第39話 国王の決断
玉座に座るライディアスの視線は、彼の前に集まった者たちの顔を一巡する。リシスとルイーシャ。そしてその二人に寄り添うように、その少し後方に控えるメルリーゼ侯爵。それから、幼いアイーシャを抱いた、彼の双子の弟アルベール。自分に向けられた視線に気付いたアルベールは微笑し、彼に頷きを返した。そのさりげない仕草に、自分は一人ではないのだと心強さを感じる。
一日考えて、考え抜いて、結論を出した。この国を救う方法を。そして、友を救う方法を。アルベールにはもう、その答えを告げてある。もし弟が賛同し、背中を押してくれなければ、自分はここに辿りつけなかっただろうと思う。
「ダーク・ブランカ様……」
玉座のライディアスがその名を呼ぶと、白いドレスの魔女が王のすぐ隣に姿を見せた。その姿に、初めて魔女という存在を目にした者たちは、一様に息を飲んだ。その場の神妙な空気に、魔女は少し愉快そうに笑みを零す。
「……こんなに下にも置かない扱いをされるのは、久しぶりね」
ランドメイアから遠く離れたこの国では、魔法使いの存在は、まだ珍しいらしい。彼女の弟子のひとりであったキース・ラ・ヴァリエは、優秀な魔法使いだったが、研究に傾倒した引き籠りだったせいで、魔法の普及を目論んでこの国に送り返した師匠の期待には応えてくれなかったようだ。
「ルイーシャ、怪我の具合はどう?」
「はい……もう、大丈夫です」
魔女の言葉に、ルイーシャが緊張しながら答える。
「それは良かった。不肖の弟子が、迷惑を掛けたみたいで申し訳なかったわね。女の子を傷物にするなんて、全くどういう了見なんだか」
「ダーク・ブランカ様……その件に関しましては、後できちんと償いはさせて頂きますから……」
師匠から厳しい目を向けられたライディアスが、心底申し訳なさそうな顔で言う。
「そっ、そんな勿体ないことは……」
ルイーシャが慌てて首を横に振る。国王に頭を下げられるなんて、心臓に悪いことこの上ない。
「あら、こんな機会めったにあるものじゃなくてよ?」
ダーク・ブランカが冗談めかして囁く。
「いえ……本当に……もう十分すぎるほどに、謝罪のお言葉は頂きましたので……」
「そう?ヴァリエの娘は無欲なのね……そういうことなら、ここから本題に入ることにするわ。陛下、人生を左右する願いは、決まりまして?」
ダーク・ブランカがにこやかに問う。
「ええ。しかし、その前に、ひとつ確認しなければならないことがあります」
そう言ってライディアスが、リシスに視線を向けた。
「リシス・リンドバルト、私の父の犯した過ちによって、お前の父ランバルトは大きな無念を抱えこの世を去った。現状、それがこの国に呪いとなって残っている。その呪いを解く為に、ランバルトの子であるお前が、この玉座に座るべきだと、私は考えている」
「……お待ち下さい」
リシスの顔は見るからに青ざめている。自分の代わりに玉座に座ったライディアスの苦悩を垣間見て、その力になれたらとは思っていた。だが、自分が王になるなどとは、微塵も考えていなかったのだ。それに、万が一にも王になどなったら、ルイーシャは自分から離れて行ってしまうだろう。だから、それだけは受け入れられない……
「私は、この王宮を出された時から、もう王の資格などない人間だと思っております。王太子として、しかるべき教育を受け、その為に努力なさって来た陛下以上に、この国の玉座に相応しいお方はいらっしゃらないと……この不肖の身の上では、せいぜい陛下のお手伝いをさせて頂くことぐらいしかできないと存じます」
「うん。そのお手伝いとやらを、して欲しいんだ」
「……は?」
怪訝な顔をしたリシスに、ライディアスが満面の笑みを見せる。
「お手伝いで構わない。というか、これは無理を承知で頼んでいる。これは、そなたにしか出来ない、特別なお手伝い。それが、そなたがここに座るということだ」
「……?おっしゃる意味が分かりません」
「これを」
ライディアスは、そう言って、リシスに国王の仮面を差し出した。
「仮面令を廃止する。お前は、この仮面を付けて皆の前に立ち、そこで仮面を取るのだ」
その意味するところを察して、リシスは言葉も出ない。唖然としているリシスの代わりに、その傍らにいたキャルが声を出した。
「陛下、それは……」
「メルリーゼ、お前の望み通り、私は譲位する。ただし、条件つきだがな。リシス、お前には、ライディアス5世として、王位についてもらう」
「おっ、お待ち下さい陛下っ」
抗議しかけたリシスを、ライディアスは手振りで制す。
「まあ、聞け。全ての負債をお前に押しつけて、その尻拭いをさせる積もりでは、勿論ないぞ。職を辞した父に代わり、この私が宰相としてお前の力になろう」
「え……えぇ……」
「この件については、我が弟、アルベールとも相談の上、私がラスフォンテ伯爵になり代わるということで話はついている」
「……それでは、本物の伯爵様は……」
リシスがアルベールに視線を向けると、
「心配は無用だ。私は、しばらく国を離れる予定だからな。ファラシアの最後の願いを叶えてやるために、このアイーシャを連れてランドメイアへ行くのだ」
「ランドメイア……ですか……」
状況がよく呑み込めないでいるリシスに、ライディアスが畳みかける。
「リシス、勝手な願いだというのは、百も承知だ。だが、我が父の罪を赦すというなら、どうか何も言わず、王位について欲しい」
そう言って立ち上がると、ライディアスはリシスの前に跪き、頭を下げた。
「……やめて下さいっ、陛下……どうか……どうか頭をお上げ下さい」
……これが、運命だというのか……父上の無念を晴らすために……私は逃げてはいけないのか……
戸惑いながら、ルイーシャを見る。
「……」
そこに佇む彼女は、花の様な笑顔で笑っていた。それは――
「ルイーシャ、私は……」
「大丈夫、リシスさまなら、きっと出来ます」
私なら、出来る――
その言葉が、彼に魔法をかける。
それは――
それは、自分が今までの自分と違う自分になっても……王という特別な存在になっても、彼女は変わらずに側にいてくれるのだと、そう思っていいという事なのか。
リシスは慌ててライディアスの前に跪き、頭を下げる。
「頭をお上げ下さい、陛下。不肖なこの身が、お役に立てるのであらば」
「済まない……リシス。メルリーゼ、そういうことになった」
「……はい、陛下」
二人のやり取りを見ていたキャルは、神妙な面持ちで頷く。
「そなたにも、手を借りなくてはならないが……」
「はい、陛下。まず現実問題として、リシス様の髪と瞳の色ですけど……」
ライディアスの顔は、仮面で隠していたし、リシスとは背格好も似ているから、入れ代わり自体は難しくはないと思うが、髪と瞳の色は全く違うから、何かしらの手を打たなくてはならない。
「ああ、そのことなら……リシス、これを」
ライディアスが懐から指輪を取り出して、リシスに渡す。
「これは?」
「ランドメイアの学舎の初等科で出される、最初の課題。それが、この魔法の指輪を作ることだったんだが……」
「魔法の指輪、ですか。もしかしてこれ、陛下のお手製なのですか?」
「うん、まぁ……私には、魔法の才能がなかったみたいでね。これが唯一、私が作ることができたマジックアイテムだ。これをはめると、髪と瞳の色、あと、肌の色もだったか……それを自由に変えることができる。変身魔法の初歩の初歩だ」
「……変身魔法」
リシスが興味深げに指輪をはめる。そして、視線を上げてライディアスの顔を、しばし見据えた。と、その髪と瞳が、ライディアスと同じ色に変わった。長さや髪質も同時に変化している。
「ほぉ……」
アルベールが感心したように声を上げる。他の者たちは、目の当たりにした魔法に、目を丸くして、ただただ驚いている。
リシスは少し心配そうに、ルイーシャの方を見る。
「……変かな?」
「……いいえっ。これはこれで……とても……素敵です」
ルイーシャがどこかうっとりした表情で応じ、面と向かって誉められたリシスが、照れたように顔を赤らめる。
「これで、大きな問題は解決だな。後は、メルリーゼ、そなたに任せていいか?」
「はい、お任せ下さい。生まれ変わったライディアス5世陛下のお披露目式、このメルリーゼが完璧に仕切ってみせますわ。さぁ、リシス様、忙しくなりますよ」
そう言ったキャルに急かされて、リシスは名残惜しそうにルイーシャに視線を残しながら部屋を出ていく。それに笑顔で手を振って、ルイーシャはリシスを見送った。
そんな様子を見て、アルベールが少し皮肉を帯びた口調でルイーシャに言う。
「あれだけ思いを寄せられて、釣り合いがどうのと、悩むこともなかろうに。そもそも我がラスフォンテ家の養女になるのだから、釣り合いが取れぬなどという輩は、この国にはおらぬぞ」
言われてルイーシャは、憮然とした顔をする。
「肩書の問題ではないのです」
「……リシスは苦労するなぁ。この娘は、かなりの頑固者だ」
そう言って、アルベールが笑う。
「がんこものって……?」
アイーシャが首を傾げて、アルベールに尋ねる。
「ん~?頑固者というのはね……」
「アルベールさま、説明しなくていいですからっ……ダーク・ブランカ様っ」
ルイーシャが助けを乞うように、魔女を呼ぶ。
「あら、とばっちりが来たわ。ふふふ。では、あなたの願いを聞きましょうか、シャルル」
問われて、ライディアスは神妙な顔で、ルイーシャの前に跪き、そして言った。
「我が友、クロード・キランを星見の呪縛から解き放つこと。それが、私の願いだ」
ダーク・ブランカがルイーシャの瞳の前で、その手をかざした。
「魔法使いダーク・ブランカの名に置いて、契約の代価として、そなたに奇跡を授けよう……」
その言葉と共に、室内に光が溢れた。その光の中で、白き魔女の姿は次第に消えていく。
「ダーク・ブランカ様……ありがとう、ございました」
ライディアスは深く頭を垂れた。
それから数日後。
メルブランカの民は、彼らの若き国王の顔を初めて見ることになった。
名君と呼ばれた頃のランバルト王を彷彿とさせるその顔と、時を同じくして発表されたヴィランド枢機卿の辞任という事実に、人々は時代の変革と暗い時代に終止符が打たれることを願った。
メルブランカ王国で、世紀の悪法と呼ばれた仮面の法は、その日、ライディアス5世の名において廃止された。
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