第51話 色々あったけど、二人とも大好きよ
全てを理解した。
人族が戦争を始めた本当の理由を。無謀な戦争のどこに終結を見出していたのかを。
そしてその目論見がいま、成就しようとしている事を。
全てを理解して――
「させるかああああああああああッ!!」
ドラコベネ・ゼゼブ・ベネ・レゼは咆哮を上げた。
◆
その光景を目にして桐吾と歌誉は、己が無力さを激しく痛嘆した。剣に変形した際にカメラがサブに切り替わった事で、視界は狭まり、画質も落ちている。だが、それが絶望的な光景である事は容易に理解できた。
虹子が駆け出し、ファアファルもそれに応えた。魔族が龍族との同盟を放棄し、人族と新たに同盟を締結するために。
それはまさに、人の悲願を体現した理想的な展開だった。
だが、詰めが甘かったとすれば自分自身。締結条件だったドラコベネの討伐は果たされたかに見えたが、龍の生命力は桐吾の想像をさえ凌駕していた。
この世全ての怨嗟を集約したかの如き咆哮が、戦場全体を震撼させた。
ドラコベネ・ゼゼブ・ベネ・レゼは、心臓を貫かれて尚、立ち上がった。瀕死の身体である事を感じさせない機敏さで、巨大な翼でその巨躯を飛翔させたのだ。
暴虐の化身は人族の思惑を砕くために、咆哮を上げながら空を滑る。目標に定めたファアファルを猛追し、その咢を開く。
変形機構を使用したいま、桐吾と歌誉に残された手段はない。
ヴォイド・コードによるアーセナルの変形は不可逆で、人型に戻る事は出来ない。ただでさえ、動力を大幅に消費するヴォイド・コードを使った後だ。仮に戻ったところで、残された動力はスラスタを一回噴かすだけで完全に停止する。
誰か――と、願わずにはいられない。
目の前にまで迫った悲願成就の瞬間を、暴力で引き裂かれてはならない。
そんな事になれば、人族が再び反旗を翻すまでに途方もない時間がかかる。ましてやそれを龍族が許そうはずもない。一度謀反を達成させようとしたのだ、警戒した龍族は支配ではなく殲滅を選択するかもしれない。
「誰か――」
この瞬間を逃せば、人族が覇権を奪還する日は二度と訪れない。
祈りを届けるように、強く目を閉じる。
深淵の向こう側に光を探す。
アシハラの民がこれまで散々そうしてきたように。
光は常にどこかにあるのだと、信じてきたように。
はじめに聞こえてきたのは、足音だった。
規則的に、力強く土を踏む音が段々と近づいてくる。
すぐ近くで足音がやみ、桐吾は目を開ける。
繰り返された嘆願に、応える声があった。
「龍殺しの剣バルムンクには、担い手のジークフリートが必要よね?」
狭まった視界に映り込んだ人影を見て、桐吾と歌誉は目を瞠った。
腰まで伸ばした黒髪には僅かに朱が混じり、雨天のもとで尚、意志の強さを反映させたような独特の艶を放つ。
切れ長の双眸は弓なりに、口元には不敵な笑みが浮かんでいた。この状況下でさえ軽口を挟む事の出来る彼女の強健さには、本当に脱帽させられる。
網代なずな――生徒会会計役員にして桐吾や歌誉の戦友が、悠然と立っていた。
「なずな……」「無事だったんだね」
「桐吾君もね。それに――歌誉もそこにいるのよね?」
ところどころが裂けて土埃で汚れたボディスーツが、彼女の戦闘の跡を物語っている。身体の線が浮き出た姿だが右肩口からはアビス・タンクの装甲に覆われ、全体的なシルエットは非常にアンバランスだ。
「見てたわよ。二人とも凄いじゃない。ドラコベネをあそこまで追い詰めるなんて」
なずなは右腕で龍殺しの剣を拾い上げる。総重量百キログラムにも達する剣だが、彼女は危なげなく手応えを確かめるように何度か素振りする。彼女の駆るアビス・タンクの右腕は彼女専用の調整――アクチュエータの独立稼働が出来るため、そのような芸当が可能となる。
「難点があるとしたら、スラスタで突っ込むだけじゃ刺突にしかならないって点かしらね。あの勢いのまま剣を振るえる担い手がいないと。だから、今度はきっちり斬り落として、決着をつけるわよ」
「なずな」「まさか――」
なずなは手に馴染ませた剣を下段に構える。
彼女の意図を察して、桐吾と歌誉は息を呑んだ。
「もう一回行くわよ、今度は私も一緒に」
遠ざかっていく巨龍を見据えて、なずなは一言一句を丁寧に紡いだ。
胸中の覚悟の固さを表す、淀みのない真っ直ぐな口調で。
「――私の命を燃やす覚悟はある?」
スラスタの燃焼温度は三千度にも達する。その熱に至近距離で晒されては、耐熱性に優れたボディスーツに身を包んでいるとはいえ、人体など容易に焼き溶かす。
燃え尽きるまでの刹那に、なずなは文字通り最期の一撃を見舞おうとしている。
人族の悲願のために、自らの命を投げ打つ覚悟を決めた。
その表情は寧ろ静穏としていて、波紋一つ立たない秩序だった水面を想起させた。
悲壮にして高潔な決意を目の当たりにして、桐吾は――
「あるわけないだろ」「馬鹿」
と、呆れながら答えたのだった。
「な、ひ、人がせっかく覚悟決めてきたっていうのに馬鹿って言ったわね!?」
「どう考え」「ても馬鹿」
思わず構えを解いたなずなが赤面しながら剣に抗議するのを、桐吾は渋面しながら見返していた。当然、桐吾の表情はなずなには見えないのだが、もし見えていたら黙って剣を殴り倒していただろうというくらいの苦さだった。
「気合で何とかなる熱量じゃない。ドラコベネに届く頃には骨一本だって残ってないよ」「馬鹿」
「ねえさっきから馬鹿って言ってるの歌誉だけな気がするんだけど気のせい?」
ぴたりと歌誉の気配がやんだのを感じ取って、桐吾は苦笑する。
慣れ親しんだこのやり取りを愛おしく思う。
「歌誉、炎からなずなを守れ。全力でだ」
魔法でならそれが可能な事を、アーセナル内で歌誉と一体化した桐吾は把握していた。
「いい、けど――なずなは桐吾の何?」
「……はい?」
「答える」
どういうわけか、アーセナルによる人格統合の影響が急に乖離したような気がした。
戸惑いながら桐吾は答える。
「大事な……」
「大事な!?」
「……戦友だ」
正直に答えた瞬間、張りつめていた気配が弛緩するのを感じた。
「友達?」
「ん、ああうん。そうだね」
「分かった。守る、友達のなずな。桐吾にとって大事な友達のなずな」
「ああもう何でもいいわよ!」
執拗に友達という関係性を強調する歌誉を一喝して、なずなは気を取り直して構えを取った。改めて細めた視線を目標に定め、口を引き結ぶ。
歌誉の詠唱によって大気が変質し、不可視の防護壁がなずなを包み込んだ。
桐吾がアーセナルのスラスタを起動させ、ノズルから轟音と共に炎が噴出する。
灼熱の橙光に彩られたなずなは、万感の想いを一言に集約し、告げる。
「さて――」
時が来た。
失くしたものの全てを取り戻す時だ。
言うべき言葉はこれまでに何度も紡いできた。
とうに覚悟を決めたのだから、今更改めるのも無粋だろう。
だから多分、こんな言葉でいいのだろうと思う。
「――ありがと。色々あったけど、二人とも大好きよ」
◆
背後からドラコベネが肉薄してくる濃密な気配を、ファアファルは肌で感じていた。内臓を竦ませる程の、びりびりとした恐怖感が全身を駆け巡る。
冷や汗が酷く、握る錫杖が手から滑り落ちそうになった。
ファアファル・ラオベンは十五年間を回想する。
四愚会の長として、龍と肩を並べる存在として、強気に振る舞ってきた。だが実際には、十年以上を虚勢に費やしたに過ぎない。
龍族との共存が魔族にとって最善なのだと自らに言い聞かせるばかりで、時には彼らの暴虐非道な行いにも目を瞑ってきた。
結局自分は強権に身を委ねるばかりで、何一つ決断してこなかった。
だが、決めたのだ。
立ち向かうと。
前進すると。
ファアファル・ラオベンは大気を裂く疾駆の中、ドラコベネを振り返る。決意した者の視線は恐怖を退け、進路を妨害する敵として認識する。
十五年を束縛され続けた敵として。
魔族の繁栄を妨げる敵として。
暴虐を振り撒く敵として。
そして何より――何よりも、何よりも何よりも!!
「よくも……ッ」
ファアファルは目尻に涙を浮かべて口を戦慄かせながらも、心の内を叫びと変えた。
「よくも私の愛した人をおおおおおッ!!」
脳裏に浮かぶ最愛の人の顔。
いつものんびりと構えた、頼りない夫だった。
いつも困ったように笑う、頼りない夫だった。
それでもその笑顔はファアファルにとって世界で一番愛おしいものだった。
もうあの笑顔を見る事は叶わない。もう二度と帰ってはこない。
自分の臆病が招いた結果だと激しい自責にかられると同時に膨れ上がっていった激情。
ドラコベネへの、理不尽への――怒りを、怨嗟を。
全ての想いを魔力と変えた魔法は巨大な光条を形成し、仇敵を穿った。
ファアファルが放ったドラコベネへの初めての攻撃は彼を撃墜し――
◆
清涼な風が雲を流し、雨がやみ、晴れ間が差した。
きっと今夜はよく晴れて、満天の星が眺望出来る事だろう。
ドームに映写された仮初の星ではない。
自由を象徴するような無窮の星空を、抑圧のない悠久の大地から見上げるのだ。
皆で叶えるのだ。
積年の夢を。
皆で帰るのだ。
あの場所へ。
皆で創るのだ。
この先を。
希望を語るのに悲壮な覚悟なんていらない。
自由に夢を語り目標を定められる、そんな未来を。
この素晴らしい世界で無限の可能性を一つ一つ実現していくために。
「はああああああああああああああああああああッ!!」
網代なずなは巨龍へと迫る。
裂帛の気合を込めてアーセナルを振るう。
研鑽され続けた人の意志が形成する鮮やかな一閃は――
遂に覇者へと至った。
◆
墜ちていく。自在に飛んでいた空が遠くなっていく。伸ばす手は空を切るばかりで、空はただ黙する。ドラコベネはそれを、裏切りのように感じた。
だが裏切りというならば、それは自分の方だろう。いまも鷹揚にして広漠とした空は、羽ばたきに応えてドラコベネを浮上させるに違いない。
だというのに、傷ついた翼はぴくりとも動かない。だから落ちていく。当然の帰結だ。身体が重いという感覚を、ドラコベネは初めて得ていた。
落下が当然と言うならば、この負傷も、魔族の謀反も、人の善戦さえもまた、当然だったのだろうか。
煮え滾る血液と共に、全身から意志が流出していくようだった。
重力に抱かれながら、茫漠とした思考を彷徨う。
何を間違えたのか。何が足りなかったのか。
あるいは、彼らは何を正したのか。何を補ったのか。
そしてそれは、十五年間を覆してしまう程に決定的な差であったのだろうか。
あらゆる想念が拡散していき、最奥に残された意志の核が露わになる。
我が王――カザロロフ・ヒドリョフ。
どうか許してほしい、ベネ。
泣きそうな顔で頭を下げる王の姿が見えた気がした。
その謝罪を咎める口も最早動かない。己が無力を叱咤する、その意志すらない。
忠義のために奔走し続けた誇り高き武人・ドラコベネ・ゼゼブ・ベネ・レゼ。
今わの際に聞いた王の言葉は、しかし彼の求めたものではなかった。
僕達は、変化に抗うのではなく、受容すべきだったんだろう。
彼らの意志が、何よりそれを証明している。
だから、僕の過ちに付き合わせて――すまなかった。
ドラコベネ・ゼゼブ・ベネ・レゼの最後の意志は、そうして潰えた。
◆
電源が切れる直前のアーセナルが、戦場の声をエッグ型端末に収まる桐吾へと届けた。
虹子とファアファルによる終結の声。
魔族と龍族とが同盟を破棄し、新たに男女族との同盟を締結した。
悲願が叶った事を自覚した瞬間にぷっつりと緊張の糸が弾け、桐吾は自重に任せるがまま倒れ込んだ。密着しているマニピュレータに支えられて床面に伏せる事はなかったが、意識は途絶え、穏やかな呼吸を繰り返している。
締結の立会人として、世界の掌握者たるオルテラが同盟の場に居合わせていた。
昏睡する直前に聞こえてきた彼女の満足そうな笑みが、やけに耳に残った。
――きゅふふふふ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます