第39話 死に急ぐことを英断とは言わない


ドラコベネ・ゼゼブ・ベネ・レゼが最強と呼称される所以は、その巨大さでもなければ、爪牙の鋭さでもない。大空を滑空する翼でもなければ、生成する火焔でもない。

彼の強靭さを支えるのは、揺らぐ事のない強固な意志に他ならない。


思いもよらない人族による善戦を目の当たりにして尚、ドラコベネは動揺しない。

ただその巨躯を振り回し、塵芥と断ずる自らの言を証明するかのように、人族を薙ぎ払う。

応戦するアーセナルの攻勢にも、ドラコベネという龍は徹底して冷徹であった。


「その鉄屑が希望の担い手か?」


拳を振るいながら、龍は問う。

桐吾はスラスタを噴かせて回避行動を取りながら応じる。


「ええ。貴方に勝つための、切り札です!」

「くだらぬ」


と、ドラコベネは言下に切り捨てる。


「その程度の鉄屑に費やしたのか、十五年もの歳月を。まして短命の人族にとって、その歳月は生涯の一割以上にも相当するのだろう?」

「だったら、どうするべきだったって言うんです!?」


桐吾は声を荒らげながら、構えたアサルトライフルでドラコベネを射撃する。しかし彼は盾のように翼を畳み、難なく銃弾を無力化してしまう。


「恭順すべきだった。無為に過ごす事無く、上位種族に仕える事を至上の喜びであると生の意義を改め、徹底すべきだったのだ」

「人が、ただ龍魔のためにあるとでも……ッ」

「いい加減に自覚する事だ。我らが召喚された時点で、貴様らは食物連鎖の頂点から引きずりおろされたのだ。ならば貴様らの生存意義とは、従属の生に喜びを見出す事に他ならぬであろう」

「……正直なところ僕は、ずっとそう思って生きてきました」

「ならば継続すべきだった。それこそが生を全うするという事なのだから」

「でも、僕は変わったんだ」

「残念だが、愚かな心変わりをさえ進化と呼ぶ器量はないぞ」


生き方。

ただ龍魔の機嫌を損ねない事だけに心を砕きながら一日を過ごし、いっそ終わってしまえば楽になるかもと、いつ終わるともしれない日々を生きる。

それが、人の生き方。


「でも」


そんなものを――


「そんなものを生とは言えない……ッ!」

「それが貴様らの哲学であろうとも、だ」


桐吾が放った携行ロケット弾を、ドラコベネは敢えて手で受け止め、握り潰した。

手中で炸薬弾が破裂する。だが、彼は顔色一つ変えない。握り拳を開くと、燃え滓となった弾丸が風にさらわれ、宙に散っていった。


その掌には無数の傷痕が刻まれていた。血も流している。

だが、ドラコベネという龍にとってそれさえ些事に過ぎない事が、彼自身の覆らぬ威容によって証明されていく。


「上位種族への従属こそが塗り替えられた新たなる人の道だ。そしてここは、それを踏み外した者達の末路だ」


ドラコベネが連続して炎弾を放つ。


溜めの短い小さなそれらは、しかし代わりに速度を得る。

放物線を描いて左右から迫る一発ずつと、直線軌道を描きながら前後に並ぶ二発の計四発。小さいとはいえ直径一メートルに達するそれらは、人族には十分以上に脅威だ。


「踏み外したんじゃない、踏み出したんだッ!」


桐吾はスラスタを噴射させて背後へ跳躍する。獲物を捕えようとした炎弾は、その正確な軌道ゆえに相互に衝突して爆発する。

後列から迫ってきた最後の一つが爆炎のカーテンを逃れた事を、サーモセンサーが敏感に察知。肉薄するそれを、ミサイルポッドから放たれた二発の弾頭が迎撃、無力化した。


大丈夫だ――桐吾は手応えを得る。


ついていけている。戦えている。最強の怪異に匹敵するだけの力を発揮できている。

だがその自負を嘲笑うかのように、ごく至近距離からその声は上がった。


「死に急ぐことを英断とは言わない。少なくとも龍の間ではな」

「――っ!?」


咄嗟に防御姿勢を取る。

声の方向とは逆へスラスタを噴かせる。

が、間に合わない。


計器類の告げる彼我の距離は、故障を疑うほどに縮まっていた。


だがそれが厳然たる事実であると、桐吾は何よりもその目で捉えていた。

体長を五十センチ以下にまで縮小させたドラコベネが、その小さな手でアビス・タンクの頭部を掴んだ。


擬態。


その理解が及ぶよりも早く、ドラコベネの手が瞬時に膨れ上がる。不味い、と危機感を得た瞬間には既に、地面に叩きつけられていた。


「……つぁッ」


鋼鉄のフレームとアスファルトが衝突し、破砕する。各部装甲へのダメージ量が計算され、桐吾に返される。随所でフレームが歪み、一部の駆動系がショートしている。背部の武装は特に損傷が激しく、下手に使用すれば暴発しかねない。捨てざるを得ないだろう。


「一撃でこのダメージか……ッ」


放射状に走った亀裂の中心に埋もれて、アビス・タンクは無様に空を見上げていた。

その空には、既にドラコベネが浮遊している。姿は既に元の巨躯を取り戻して、追撃の準備にかかっていた。悪態をつく暇もない。


「くっ」


口腔から炎が放たれたのと、桐吾がスラスタの噴射で亀裂を抜け出したのは、ほぼ同時だった。渦を巻きながら肥大していく炎が、アスファルトを焼きながら桐吾を追う。

逃げ場を求めて跳躍するが、それを、空の覇者が見逃そうはずもない。


桐吾の軌道を予め読んでいたドラコベネが瞬時に肉薄する。流線的なフォルムに変形した彼はこれまでにない速度を得て、右腕部に噛み付いた。

鋼鉄さえ破砕する牙が食い込み、関節部が軋みを上げる。

慄然すべき状況下、桐吾は更にスラスタを噴射、急激な加速を得る。その行動に瞠目したのは、攻勢に立つはずのドラコベネの方だった。


加速を得た方向は、逃走ではなく応戦。桐吾はドラコベネの口腔内へと向かっていったのだ。

臆する事無く、アビス・タンクはぐいぐいとドラコベネの顎をこじ開け、口内に押し入っていく。

絶対に仕損じない――桐吾は目を見開きながら、目標を定める。

これは千載一遇のチャンスだ。


ドラコベネは動揺している。一瞬――それこそコンマ一秒にも満たない刹那、それでも確かに、桐吾の攻撃速度は、ドラコベネの判断を凌駕した。

勝機があるとすれば此処だ。油断。その間隙を縫う。


龍族は人族を侮っている。取るに足らぬ、脅威に晒せば逃げ出す程度の臆病者としか思っていない。だからこそ、人はそこに付け入る隙を見出す。


人の叡智で、龍の驕りを穿つ瞬間を――!


「確認ですけど……っ!」

「ォグ……ッ!?」

「自慢の鱗もそこは守れないでしょう!?」


頑健な鱗も翼も届かない、ずらりと牙の並ぶ最も危険にして、最も戦果に近い部位。

肩から先を完全にドラコベネの口内に埋めた状態で、桐吾は右肘に格納した改良型RPGを射出した。

まさしく避けようのないゼロ距離射撃。


刹那、爆音とともに炸薬弾が弾けた。


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