第21話 魔女裁判。被告人は君だ――

『第一種対空砲火兵器・天戮、全台発射ッ!』


裂帛の声と共に、けたたましい発射音が巻き起こる。耳をつんざく咆哮に身を竦ませながら歌誉が見たのは、地上から伸びる幾本もの光条である。


歌誉の眼に、先に光が届く。瞑目してなお瞼の内側まで届く強烈な閃光。続いて爆発音が衝撃波を伴って耳朶を打つ。壊滅的な暴力が空を焦がしていく。


その破壊力を仰ぎ見て、歌誉は唖然とした。


それは、龍族の炎弾や魔族の魔法にも引けを取らない程の威力だった。人族が背負う脆弱の烙印を、彼方にまで消し飛ばす程に強靭だった。


これが人族の力なのだと、俄かには信じられない。


爆発の余韻が耳から失せぬうちに、虹子が矢継ぎ早に指示を飛ばす。


『天戮、第二射発射用意! 撃てーッ!』


呼応して、再び光条が大地と天を結ぶ。爆発。凄絶な衝撃が荒々しく空を抱擁する。


魔女は泡を食ったように狼狽し、空を疾駆する。回避と防護で決定打を逃れているが、焦燥に駆られるままの動きには、先刻までの余裕は少しも見受けられない。


「いったい何ですのッ!? 男族と女族? そんなの認められるわけありませんわ!」

「あら嫌だ、趣深いとは思いませんか? 私が許可させていただいたのですけれど」

「あなた、オルテラ……ッ!」


いつの間にか、魔女と並走するようにオルテラが空に浮遊していた。


神出鬼没な彼女に目を剥く魔女に対し、オルテラは涼しい顔で空を踊る。


魔女が衣服を焦がしながら防戦に苦心している一方で、不思議とオルテラが被弾する事はない。黒を基調とした制服には皺一つなく、そよ風に洗われるようにふわりと揺れる。柔和な表情はまるで、花火を間近に見る雅を楽しんでいるようにさえ見えた。


「本気ですの……ッ! 人族に交戦権を与える等とッ!」

「ええ、そうですとも。よろしいではありませんか。だって何と言っても、人はそれだけの業を背負ったのですから」

「わけの分からない事をおッ!」

「彼らは人としての種を捨てて、男族と女族という新種へと離別を果たしたのです。つまり、存続という生物としての目的そのものを手放したのですよ」

「そ……ッ」


面食らって言葉に詰まる魔女が、瞠目して声を荒げる。


「そんな滅茶苦茶な事があってよろしいんですの!?」

「あらあらお美しいお顔が台無しになっておりますよ。般若みたい。まあ恐い」

「ふざけ……ッ」

「図らずも藪蛇をつついた貴女へ耳寄りな情報を一つ差し上げましょう」

「今更何をッ!」

「いま戦えている方々。全員もれなく処女と童貞でいらっしゃいます」

「なにゃ……ッ!」


噛んだ。


性的な話題は魔族にとって禁忌である。一瞬で顔を真っ赤にした魔女は動きを鈍らせ、天戮から放たれた弾頭の直撃を食らった。

どん、と空気の防壁が壊れる音がする。

その隙に、オルテラは姿を消していた。現れた時と同様忽然と、一切の痕跡も残さない。

そしてその間隙を狙う者がもう一人いた。

なずなだ。


「スリーピング・ライオン――歴史の勉強、足りないんじゃない?」


スラスタを活用して爆心地へ肉薄、斬撃を振るう。ぶれる事のない見事な軌跡を描いたその切っ先が、初めて魔女へと届く。しかし剣を振り切る前に魔女は大きく後退し、追撃しようとするなずなを魔法で牽制した。


手近な屋上へと着地するなずなが見上げる先、魔女は憎々しげに鼻筋を歪めている。浅く掠めた程度ではあったが、肩口から血を流していた。


「じ、冗談じゃないですわ、こんな展開……ッ! 四愚会に名を連ねるこの私が、奴隷如きに傷をつけられるだなんて……ッ!」


治癒魔法を唱えようとする魔女は、しかし即座に防御へと切り替える。幾度目かの天戮の弾頭が防壁にぶつかり、爆発四散する。


「不利だというの……!? この私が!?」


魔女一人に対して、こちらは総力を挙げて兵器を惜しみなく投入している。個人対組織という数の暴力が圧倒的有利を生み出しているが、それにしてもその戦力は歌誉の想像を遥かに超えていた。


『アビス・タンク、全機起動準備ッ!』


虹子の指示に更なる戦力の増加を予感したか、魔女はたまらずその身を翻した。

凄まじい速度で目指すのは、外へと繋がる天蓋の大穴だ。

その意図に気づいた虹子の声が、焦燥を帯びる。


『絶対逃がさないで! アビス・タンクも何もかも、外に漏らすわけにはいかねーです! なずなさんッ!』

「分かってるッ!」


屋上を飛び出したなずなが、魔女を追随する。スラスタを立て続けに二回、三回と噴出させ、更なる速度を得て上昇していく。


猛追するなずなの方が遥かに速い。みるみるうちに彼我の距離を詰めていく。


だが、下界より見上げる歌誉は、そこに疑問を覚えた。


なぜ、なずなの方が速いのだろうか。

確かにアビス・タンクの爆発的な加速は驚嘆に値する。だが、歌誉が怯え続けてきた魔女の健脚は、あんなものではなかったはずだ。

もっと加虐的で、自分の愚鈍さを呪うのも馬鹿馬鹿しくなる俊足であったはずなのだ。

なずなが攻撃圏内に魔女を捉えようとする刹那、その疑問は氷解する。


ふと、魔女が転身する。錫杖をなずなへと向ける。


その相貌は醜悪な笑みに彩られ、何事かを小さく呟いていた。それは――


「なずな、だめ……ッ」


――詠唱だった。

飛行速度に付与する魔力を最低限にして、別の魔法を唱えていた。

詠唱はいつから続けられていたのか。転身直後からだったとしたら、明らかに供給過多な魔力量が込められている。

マッチを擦られた錫杖の先に、小さな炎が灯る。


「この私が、ただで逃げ帰るわけにはいきませんわ……ッ!」

「――ッ!」


咄嗟に、なずなは腕を交差して防御態勢を取る。


「焦がせ、尽くせ。灼熱の舌に抱かれて熔けろ!」


詠唱を終えると同時、小さな火種から幾本もの炎が触手のように伸び、アビス・タンクを急襲した。


「――ッきゃああああああッ!」


絶叫さえ呑みつくさんと、それぞれの触手は意志を持った龍頭のようになずなを喰らう。叩き、巻きつき、打ち、縛り、炎に囲まれてその姿さえ見えなくなる。

空気を焼く轟音は快哉を叫ぶようで、獲物を捕えた狂喜を感じさせた。


『なずなさんッ!』


虹子の悲痛な声も、空しく夜に霧散する。


ただ見上げる事しか出来ない生徒達は息を呑み、悲鳴を上げ、目を逸らす。

炎が収束する頃、魔女は姿を消していた。


だがその消失に、関心を示す者はいない。


皆が言葉を失って見る空――ようやく雲の隙間から顔を出した月が、アビス・タンクを静かに照らし出す。

一瞬のうちに蹂躙された筐体は真っ黒に焦げ、煙を上げている。要所の装甲は熔け、形を失っている。無残な姿だった。ほんの数秒前まで健在であったというのに、その姿は数百年の時を経て朽ちた老樹を思わせた。


最早声すらない。糸が切れたように力を失ったアビス・タンクは、落下を始めた。


『いけない……ッ! 目を覚ましてなずなさんッ!』


高度は二百メートルを下らない。墜落はそのまま死を意味する。

歌誉は見ている事しか出来ない。


完全に昏倒しているのか、そもそも息があるのか――なずなは微動だにしない。誰も何も出来ない。何せ慌てる事さえ満足にできない、ほんの数秒なのだ。


「……だめ」


弱々しいその姿を見てさえ、脳裏に浮かぶなずなはあくまで力強かった。

シミュレーターで自在に立ち回り、龍魔を殲滅していた。歌誉を含めて、共に戦う生徒達を何度も叱っていた。強かった。厳しかった。怖かった。


アシハラ学園の案内をしてくれた。

旧世資料館で、歌を教えてくれた。

生徒会では率先してまとめ役を買って出ていた。

面倒見が良かった。

優しかった。

楽しかった。

そして何より、実直だった。


落下の勢いが増す。対処など間に合うはずもない絶望的な速さを得ていく。

墜落すればひしゃげる。

折れる。

崩れる。

壊れる。


失われる。


「だめ……ッ」


なずなの事が怖い。

それは歌誉の偽らざる本心だ。放っておいてほしいし、叱らないでほしい。出来れば常に優しく温厚であってほしい。甘えさせてほしい。


でもそれではいけないのだという事も、段々と分かってきていた。それは彼女が常に態度で示してきた。脅威に立ち向かい、敗北を噛み締め、弱点を克服し、最後には勝つ事で。


そのなずなが失われようとしている。


なずなの事が怖い。

でも――なずながいなくなるのは、もっと怖い。


歌誉は声を絞り出す。


否定を叫ぶ。

心のままに。

想いのままに。

偽らざる本心を。

現状を否定する声を。

惨劇を打破して覆す声を。


「だめぇええええーッ!」


刹那、空気が張りつめる。歌誉の言葉に応じて、その願いをなずなへと届ける。

大気が密度を増し、柔らかくアビス・タンクを抱擁する。


落下の勢いが失われる。ふわふわと漂い、綿帽子のようにゆっくりと、危なげなく地面へ触れる。母が子にするように優しく、大地へ横たえられた。


水を打ったような静寂が、あたりを支配した。


突然の事態に、皆が絶句する。悲鳴を上げていた者も、ぽかんと口を開けている。

何が起こったのか、いや起こらなかったのかを理解出来ない。

ただ導かれるようにして、なずなから視線を転じた。

空を割るような絶叫を上げた、七夜月歌誉へと。


解答を求めるような視線が集中する中、歌誉もまた、その事態を呑みこめないでいた。


立て続けに二転三転した状況に、思考がついていかず、真っ白になっていた。


ただ一人、屋上から声を放つその人を除いては。


『裁判を始める』


歌誉は皆の視線から逃げるようにして、その声の主を見上げた。

生徒会長・周防虹子は、彼女らしからぬ怜悧な視線を歌誉へ向けていた。


その容姿は徹頭徹尾彼女に違いないというのに、醸す雰囲気は別人のそれだった。まるで、虹子の肉体に別の魂が宿ったかのように。


人が変わったように沈着冷静な声音は、聴衆に畏怖と信頼を植え付けるかのような響きを伴い、その夜をこう締め括った。


『魔女裁判。被告人は君だ――七夜月、歌誉』



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