第17話 襲われてる街は

「ふむ……。本当にこの子が育てたのかい?」


ファアファルの母、スクルド・ラオベンは懐疑的な眼差しでそれを見ていた。その視線は、フォークに差したミニトマトと机上に置かれたそれを行き来している。それとは、技術提供会から持ち帰った土産に他ならない。


頭頂部から葉茎を覗かせる自走式プラントは、名を『トメ伊藤』といった。

もともと育った苗木が植えられていたため、持ち帰ってから二週間ばかりで初めての収穫となった。せっかくなので母に試食役を任命したのだ。


「んん。確かに美味いが、この子がねえ」


プラントの鎮座するテーブルを挟んで相対するファアファルは、母とは反対に自信ありげで上機嫌だった。


「ホンマどす。放っておくだけで勝手に育ててくれはるんよ。水だけはあてが上げてはるけど、それ以外は全部自動。凄いと思いますやろ?」

「ちょっと何言ってるか分からんから標準語で頼むよ」


頬杖ついたスクルドに促され、ファアファルは笑みを崩さずに続けた。


「本当よ。放っておくだけで勝手に育ててくれるの。水だけは私が上げないといけないんだけど、それ以外全部自動なの。凄いでしょ」

「すぐにキャラ捨てるのはどうかと思うねえ……」

「アンタがそうせえ言いはったんやないどすか!」


遊ばれている事にようやく思い至り、ファアファルは語気を荒らげた。バンッと叩いたテーブルの上で、トメ伊藤が気を探る様に言葉を表示する。


『ふきげん』『たべる』『かいらく』

「……快楽はニュアンス違いますやろ」

『ことば』『むずかしい』『たんれん』

「ようけ鍛えとくれやす」


困惑の表情を見せるプラントに、ファアファルは小さく苦笑する。

その様子を見て、スクルドの眼に関心が宿る。


「ほう。確かに利口な子だね」

『うれしい』『どうも』


自走式プラントが車輪を器用に駆動させて、スクルドへと向き直った。


「そうどすやろ? 意志疎通だけやなく、おつむに植えとる野菜が最適な条件で育つように、勝手に日当たりなんか調整してくれんやって。この子らが増えれば、このへんの爺様婆様の負担もずっと軽くなりはるやろ?」

「……やれやれ。お前は本当にそればっかりだねえ。アタシら老害の世話と、かつて聖域として栄えたこの断頭庭園の復興。暇人かい。他にやる事ないのかねえ」


そう言って、スクルドは椅子に背を預けた。木製の背もたれからは軋む音さえしない。それだけ母の身体が軽くなった。その枯れ枝のような腕に、かつての強健さは窺えない。


うつむくスクルドにファアファルは、それこそ苦笑するしかなかった。


「まあ老人の面倒を見るんは若者の務めやし。何とかせなアカンでしょう?」


優しく語りかけるような口調で言いながら、ファアファルは窓外へと視線を転ずる。

夜も更けて、外の様子は判然としない。


だが、四愚会代表の視線は街の様子を深く把握している。そして彼女は憂慮する。多くの若者達が捨て、多くの老人達が固執する、この街――断頭庭園の事を。


「人族の言葉で、年寄りばぁっか残った土地んこと、限界集落いうんやって」

「限界。限界ねえ……」


噛んで含めるように、スクルドは繰り返した。


「聖域なんて呼ばれた場所が、そんな窮屈な言葉に押し込められちまったとはねえ……」

「私も旦那も、他にも若いのいるさかい、まだ大丈夫やろうけど、少なくともこのまんまじゃ、もう発展はない思てはります」

「それを食い止める一手ってのが、この子って事だね」

「そういう事どす」


若者の流出により高齢化の進むこの断頭庭園は、一時期は開発の手を加え、娯楽や近代化の側面を強くしようという動きもあった。だが、二つの理由から間もなく頓挫した。


一つは、断頭庭園の植生はそれ自体が魔力を備え、伐採してもすぐに再生してしまう点にあった。素早く、それも根こそぎにしなくてはならない労力は、外界で同じ面積を開発する労力の二倍にも三倍にも相当した。


もう一つは、老人達の強い反発があった事だ。スクルドの言の通り、ここはかつて聖域と崇められた街である。そこに無粋な手を入れる事を、古くから慣れ親しんだ老人達は猛反対した。表沙汰にはなっていないが、自決の動きさえ少なくなかった。


四愚会はその訴えに困り果てたが、内心でファアファルだけは老意に視座していた。断頭庭園が娯楽に塗れ、龍族に踏み荒らされる光景は、想像だにおぞましい。


結局、開発計画は老若の意見が平行線のまま打ち切られ、結果的には若者の失望を買い、外への流出を加速させた。


以来、この断頭庭園には老骨に鞭打ち労働に勤しむ光景が絶えない。老人達は弱音も吐かずに笑顔を向けてくれるし、ファアファルも笑顔で応じるが、その痛ましさは筆舌に尽くしがたい。


魔族の発展に寄与し、自分達を育ててくれたのは彼ら老人だというのに。若者は安易な享楽に身を投じ、限界集落と化した故郷には目も向けない。

治安悪化によって出戻りした者もいるにはいるが、その数は決して多くはない。


「受け入れてくれはるかな……。トメさん」


ファアファルは暗鬱な思いに沈みながら、細くたおやかな手で、トメ伊藤を撫でた。


『しょぼん』『でも』『あたたかい』


愛玩動物のようにすり寄ってくるトメ伊藤に、ファアファルは小さく笑みをこぼす。

老人達は、とかく異族の介入に目くじらを立てる。それが強がりである事を十分に承知していながら、それでも虚勢を張る。


同様に、自走式プラントも唾棄すべきものと見なされてしまうのではないか。


「大丈夫だろうよ」

「そうやろか」

「老害代表が言うんだ。間違いないさ」


スクルドは背もたれから乗り出して、頬杖ついて言い切った。

笑みによって深く刻まれる皺に、往年の含蓄が込められている。元四愚会代表としての、一人の老人としての、そして母としての自負が、そこに感じられた。


釣られるようにして、ファアファルも笑う。親子そっくりの笑みで。


「おおきに」

『すてき』『わらう』『ほっこり』


どうやら自走式プラントのAIに、空気を読む機能はないらしい。喜悦の表現なのか、テーブルの上をぐるぐると派手に走り始めた。


「それにしても、まるで、おあつらえ向きだね」

「どういう事どすか?」

「アタシらが必要としてるもんを、的確に用意してきてるみたいだって言ってんのさ」


スクルドの言は正鵠を射ている。これまでにも、人族は同会で驚嘆すべき技術を魔族に提供してきた。そしてそのどれもが、魔族の懊悩の種を絶妙に穿つ技術だった。


「多分、その通りなんやろなあ」

「その通り? 人族はここに来た事もないだろうに。どうしてそんな芸当が――」

「涼しい顔でそういう事やる旦那がおったんよ。周防破鐘いう、天才が」

「人族の代表かい?」

「そ。いまは代替わりして妹はんが仕切ってはるけど――」


そこでファアファルは一旦言葉を切り、感慨深げにトメ伊藤を一瞥してから、続けた。


「――なかなか、おもろい子なんよ」


鈴を転がすように微笑む娘に、しかしこれにはスクルドは複雑な心境を吐露した。


「最近、アンタみたいなのが増えてきたよ」

「あてみたいな?」

「人族に友好的な連中だよ。断頭庭園に残ってる若い奴らは半数近くがそうだ。老害の中にもちらほらそんな発言が出て来とる。アタシは滅多に行かないが、外にもそういう輩は増えてきてんじゃないのかい?」


一転して、スクルドは厳しい眼差しで娘を睥睨する。嘘や誤魔化しの類など間髪入れずに論破されそうな、鋭い視線だ。


「――だったら?」


「別に、それ自体は喜ばしい事だ。新しい技術に関心を寄せ、見識を広めるのは良い事さ。でも、それだけかい? 八十年アンタを育ててきたこの目が、耳が、腕が、何より渇きかけた魔力が蠢きながら訴えてんのさ。ファアファル、アンタは人族に道具以上の感情を持っていないかい?」

「それは……別に……」

「まあそれも良いだろう。仲良き事は美徳だろう。だが、いまの世の中は絶妙な均衡の上に成り立ってんだ。龍魔が同盟し、人を隷属させるって糞みたいなバランスの上にね。だから、とかく面倒が起きやすい。いいかい? 十分配慮しときなよ。間違っても人族を擁護なんかした日にゃあ、龍の怒りを買うに決まってんだ」

「私はッ」


息巻いて立ち上がったファアファルだが、継ぐべき言葉を見つけられない。


「私は、それを……」

「アンタ――」


こちらの腹の底を探るような母の眼光に射られ、どれだけの時間が経過しただろうか。実際には数秒程度だったのだろうが、ファアファルには永遠にも感じられた。

胸が苦しく、熱い。じんわりと全身に浮いた汗さえ熱を持ち、身体は冷えず、心ばかりが凍てつくように固まっていく。


疑惑の声が、水を打ったような静寂を破る。


「アンタ、いったい何を考えてる?」

「……そ」


と、ファアファルが言葉を探し始めた刹那、唐突に人影が転がり込んできた。


「た、大変だよぉーっ!」


転がり込む、というのは比喩でも何でもない。余程急いでいたのか、彼は焦燥に躓き、扉を開けた途端に転倒しながら入室してきたのだ。


ずんぐりとした身体は転倒に適しているのか、ごろごろと勢いのまま二回転を決め、テーブルの角に額をぶつけた。震撼するテーブルの上で自走式プラントが慌てていて、少し可愛いな等と思っていると、牛に踏まれた豚のようなくぐもった奇声が上がった。テーブルの下を覗き込んでみると、闖入者がうつ伏せになって倒れている。


同様に覗き込んでいた母と目が合ってしまった。互いに怪訝な表情である。


どちらが声をかけたものかアイコンタクトで牽制し合ったが、これは母に軍配が上がった。


「あー……どないしはったんどす? ちゅうか、生きてはる?」

「……満天の星が見える」

「表現ベタ過ぎやなあ。二点。妻ボーナスで七点」

「容赦ないなぁ……」


案外大丈夫そうだ。額を押さえながらのそりと起き上がった彼は、ファアファルの夫だった。余程慌ててきたのだろう。全身泥だらけで、ところどころに枯草を纏っている。何より汗臭い。


彼は妻へ捧げる愛の詩を練るために、友人宅へ協力を仰ぎに行っていたはずだ。正直、合作な時点でどうかと思う。聞いてやらなくもないがその代り審査厳しめに行こう。


ところが、彼の手には手紙など握られていないし、詩作に出かけたにしては帰宅するのが早すぎた。まだ三十分も経過していない。


「で、どないしはったんどす?」

「そうなんだ! そうなんだよぉ……」


と、息巻く夫の様子はいつになく真剣だ。汚れた顔もよく見れば、血色を失って青白い。

流石に不穏な気配を感じたファアファルは、表情を引き締めた。


「ドラコベネ卿が、街を襲ってるんだよぉ……」

「な……」


その物騒な報告に、しかしファアファルは詰めていた息を安堵に変えた。緊張の余韻が汗となって頬を伝うが、その口元には小さく笑みさえ戻した。


「何ぁんや、そんな事どすか? 確かに怖い話やけど、今更大騒ぎするような事でも――」

「違うんだよぉ!」


と、夫が言下に否定する。気の弱い彼は、普段は決して言葉を遮ったりしない。叫んだりもしない。豹変ぶりに驚いたファアファルは、思わず身を竦ませた。


「襲われてる街は、ジリドラなんだ……」

「――ぇ?」


血の気が引くのと総毛立つのを同時に味わうのは、これが初めての事だった。

すとん、と、急に夫の視線が高くなる。否、そんなはずはない。

自分の腰が砕け、へたり込んだのだ。

目の前が真っ白になる。

思考が白く塗り潰される。

全身が震え、震えている事さえ分からなくなる。


「嘘でしょ……?」


と、否定の言葉が生まれた。


「何で……」


続いて、疑問の声。

が、落とした視線の先にあるのは床板だけで、それが答えてくれようはずもない。頭上からの返答は、夫の緊張を帯びた声だった。


「連合を組んだらしいんだよ……。ジリドラを含む、四つの街で」

「だって、あの街だけには手出ししないようにって、ずっと言ってきた……」


ジリドラには魔女がいる。ただの魔女ではない。

四愚会で唯一、断頭庭園を捨てていった魔女だ。

飛び抜けた魔力の持ち主だった。

昔から傲岸不遜に享楽を貪ってきた。

機嫌を損ねれば八つ当たりで殺傷行為に及ぶような危険人物でもあった。


そんな彼女が責任や課題からの逃避先として選んだ、生き易さと娯楽を求めた矛先。

ジリドラはそういう街だったのだ。


だから腫物には触れないようにと、ファアファルはドラコベネに嘆願してきた。


ジリドラにだけは手を出さないようにと。


幸いにして、ジリドラの領主は保守派で知られていたため、領地拡大などの野心を持たなかった。だからドラコベネも特別ジリドラを優先的に排除する理由を持たなかった。


だというのに、ここに来て、なぜ。


混乱するファアファルの疑問を代弁するように、母が訊ねる。


「連合っつったね? 詳しく話しな」

「ええ……。って言っても、僕も詳しい事情までは……。ただ、ドラコベネ卿の狙う王政復古が、もう目前だったらしいじゃないですか。だから街同士が領土を失わないための牽制策として、連合を組んだんじゃないかって」


スクルドは我慢ならないとばかりに、大きく舌打ちした。


「馬鹿だね。そんな小細工、あの暴君には逆効果だろうに」

「流石お義母さん。実際、その通りみたいで……。連合を挑発と受け取ったドラコベネ卿が、ついさっきですよ、一気呵成に大軍引き連れて、連合街に乗り込んだって……」

「怒りに我を忘れたついでに私との約束も忘れたって? 何なのそれ……?」


呆れたように額を押さえて、ファアファルは憎まれ口を叩いた。もはや彼女の顔色は夫のそれとは比較にならない程に蒼白い。

嫌な予感に背中を押されるように、ファアファルはふらふらと立ち上がった。


四愚会のはぐれ魔女。


彼女の参加によってこの情勢がどう変転するのか、わかったものではない。

混沌とした感情に突き動かされ、ファアファルは歩を進める。足先は覚束ないながらも、真っ直ぐに玄関へと向かう。


錫杖を持ったところで、背後から抑止の声がかかった。


「どこへ行こうってんだい?」

「ジリドラに決まってはるやろ……ッ!」


振り向きもせず、ファアファルは即答する。


「街に入ったん、ついさっきって言うてはったな? ほなら、まだ間に合うかもしれへん」

「どうするつもりだい?」

「ドラコベネの旦那かあの子のどっちか、あてが止めたる……ッ!」


動揺する内心を決意で無理やりに固め、乱暴に玄関を開ける。


夜空には暗雲が立ち込め、星を覆い隠していた。

強く冷たい風が、咽喉をかすめて彼方へと吹きすぎる。


断頭庭園はにわかに騒がしくなっていた。ファアファルと同じく、事情を知る者から凶報を聞いたのだろう。不安と焦燥の声が四方から耳朶を打つ。

ファアファルは空を見上げる。そこに見つけたものに戦慄し、静かに息を呑んだ。


星の導のない暗夜に、代わりを務めるかのように大きな狼煙が上がっている。


それは意志を伴って、戦場へと導いているように見えた。


夜空を割るようにして、禍々しく膨れ上がった赤い蒸気が、横柄に横たわっていた。


結論から言えば、ファアファルはジリドラへ向かうべきではなかった。




一も二もなく真っ先に向かうべきだったのだ――



第五防衛都市・アシハラへ。





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