第36話 取り戻しに行こう。失くしたものの全てを

遠距離戦でどれだけのアドバンテー ジを獲得できるかが、一つの要であった。


だが、なずなの目には進捗は芳しくない。彼女をはじめとするアビス・タンク部隊は、タンク内の通信機器から戦況を把握していた。


一撃目こそ大きな戦果を挙げたが、以降は警戒を強めた龍魔に思うように攻撃が届いていない。龍魔は密集隊形を解き、大きく散開している。射程幅が広がった分着弾しやすくはなったが、一撃の有効範囲内にいる敵影が減ったために、それだけ戦果は薄くなる。


魔族も防護壁を展開しつつあり、何割かは速度を上げて隊列から抜きんでている。魔族の速度は龍のそれを凌駕するし、恰好の的と一緒にいる事を嫌ったのだろう。

前後左右に敵陣が拡散したのは僥倖だったが、一網打尽にする事も出来ない――一長一短の状況に陥っていた。


『っぁ~……じれってえええッ!』

「――ッ。ちょっと何ですか巳継先輩」


通信に割って入るだみ声に、なずなは顔をしかめた。

この馬鹿は強制的な介入が許された緊急回線を使ってきている。こうなると、一定以上のアクセス権限を持つ者でなければシャットアウト出来ない。


『そう思わねえのかよ! ここが一つの少年場だってのによお!』

「うるさいんで三秒で回線切ってくれます? さん、ゼロ。何で切ってないんですか馬鹿ですか? ああ馬鹿でしたね。あと正念場の字間違ってます」

『明らかに三秒以下だったぞ! 別に切る気なかったけどな!』


ウザい。


『敵が広がってんだからよ、もっとこう絨毯爆撃みてえに撃つべきだろ。虹子の奴馬鹿なんじゃねえか? 俺ならそうするね』

「無理ですよ誘導弾貴重なんですから。あと虹子の事馬鹿にした事、本人には言わないで下さいね? ショックで馬鹿になったらどうするんですか馬――巳継先輩」

『いま馬鹿って言おうとしたな!? テメエ後輩の癖に生意気なん――』

「アシハラ外から物資の調達なんて満足に出来ないし、作れる武器の数にはどうしたって限りがあるんです。ウロボロスはあと五十発もない――っていうか何でそれを副会長の馬…継先輩が知らないんですか」

『略したッ!?』

「あー桐吾君? 聞いてたら馬継先輩の回線強制カットよろしく」

『省略に迷いなくすの早え! おい桐吾分かってんだろうなどっちの味――……。……』


唐突に声は遮断され、代わって別の声が回線を開いた。


『いいのかなあ』

「いいのよ、ありがと」


躊躇いがちな口調に、なずなは笑みで返した。


『難しい戦況だね』


言葉の通り、彼は難しい表情をしているだろう。そんな事が容易に想像できる声だった。なずなは肩をすくめて、余裕を含めた声音で返した。


「今更何言ってるのよ。そんなの、分かり切ってた事じゃない」

『うん、まあ、そうなんだけどさ……』


煮え切らない言葉。彼の声音に緊張を感じ取ったなずなは、仕方ないなと苦笑する。

緊張をほぐす方法はないものか――思案すると、すぐに妙案が思い浮かんだ。


「ねえ桐吾君、いま笑えてる?」

『え?』

「私は笑えてるわよ。桐吾君はどう?」


軽くウインクしながら、彼女は言葉の通り笑みを浮かべる。


しばらくして、静寂の中に息の抜ける音がした。桐吾がなずなの言葉を理解した瞬間、詰めていた息を吐き出した音だった。

そうして彼は緊張の緩和した穏やかな口調で言葉を紡ぐ。


『うん。僕も笑えてるよ』


今日という日を笑顔で終わらせるために。

勝利を信じて今日を迎えたのだ。

そして今日を笑顔で終わらせるための戦いは、まだ幕を開けたばかりだ。

それなのに、何を悲観する事があろうか。


「なら、私達は勝てるわ」


それは暗示でもなければ希望とも違う。自信とも、少し違う。

それは考え、悩み、積み上げてきた長き経験に裏打ちされた、自負というべきものだ。


「さ、お喋りは終わり。そろそろ出番でしょ?」

『そうだね、そろそろ』


頷いてから、桐吾は照れ臭そうに続けた。


『あのさ』

「ん?」

『……いや、何でもない』

「何よそれ。気持ち悪いわねハッキリしなさい」

『じゃあ……』


その一言を紡ぐのに、桐吾は随分と時間を要した。

言葉を探しているのか、それとも決まっているのに躊躇しているのか。それを窺い知る事は出来ない。ただなずなは辛抱強く、彼の言葉を待った。


それは彼への気遣いというより、単純に彼女自身が聞きたかったのだと思う。

本物の戦場へ向かう彼が、本物の戦場を控えたなずなに何を告げるのか。


誰よりもこの挑戦が絶望的であると知悉し、しかし笑みをもって共に戦場へ赴こうとする高天原桐吾という戦友は、はっきりと答えた。


『取り戻しに行こう。失くしたものの全てを』

「……っ」


耳朶を打つ言葉に、思わず目を瞠る。

それはかつて、初めて桐吾と出会い、彼を救った夜、なずな自身が放った言葉。


ふと、遠いところまで来たものだと、そんな感傷的な事を思う。


決して一人では至れなかった場所だ。いくつもの思いが交差して、ぶつかって、溶けあって、初めてここに至る事が出来たのだと思う。

この地点から、更に進もうとしている。そこへ至るのもまた、自分一人では成し得ない。なればこそ、なずなは力強い笑みを浮かべた。


「勝つわよ、何もかもに」


短く告げて、なずなは名残惜しさと穏やかさの両方を感じながら、回線を切った。

間もなく桐吾は出陣する。

なずなも戦地に赴く。


計器類と戦況の確認を行いながら、なずなは表情を引き締める。

さあ集中しろ網代なずな。

全てに勝利し、全てを取り戻し、全ての者と笑い合う絶好にして唯一の機会だ。


龍魔との距離は見る間に詰められていく。

なずなは不敵な笑みを浮かべる。

状況が劣勢ならば覆せばいいだけの事だ。

己が手で、剣で、銃で、戦況を支配すればいいだけの事。


そのために、なずなは十五年間を捧げてきたのだ。身体を酷使し、心を痛めつけ、部屋に傷を刻み、網代なずなという戦士を構築してきたのだ。


だから、望むところだ。


マニピュレータに伸ばした両手に力が籠もる。アビス・タンクの心臓部が、まるでなずなの発奮と連動したかのような、静かだが重厚な駆動音を響かせる。


彼我の距離は間もなく十キロメートルを切ろうとしている。


主戦場である広域駐車場の先、第二駐車場に差し掛かった瞬間――通信回線から虹子の勇ましき声が響いた。


『第一種対空砲火兵器・天戮、全台発射ッ!』


それを合図に、天を揺るがす程の爆音と地鳴りが轟いた。


   ◆


突如として大瀑布が轟き、龍魔を呑みこんだ。瀑布と呼称される光景に良く似たそれは、しかし決定的な部分で性質を異にしていた。

滝のように天上から振り下ろされるのではなく、大地から遡上し天上を目指して伸びていった。迸るのは圧倒的な水流ではなく、炸薬弾による爆炎の波だった。


数キロメートルに及ぶ長大さで、火炎の遡上によって構成された大瀑布。

その正体は、地上に設置された対空砲火兵器、天戮の軍勢だった。


砲弾数、実に七千発。


視界を埋め尽くすほどの大爆発が、その名の示す通り、天を殺戮する。

空一帯を焼き尽す炎の前に、逃げ道などない。前後左右に散らばった、直撃を避けた龍魔でさえ、その爆風に煽られてダメージは免れない。


この瀑布こそが、遠距離戦の最後にして最強の戦力だった。

空いっぱいに黒雲が広がり、その戦果は判然としない。風が煙幕を晴らすまでに、しばらく時間を要するだろう。


だが、それを待たずに飛び出す影があった。最前線を疾駆していた魔女達だ。続々と黒雲を抜け、魔女は速度を上げる。左右に展開していた龍魔も、飛行姿勢を正して飛翔を再開した。

彼らの表情には怒りが見て取れる。

彼らにしてみれば、誤算以外の何物でもなく、屈辱以外の何物でもない。

だからこそ、彼らが転身する事はない。体制を立て直す等、出来るわけもない。いまこの場で、人へ報復する必要があるのだから。


彼らの誇りと奢りが、彼ら自身を不退転へと駆り立てる。


彼我の距離八キロメートル地点――

怒りに任せた強行軍と、桐吾はそこで、接敵した。


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