第6話 十五年間、我々はそうしてきたのだから
案内された教室で簡単に自己紹介を済ませると、授業が始まった。
授業そのものが、桐吾にとっては初体験だった。
等間隔に並べられた机に同じ数だけの少年少女が座し、視線の向く先は全て同じ――教師の教説に、一様に傾注している。
一限目、二限目と授業が進むうちに、透明の靄のような、漠然とした違和感が芽生え始め、胸中を渦巻いてきた。周囲の生徒達は、皆授業に積極的だ。誰もが活力を持ち、ペンを走らせ、学習意欲を見せる。休憩時間には笑顔で交流を図り、それぞれが望みや意志の片鱗を見せた。当たり前の事のように。
アシハラが人を主体とした都市であると理解し始めたからこその息苦しさ。眩暈のような感覚。
分かっているのだろうか、と桐吾は胸中で何度も呟いた。
その生活がどれだけ貴重であり希少であり――分不相応なものなのかを、分かっているのだろうかと。
歴史、兵法、プログラミングと授業をこなし、その専門性に驚きながら四限目を待つ休憩時間、桐吾は声を掛けられた。
「桐吾殿、
平板な口調は、やはり抑揚に欠けた表情から放たれた。無愛想、というか興味の薄そうな眼差しを向けるのは、田中田路彦という少年だった。
「はい、何でしょう?」
「次の授業は男女別々なのだが」
「そういえば、外に向かってるのは女性だけですね」
「女子は外で特殊戦闘訓練――通称、特練を受けるのだ」
「特練……?」
「うむ。本来であれば男子は機械工学追補を受けるのだが、今日だけ特別に、二人には特殊戦闘訓練の見学をしてもらうのだ」
「特殊って、どう特殊なんですか?」
「二人とも昨夜見たのだろう? アビス・タンク――あれを装着して訓練を行うのだよ」
案内されたのは管制室だった。縦横に5つずつ並んだモニターが壁面を覆い尽くし、アシハラ内部の各所の様子を映し出している。
「暗くて申し訳ないのだ。電灯が切れていてな」
「あ、いえ」
「適当にかけていてくれ。準備するのだ」
言いながら、田路彦は持ち込んだラップトップを机上に広げた。続いて慣れた様子でキーボードを叩き、モニターとリンクさせていく。
「何か、手馴れてますね」
「吾輩は技術顧問として、特殊戦闘訓練の指揮を任されているのだ。同様の動作を行うのはこれで千七百二十回目だ」
「はあ……」
「しかし、少々目に余るな」
作業の合間に、田路彦はこちらに一瞥をくれる。
「え?」
「七夜月殿は桐吾殿に接近し過ぎだろう」
「あー……」
そうなのだ。彼の指摘の通り、歌誉は隙さえあれば桐吾の腕に腕を回して抱きついていた。どうやら一連の逃走劇を経て懐かれてしまったらしい。
臆面もなく行われるその行為は、クラスの皆に誤解と話題の種を振りまいた。いやもう何が誤解かも分からないが。ただ桐吾の見立てでは、歌誉の行動は愛情表現というよりも、雛鳥のインプリンティングに近似するのではないかと考えていた。
「もしかして、嫉妬?」
歌誉がどこか勝ち誇っているように見えたのは気のせいという事にしておこう。
「吾輩は同性愛者ではないのだ」
「……どーせー?」
歌誉が首を傾げるのを見て、田路彦は嘆息した。
「安心して良いという事だ」
「?」
しばしその言葉を吟味していた歌誉だったが、やがて、
「勝った」と言って握り拳を作った。
「やれやれ」
管制室の隅は随分と散らかっていた。桐吾は書類に埋もれたパイプ椅子を引き上げて、モニターの前に並べて座した。
雑然とした部屋だ。乱雑と言う方が、より正確だろうか。モニターを確認するためだけに最適化され、他の装飾や整理への関心の一切をかなぐり捨てたような部屋だった。
「これ、何?」
人の往来を映したモニターを指差して、歌誉が問いを向ける。
「小人?」
その感想を、桐吾は驚きもなく受け入れた。技術者として雇われでもしない限り、支配構造に組み込まれた人間には目にする機会もないだろう。
「これは別の場所を撮影していて、それを映し出している機械なんだ」
「よく、分からない」
どうしたものかと思っていると、机上に地図を見つけた。閃いて、地図の一点を差す。
「ほら、ここが僕らのいる場所だろ? ここから見えるのは、室内の様子だけだ」
「うん」
「でも、このモニターがあると、例えば右上――」
Aと書かれたモニターに指を向け、歌誉の視線を誘導する。そうしてから地図に視線を落とし、同じようにAと書かれた地点を差す。
「あの様子は、本来この場所からじゃないと見えないんだ。それを、別の場所にいても見えるようにしてくれるのが、あの機械なんだよ」
「奇々怪々……」
「理解してくれたようで何よりだよ」
「そんな事も知らないのだな」
作業を続ける田路彦が、冷めた声を挟む。
「史上最古の映画『ラ・シオタ駅への列車の到着』を見た観客は迫ってくる汽車を本物と見間違えて逃げ出したという逸話があるが、まさにそれだな」
ラ・シオタ駅への列車の到着は、十九世紀末に公開された短編映画である。それに例えられた歌誉と田路彦との知識差は、それこそ二百年分を数えるのだろう。
田路彦は、特にアシハラの中でも技術や知識に造詣が深いようだった。
「田路彦さん――」
「呼び捨てで構わない」
「田路彦の、技術顧問っていうのは何なんです?」
一瞬、田路彦の作業が止まる。笑みのような辟易のような、そんな表情で、彼は答えた。
「何なのだろうな。前期生徒会長から任命されて以来、何となく周囲から色々と押し付けられるようになったのだ。この特練の管理や一連の技術開発、バイオスフィアの維持まで何でもござれの総合雑務だな。人使いの荒い話なのだ。――さて、準備完了なのだ」
終了宣言と同時に、田路彦はパソコンのキーを叩く。同時に、モニター画面が切り替わった。監視画面から一転して、何かのメニュー画面を表示したようだ。
様々な数値が並ぶそれを、桐吾は読み取っていく。各モニターは同じインターフェースを表示しているが、名前と数値がそれぞれで異なる。どうやらコンディションや成績を数値化したものらしいと、桐吾は見当をつけた。
その中に、網城なずなの名前を見つけた。
「会計殿か」
「会計殿?」
「網城なずなの事を、吾輩はそう呼ぶのだ。彼女は非常に成績優秀だ。だからある意味では、見ていてもつまらんかもな」
「その、これから何が始まるんです?」
「演習だ。まあ見ていればわかる」
回答を先送りにして、田路彦はパソコンに接続したヘッドセットを装着する。インカムの位置を調整して、二十五のモニターに声を投げた。
「生徒諸賢、聞こえているだろうか?」
問いに対して、二十五のモニターに「YES」の文字が並んだ。
「結構。それでは特殊戦闘訓練を始める」
田路彦が操作を重ねると、また画面が切り替わる。今度は俯瞰の視点で、広々とした高原に対峙する二つの人影が映し出された。
否、人影ではない。一つは龍族。全長四メートル強の成体の龍だ。威嚇するように翼を広げ、強健な顎から牙を覗かせている。
対向して立つのは、鋼鉄の外殻に覆われた機体。ずんぐりとした印象だが、鈍重さを感じさせない逆三角形型のシルエット。腰には刀身を収めた長大な鞘を携える。
昨夜の襲撃から桐吾と歌誉を救った巨体――アビス・タンクが、そこにはあった。
「これ、CGですか?」
精細だが、一見して現実ではないと看破出来る程度の形質だった。
田路彦は目配せのみでそれを肯定し、モニターの向こうへ指示を続行する。
「今回のミッションを説明するのだ。状況は一対一。勝利条件は敵勢力の撃破。フィールドは障害物の少ない高原。敵戦力は龍族一体。諸賢らにとっては時間をかければ難しい相手ではないだろう。但し充電率は七パーセントに設定してある」
そこが今回の肝なのだ、と田路彦は話す。
「動き方によるが、早ければ五分で充電が切れるので注意するのだ。以上、質問はあるか?」
全てのモニターから一斉に「NO」の文字が表示される。
「よし。それではカウントダウンを始めるのだ」
十のカウントが表示され、段々と数字が小さくなっていく。緊張が増し、空気が張りつめていく。二十五のモニターからもそれが伝わってくるようだった。
訓練とはいえ、仮想とはいえ――彼女らは異属に剣を突き立てようとしている。絶対的な強者に、覇者に、支配者に。それでも彼女らは、剣を抜く。
数字がゼロになった瞬間、二十五通りの戦闘が展開した。
「速い……ッ」
皆、先手を取らんと果敢に攻めて行く。爆発的な推進力は彼我の距離を一気に詰める。肉迫と同時に抜刀したアビス・タンクが、そのまま袈裟懸けに斬りかかっていった。
対し、龍族は後退を挟みつつ、その巨腕を振るう。リーチの差が龍族の有利を生み出す。剣での攻撃は届かない。一方、龍の腕は確実にアビス・タンクを巻き込む。
しかし、その巨腕は空を切った。アビス・タンクが背部のスラスタを噴かせ、更に加速の動きを見せたのだ。刹那の間に懐に入り込んだ兵装は、そのまま龍の首を狙う。
焦燥した――ように見えた――龍は首を回して回避行動を取るが、完璧ではない。
回避より僅かに早く剣先を届かせたアビス・タンクの一閃が、龍の首を裂いた。しかし、決定打には至らない。
浅い。
瞬時の攻防から両者は距離を取り、息をつく。
「凄い……」
倍以上の身長差があるにもかかわらず、彼女らの攻勢に躊躇は感じられない。
戦慄さえ覚える桐吾と歌誉に、無事に起動を終えた田路彦が声をかけてきた。
「これが特殊戦闘訓練なのだ。二十五名の受講者には、展開するCGを相手に実戦形式での訓練をさせている。我々は俯瞰の視点で観察しているが、彼女らには実際にアビス・タンクに乗り込んでもらい、コクピットからの視点で操作し、戦ってもらっているのだ」
桐吾の見る限り、なずなの動きは他の生徒よりも頭一つ抜きんでていた。素早い剣技には無駄がなく、龍の攻撃を翻弄しながら、確実に斬撃を重ねて行く。
「アビス・タンクって……何なんです?」
「対異種族用第一種戦闘兵装アビス・タンク。全身装着型の動力機械で、『攻撃的甲冑』というコンセプトで吾輩が企画設計し、三年前から配備されている」
田路彦は朗々と、アビス・タンクの性能を諳んじていく。
「最大連続稼働時間は十時間。耐熱性・耐衝撃性に優れ、二十分の一にまで緩和する事が可能。各部装甲に採用されたモーターにより、装着者は重量をほとんど感じる事なく動作が可能。背部及び両脚部のバーニヤスラスタを利用する事で、一時的に爆発的な推力を得る事が出来、最高時速は二三〇キロメートル」
それは、龍族の平均速度を軽く超越している。
「ちなみに、電力が切れると自立姿勢制御が出来なくなる。そのため、充電残量が二パーセントを切ると自動的に前部ハッチ及び後部ハッチが開閉、それぞれ脚部を覆う様な形で下方スライド、変形し、安定姿勢を取るのだ」
「あ、成程……」
昨夜なずなを襲った悲劇の理由に、桐吾は赤面しながら思い至る。
「動きを正確にトレースするため、装着者は普段、専用のボディスーツを着用するのだ。まあ中には、時短のために半裸で装着する馬鹿もいたようなのだが?」
「あはは……」
「アビス・タンク――無限の蔵。失くした全てを取り戻し、収めるための蔵なのだ」
「失くした、全て……」
その言葉を口の中で転がしながら、人族の子は思う。十五年前に奪われた全てを。最早奪還など一縷の夢に過ぎぬと、誰もが諦めた全てを――。
三分も経過すると、それぞれの戦闘に差が生じてきた。
無念にも既に敗戦を喫した者も数名いた。上手く立ち回れない者では、龍族のスタミナに追いつけないようだ。消費電力を考慮しないままにスラスタを過剰使用し、動けなくなった者が大半だ。時間経過に比例して、彼女らの注意力は散漫になっていった。
だがその中で、網城なずなは疲労の色を見せる事なく、それどころか初撃よりも勢いを増し、一撃毎にその鋭さを洗練させていく。
「なずな、凄い……」
歌誉の眼にも、なずなの壮挙は際立っているようだった。
同じ性能の機体を駆っているとは思えない。一挙手一投足が凄まじく速い。龍の抵抗など児戯に等しい。事実、一度として有効打になっていなかった。
そしてその速度から繰り出される鋭利な斬撃は、頑健な鱗を容易く貫き、肉を穿つ。
だが、その動きは実戦と呼ぶには流麗に過ぎた。剣戟というよりは剣舞。予め決められたステップを踏んでいるがごとく、その剣の軌跡は美しい。
優秀であるが故に、なずなは龍の行動パターンを周知している。繰り出される全ての技への対処を、頭で理解してしまっている。
「これ……やっぱり」
「どうしたのだ?」
問いを向けられた桐吾は、しかしすぐには答えず、モニターを凝視する。
人によってプログラムされた龍が拳での猛攻を重ねる。空高く飛翔する。咽喉の奥から炎弾を放つ。
桐吾は断ずる――総じて、およそ龍族らしくない動きだ、と。
見かねた桐吾は、回答の代わりに問いを被せた。
「このプログラム、いじれますか?」
◆
横薙ぎの一閃が龍族の腹部を斬り裂く。しかし手応えは軽い。龍族の耐久力に辟易しつつも、なずなは後退する敵に追いすがり、突きを放つ。
充電率は五パーセントを切った。行動不能になる前に決着をつける必要がある。でないと昨晩のような痴態を晒す事に――
「――って思い出すな私ッ!」
一瞬散逸した思考に頭を振り、集中する。だがその間隙を縫って、敵は上空に退避してしまった。
目線で追いつつ舌打ちする。蓄積ダメージは体力の半分以上を削っているはずだから、プログラム上、龍は一分以上を滞空して小休止を取る。こちらはその一分が惜しい。
目測では、スラスタを利用しない限り届かない距離だ。充電率を考えれば、使用はあと一度が限度だろう。次撃で勝負を決する。
イメージする。跳躍からの一撃で敵を地に落とす。墜落した龍は方向感覚を復帰させるまでに隙が出来るから、そこにトドメを叩きこむ。
「さて、時間もないから終わらせま――って、ん?」
仰ぎの視界に映る敵を、なずなは怪訝に思う。滞空しているにもかかわらず、その翼は微動だにしていなかった。飛行の動きではない。ただぼんやりと宙に静止しているのだ。
「何あれ? フリーズしてるのかしら?」
機体内部の計器類に目を向ける。すると、経過時間を示す時計が止まっていた。
「やっぱり……」
戦闘に強張っていた肩をすくめる。短い嘆息を挟み、適当な方向へ文句を放つ。
「ちょっと田路彦? シミュレーション凍って――……って」
殺気。
心臓が強張る。
全身が総毛立つ。
「………ッ!」
背中を走破する強烈な悪寒に従って、なずなは本能に近い判断でスラスタを全開にする。全速でその場を撤退する。直後、大地が爆発した。
「きゃあああッ!?」
轟音と共に、土砂が波状に巻き起こる。
ろくな姿勢制御もなしでの後退に、更に爆風が襲う。二転三転と地を転がる。天地左右の感覚を失くしながら、しかしなずなは目をつむる事なく計器の確認を怠らなかった。敵は南の方角、彼我の距離約二十メートル。
転回移動を続けながら腰部のホルスターから拳銃を抜き、発砲する。方向に大体の見当をつけただけの、当てる事を度外視した威嚇射撃だ。
距離を取って素早く立ち上がる。周囲を警戒しながら機体の状況を確認。右腕部軽損、動作には問題なし。衝撃で剣を紛失。
充電残量三,五パーセント――動けてあと二分弱。
「何なのよ、あいつ……ッ」
強く睨みつける先に、敵はいた。悠然と大地に立つ巨龍は、外見こそ変化はない。しかし先程までの相手とは格が違う事を、なずなは全身に感じる。
「急降下から地面に突っ込んだ――いままでそんな攻撃、なかったじゃない……ッ!」
まるで弩弓の矢の如く、龍はその巨体をもって天空から大地を貫いた。
「プログラムが止まった瞬間、何かあったんだわ。――まさか」
――桐吾君?
脳裏に閃くその名前と、眼前の強敵を照合する。
有り得るわね、となずなは口内で呟く。
訓練で覚えた事のなかった、痺れるような緊張感。それは昨夜の応戦にこそ酷似していた。
龍族が動きを見せた。両足と翼を併用した低速飛行。その速度は先刻までのそれを遥かに凌駕する。四メートルの巨体にとって、二十メートル等一足飛びに縮められる。
肉迫する牙。なずなは射撃で応じながら横跳びに回避運動を取る。やはり拳銃程度では歯が立たない。剣を回収する必要がある――そう考えた矢先、衝撃が襲った。
「うっ……くあぁッ!」
龍の首とすれ違いざまの出来事だった。結論から言えば、回避は充分ではなかったのだ。時間差で尾での攻撃が強襲していた。牙と尾の二段攻撃。まんまと引っ掛かった。
地面を転がりながら衝撃を殺し、何とか姿勢を戻す。
左腕部破損、出力は二十パーセントに低下。
利き腕でなかった事に安堵する暇もない。視線の先、敵は旋回の動きを見せている。再びの突進。数秒で接敵する。
瞬時の判断。なずなは龍に背を向け、全速力で走り始めた。
スラスタの補助のない走行速度は遅々として、見る見るうちに距離を縮められていく。だがそこにこそ、なずなは勝機を見出す。敵が想像以上の能力を有するならば、だからこそ取れる戦術もある。音を裂いて飛ぶ巨体に慄きながらも、走駆する。
獲物を喰らわんと大口を開け、巨龍が咆哮を上げる。
「Gggrrawwwwwwwwwwッ!」
負けじとなずなも裂帛の叫びを返す。
「ああああああああああああッ!」
一際強く地を蹴る。前傾姿勢で地を這うように、勝利のための右腕を伸ばす。広げた五指が掴むのは一振りの剣。前転を挟み方向転換。構える。正対するは必殺の牙。肉迫。瞬きの間に追いつかれる。
アビス・タンク内から充電を要請する警報。この装甲はもう間もなく木偶と化す。
『充電を――』
「うるっさいッ!」
恐怖に呑まれる心を鼓舞して鋭く叫ぶ。
「ヴォイドッ!」
音声認識によって警報が止む。アビス・タンクに搭載されたリミッターが解除される。それは非常用にのみ使用を許可された機能。充電残量がゼロになるまで駆動を続けるための、最後の手段。これで勝利できなければ、装着者は重さ百七十キログラムの兵装に押し潰される――つまりそういう機能だ。
なずなはスラスタを噴かせ、攻撃を緊急回避。同時に、剣を龍の首に突き立てた。スラスタによる推進力と龍の飛行速度により、その剣突は凄まじい相対速度を得た。
「負っけるかあああああああああッ!」
剣は首に深々と突き刺さり、遂に貫通した。なずなは勝利を確信する。だが相対速度による衝撃は、アビス・タンク全体をも吹き飛ばしていた。
◆
「損傷率七十パーセント。右腕部全損。シミュレーションでなければ右腕を複雑骨折の上に右半身の肋骨も折っていたのだ。全く、考えられない無茶をするな会計殿は」
終わってみれば、今回の訓練で勝利を収めたのはなずなのみだった。その結果にほぞを噛みつつも、反面、充足感を得ていたのも事実である。
「これが龍族本来の戦い方だという事か、桐吾殿」
「その、すみませんでした。勝手な事を……」
「良いのだ。むしろ感謝しなければなるまい」
「いやそんな……でも、見せつけられましたね」
「何がだ?」
「龍には勝てないんですよ、結局、僕らは……」
苦笑を交えて、桐吾は言う。神経に障る笑みだ。弓なりにしたその目には悔しさよりも諦めの色が濃い。
「女子生徒しか、アビス・タンクには乗らないんですね」
「ふむ――その通りなのだ」
「魔女の魔眼対策、ですよね」
「それも正解なのだ」
「本気で、戦うつもりですか?」
「うむ」
即答する。即答できるくらいには、繰り返し、願望を決意へと換えてきた。
「勝てると思ってるんですか、本気で……」
田路彦は一つ息をつき、平淡に言葉を吐いた。
「明日から桐吾殿は機械工学追補、七夜月殿にはこの訓練を受けてもらうのだ」
「怖い……」
静かに恐怖を訴える歌誉に、田路彦は目を向ける。
モニターの光に照らされる歌誉の表情には、恐怖の色は窺えない。しかし瞳孔は揺れ、スカートを握る手は震えている。何より言葉で伝えている。怖い、と。
「はじめは皆そう言ったものだ。しかし次第に慣れていったのだ」
「でも、怖い……」
慣れ――その単語が気休めにもならない事くらい、田路彦は承知していた。
早々に諦めて歌誉から視線を外し、機器を片づけ始める。
「……それでもやるのだ。十五年間、我々はそうしてきたのだから」
「アビス・タンクは凄いです。けど……それでも――」
「凄い、か」
田路彦は一瞬、作業の手を止める。走馬灯のように脳内を駆け廻る、アビス・タンクの設計図。三年間のほとんどを費やし、今なお調整が必要な戦闘兵装。
冗長に過ぎる設計図は――核心へ近付くほど、苦悩で黒く塗り潰されていた。
「あれこそ欠陥品、いや――それ以下なのだ」
「え……?」
「動くわけがないのだ、あんなもの……」
アビス・タンク――得体の知れない
忌名として込められたもう一つの意味。
技術者として、田路彦はその名を今でも許せずにいる。
重い空気を払拭できないままに片づけを終える。チャイムが鳴る。昼休みだ。
「さて、次だな」
「今度は、どこに?」
「アシハラで生活する人々の様子と、アビス・タンクの存在を知ってもらった――順序的にも、そろそろ核心に触れるべき頃合いなのだ」
田路彦はラップトップを脇に抱え、管制室の出口へと指を向ける。
「行ってこい。屋上で会長殿が待っているのだ」
田路彦に指示された通りに廊下を進み、四階までの階段を一段ずつ登っていく。
陽光届かぬ閑静な踊り場は、冷たく、湿り気を帯びた空気が漂う。
ところどころに錆の浮いた鉄扉。上半分には擦りガラスが嵌め込まれ、向こう側の光をモザイク状に変えて僅かに暗がりを照らす。照らされるのは、立ち入りを禁じる黄色い規制線。その先に行く許可を、桐吾と歌誉は田路彦から得ていた。
桐吾はドアノブに手をかける。悲鳴のような軋みを上げて、鉄扉が開いていく。
扉の隙間から指す陽光が大きくなっていく。
爽快な風が踊り場に流れ込む。
眼の眩むような光を背後に、屋上に待つその人は桐吾と歌誉を迎えた。
「はじめまして! 桐吾さん、歌誉さん!」
小さな背丈に不釣り合いな、リボンの色が異なる大きめの制服。快活さを想起させる髪留めで額を出した髪型。そして両手に収まらない、大きく黒光りする一眼レフカメラ。
「
何より、裏表を感じさせない、弾けるような笑顔だった。
「とーりあーえずー……、お昼にしましょう! 作ってきたんです、お弁当♪」
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