ……だから……そんなに心配なさらなくても……」

「何が大丈夫なんだ。背中にこんなに酷い傷を負って……」


……傷?ああそっか……さっきから、背中が痛かったのは……そのせいなのね……


「大丈夫、そんなに簡単に死にはしませんから。私、呪われてるんですよね」

「……えぇ……?呪い?」

 リシスが戸惑った顔をする。それはそうだろう。この人は、世の中のあらゆる邪なものから隔絶された温室で、大切に大切に守られながら育った、染み一つない清らかな人……なのだから。

「私は魔法使いの娘なんです」

「……魔法使い……?……だから?」

「私の父は、死に際に、私に呪いを掛けていったんです」

「父上が……?呪いを……?」

「生きろ、と」

「……」

「だから、簡単には死ねないんです。ふふっ」

 何故だかそこで、笑いがこみ上げた。リシスの腕の中で、ルイーシャの体が紫色の光に包まれた。


 全てを思い出した今、何も考えなくても、傷ついた体は自然に癒えていく。その瞳に宿る紫の光は、その力に引き寄せられる邪なものから、私を守るのだ。それが、父の望んだことだったから。

「……リシスさまは、王家の方だったんですね」

 目の前で行われている魔法に、目を奪われていたリシスは、不意にそう訊かれてただ頷くことしか出来ない。

「……だから、私をお気に召したんです」

「どういう……」

「私の瞳は、王を惑わせる、女神の瞳石なんですもの」

「瞳のことなんて、関係ないっ。ルイーシャ、君は、鳥籠の中でただ生かされているだけで、その先の未来を思い描くことなんて出来なかった私に、生きる意味を、喜びを与えてくれたんだ」

 始めは見ているだけで嬉しくて。やがて、会話を交わすようになったら、一緒にいるのが楽しくて。ただ、他愛もない言葉のやり取りが、どれだけ自分の心に温もりを注ぎ込んでくれたことか。

「お願いだから、あの時間が全て魔法が見せた幻影だったなんて、言わないでくれ」

「リシスさま……そんな風に言って頂けて、嬉しいです。こんな素敵な方に、想って頂いて……っ……」

 不意に、予期しない涙が零れ落ちた。

「ごっ……めんなさい……こんな時に、泣くのはズルいですよね……泣き落としてるみたいで……嫌だなもう。何で涙なんか……」

 ルイーシャが目元をこすって、作ったような笑みを見せる。

「……ルイーシャ」

 リシスがルイーシャを抱き寄せる。そんな風にされて、やっぱり自分はこの人が好きなんだなぁと思う。それでも、彼にここまでさせる自分という存在は、やっぱり瞳の魔法ありきなのだと思う。そもそも、こんなに何もかも完璧な彼とは、最初から、つり合いが取れないのは、分かっていたことではないか。


……そう……何の取り柄もない自分が、ここまで惚れられる理由がないんだもの……


「ルイーシャ……」

 耳元で彼の声が聞こえる。

「……私には、きっとここでやらなければならないことがある。だから、修道院でした君との約束は、果たすことが出来ない。だけど……それでも、君に、私の隣にいて欲しいというのは、我がままだろうか」

「……だって、私、厄介事たくさん抱えた、魔法使いの娘、ですよ?」

「だから、何?」

「……変な魔女に目も付けられてるみたいだし……」

「それでも、構わない」

「……」


――だって、それを使えば、私より強い魔法を使える魔法使いが、現れてしまうかも知れないじゃない?私、そういうのは、嫌なの。


 あれも結構、強力な呪いだと思う。自分がここに留まるということは、あの魔女がまた再び、この国に現れる要因になるかも知れないということ。あのノースラポートの惨事が繰り返されるのかも知れないということだ……


「ルイーシャ……っ」

 自分を抱き止める腕に、力が籠るのを感じた。

「何があっても、私は君を守ると言った。それは、今でも変わらない」

「……ありがとう……ございます……でも……」

 その言葉が、嘘だとは思わない。彼の誠心誠意、心からの言葉なのだということも分かる。でも……それは、彼が思っているほど、簡単なことではないという気がする。この腕の中は、とても心地が良いけれど、きっと自分は、このままここにいてはいけないのだと思う。


……だって、多分ここは、私がいていい場所ではないもの……


「少し……お時間を、頂けないでしょうか……」

「時間……?」

 リシスはルイーシャから身を離すと、その真意を確かめるように菫の瞳を見据えた。ルイーシャは、ただそれに微笑みで応えた。









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