第17話 私たちの秘密
ルイーシャは、緊張から解放されて、気が抜けた様にベッドに座り込んだ。するとそこへ、今度は窓をノックする音がした。
「誰っ?」
ルイーシャが身を竦めて誰何すると、窓から少年が顔を見せた。
「ルイーシャ・ラ・ヴァリエ?」
ルイーシャが頷くと、少年はにっこり笑って窓を開け、窓枠によじ登るとそこに腰掛けた。
「無事で良かった。怪我でもされてた日には、リシスに申し訳が立たないからな。俺は、アステリオン。リシスのお迎えだ。遅くなって、済まなかったな」
「あなたが、キャルさんの言っていたアステリオンさん?思っていたよりお若いんで、驚きました。リシスさま、お怪我なさったと聞きました。ご無事なのですか?」
「ああ、怪我はしているが、まあ大丈夫だ。ていうか、キャルの奴、随分と余計なことを言ってるんだろ?」
「あら、キャルさんは、あなたの自慢ばかりでしたわ」
ルイーシャが真面目に返すと、アステリオンはどこか引きつった笑みを浮かべた。
「あ……そう。ま、雑談は後で。おいで」
「窓から、ですか?」
ルイーシャが、半信半疑という感じで窓辺に寄った。
「何か、屋敷の中が騒がしいみたいだからな」
言いながら、アステリオンが手を差し出す。ルイーシャは、少しの間その手を見据えて考え込む。伯爵に言われた言葉は、間違いなく彼女の心に迷いを生んだ。差し出された手を、無邪気に取るのを躊躇う程に。それでも……
自分は知らなけらばならないのだ、と思う。
本当のリシスを。
あの恋が、幻などではなかったという、確証が欲しい。
揺らぐ心をまるごと抱き止めて欲しい。
あの時のように……そんな思いが募る。
「……どうした?」
「いえ……」
問われて軽く首を振り、何か決意した様な顔をして彼女はその手を取った。
同じ頃、リィンヴァリウスとマーシュの二人も、やはりラスフォンテ伯爵の屋敷の一室に監禁されていた。
扉には鍵が掛かっていたが、窓から出られない事もない。そう考えて、リィンヴァリウスが窓から外の様子を伺っていると、人の怒鳴り声と共に、にわかに屋敷が騒がしくなった。
「何かあったみたいだけど……」
マーシュが周囲の気配を伺う様に、扉に耳を当てて、その向こうの音を聞く。しばらくそうしてから、マーシュは、懐から細い針金を取り出すと、鍵穴に差し込んで軽くひねった。そんな妹の姿に、兄としては苦笑するしかない。
「えらい特技を身に付けたもんだな」
「大陸を一往復もすれば、こんなものでしょう?……え?」
突然、マ-シュが手を掛けていたノブが、扉ごと外側に引っ張られて、マーシュは扉と共に、部屋の外に転がり出てしまった。
扉の向こうから、あまりに予想外のものが出てきたことに、驚きを隠せない顔をした覆面の若者がそこに佇んでいた。
「お前、まさか……マーシャか?」
男が、マーシュの実の名を呼んだ。
その声を聞いて、リィンヴァリウスは、マーシュと男をまとめて部屋の中に引っ張り入れると、後ろ手で扉を閉めた。
「それに、兄上まで……」
「クロード兄様?」
マーシュは、覆面の男を見上げる。
男が覆面を取ると、果たして、次兄のクロードがそこにいた。
「ラスフォンテの屋敷で、剣を振り回して歩くなんて、お前、気でも違ったのか?」
リィンヴァリウスが呆れたように言う。
「これも、仕事の内なんですよ」
「お前は、ランドメイアの星見の塔に召喚されたのだと、そう聞いていた。それが何故……」
「……塔は降りました。私には、他にやらなければいけない事があるのです。それより、兄上こそ、どういう事なのです?アステリオン様を探しに、ファーズへ行かれたのではないのですか。それに、マーシャ、お前はダーク・ブランカ様の所で花嫁修業ではなかったのか?二人共、この様な所で……」
「アステリオン様は、今、このリブランテにいらっしゃる。そういう事だ」
「アステリオン様が……?」
人の声が近付いて来て、クロードは言葉を切った。
「マーシャ……こちらから出るぞ」
リィンヴァリウスが、マーシュを促す。マーシュは軽く頷くと、身軽に窓枠を乗り越えて、すぐ側の木の枝に飛び移った。その後に、クロードとリィンヴァリウスが続く。その時、木の下に人の気配を感じて、三人は、それぞれ枝にしがみついたまま、気配を消した。
建物の陰から、辺りを伺うようにして、一人の少年がお姫様の手を引いて小走りに出てきた、と思ったら、彼らは再び夜の闇へ消えていった。
あっという間の出来事である。
「……っ、アステリオン様……一体何をなさっているんだ、あのお方は」
リィンヴァリウスが苦々し気に言う。
「は?」
「えっ?」
クロードとマーシュが、同時に声を上げた。
闇に消えた少年、あれがアステリオンだというのか。
「どういう事なの……」
マーシュは、アステリオンの消えた闇を見詰めたまま、言葉を失っていた。
カラはメルリーゼの屋敷のバルコニーで、夜風に吹かれていた。
夜の静寂の中で、先刻から、密かにうごめくものの気配を感じていた。
……いつからだろう……
ふと、他愛もない疑問が浮かぶ。
いつから自分は、野兎の様にその気配を伺うことが出来るようになったのだろう。何時の間にか身に付いてしまっていた。何の抵抗もなく……ただ、今迄生きてくるために必要だった。それだけの理由で。
「……用件は何なの?」
苛立ちを含んだ声で闇の中に問う。と、木立ちが揺れて、低い声が答えた。
「義務をお忘れではなかったのですね」
「当然でしょう。私を誰だと思っているのです」
「そのお言葉、皇帝陛下もお喜びでしょう、キャラシャ様」
「前置きはいいから、用件を言いなさい」
「星見の塔の者が、この都に紛れ込んでいる、と……」
「例のランドメイアの星見?」
「……はい。あれは、星の軌道を変える者。我々の使命を妨げる者です」
「分かっています……半年前は、邪魔が入って仕留め損ねたけど、今度は間違いなく、始末するわよ。それで、その星見はどこに隠れているの?」
「それが、このリブランテでは占術盤が上手く扱えないようで、行方は未だ掴めず……」
「星見となった者は、その資格の証として、万物を映す瞳を与えられる。星見の千里眼、それはそれは、綺麗な蒼紫の瞳。あんな目立つ目印を持つものを、半年も見つけられないなんて、不甲斐ないこと」
「……それで、本国からレイヴン様が、お運びを」
男が告げた名に、カラは顔を顰める。
「……レイヴン・レイズ。わざわざご苦労なことね」
「状況打開の為に、巫女様のお力をお借りしたいので、なるべく早い時期に一度お出で頂きたいと……」
告げられた内容に、今度は大きなため息を漏らす。
「……分かりました。もう行きなさい」
「では、失礼いたします……グラスファラオンの栄光の為に……」
気配が消えた。
カラはバルコニーの縁にもたれ掛かって、しばらくリブランテの街の灯を眺めていた。闇に浮かぶ数え切れないほどの美しい灯。だが、その美しい地上の星は、一つとして、決して自分のものにはならないのだという事を、カラは知っていた。
「アステリオン……」
束の間の幸せを与えてくれた男への、別離の言葉を心の中で呟いて、カラはそこから立ち去った。
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