第24話 我ら人の子の喜びは
生徒会室前の廊下で、巳継はどっかと胡坐をかいていた。
その表情は厳しく、いつもの軽薄さは窺えない。そして一振りの薙刀を、肩を支点にして雄々しく立てている。
じろりと三白眼で威圧する先、事情説明を求める生徒達が殺到していた。
「おい馬鹿! いい加減会長に会わせろよ!」「そうだそうだ!」「納得のいく説明をしろ!」「全部勝手に決めて、有り得ないでしょ!」「魔族が紛れ込んでたって本当なの!?」「これからどうなるんだ!」「どう責任取ってくれんだって、そう聞いてんだよ!」
口々に不満を訴える声に、しかし巳継は睥睨するばかりだ。
取り巻く者達は強硬な姿勢を取りながらも、迂闊に手を出せずにいる。
巳継の腕っぷしは周知の事実だ。アシハラ学園で、喧嘩で彼に勝る者はいない。
だから皆、狭い廊下にひしめき合いながらも、薙刀の攻撃圏内には足を踏み入れないでいる。
「何とか言えよ!」「そうだそうだ!」「黙ってる時間が長いだけ生徒会の信用は地に落ちるぞ!」「魔族の処分はまだなのか!?」「いつも偉そうな顔してるくせに、こんな時にこそ公式なコメントが急がれるんじゃないですか!?」
昨日忠告された通りの展開に、巳継は辟易していた。
男女族への別離に理解を示しているのは、全体の半数程度といったところか。そうでない連中は怒りを露わにし、中でも過激な者達はこうして不平を訴えに来ている。
ただでさえ混乱の火種を生み出したところへ、歌誉に嫌疑がかけられた事が拍車をかけてしまった。これについてはほぼ全員が魔族であろうとの見解を持っており、それは巳継も、恐らくは虹子も同様である。
背にする扉の向こうでは、虹子が思考を巡らせている。これから生徒会が取っていくべき態度、そしてアシハラが向かうべき未来を模索している。
昨夜、周防破鐘の意識が虹子の身体を一時的に乗っ取っていた。
そうする事で普段は届かない破鐘の声を、周囲にも伝える事が出来る。だが、それは非常に非効率な機能である事でも知られていた。乗っ取る事が出来るのは最大で五分間。しかもそれから一週間、虹子との思念通話も含め、破鐘は一切の意思表示が出来なくなる。
だから虹子はいま、本当の意味で一人なのだ。
いま巳継に出来るのは、門番として外野を牽制し、アシハラ学園生徒会長に時間を与える事だけだ。
喚き散らす人垣へ、何度か発してきた言葉を繰り返す。
「裁判まで待て」
底冷えするような声音に場が一瞬凍りつき、また堰を切ったように騒ぎ出す。
「またそれかよ!」「そうだそうだ!」「他に言う事あるでしょうが!」「アタシ達は被害者なのよ!?」「ハゲ継! ハーゲ!」「難しい事は言ってない! 安心させてくれって、ただそれだけじゃないか!」「責任を果たせ、そのためのお前らだろ!」
「おい待てコラ! いまただの悪口なかったか!?」
犬歯を剥き出しにする巳継が身を乗り出そうとすると、人垣が一斉に数歩を後退する。
それが何度も繰り返されている。もうかれこれ一時間近くこの調子だ。
彼らの緊張と苛立ちはピークに達していた。
そして負の感情は、遂にある凶器を顕現させる。
パン――と乾いた音と共に、ガラスの割れる音が一帯に響いた。
皆が驚いて一斉に振り向く。
何が起きたのか、胡坐を崩さない巳継からは見えなかったが、モーセの海割りのように人波が引き、一人の生徒が顔を出した事で判明した。
生徒は対魔族用に支給されていた武骨な拳銃を構え、巳継の眉間に向けた。
巳継は静かに視線を返す。
「説明をするか、会長を出せ。さもなきゃ――本当に撃つぞ……ッ」
更なる動揺が広がる。極限の緊張で忘我しつつあるのだろう、生徒の目は小刻みに揺れている。正常な判断力を失っているのは明白だ。
それは周囲の者達も同じで、止めるべきか否かを咄嗟に判断しかねている。
射撃訓練ならまず当たらない程に銃口はぶれているが、彼我の距離三メートル。外す事の方が難しい距離だ。
だが、一触即発のこの状況において、巳継が臆する事はなかった。
「裁判まで待て」
「この――ッ!」
生徒が引き金に力を込める。
刻限が迫っていた。
◆
虚ろに目を伏せる歌誉が衰弱している事は、誰の目にも明らかだった。一夜にしてやつれた頬に残る、涸れ果てた涙の跡が痛ましい。
どこを見るともなく、心を失くした人形を思わせる程に微動だにしない。
歌誉は牢に監禁されていた。冷たい鉄格子に白く細い四肢はあまりにも不釣り合い。
両手足には拘束具が嵌められ、口にも枷が施されている。発声を禁じた、徹底した魔法対策だ。
初め、アシハラ側にそこまで厳重な処置を施すつもりはなかったが、歌誉が激しく抵抗したため、やむを得ず拘束に踏み切った。
桐吾を呼びながら泣き叫んでいた。枷を施されてからも、くぐもって声にならない声で、桐吾を呼び、助けを請い、魔女である事を否定し続けた。
ようやく疲弊して大人しくなった頃には、夜が明けていた。
歌誉の監視役には、彼女と直接の関わりのない教師が選任された。二名による交代制を敷いて見張りを続け、いまは教師歴三十年の壮年が務めていた。
酸いも甘いも噛み分けた彼だが、精神は相当に参っていた。
魔女の疑いが強いとはいえ、年端もいかない非力な少女の涙の訴えを一晩中聞かされ、強く胸を締め付けられていた。同情しないよう努めるのに必死で、なるべく彼女の方を見ないようにと、極力背を向け続けた。
努力の甲斐あって、もうじき監視の任は解かれる。
小さな丸窓から差す日は、中天に差し掛かっている。時計を確認すると、十一時を過ぎていた。もう間もなく、歌誉の裁判が開廷する。
断罪する側に立つ身でありながら、彼は歌誉の体力が限界にきている事を憂える。かつて仲間だった生徒達の厳しい非難にさらされて、果たして心が持つだろうか。
ちらりと歌誉を見やる。拘束具に身体を絡め取られて横たわり、生気のない目で、口枷の隙間からだらしなく涎を垂らしていた。
昨夜まで生徒の一人だったとは信じ難い、あられもない姿だ。
「……抵抗しないと約束出来るのなら、枷を解こう」
馬鹿な事を口走っていると十分に理解しながら、教師は牢を開け、その中に身を投じた。
歌誉は頷きさえしなかった。それが抵抗の意思表示であるとは、どうしても思えない。単に、肯定する体力さえもすっかり削ぎ落とされたのだろう。
「いきなり噛み付いたりは、しないでおくれよ……?」
警戒しつつ、歌誉の口枷を解いてやる。予想が裏切られる事はなかった。彼女はされるがままで抵抗もしないし、魔法を放とうともしなかった。
酷く憔悴した顔は正視に耐えず、せめて涎を拭きとろうと手を伸ばす。
と、教師は歌誉の口が僅かに動いている事に気づく。魔法か、と戦慄するも、どうやら違うようだ。まじないのように口内で囁く声は、音階を伴っていた。
歌だ。
静謐として、穏やかでありながら力強さも感じさせるそれは、教師にとって酷く懐かしい曲だった。自虐戦争前、まだ彼が新米教師として教鞭を振るっていた頃、受け持ったクラスが合唱コンクールで披露した、混声合唱曲だ。
心に込み上げてくる暖かさを懐かしみながら、彼は記憶を手繰る。
「驚きだな。そんな古い歌を君が知っているとは……曲名は、確か――ほら、ええと」
底に沈んでいた記憶は、なかなか掘り起こせなかった。
喉まで出かかっているのに、もう一押しが欲しいところだった。
「土の歌、第七楽章……」
「ああ、それだそれだっ」
ぽんと手を打って、快哉に笑みを浮かべる。
見下ろすと、歌誉と目が合った。少しだけ、生気を取り戻していた。
かつて元気いっぱいに笑っていた生徒達と衰弱した歌誉の姿とが共通の歌によって結ばれる事で、感情が溢れ、哀愁が胸に満ちていった。
教師は歌誉の身を起こし、丁寧に顔を拭いてやる。
「私もね、ずっと昔にその歌を覚えた事があるんだ。一緒に歌っても、いいだろうか」
「……ん」
今度は、歌誉は浅く頷いた。
記憶を手繰りながら、歌誉に導かれながら、たどたどしく歌を口ずさむ。歌うなど何年ぶりの事だろう。殺伐とした世情に押し流され、長い事触れてこなかった。
心が安らいでいくのを確かに感じながら、壮年の教師の胸中は、複雑な感情に引き裂かれようとしていた。
僅か一時間後、彼女は敵意の中に身を投じ――断罪される。
罪の意識が芽生えているのは、むしろこちらだというのに。
「我ら人の子の喜びは――」
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