第12話 はい何でしょうか愛してるよベリーマッチ
◆
老齢の魔女であるところのスクルド・ラオベンは、娘の装いを見て慨嘆した。
「お前ね、またそんな格好で外に出ようってのかい」
「何や遠ぉーくでしゃがれ声しとるかなあ」
声の向く先で、ファアファル・ラオベンがわざとらしく呆けている。耳に手を当てて視線を彷徨わせるが、決して母の方を向こうとしない。
着替えを終えて自室から出てきた彼女は、空色のワンピースに身を包み、黄色のリボンが鮮やかなハットを被っていた。ワンピースの裾には軽い素材でフリルがあしらわれていて、歩く度に海月のようにふわふわと中空を踊っている。
全く、責任ある立場とは思えぬ浮かれた格好だ。
「そんな空耳より、ほら、これどない? どない?」
艶っぽくポーズを変えてアピールする先では、彼女の夫が満足げに顔を綻ばせていた。
「うんん。とっても良いんじゃないかなぁ」
妻を褒める男は、小さな身を揺らして手を打ち鳴らした。
百センチ程度の身長はファアファルと比較してかなり低く、体型は丸く、ずんぐりとしている。くりっとした眼に鷲鼻を持つ顔は三角型で、その様相を人族に評価させれば、揃って達磨というに違いない。
だが、これが男性魔族の一般的な容姿である。女性に比べて魔力は極端に低く、その体型ゆえに身体能力も高くない。そのため、古くから争い事はもっぱら女性魔族――魔女の役目だった。
「人族に作らせたのかい? 可愛いと思うよぉ俺は」
「……『思う』?」
「可愛い。うん。断言。断定」
「やーんホンマにぃ? おおきになあ」
「シカトしてんじゃないよそこの花畑夫婦。一回こっち向きな馬鹿娘」
「何やの老害ババア。いま忙しいさかい、早う済ませとくれやす」
毒を向けられて、ようやくファアファルはスクルドへ向き直った。憮然とした青い瞳が映し出すのは、深く皺の刻まれた老婆の顔だ。
スクルド・ラオベンは数百年を生きる魔女であり、ファアファルの母にあたる。年齢については随分昔に数えるのをやめていたが、だいたい三百歳程度だったはずだ。平均寿命が人族の三倍と言われる魔族の中でも老齢と言えた。
かつては魔族全体を牽引する実力者と謳われたが、一線を退いて久しい。その務めを娘のファアファルに継承し、いまは隠居の身である。
とはいえ、やはり若者の短慮には口を挟みたくなってしまうのは年長者の性分か。
「お前、提供会にそれで行こうって腹かい」
「何や問題でもあります?」
「魔族の代表で行くんだろうに、仮にも」
「仮にやおまへん。名実共に、あては四愚会の代表どす」
魔族を束ねる機関を、四愚会といった。種族全体の統制と繁栄を目的とし、時には生活の根幹を覆す程の重大な決定を下す事さえある。龍族との同盟を決断したのも、四愚会によるものである。
絶対的な権力を有する同機関は、驚くべき事にたったの四名で構成されている。
たった四名の判断で種全体の方針が決まってしまう事に、しかし異を唱える者は少ない。
長命な種族であるが故の特徴として、良く言えば気長、悪く言えば愚鈍な楽天家が多いのだ。
だから管理者を、先導者を望む。しかし自分でその役割に興じたくないがために、管理に務めようとする者四人を愚かと称し、ゆえに四愚会との揶揄が定着している。
ファアファルは先代のスクルドから、その四愚会代表を継承した。それは同時に、魔族全体の代表をも意味していた。
「それならますます、魔族としての正装で臨むべきだって言ってんだよ」
「嫌どす。そんな古くて黴臭い」
「減らず口叩くんじゃないよ。仮にも四愚会代表が伝統を軽んじるなんて何事だい。ああ嘆かわしい」
「また仮にって言った! 自分から代表を私に押しつけたくせに!」
「はん! あたしゃお前を認めた事なんか一度だってありゃしないよ!」
「はあ!? これで安心して墓に入れるって泣いてたじゃない!」
「泣いてたのはお前じゃないか! お母さん死んじゃやだーってまあいつまでも泣きべそかいて」
「はあ!? 何話作ってるの!? ボケでも始まったんじゃない!?」
「そんなちゃらちゃらした服着る方がボケてんじゃないかね!」
「ちゃら……ッ!? これは流行ですう!」
「大体お前キャラ作りが甘いんじゃないのかい! さっきから口調戻ってるじゃないか!」
「そ……!」
指摘されて初めて気づいたのか、ファアファルは言葉を失う。
「そんな事言うたらあきまへんえ!」
今更取り繕ったところで、涙目の訴えに説得力はなかった。
「ま、まあまあ」
『あんたは黙ってな……ッ!』
義理息子の仲裁を、母と娘が異口同音に封殺する。
ただでさえ短い首を竦めて、夫は我関せずの態度を貫く事を決めた。
それからしばらくの間舌戦を繰り広げた両者だが、やがて疲れてきたのか、どちらからともなく終戦とした。二人とも椅子に座して、ぜえはあと息を荒らげている。
「まあ、まあ提供会に行くだけ、まだマシな方かねえ」
「他の三人は今回も行かないのかいぃ?」
場が収束したのを見て、義理息子も口を挟んできた。
「あてだけどす。誘ってはみたんやけど、二人とも科学には興味ないみたいやし。もう一人に至っては、庭園からいなくなって久しゅうなるし」
ファアファルが参加する技術提供会には、四愚会を始めとした多くの魔族が招待されている。にもかかわらず、ファアファル以外の三人は最初の一回以降、参加しなくなっていた。長命なために、技術で効率を向上させる事に関心が薄いのだ。
それでも、四愚会の中で唯一ファアファルだけは参加を続けていた。
「あんたは参加せえへんの?」
「うんん、僕はいいよぉ。難しい事を聞いてると眠くなるしねぇ」
この始末だ。ファアファルは内心で嘆息した。
「僕は人の玩具より、龍の方を何とかしてほしいかなぁ。最近物騒だよねぇ。この前も龍の喧嘩に魔族が巻き込まれる事件があったじゃないかぁ」
「賭け事でイカサマしたのしないのって言うてた奴やろ? そんなみみっちい喧嘩であてら魔族が何十人も殺されてもうて、ほんに憎らしい話やわ」
龍魔が共生するようになって十五年が経過するが、未だにトラブルは後を絶たない。寧ろ悪化の傾向にあると言っていいだろう。
原因は、王政復古を掲げるドラコベネの攻勢にある。目をつけられた都市から順々に、壊滅か恭順かを迫られてきた。昔からあったその動きが、悲願成就を間近にしたいま、勢いを増してきている。
ドラコベネは日夜猛攻を繰り返し、龍族はそれに慄き、反発している。どの街も身を焦がす緊張感に包まれ、それがストレスを生んでいた。
もともとが短気な性分の龍族だ。苛立ちを解消するために、つまらない諍いや小競り合いが急増していた。それも、しばしば魔族を巻き込んで。
粗野な龍族に対する魔族側の不満は、日々高まっていた。
「今月に入ってもう三件目だろうぅ? ファアファル、ドラコベネ卿にも良く会うんだし、いっぺんガツンと言ってやれよぅ」
「言うたはりましたわ。そしたらあの頑固龍、何て言うたと思う?」
「ごめんなさい?」
「はんっ、まさか。『龍族は闘争に特化した牙を持つ。ならば貴様らの頭と足を逃走に特化させるべきだろう』やって」
「……んん?」
「避けられないお前らが悪い言われとるんどす」
「ふむぅ、一理あるかぁ。ああところでファアファル、どうだい今夜――ぐふっ」
楽天家の夫を、ファアファルは魔法で吹き飛ばした。
「帰りは明日の夕方やさかい、愛の詩でも練っときなはれ!」
乱暴に扉を閉めて、ファアファルは出て行ってしまった。
この夫婦には別に珍しくもない光景だ。スクルドは別段驚く事もなく、頬杖ついて見る先、壁に半身をめり込ませた義理息子に辟易した。
「……お前、その誘い方はないだろうよ。今風に言えばドン引きってやつだね」
「はぁ……そんなものですかねぇ。あとお義母さん、ドン引きは特に今風ではないです」
「お前のそういう揚げ足取りを欠かさないところ、大嫌いだねえ」
「うわぁ。味方いませんねぇ」
「壁直しときなよ」
「容赦ないですねぇ。僕よりお義母さんの方が、まだ魔力残ってるんじゃないですか?」
「老骨に鞭打ってお前の尻拭いしろってかい?」
「色んな団体から訴えられそうな台詞ですねぇ」
魔族が内包する魔力量は生まれつきのもので、個人差がある。魔力は魔法を行使する際に一定量が消費されるもので、増幅したり回復したりする事はない。
また、魔力量は寿命とも密接な関係を持っており、消費し尽くせば絶命する。魔力を節約すれば寿命も延びるとされ、平均寿命三百歳でありながら、一度も魔法を使わなかった魔女が七百歳まで生きたという伝説がある。
もともと少ない魔力量の義理息子に請われたところで、老齢のスクルドには魔法を使う気はさらさらなかった。
「壁直したら口説き文句でも考えとくんだね」
「そんなに駄目でしたかねぇ?」
「……まず反省文かね。テーマは愛と欲の違いについて」
「あっはっは、そんな子供じゃあるまいし。でもお義母さんがそう言うなら書きますよぉ」
「一万字以上、一時間以内」
「……」
ぴしゃりと言い放ち、スクルドは自室に戻ろうと腰を上げた。
魔族の風習で、子宝を授かる方法は秘匿中の秘匿とされている。とはいえ、実際の方法は人族のそれと何ら変わらない。それでも門外不出の禁法とされているため、魔族は酷くウブなのである。
性交渉を持ちかけるには、男の魔族から愛を詠い、口説くのが慣例だ。その相手が四愚会代表ともなれば、立場と誇りも相まって、その難易度は幾何級数的に増す。
義理息子が大慌てで筆を執る様子が見受けられたが――まあ、今夜も駄目だろう。
「ところでお前」
「はい何でしょうか愛してるよベリーマッチ」
「一旦書くのやめて話に集中しな馬鹿息子。あと陳腐過ぎるから書き直しだ」
「ええぇ……」
頭を抱えて意気消沈する彼は、紙片を丸めてゴミ箱へと放った。入らなかった。
改めてゴミを放るために席を立つ義理息子を目で追いながら、スクルドは思う。その上質紙も筆もプラスチック製のゴミ箱も、人族の技術によるものなのだ、と。
「お前、いまの情勢をどう思うね?」
「? 何の事です?」
「イーブンな立場のはずの龍族がでかい顔して、あたしら魔族は不快に思いつつも現状を打破出来ないまま苦汁を舐める――この情勢をだよ」
問われて、義理息子は眉をしかめて腕組みする。あまり考えた事もないのだろう。しばらくして彼の口から寄せられた回答は、スクルドを呆れさせた。
「苦いよりは甘い汁を啜りたいですねぇ」
「お前に訊いたあたしが馬鹿だったよ」
「あっはっは、親子揃って馬鹿――ぐっはぁっ!」
ここは使いどころだったろう。スクルドは馬鹿を魔法で吹き飛ばした。
「床直しときなよ」
床にめり込む彼にそう言い置いて、老齢の魔女は扉を潜って自室に戻った。
苦いよりは甘い汁を。あるいはそれは真理なのかもしれない。もとの世界では、魔法と長命さえ揃っていれば安穏とした日々を過ごす事が出来ていた。
だが、各種族が複雑に牽制し合ういまの世界においては、それだけではいけない。
武力によって龍族と結びついてはいるが、この十五年でいくつもの綻びが露見している。特に最近では王下都市が激増し、カザロロフ・ヒドリョフが力をつけてきている。
武力ではなく信頼で結託する事が出来ればと思うが――それこそ、
「泡沫の夢ってやつかねえ」
壁に背を預け、スクルドは独りごちる。
時代についていけない言い訳に過去を称えるような、つまらない老害のお節介かね。そんな風にも自嘲しながら、元四愚会代表は現在を憂うのだった。
「失礼しますよぉ、お義母さん出来ましたぁ。一万字分愛してると書いて質より数の暴力に訴えてみましたがどうですかねぇ」
「書き直し」
「ええぇ……」
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