第38話 なら今日はそれが覆る記念すべき日ね

四愚会の魔女は怒り心頭に達していた。数日前、人族の迎撃によって撤退を余儀なくされたばかりでなく、加勢を引き連れた戦場において尚、人の力に脅かされている――その事実に、彼女の誇りは決壊寸前にまで膨れ上がっていた。


こんなはずではなかった。


彼女が行軍に参加したのは、恥をかかされた恨みを晴らすためであって、力の応酬に本気になるためではない。人族の無様に散華する姿を見下ろすだけの物見遊山であって、命のやり取りをするためではない。


だからこそ、本来ならば煩わしいだけの戦争になど参加したのだ。

普段ならば断わっていた。事実他の四愚会は、代表のファアファルを除いて不参加を決め込んでいる。


面倒を買ってまで、人の悲鳴を、懺悔を、散り様を眺望に来たというのに――

混沌とする雑念を砕くように、魔女は錫杖を振り払う。


蓋を開けてみれば、人族が超遠距離で放ってきた弾頭は確実に龍魔の戦力を削ぎ落していた。倒れるのは彼女の同士であり、上位種族の龍であった。

長く続いた弾幕をかいくぐったかと思えば、生態機械族を思わせる装甲が単騎で奔騰し、龍魔を翻弄している。

そんな事は許されない。人族は龍魔に支配されるべき低俗な種族なのだ。それは史実であり、摂理であり、定理である。


魔女は装甲の戦域から大きく迂回し、第五防衛都市・アシハラを目指した。錫杖を強く握り、速度追加の魔法をかける。遠回りではあったが、彼女はそれを補って余りある魔力の才で一番に主戦場――広域駐車場に到着した。


アスファルトで広大な土地を塗りつぶしたそこに、ようやく人の姿を捉えた。眼下に武装したアシハラの民が大挙するのを見下ろして、魔女は歪んだ笑みを浮かべる。


「そうそう。そうですわ。そうやって地べたを這いつくばっているのが、貴方達虫けらに許された唯一無二の自由なのですわ……ッ!」


大きなイヤリングを振り乱し、真紅のドレスの裾を翻し、魔女は錫杖を振り上げる。力を行使する。魔力の塊が炎へと変幻し、頭上に大きく膨張していく。

殺意の顕現を地上へと振り下ろす――刹那。


「その自由、アンタも味わってみたら?」

「――ッ!」


頭上から声が降ってきたことを認識した瞬間、魔女は銃撃の雨を浴びていた。


奇襲。咄嗟に炎を防御へ応用しながら、しかし魔女は体勢を崩して急降下していく。いくつかの弾丸が身体を掠めていく。


だがそんな事よりも、何より許せないのは――


「人の分際で! 私を見下ろすんじゃありませんわッ!」


酸素を暴食した炎が爆散する。黒煙が蒼穹の一点を汚して一時的に視界が奪われる。

煙が晴れるのと、重厚で金属質な着地音が鳴ったのとは、ほぼ同時だった。


魔女は体勢を立て直して浮遊し、眼下を見据える。憤怒に彩られた緑瞳には多くの人族が映されていたが、その実魔女が敵視していたのはたった一人だった。


彼女もまた、鋼鉄の装甲からこちらを見上げている。

上空から奇襲をかけてきた装甲の声には聴き覚えがあった。アシハラへ夜襲をかけた際に応戦してきた、生意気な人族のそれに間違いない。


四愚会の魔女は忌々しげに唇を歪めた。


「生きていましたのね。本当に、脆弱な割にしぶとさだけは一人前だこと」

「貴女こそ、歴史の勉強は済ませてきたのかしら?」


機関銃の銃口をこちらへ向けながら、彼女は軽口を叩く。


「学ぶまでもありませんわ。だって人は私達に虐げられる、それが史実ですもの」

「なら今日はそれが覆る記念すべき日ね」

「この……ッ」

「光栄じゃない。歴史の証人になるのよ、あんたが!」


彼女の構える機関銃が火を噴く。けたたましい音と共に、夥しい数の弾丸が空に放たれる。魔女は魔法でそれらを迎撃しながら、激昂の声を上げた。


「その驕りの末路、敗残の歴史書にでも追記なさいな!」


そして相互の叫声がぴたりと空に重なる。


「貴女には恥をかかされた恨みがありますもの!」

「あんたには恥かかされた恨みもあるしね!」


   ◆


「いや実際、ここまでやるなんて、あても思うとらんかったよ」


呆れたように苦笑して、ファアファルは言った。

周囲で展開する死闘を尻目に、彼女の言葉は人族へ賞賛さえ送るようだった。


アビス・タンクが龍を強襲する。爪と牙とによる龍族の攻撃を巧みに躱しながら、アビス・タンクは銃撃を放つ。あるいは別の局面では、龍の炎がアビス・タンクを包み込み、兵装を無残な鉄塊へと変えていた。魔法を回避出来ずに絶命した者もいれば、背後を取って魔女に剣を突き立てた者もいる。


凄惨な混戦を極める中、ファアファルは地上に降り立っている。彼女の周囲では、多くの人族が警戒に当たっている。統率の行き届いた陣形で、各自銃器を構えている。

その多くを魔眼対策として女生徒が務めているにもかかわらず、たった一人、一際目立つ生徒は紛う事なき男だった。


その生徒に興味を惹かれて、ファアファルは地上へと降下したのだった。もちろん、彼らの構える銃火器程度で負傷するはずがないという自負を伴って。

男の装備は魔女に対するには呆れる程の軽装だ。薙刀を肩にかけるばかりで、銃や盾の類は持っていない。極めつけはその頭部で、剥き出しの禿頭が陽光を照り返していた。


馬鹿なんだろうかと思い、ああ馬鹿だったな、と思い直す。


「何度も視察に行ってはるのに、ようけここまで色んなもん隠したはりましたなあ」

「そうでもねえよ。本当は遠距離で片づけたかったし、それ考えりゃあ少なすぎるくらいだろ」

「え、何やまともな事言うてはるやないの」

「はああ? 俺が馬鹿な事ばっか言ってるみてえに聞こえるじゃねえか」

「ああ良かったいつも通りの馬鹿やったわ」

「待てコラ聞き捨てならねえぞこのエセ京都弁!」

「エセ……バレてはったんか!?」

「え、いやマジかお前」


衝撃の事実に瞠目するファアファル。

だが、自分の不勉強を悔やむのは後でいい。ファアファルは改めて周囲に視線を配る。


有り得べからざる光景だ。

人族が龍魔に挑み、戦闘として成立している。


「この戦術、あの小ぃこい会長はんが? それとも破鐘の旦那やろうか?」

「さあな。少なくとも俺が噛んでねえ事は確かだ」


馬鹿は自信たっぷりに突き立てた親指で自分を差した。


「あんた副会長やあらしまへんの? よっぽど信用されてへんのどすね」

「ばぁーか。俺が機密情報握ったままテメエらの魔眼に引っかかってみろ。筒抜けになるだろうが。だから俺は何も聞かされずに暴れる役どころなんだよ」


そうやって言いくるめられたんだろうなあ、とは思っても言わなかった。

ファアファルが半眼になっていると、ふと思い出したように巳継が付け足した。


「ん、ああいや待て。そういや虹っ子から伝言あったわ」


この大事な局面で本当に忘れていたのだろうか。彼の表情から真意は読み取れないが、そもそも馬鹿だから真意なんてないんじゃないかと危惧する。


「へえ、何て?」

「――私は約束を忘れていない」


促されるまま、特に情感を込めるでもなく巳継は平然と伝令の役割を果たした。

端的な伝言だ。事情を知る者にしか理解できないだろう。巳継は分かっていないと見える。だがファアファルには、それで全て伝わった。


ファアファルは無意識に詰めていた息を、ゆっくりと吐き出しながら言葉を乗せた。


「……やぁっぱり、そうやったか」


胸中に疼痛を感じる。加えて、可笑しみのような感覚が湧き上がってくる。

目を閉じると、瞼の裏に過去に交わされた対話が蘇ってくる。

明示された提言と提案、対して放たれた条件。

笑い話にもならない絵空事。それでも、僅少でも心を動かされたあの瞬間は――しかし、もう帰ってはこないというのに。


武器を手に上位種族へと立ち向かう少年少女。未だ愛する人を持たぬ、未来を歩むべき、しかし矮小な存在。

彼らが縋った希望の、何と愛おしく、儚く、滑稽な事か。


ファアファルは開眼する。

その緑瞳に力を宿す。

告げる。


「そないな幻想に憑かれとる以上、あてはアンタらを潰さなあきまへん」


錫杖を振るう。先端に吊るされた装飾が乾いた音を立てる。ファアファルの足元に淡く光る紋様が浮かび上がり、彼女の覚悟を照らし上げる。

ファアファルの背後にいくつもの光球が浮かび上がると、巳継は鼻を鳴らした。


「へっ、よく分かんねえけどよ、こっちは元よりそのつもりだっつの」


巳継もまた目を細め、臨戦態勢に入る。

と、ファアファルは疑問符を浮かべる。彼が構えた武器は大ぶりの薙刀ではなく、一台のタブレット端末だったのだ。


「何どすかそれ? 舐めてはるんやったら、えらい余裕どすなあ」

「そうじゃねえさ。これこそが、この戦争を勝利に導く古代の超兵器――」

「え、どう見てもハイカラもんやないどすか」

「いいんだよ細けえ事はよ! いいから聞いとけ」

「はあ……」


懐疑的な視線に負ける事無く、巳継は構え直す。コホンと咳払い。


「これこそ我が歴戦の盟友、タロイモより継承せし禁断の兵装。その法外な威力ゆえに扱う者でさえ大きな代償を払う事になるという。開発したタロイモ自身、絶対に扱えないと評し、手放した代物だ」


開発したって事はやっぱり古代の超兵器じゃないんだなあとその場にいた誰もが思ったが、ここでツッコミを入れて口上を長くするのもアレなので黙っていた。


「だがこの俺、救世の英雄・友原巳継ならばこの超兵器を自在に振るえるだろうと――そう言ってタロイモはこの俺、災禍の暴嵐・友原巳継に託したのだッ!」


くどい。

そもそも救世なのか災禍なのか、立場が数秒で対立するのはどうなんだ。

長い弁舌に飽きてきたファアファルは、いい加減問いを投げた。


「で、まとめると何どすのそれ?」

「俺も知らん」


ぴしっ。空気の割れる音はきっと幻聴ではなかった。

聞かせるだけ聞かせておいてこの体たらく。弄ぶのにも限度がある。


「死んでおくれやす?」


人はキレると笑う――それを実証するに足る素敵な笑顔でファアファルは魔法を発動させた。背後の光球が、一斉に巳継へと殺到する。


「うぉおおおッ! 待て待て仕方ねえだろさっき渡されたんだからよ! 凄えんだってコレ多分! ――こうなりゃぶっつけ! ピンク・チャフ起動ッ!」


巳継はへっぴり腰でタブレット端末を突きだし、起動させた。

瞬間――その威力が炸裂する。


『ぁあああん! ダメダメえ! もう私、おかしくなっちゃうっ!』


ちゅどん、ちゅちゅちゅちゅどんっ!


ファアファルの放った光球は、全て明後日の軌道を描いて地面に衝突して消えた。

巳継が不思議そうに見る先、ファアファルは魔法を放った姿勢のまま硬直していた。だらだらと汗をかいて、唇を震わせている。顔を真っ赤にしていた。涙目だった。


『いやん! だ、ダメだってば! そこ……はッ、はぁあああん!』

「あん?」


三白眼をぱちくりさせながら、巳継は周囲をぐるりと見渡す。

彼と同じように魔女を囲んでいた女生徒達もまた、硬直していた。

顔を真っ赤にしていた。

涙目だった。

ただ一つ違うのは、何かこう、怒っていた。かなり。


『ひぅぅぅっ! あっあっあっ、そこ、そこ! もっとぉおおおお!』

「……何がだ?」


彼女たちの視線が一斉にタブレット端末に注がれているのに思い至り(一部は目を逸らしていたが、まあ大体は見ていた)、巳継は端末をひっくり返して確認した。


「ぃぅおっ!」


変な声が出た。そこに映し出されている色彩は、ほぼ肌色一色であった。なかなかにダイナミックな姿勢の男女が裸身を晒し、激しく蠕動していた。互いが顔を上気させ、荒く息をつき、嬌声を上げ、単純だが微細な運動を繰り返していた。


平たく言えばアダルトビデオだった。


『ふぁああああああッ!』

「ふぉおおおおおおッ!?」


思わず巳継も叫ぶ。どこに向けていいものか分からず、とにかく再度ひっくり返す。


「ぴゃああああああッ!?」


腹のうちのどこから出たのか、不思議な悲鳴をファアファルが上げる。ファアファルは酷く動揺していた。ぐるぐると目を回して、前後不覚に陥っている。

慌てた巳継は素早く腰帯からインカムを取り出し、諸悪の根源に通信を繋いだ。


『何なのだ。いま忙しいのだが』


諸悪の根源はしれっと言い放った。


「タロイモてめえええええッ! 何っだよこれはッ!」

『声を荒げなくても聞こえているのだ。ふむ。その様子では、起動したようだな』

「ようだな、じゃねえだろ! どうせモニターしてんだろうが!」

『副会長殿にしては聡明ではないか』

「マジでありがと――じゃねえ!」

『で、何なのだ?』

「説明しろ。迅速にだ」

『魔族は元来にして酷くウブなのだ。こういった映像に耐性がないのは容易に想像が出来たため、感性に訴える事で動きを封じる効果が期待できた。ゆえに名称をピンク・チャフ。幸い、旧世資料館にはその類の資料も僅かだが残されていたため開発は容易だった。が、有効ではあるだろうが吾輩にはとても扱い切れん。だが、我らが副会長殿ならばきっと自在に扱えるだろうと確信したのだ』

「自分で使うのが嫌で押し付けやがったな!?」

『そもそも理解していなかったのか? 副会長殿の言動に禁断だの法外だの大きな代償だのといった単語が含まれていたから、てっきり覚悟の上かと』

「誰がこの局面でAV持ち出す覚悟決めんだよ馬鹿じゃねえのッ!?」


珍しく正論を放つ巳継。分が悪いと感じたのか、それとも単に面倒になっただけか、


『おっと忙しい忙しい。ではな』

「あ、こんにゃろ待ちやが――」


田路彦は強制的に回線を切った。


怒りに打ち震える巳継は、無言でインカムを握りつぶした。

その間にも、桃色の嬌声と可哀想な悲鳴は間断なく続いていた。

怒りの矛先を失って冷静になってみると、酷く滑稽な図である。すぐ近くで龍魔と人族が死闘を繰り広げているというのに、何だこれ。


「――ふむ」


一計して、巳継は端末を女生徒に向けてみる。


「きゃああああああああ!」「いやぁああああああ!」「何持ってきてんのアンタああああああ!」「どんな気持ちで男族代表やってんの君……」「害獣! 害獣を駆除してええええ!」「どなたか、どなたかお客様の中に紳士はいらっしゃいませんかああああ!?」


一人だけ酷く冷静なツッコミがあったが、概ね混乱している。

ぐるりと一周すると、まるでウェーブのように悲鳴が順繰りに上がっていった。

ふと、巳継は胸中に違和感を得た。

その違和感を確かなものにするべく、再びファアファルに端末を向ける。


「ひぃやああああああああああッ! ひゃ、ひゃめてええええッ!」


やはり一番反応がいい。

大粒の涙をこぼしながら顔を背けて耳を塞ぎ、ぶんぶんと首を振る。

逃げようにも腰砕けになって動けないでいる。


普段高慢な彼女が動揺する様子が、巳継の胸中に何か新しいものを目覚めさせていく。


違和感はどんどん膨らみ、やがて覚醒の時を迎えた。


「やべ。楽しくなってきた」


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