第42話 うん、私も……ッ!

意表を突くだけでいい――歌誉はその指示を胸中で反芻した。


虹子と田路彦から与えられた指令は、それだけだった。しかしそれが最大の功績をもたらし得るのだとも言っていた。

それは桐吾にもなずなにも出来ない事だった。アシハラに居住する全ての者達の中で、唯一歌誉だけが可能とする戦術だ。他の誰にも出来ず、自分だけが出来る事――つまりは、自分が魔女である事実を最大限に利用するという事に他ならない。

出陣前、虹子は彼女へ尋ねた。


「歌誉さん。貴女が私達の味方をする事で、最悪の場合、歌誉さんは全ての魔族から敵視される事になります。お願いする立場でこんな事をお尋ねするのは卑怯かもしれませんけど――その覚悟は在りますか?」


正直なところ、その問いに頷くのに迷いはなかった。覚悟を決めるも何も、歌誉自身はつい先日まで人として生きてきたのだ。龍魔からはこれまでずっと迫害を受けてきた。今更、改めて決めるべき覚悟などあろうはずもない。


そんな事よりも、自分にしか出来ない戦い方がある――その方が余程嬉しかった。

表情に出すのは相変わらず苦手だが、内心で高揚していた。


桐吾の役に立つことが出来る。虹子にも田路彦にも巳継にも――なずなにも出来ない方法で。それが何より誇らしく、必要とされる事に奮起した。


だが、いざ戦場に向かうと心は萎縮した。


行われているのは命の奪い合いだ。その先に共存を望む戦いだとしても、いま戦場を彩るのは弾丸であり、血であり、涙だ。

緊張で張り裂けそうな胸を組んだ両手で押さえながら、歌誉は装甲車から外を見る。もう間もなく、車で通行できる平坦な道は終わる。

半径数キロメートルの範囲に効果を及ぼした炎脈の縁までが目的地だ。

助手席から見る戦場は、どんどん近づいていた。


「怖い顔してるぞ、歌誉さん。リラックスリラックス」


運転席でハンドルを握る少年が、歌誉へ笑みを向ける。その笑顔も引きつっていて、彼もまた緊張している事が容易に知れた。

だが、その気遣いをありがたく思う。


「ありがとう、モブ太」

「誰がモブ太だ!?」


歌誉は首を傾げる。誰だったろう。本気で覚えていない。


『まあ仕方ないよ。普段生徒会とツルんでるんだよ? クラスメイトでもないあなたが覚えられてないのも無理ないっしょ』


明るい声音で通信を入れたのは、装甲車と並走するアビス・タンクを駆る女生徒だ。彼女と装甲車の運転手は、歌誉の護衛として後衛に残っていた。

歌誉はフォローを入れてくれた声に対して同意を返した。


「うん、モブ子」

『惜しい! 信子だ!』

「多分それ言い間違いじゃなくて俺と同じで覚えてな――おいッ!」


鋭い声に、歌誉はびくっと肩を震わせる。

次の瞬間――


『え、な――っきゃああああああッ!』


緊張に瞠目する視界目掛けて、アビス・タンクが吹っ飛んできた。

衝撃。悲鳴。慌ててブレーキが踏まれ、ハンドルが切られる。急制動、急旋回。身体全体を凄まじい遠心力が襲う。目が回り、自分がどこを向いているのか分からなくなる。

あらゆる音が遠くに感じられる。あらゆる感覚が乖離していく。


忘我から返った時、歌誉は肩を激しく揺さぶられていた。


「……さん。歌誉さん!」

「――っ!」


意識を取り戻した歌誉は、その時初めて自分が我を失っていたのだと気づいた。それ程の時間は経過していない、ほんの数秒だろう。だが、戦場のど真ん中で数秒間を無防備に過ごす事がどれだけ危険か、流石に素人の歌誉にも分かる。

背筋の凍る思いでいると、激しくハンドルを繰る男子生徒が荒々しく声を放った。


「しっかりしてくれ! 俺らの戦いは君にかかってるんだ!」

「っ、ごめんなさい」

「喋るな舌噛まれたら全部パアだ!」


慌てて口元を押さえる。歌誉は高速移動する装甲車の窓から、恐る恐る外を見た。


初めに見えたのはアビス・タンクだ。頑強な兵装で縦横無尽に駆け回りながら、攻撃を放っている。攻撃の先にいるのは、魔女だ。それも三人。杖に跨り滑空しながら、魔法でアビス・タンクを包囲しつつある。


と、装甲車の眼前に稲妻が迸る。白い稲光に視界を奪われながらも、運転手の乱暴なハンドル捌きで直撃は免れた。続けて、装甲車の右方から鉄の塊で殴られたような衝撃が襲った。コンバットタイヤが横滑りするが、何とか体勢を立て直す。


「……ッ!?」


乱暴な運転に身体を持って行かれながら、歌誉は疑問符を浮かべる。

彼女の動揺を汲み取った男子生徒が、矢継ぎ早に言う。


「魔女の奇襲だ! 三人がアビス・タンク、二人が車を狙ってる! 最初の衝撃は攻撃を受けたアビス・タンクが車にぶつかったものだ! 他に質問があれば状況切り抜けてから受け付ける!」


歌誉は息を呑む。

敵襲があり、抗戦している。ここもまた戦場と化したのだ。

炎脈にはまだ届いていない。激戦区でないにもかかわらず、肌がひりつく程の凄まじいプレッシャーだ。押さえた胸の奥から、心臓が飛び出さんばかりの激しい動悸を打つ。


目を丸くして見る空戦で、アビス・タンクは苦戦を強いられていた。三対一という状況下で、装甲車にもそちらを援護している余裕はない。


対して、魔女はいずれも嘲笑を浮かべている。彼女達にとってこれは決戦ではなく、狩りに過ぎないのだ。絶対的な強者として、反抗的な弱者を摘み取るだけの――。

侮蔑の視線を受けたような気がして、歌誉は強く目を瞑った。暗闇にその身を沈める事で、現実から目を背ける。


いずれ脅威が去るまで逃げ続けていれば、少なくとも明日を生きる事が出来る。それこそが弱者としての唯一無二の処世術。


いままでずっと、そうしてきた。


理不尽な暴力に怯え、圧倒的な武力に屈し、排他的な世界から逃げ続けてきた。

出来るだけ小さくなって、恐怖をやり過ごした。


だがいま、それは許されない。


なぜなら彼女はいま、自ら脅威に向かって前進しているのだから。

脅威の方から迫り来るのならば、その理不尽を嘆いてもいいだろう。だが、七夜月歌誉という少女は初めて、脅威に立ち向かうという道を選んだのだ。

そうである以上、瞑目する事も、逃げる事も許されない。周囲が許さないのではない。他の誰でもない自分自身こそが――それを許せないのだ。


「龍魔の支配からの脱却! 覇権奪還構想! それが私達の夢であり悲願であり達成すべき任務よッ!」


なずなの叫声が脳裏に閃き、歌誉は目を開けた。

随分長い間、歌誉を苦しめてきた叱咤の声。思えば全力で自分を叱り続けてくれたのは、なずなだけだった。それがいまでは己が胸中で杭となり、導となっている。

正直厳し過ぎだしもっと優しくしてほしいと思うが、それでも。


その厳しさでこうして背筋を正せるのだから、ありがたいと、思う。


「私はそのための努力を惜しまない! ずっと支配されてるなんてゴメンだから!」

「うん、私も……ッ!」


歌誉はなずなの言葉に応じる。小さな声で、しかし力強く。

胸中で組んでいた両手を放して、ぱんと両頬を張る。それから掌に書いた「人」という字を呑みこんで、魔女をカボチャと思い込む。


「……何やってるんだ?」

「おまじない。教わった」


聞いたところによれば虹子の奥の手だそうだ。それで生徒会選挙を乗り切ったのだから効果覿面だと言っていたが、成程確かに、怖くなくなった。

なずなの厳しさに鍛えられ、虹子の後押しがあり、桐吾に会いたい意志がある。これだけの想いに支えられ、何を怖がる必要があろうか。


一息。


七夜月歌誉は最後にもう一度、自身へ問う。戦場へ立つ覚悟はあるか、と。

迷いはない。愛しい人の立つ場所が戦場であるならば、恐怖や過去など枷にもならない。


「ハンドル切らないで。まっすぐ」

「え?」

「まっすぐ」


懐疑の眼差しを向ける運転手へ、歌誉は繰り返した。

彼女の瞳に覚悟を読み取ったようで、彼は息を呑み、問いを投げた。


「いいんだね……?」

「信じて」

「オーケー! それ後でもっかい言ってくれないか! 実はファンなんだ!」


運転手は手汗を服で拭ってから、力を込めてハンドルを持つ。一ミリたりとも動かさない事を誓い、前だけを見て、アクセルを踏む事だけに集中する。


歌誉は背後を振り返り、上部ハッチに手を掛ける。この装甲の向こうに魔女が飛翔している。このハッチが命綱だ。歌誉は大きく息を吸い、勢いよく開放した。

歌誉はその緑瞳で魔女を捉える。二人は突然開放されたハッチに呆気に取られている。

その間隙を縫う。歌誉は素早く上半身を乗り出し、右腕を掲げた。


「二度と言わない……っ!」


それは運転手に対しての無慈悲な回答であり、魔女による詠唱でもあった。

魔法が発動する。歌誉の右手に大気が集中し、衝撃波が生まれた。不可視の破壊力は爆発的に膨れ上がり、双頭の蛇となって二人の魔女を襲った。


「うっそッ!?」

「っぁああああああッ!」


一人には寸でのところで回避されたが、もう一人には直撃した。予想もしない反撃に襲われた魔女は衝撃に吹き飛ばされ、放物線を描きながら墜落した。

自分達の専売特許であるはずの魔法を、敵が使ってきた。


面食らいながらも、魔女はその意味を理解する。


「何これ……。魔女が人族側に寝返った……?」


動揺はアビス・タンクを相手にしていた魔女にも伝播する。彼女らは攻撃の手を緩め、一様に目を丸くして歌誉を見据えている。

同じ緑瞳を持つ、同士であるはずの存在を。


「貴女、どうして……」


意表を突くだけでいい――呆然とする魔女を見ながら、歌誉はその言葉が正しかったことを知る。ほんの一撃で、歌誉は魔女たちの統率を乱す事に成功した。

魔族にとって有り得ない事象が展開している。脆弱で下等な人族に荷担し、あまつさえ自分達へ牙を剥く等と、誇り高き魔族に有るまじき愚行だ。

その意図を測りかねて、魔女達は次手を決めかねていた。

歌誉は一斉に集中した魔女の視線にたじろぎながらも、歯を食いしばり、彼女達へ視線を据えて詠唱する。


「奮え、奮える大気の鳴り矢……ッ!」


歌誉の言葉に呼応して、大気は在り方を変容する――魔女の優秀な僕へと。

バチバチと手中に小さな火花が音を立てたかと思うと、次の瞬間には莫大な放電球が形成されている。チリチリと頬が引きつるほどの稲光が四方八方へ爆音をかき鳴らす。

掲げた腕を離れ、放電球が迸る。硬直していた魔女達が弾かれたように回避行動を取るが、致命的に遅い。

音を超える速度で射出された光の刃が、一人の魔女を撃ち抜く。バツン、という空気の弾ける音は、後から耳に届いた。

悲鳴さえ上げられずに落下していく魔女を見送る他の魔女は、皆、固唾を呑んでいる。


動揺から立ち直れずにいる魔女達へ、運転手が力強く声を放った。


「見ての通りだ! 魔族は人と手を取り合った! 君達もこちらへ加勢しろ!」

「は、はあ? 何を言って……」


困惑を畳みかけるように、アビス・タンクを駆る少女もまた、声を上げる。


「いつまで龍族に荷担してんのさ! 武力に物を言わせるあいつらの横暴に、魔族も嫌気がさしてたんだろ!? あたしらと手を取り合えば、新しい社会が実現できる!」

「そんな……そんな事が出来るわけ……」

「劣等種と決めつけてきた人族の働きは、どうだ! 君達と互角に渡り合っている! それを評価し、こうして謀反する魔女も実際に現われている!」

「鋭い爪に裂かれてまで龍の手を握る必要はないんだよ! ほら、握ってみなってあたしらの手を! 温もりってやつを、平等ってやつを、友愛ってやつを教えてあげるよ!」


そう言って、地上からアビス・タンクは手を差し伸べる。

その武骨な鋼鉄の手を、魔女達は苦悶の表情で見下ろす。彼女たちは思考を乱す――恐らく考えた事もなかったであろう、人族との同盟という選択肢に。


唾棄すべき提案だ。

魔族にとってその手は、気持ちの悪いものだ。卑賤な輩の、泥に塗れた汚物だ。

地に這いずる彼らのそれに応えるという事は、自分達もまた、その低みに身をやつすという事だ。そのような事、魔族としての誇りが許さない。

混乱の眼差しで眼下を睥睨する魔女達は、表情をひきつらせた。


「何てことを……!」


裏切り者――歌誉が装甲車を離れ、アビス・タンクと手を繋いだのだ。そしてアビス・タンクと同様、空いている方の手を空に差しのべた。

表情こそ平坦だが、歌誉の緊張は臨界点に達している。敵対する魔女に無防備な姿を晒して、下界から上位種へ手を伸ばすなど正気の沙汰ではない。


挑発と受け取られても仕方ない。

宣戦と誤解されても仕方ない。


だが、歌誉はそうしなければならない。誰よりも人を信じ、また、誰よりも魔族へ語りかけなければならない。初めて人に寄り添った魔族として。

自分自身を唯一とせず、先導者となるために。


「分かり、あえる!」


力強く断定する。伝えるという、言葉本来の役割を強く声に乗せて。

気圧されていた魔女達は、ようやく判断を下した――信じ難い状況だが、しかし事実と受け止めなければならないと。


「貴女以外にも、裏切り者はいるの……?」

「これから、増える。それに――裏切りじゃ、ない」

「じゃあ何だっていうの」

「理解」


歌誉は己が経験を自負と替えて、即答した。


「……詭弁ね」


歌誉の回答に、魔女は呆れたように頭を振る。


「確認だけど、貴女はそう言うように人族に強制されているわけではないのよね?」

「うん」


魔女達は互いに顔を見合わせて、考えを一つにまとめた。


「ファアファル様に報告させてもらうわ。人に与する愚かな子の事を」


そうして彼女達は転身する。ファアファルのいる、戦場の中心地へと。

去り際の背に、アビス・タンクが追い縋るように声を放った。


「行かないで、聞いて! 分かり、合える!」


だが、目線だけを寄越した魔女が風に乗せた言葉は辛辣だった。


「有り得ないわ、その手を取るなんて」



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