第五章 アビス・タンク

第35話 畳み掛けてやりましょう!

魔女裁判より二日後、明朝六時。

それは夜明けと共に訪れた。


登り始めた朝日を背負い、赤くたなびく霧が青空を不吉に染め上げる。霧は濃密にして広範。それは奮起する龍族の軍勢を意味していた。


索敵で捉えた敵影はおよそ三百。そのどれもが十メートルを凌駕する巨影である。殊更に巨大さを顕示するかのように翼で空を裂き、飛翔する。


その間隙を埋める小さな軍勢。千に届こうかというその人影は、魔女だ。各々が杖に腰かけ、優雅に空を滑る。


その先頭を務める、一際異彩を放つ巨影。


赤褐色の頑健な鱗に身を包み、頭頂には五本の角を戴く。他の龍をさえ圧倒するその巨躯は十五メートルにも達し、絶望の概念を可視化したかの如き威容である。


名を、ドラコベネ・ゼゼブ・ベネ・レゼ。

最強種族である龍族にして、かつて選りすぐりの精鋭から組織された宮廷闘士団を団長としてまとめ上げた実績の持ち主。いまや世界最強として名を馳せ、あらゆる者から畏敬の念を受ける暴虐の化身。


第五防衛都市アシハラまでの距離三十キロメートルに達したところで、ドラコベネが咆哮を上げた。大気が痺れ、大地が慄く。聴衆の臓腑を凍てつかせる絶叫。


緊張の面持ちで虹子は、その咆哮を管制室で聴いていた。哨戒機に積載した通信機器を中継して尚、その迫力は衰えを知らない。

その唸りが宣戦を意味する事を、虹子は理解した。偵察機器から届く映像の中で、龍族が一斉にその口角を上げ、ずらりと並んだ牙を剥き出しにする。


「始まりますね……」


管制室中央、室内を見渡せる司令席についた虹子は静かに息を呑む。


「不思議なものだな」


虹子より低い位置で、管制モニターに視線を向けたまま田路彦は言う。


「十五年越しの戦争に恐怖し高揚しているというのに、頭は酷く冷静なのだ」


そんなものなのかもしれない。

十五年間もの間、積み上げ、固めてきた覚悟だ。強固に団結したその想念は、今更、敵影を確認した程度で揺らぐものでもない。


「それだけ私達が、強くなれたってことですよね」

「そう信じている。少なくとも今日という日は」

「ですね」


田路彦の口調はいつも通り平板そのものだったが、それが頼もしさを感じさせる。虹子は微笑みながら頷きを返し、モニターに視線を戻した。

映じられた龍族は、鎌首をもたげて口腔をアシハラへ向けている。口内に橙色の光が灯っていく。必殺の攻撃が、始まろうとしていた。


虹子は笑みを消し、表情を引き締める。


「総員、配置を確認」


管制室には田路彦をはじめ、十名の生徒達が詰めていた。それぞれがコンソールを操作しながら配置についての最終確認を行い、肯定の意を虹子へ返していく。


なずなと巳継は前線部隊へ投入された。

桐吾はCラボでアーセナルタイプの起動準備を進めている。

歌誉は虹子や田路彦と同じく管制室に立っていたが、その役割は戦況把握とは別にあり、いまは固唾を呑んで虹子の背中越しに、モニターを見つめていた。


この戦争の要は、いかに短期決戦に持ち込むかにある。

人族の扱える武器には限りがある。龍魔の目を欺きながら密かに貯蔵してきたが、満足のいく数は揃っていない。投入を惜しまなければ、弾薬の類は二日で使い尽くしてしまうだろう。


加えて、戦闘に特化した巨躯を振るう龍族は、人とは比較にならないスタミナを持つ。成体であれば三日三晩は休息なしで戦闘の続行が可能である。炎弾よりも爪牙よりも、何よりそれこそが、龍族を最強たらしめている根拠だった。


正直なところ、日没までに決着しなかった場合、それは同時に人族の敗北を意味するといっても過言ではないのだ。


龍魔との距離はまだ開いている。彼らが最接近する前に、可能な限り無力化する必要があった。

虹子は各オペレーターへ告げる。


「地対空誘導弾、ウロボロス・ワンズ――全機起動!」


オペレーターの一人が命令を復唱し、コンソールを操作しながらヘッドセットに指示を飛ばす。オペレーターが確認を取る先で、砲撃部隊が準備を進めていく。

彼らの役目は二つ。龍の炎弾と魔女の魔法の迎撃。それから、出来るだけ敵の数を減らす事。彼らの戦果が、これから前線で先頭を始める者達の負担を左右する。

準備が終了した旨を聞き、虹子は叫ぶ。


「ウロボロス・ワンズ――全機発射ッ!」


告げると同時に斉射される地対空誘導弾。轟音と共に、立て続けに上がる白煙は計十本。

IRH方式を採用したホーミング機構が、龍の熱を感知する。有効射程四十キロメートル、サーモバリック爆薬が装填された弾頭が龍魔目掛けて殺到していく。


モニターの向こうで、龍族が一斉に炎弾を吐き出した。数えきれない程の炎弾が、凄絶な光源となって空を灼く。軌道上の物体を容赦なく破壊し、溶解する力の奔流は真っ直ぐにアシハラを目指し、地対空誘導弾と衝突する。


アシハラから二十キロメートル地点で、大爆発が巻き起こった。


凄まじい爆炎が、モニターを真っ白に染め上げる。

ほぼ全ての炎弾とウロボロスが誘爆する中、いくつかが爆発地帯を通過する。


自由空間蒸気雲爆発。

秒速二千メートルという速度で拡散した可燃性蒸気が、瞬時に爆発した。

龍魔にはその瞬間、一切の音が消失したように感じられただろう。音速を凌駕する高速爆轟。断続的に音を灼く衝撃波が龍魔を襲う。


三千度に達する高熱の嵐が、半径数百メートルという広範囲に渡って展開する。

遅れて音が届く。暴徒の合唱の如き闇雲さで、鼓膜を破砕する音の波が吹き荒れた。


無力化した龍魔の数は五十を超える。爆発に巻き込まれた龍魔のほぼ全てを、ウロボロス・ワンズは喰らい尽くした。それでも何体かの龍は咄嗟に翼で身体を覆い隠して被害を最小限に抑えたようだったが、翼は襤褸切れのような有様だ。飛行の続行が出来なくなり、やむなく地上へ堕ちていく。


想定外の火力に龍魔が面食らう一方で、彼らの放った炎弾もまた、そのいくつかがアシハラを捉えようとしていた。

虹子はそれらを視認するや、冷静に対処を施す。


「マタドール・デコイ、散布!」


指示に従い、十基のデコイが射出された。大きさは一メートル程度、流線型のフォルムが特徴的なそれらが、熱源を感知し炎弾へと時速六千キロで向かっていく。

炎弾を無効化するだけの効力はない。が、衝突したデコイは速度と形状を活かして僅かに炎弾の軌道を逸らしていく。

あるいは明後日の方向へ飛んでいき、あるいは下方へ向かい着弾した大地を抉り焼き、あるいはアシハラを掠めていき、室内に小さく悲鳴が上がった。


「状況報告を」

「直撃はゼロ。被害は震動による居住区画のガラスの破損程度、ごく軽微なのだ。対し、ウロボロス・ワンズは二発が敵陣を直撃。龍族三十七体、魔族五十名以上を無力化」


初撃の戦果は上々だ。管制室が俄かに騒がしくなるが、田路彦は続けて釘を差した。


「この一撃で敵も警戒を強めるのだ。魔族が防壁を展開し終える前にもう一度叩くぞ、会長殿」

「ええ、畳み掛けてやりましょう! ウロボロス・ワンズ、第二射、用意ッ!」


矢継ぎ早に指示を飛ばす虹子は、人の未来を懸けた戦に身を投じていった。


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