第8話 恋を追う者
「……それが……実は、追われているんです」
「……ほぉ。そりゃ、穏やかじゃないな」
「私一人なら、何とでもなるのですが、連れが……いるものですから」
「連れ?って、女か?」
「……ええ……まぁ」
「ふうん……一つ、聞いていいか?」
「……何でしょう?」
「俺は、今まで、用心棒なんざやったことはないし、そいつを商売にしようなんて考えたこともない。その仮面の様子から察するに、あんたは、大層なご身分の、貴族のご子息様ってとこだろう?そのあんたが、何故、俺みたいな、どこの馬の骨とも分からねぇ奴の所に来た?こんな辺境の街まで、わざわざやって来た、その訳が聞きたいな」
「ある方が、あなたなら、腕は確かだからと……」
「ある方……?」
「名は……今は、言えませんが……」
「成程。訳あり、訳あり。厄介ごとはご免だぜ」
一向に話に乗ってこないアステリオンに、リシスは、先刻マーシュの懐からくすねた金貨と、通行証をテーブルに乗せた。
「これで、あなたの自由を買わせていただきたい」
「自由ね。こりゃぁ……また……」
アステリオンが、口許を歪めて苦笑した。
「いいか?俺は、好きな時に、好きなところへ飛んでいける程度の翼は持っている。俺がここにいるのは、ここにいたいからだ。プランクスは、ある奴にとっちゃ、監獄だが、俺にとっては、天国みたいなもんだ。お前は、この俺を、天国から、下界へ連れ戻すっていうんだからな。しかも、行き先が、リブランテだ?冗談じゃない。大凶角だぜ」
アステリオンはそれだけ言うと、ブランケットを被って再び寝床に潜り込んでしまった。
「……やはり、一筋縄ではいかないようですね。翼を持つ者……そのあなたが、こんな辺境で、三年もおとなしくしている。それには、きっと、訳があるんでしょうね……」
アステリオンの反応を伺う様に、リシスは一端言葉を切って、そばにあった椅子に腰を下ろした。そして、やや間を置いてから、静かな口調で続ける。
「天空を行く大鷲が、はばたけないでいるのは、その足に枷をはめた者がいるから。
あなたは、その人物を捜し出さない事には、ここから飛び立つことができない。違いますか?」
アステリオンがブランケットから顔を出して、その鋭い眼でリシスを捕えた。
「ランドメイアの大魔法使い、ダーク・ブランカ。あなたは、彼女を大陸中捜し歩いていて、そして、ある手掛かりを得て、ここへやって来た」
「お前、どうして、それを」
「アステリオン、私は、あなたに、彼女の消息をお教えすることもできるんですよ。仮に、あなたが、私をリブランテへ送り届けてくれたら……の話ですが」
「悪い話じゃないな。お前の言っていることが、本当なら、だが」
アステリオンの探るような視線を受けて、リシスは、懐から小さな皮袋を取り出し、その中身を取り出した。
「お前、これは……」
中から現われたのは、ちょうど掌に乗るほどの、薄紅色を帯びた玉石だった。
「これは、赤の結晶石。あなたが、この鉱山で探していたものとは違いますが、効力は同じと聞いています」
「これが、何でも願いの叶う魔法の石なの?」
カラが不思議そうに、リシスの手の中にあるものを覗き込む。
「……お前が、この石の持ち主なのか?これで 魔法使いを呼び出せるのかっ……?」
アステリオンの問いに、リシスは軽く肩をすくめた。
「残念ながら、これは私のものではありません。私にあなたを紹介してくださった方から、預かったものですから、どう使うのかまでは……」
「そうか。じゃあ、その御方とやらなら、この結晶石で、ダーク・ブランカを呼び出すことが出来るんだな?この結晶石を持っている人間は、魔法使いから、その権利を与えられている。魔法使いを呼び出して、願い事を叶えてもらえる」
「……恐らく」
アステリオンの言葉に、リシスが肯定の答えを返す。
「さて、こちらの手札は、すべてお出ししてしまいましたが……私の依頼は、引き受けて頂けるのでしょうか?アステリオン殿」
「いいだろう」
プランクスの城壁を見下ろす、なだらかな丘陵の上に、騎影が一つ、二つと浮かび上がる。それは、やがて三つ、四つと数を増し、最終的には、十数騎を数えた。嵐を呼ぶ風にマントを煽られながらも、仮面を纏った騎上の者達は、それを気にする風もない。
「アルベール様、例の者、どうやらプランクスへ身を隠したみたいですね」
傍らの従者、ベルナールがそう声を掛けた。
ラスフォンテ伯爵は、それに頷くと、右手を上げて、後方の者に何やら合図する。と、後ろの数騎が、馬を駆って、丘陵を下っていった。
「狭い街だ。すぐに見つけてみせる。修道女を誑かして連れ出すなど、どんな無法の者かと思えば、成程、こんな場所に出入りする輩という訳だ。待っていろ、ルイーシャ……すぐに助け出してやる」
豪奢な金色の髪が、湿気の多い風に揺れる。表情を包み隠す仮面の額には、ルビ-の瞳を持つ、やまねこの紋が描かれている。それは、この王国の北に広大な領地を有する、ラスフォンテ伯爵家の当主の紋章ルビーリンクス――五年前、弱冠十四歳でラスフォンテの伯爵号を継いだアルベールの紋章である。
ラスフォンテ伯は、十九という年の割には大人びて、平素は、温和で穏やかな若者である。宮廷貴族の派手な生活を嫌って宮廷へは滅多に姿を見せず、領地のラスフォンテで隠居のような生活をしている。気ままな性格で、国王の使者さえも平気で何日も待たせたりしたものだから、世間一般からは、ラスフォンテ伯爵は蕩児であるという不名誉な評価を頂いている。
「まだ十九のくせに、じじくさい……」
常々そう揶揄するベルナールに、ただ困ったように笑う主人を、彼は嫌いではなかった。また、伯爵の周囲には、彼の持つ権勢に魅かれて、多くの人々がすり寄ってくる。影では、ラスフォンテをメルブランカの第二の宮廷と、そう揶揄する者もいる。が、そういう下心見え見えな人々を、伯爵は寄せ付けなかった。そんな辺りも彼はいいね、と思っている。ラスフォンテ伯は、仕えるに値する
そんなラスフォンテ伯爵の、ここ数日の様子が、尋常ではない。
ベルナールを筆頭に、この辺境まで彼に付き随ってきた者達の、口には出さないが、それが共通の意見である。
伯爵は何かに憑かれたように、正体不明の男の後を追い回しているのだ。なりふり構わず、という言葉通りに。追っている男というのは、ラスフォンテ伯の許嫁を連れ去った男。要するに、恋敵だと思われ……
話を整理すれば、亡くなったと思われていた許嫁を見つけたものの、それをどこの馬の骨とも分からない男にトンビに油揚げ……つまり奪い去られたものらしく、それって、伯爵、振られたのでは?と思わなくもない訳だが、伯爵の中では、世間知らずのウブな許嫁は、悪い男に誑かされて、連れ去られたという認識になっているらしい。
「恋なんて、無縁のお人かと思っていたのに……」
それでも、そんな伯爵も悪くないとベルナールは思う。
すでに何もかもを手にしてしまっているせいか、これまで自分から何かを望むということがなかった。二年前に、唯一心の拠り所にしていたノースラポートの男爵が亡くなってから、尚更、物事に対する執着が薄れた様に感じていた。あまり生きることに積極的でなかった主人が、ここ数日は、なんと人間らしい活動をしていることか。
……大丈夫ですよ、
「行くぞ、ベルナール」
「あ、はい」
走り出したアルベールの馬を、ベルナールは慌てて追いかける。一層強まった雨脚を気にすることもなく、騎馬の一団は、プランクスの明かりを目指し、今まさに狩りを始めようとしていた。
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