第31話 正しき王

「……クロード・キラン……」

 

 遠くで呼ばれて、クロードは重い目蓋を僅かに上げた。

「……戻ったのか……シャルル」

 ひどくぼやけた視界の中に、彼の探していた顔はあった。

「キラン」

 再び名を呼ばれた時、クロードの頭の中で、何かが弾け飛んだ感覚があった。


……シャルルは、ここにいるじゃないか……何故、探していたなんて……


「ここは?」

「王宮の中だ」

「王宮?学舎の者が、勝手に王宮に出入りしていいのか?ダーク・ブランカ様のお許しもなく……」

「キラン、しっかりしろ。ここは、ランドメイアじゃない。メルブランカの王都リブランテだ」

「リブランテ?」

 クロードがきょとんとした顔をする。

「キラン、どうしたんだ。何があった?何故、お前がここにいる?何故……お前が姫を……姫を殺さなければならなかったのだ?」

「……殺す?違う……殺されるんだ。あの星の光を消さなければ、お前の星が消される。ここに居てはだめだ。ランドメイアへ戻らなければ……ダーク・ブランカ様なら、きっと何か方法を考えて下さる……はず……」

「キラン……」

 クロードは瞳を閉じ、再び眠りに落ちていった。


「ダーク・ブランカっ!その辺に居るのだろう?姿を見せてくれ、頼むから……」

「如何なさいました?陛下」

 すぐ後ろで、魔女の声が応えた。ライディアスはクロードを見据えたまま、振り向かずにダーク・ブランカに訴える。

「キランの様子がおかしい。これは、いったいどういう事なのだ」

「陛下、キランは、星見でございました」

「……星見?星見ならば、なぜ、この様な所にいる?星見は、塔から出ぬものと聞いているぞ」

「塔を下りたのです。役目を放棄して。塔を下りた星見は、その報いとして記憶を失います。キランは、記憶を失いかけているのです、陛下。新しい記憶から順に、少しずつ……そして、いずれ、全てを失います」

「馬鹿な……」

「それが、キランが自ら選んだ運命です」


「何故……その様な事を……ダーク・ブランカ、キランは星見だったと、そう言ったな。キランは何を予知した?星が消されるというのは、何のことだ?」

「陛下がこの私と契約なさったことで、このメルブランカに星が一つ現れます。それは、先王が望み、掴むことが叶わなかった希望の星。そしてそれは、先王の遺した呪いを消し去ることが出来る星」

「希望の星……つまりそれは……」

「ランバルト王の実子であり、本来であれば、このメルブランカの玉座に座るはずだった者」

「なん……だと……」


 ランバルト王が心から望み、手にできなかったもの。すなわちそれは、奇しくもライディアスが望んだものと同じ――


――この国の玉座に座るべき、正しき王。


「……新たに現れた星の光が強ければ、周りの星の輝きは、薄れて行きます。強い光が弱い光を覆い消す。それが、天の理にございます」

「光が消え、星が消える……つまりそれは、この私の事か……?キランは、それを私に告げる為に、塔を下りたというのか」

「はい。どうにかして、救えるものならば、と」

「私は救われる価値などない人間だ。まして、キラン……お前を犠牲にしてまで……何か、何か方法はないのか?ダーク・ブランカ、キランを助ける方法は……」

 ダーク・ブランカが、困惑したような顔をする。

「……それが、陛下の心から叶えたい願いであるならば、それを女神の瞳石に願えば、願いは成就されます。しかし、陛下。キランは、その様な事は望まないはずです。陛下が、キランを犠牲にできないとおっしゃるなら、キランも同じでしょう」

「……しかし」

「よくお考えくださいまし。何が、一番大切なのか……叶えられる願いは、一つだけです。キランと引き換えに、あなたは、この国を見捨てるというのですか?」

「それは……」

 答えに詰まったライディアスに、ダーク・ブランカは表情のない顔で一礼すると、そのまま姿を消した。

「……答えが、お決まりになりましたら、今一度、お呼び下さい」

 そんな声だけが、そこに残された。


 この二年、魔女との契約の為に、国政の立て直しにも手を付けずに、国が荒れるのをただ黙って見ていた。気がおかしくなりそうな時間の果てに、ようやく、この国に希望をもたらすことが出来るはずだった。

 その為に、わが身が犠牲になるというのなら、それも仕方がないこととして、納得できる。だが、大切な友を犠牲にしなければならないという現実は、簡単には飲み込めなかった。





 ライディアスは、行き詰まった思考に疲れ、自室に戻ってきた。

 二年前のあの時に、私は、選ぶ道を誤ってしまったのか……


……いや、これこそが、ランバルト王の遺した呪いか……


 ライディアスは薄暗い部屋の中で、顔を覆う仮面を外した。

 鏡に映った顔を見て、そこで皮肉を含んだ笑いが浮かぶ。そして思い出す。この顔の秘密を知ったあの時に、他の道は閉ざされてしまったのだということを。


「……正しき、王」


 それは、自分ではなかった。試練を果たせば、自分のような人間にも、その資格が与えられる。そう信じていた。だが、現実はもっとシンプルで、残酷だった。その願いを果たせば、自分はこの世界から弾かれる。それが、魔石の下す審判なのだ。

「ふふっ……最初から……」

 自分は許される余地のない罪を抱えていたのだ。この命をもって贖うより他にない罪を。自分が正しき王でないのなら……

「……ふふふっ。そうだ。今更、迷うことはない。罪を負った者の行く道は、もう決まっているではないか……」

 そう呟いたライディアスは、近くに人の気配を感じて振り向いた。

 蠱惑的な光をたたえた菫色の瞳が、ライディアスを見据えていた。

「菫の娘……私の願いを叶えてくれ……私の……」

 ルイーシャはその声に引き寄せられる様に、ライディアスの元にゆっくりと近づいてゆく。それをもどかしいとでもいうように、ライディアスが手を伸ばし、ルイーシャの腕を掴んで、彼女を抱き寄せた。




 その腕の中で、ルイーシャは我に返った。

……何?……わたし……また……

 さっきまで、リシスと一緒にいた筈なのに。気づけばまた、別の場所にいる。もしかして、記憶が抜け落ちているのか。そう気づいて、身のすくむ思いがする。

……どうして……わたし……

 まだ、意識が朦朧としていて、思考がうまく回らなかった。と、


「私の願いを叶えてくれ……ルイーシャ」

 耳元で男の声が言った。


「……え」

 そこでようやく、ルイーシャは自分の状況を把握した。


 誰かの腕に抱き締められている。

 リシスではない、他の誰かに。


 そう認識した途端、ありったけの力で相手を押し退けた。

「……な、何をなさるんですかっ……」

 言い掛けて、ルイーシャは相手の顔を見て息を飲んだ。

「アルベールさま……どうして……」

「私には、お前が必要だ。お前にしか、私の願いは叶えられない……だから、頼む……その菫の瞳を、どうかこの私に与えてくれ……頼むから……」

 以前のアルベールとは違う、どこか狂気をはらんだ顔に、ルイーシャは恐怖を感じて後ずさる。


……こんなの……アルベールさまじゃない……


 男が少しずつ間合いを詰め、ルイーシャを捕らえようと手を伸ばす。

「……いや……来ないで」

 壁際に追い詰められて、逃げ場を失った。尚も迫って来る男に、ルイーシャは堪らず悲鳴を上げた。恐怖を振り払う様に、何度も、何度も。それでも、男の手は容赦なくルイーシャの腕を掴む。そして、ゾッとするような笑みを浮かべた。それ以上は、心が拒絶したのか、ルイーシャの意識は、そこでまた途切れた。



「ルイーシャ!」

 ルイーシャの姿を廊下で見失ったリシスは、辺りの部屋を手当たり次第に探していた。そこへ、ルイーシャの悲鳴が聞こえた。恐怖に怯えた尋常ならざる声が、一度ならず、二度、三度と繰り返される。

 リシスは声の聞こえた扉を開け放ち、その部屋に踏み込んだ。


 真っ先に目に入ったのは、気を失ったらしいルイーシャの体を、男が抱き止めている様だった。

「……伯爵」

 こちらを振り向いた顔は、エリンネーゼの館で行き逢った、ラスフォンテ伯爵の顔だった。

「何者だ?」

 鋭い声でそう誰何される。だが、それには答えず、リシスは怒りに任せてムーンローズの剣を抜いた。

「ルイーシャを放せ……」

「何だと?」

「ルイーシャは、私の大切な人だ。あなたが誰であろうと、彼女を傷つけようとするならば容赦はしない」

「……お前、正気か?」

 どこか呆れたような、見下したような声が返される。

「黙れっ。早くルイーシャを放せっ!」

「……ふっ。そちらこそ、黙るのだな。この娘は、私のものだ。誰にも渡さぬ」

「なっ……ふざけるなっ」

「ふざけるな、だと?ふふっ……この愚か者めが。そなた、私を誰だと思っている」

「誰って……」

 目の前の男は、ラスフォンテ伯爵ではないのか。そこから感じる威圧感に、リシスは息苦しさを覚えた。剣を手に相手を威嚇しているのはこちらの筈なのに、丸腰の相手に圧倒される。

「先ずは、その無礼者の名を聞こうか?」

「……」

 リシスが言葉を失っている目の前で、男はルイーシャを抱き上げて、側の長椅子に寝かせると、再度問うた。

「お前の名は?答えよ!」

「……リシス……リンドバルト」

 有無を言わせぬ圧に、思わず答えていた。すると、剣を手にしたまま身動きが出来ないでいるリシスに、男は尊大な声で命じた。

「そなた、王の御前であるぞ。仮面を取れ」

「え……」

 告げられた言葉を理解した途端、リシスは反射的にその場に片膝を付き畏まっていた。


……この者が王?……このメルブランカの……つまり、私の兄上……なのか……


 現実に戸惑うリシスの頭の上から、畳み掛けるような声が言う。

「リシスとやら、早く仮面を外せ。王に対し、無礼であろうが」

「……は……い」

 リシスが震える手で、仮面を外した。

「面を上げよ……どうした?早くしろ」

「はい……」

 リシスが意を決したように顔を上げる。と、

「……お前は……」

 自分の顔を見て、ライディアスが息を飲んだ気配が伝わった。リシスの前で、ライディアスは驚愕に言葉を失っていた。


 


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