第47話 無限の蔵に相応しい力
声が聞こえた気がした。鈴を鳴らすような可憐さで、蕩けるような蠱惑的な声。無の底からじわりと這い登ってきたような声だ。
片脚のアビス・タンクでドラコベネと対峙してから二時間。善戦を続けていたが、限界に達しようとしていた。スラスタの燃料は残り僅かだ、武装の残弾は尽きた。
歌誉の功績によって周囲の仲間達は勝利を収めつつあるが、肝心のドラコベネに勝利しない事には、勝利条件を満たせない。
対し、ドラコベネの攻撃はその勢いを増している。人一人処分出来ない事に苛立ちを募らせ、手数が増えていた。
桐吾にはろくな反撃手段がなく、回避行動に専念せざるを得ない。Cラボの開発反応によってアーセナルの反応速度は高められている。だが、それでは勝てない。策がないわけではなかったが、それには好機を待たねばならず、それをドラコベネが許そうはずもない。
焦燥が熱となって思考を巡る中で、その声は聞こえた。
「苦戦を強いられているようですね、お兄様」
「……オルテラ?」
その妖艶な声に、桐吾は身震いする。周囲を見ても彼女の姿はない。
声だけが聞こえてくる現象は、また理解の範疇を超えた技術を用いたのかと思った――が、違う、と思い直す。
聞こえ方の違和感で、桐吾は理解した。
オルテラは目の前にいる。桐吾の視界は戦場を見ているが、実際の肉体はCラボ内に設置されたエッグ型端末に格納されている。
オルテラはまさに目の前、桐吾の肉体のすぐ側にいる。
「オルテラ、そこにいるのか……!」
「きゅふふ。だって私はいつでもお兄様のお側にいたいのだもの」
問いかけると、すぐに甘い声が返ってくる。同時にぞくりと震える。首筋に何かが伝うような感触があった。恐らく、彼女の指が這ったのだろう。
「やめ……! そんな事してる場合じゃ……ッ!」
否定の声を上げながら、ドラコベネの殴打を回避する。回避の先に尻尾が待ち構えている事を読み、スラスタで急制動、地を這うように潜り抜けた。地下から火柱がいくつもせり上がり、一つがアビス・タンクを掠めた。
「お兄様ったら私がお側についているというのに、野卑な龍との戯れに耽るだなんて、酷いのではありませんか?」
オルテラが両腕で桐吾の身体を抱きしめ、胸板に頬をこすりつける。
操縦に四肢を使う桐吾に抵抗の術はなく、ただ訴えた。
「頼む……ッ! ここで負けるわけにはいかないんだッ!」
「だってお兄様、酷いのですもの」
「だから……ッ!」
叫ぼうとした口に指があてがわれ、思わず言葉を呑みこむ。
黙したところで、オルテラは耳元に囁くような声で告げた。
「全く酷いことだわ。反応速度の上昇ですって? この私を生み出した究極のラボのもたらす恩恵がその程度だなどと――過小評価も甚だしい」
「……え?」
オルテラの発言そのものよりも、口調が一変した事に桐吾は驚く。憎々しげなその声音に呆気に取られていると、耳に鋭い痛みが走った。
「――ッ!」
齧られた? 傷口を押さえる事も出来ないまま、桐吾は混乱する。
オルテラの方はそれで満足したのか、罰は済ませたとばかりに、次の瞬間には機嫌を直していた。
「きゅふふふ。既に宿っておいでですよ。アビス・タンク――無限の蔵に相応しい力が」
「え……?」
「大した俊足だが、凡庸な幕引きだったな」
地鳴りのような低く不吉な声。
打てば鳴るように意識を向けた先、痛みで一瞬の隙を生んだ桐吾へ、ドラコベネが炎弾を放っていた。尖鋭化した三本の炎の槍がアビス・タンクを急襲する。
避けきれない――咄嗟の判断は、左腕と左脚のうちどちらを犠牲にするのが良いかという、被弾を前提としたものだった。
勝利が遠のいていく。
歯噛みしながら左腕を振り上げたアビス・タンクは――
細い声で、口早に唱えた。
意志を力として顕現する、言葉の連なりを。
「風よ抱け、大地の子へ向けられた刃先を」
詠唱に応じて風が生まれる。極小の竜巻が轟音を上げながら炎を巻き取っていく。槍は激しく抵抗しながらアビス・タンクへと肉薄したが、猛風が酸素を根こそぎ奪い、霧散させた。
役目を終えた竜巻が散逸し、アビス・タンクとドラコベネの脇を吹き過ぎていった。
呆気に取られて次手を繰りだせないのは、双方に共通していた。ドラコベネはさることながら、桐吾も理解が追い付いていない。
アビス・タンクが魔法を放った。
二の句を継げないでいる桐吾に、淡白な口調で話しかける声があった。
「桐吾?」
聴き慣れた声だ。桐吾は周囲を見渡しながら声の主を探した。だが、見当をつけた相手の姿はない。オルテラのように、エッグ型端末に入り込んでいるのでもない。
それでも、ただ不思議と、すぐ側にいるのだという直感が桐吾にはあった。
「……歌誉、なのか?」
「うん」
姿はなく、頷く気配だけが感じられた。
「どこにいるんだ……?」
「分からない、けど多分、桐吾と一緒」
理解はできないが、感覚が彼女の存在を捉えている。
心が一つに溶けあうかのような感覚の共有。隣というより同一の個体であるかのような、ゼロ距離より尚近似的な存在として桐吾は歌誉の存在を把握する。
解答を求めて、桐吾は問いを放った。
「オルテラ、これがアーセナルの機能なのか……?」
しかし、返ってくるのは沈黙ばかりだった。進言を残すだけ残して、気づけば既にオルテラの気配はなかった。
桐吾は彼女の言葉を反芻する。
無限の蔵に相応しい力だと、彼女は託宣を告げるように厳かに言った。
搭乗者に限らずその意志を操縦者として招き入れる――それがCラボによってもたらされた、アビス・タンク・アーセナルの神髄。
どういう理論に基づいて構築されているのか、開発者の桐吾自身知る由もない。だが、いまはそれでいい。敵を倒すだけの戦力を得た。背中を預けられる戦友を得た。いまは、それだけで十全だ。
桐吾と歌誉による意志の偏在が混線するような事はなかった。二つの人格は予め決められた位置に収められたパーツの如く、驚嘆すべき自然さで一つの意志を構成していた。
即ち人の悲願の達成。ドラコベネ・ゼゼブ・ベネ・レゼの討伐。
桐吾達は二対四つの眼で、上空に浮かぶ一つの敵影を見据える。
ドラコベネは狼狽していた。背後では興奮を示唆する赤い蒸気が雨雲と混ざり合い、空を不吉な色に染め上げている。
敵は遥か強大――だがいまは、それが少しだけ、小さく見えていた。
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