第32話 だからもう一度――教えて、抗い方を

「戦うよ」


短く、宣言する。


「――え?」


目を瞬かせるなずなへ、桐吾はその覚悟を示す。


「僕も龍魔と戦う。覇権奪還構想の達成に、協力する」

「……いいの?」


桐吾は自ら、改めて戦うという選択肢を選ぶ。

その覚悟は、他人の要請に頷くのとは強さが、重さが違う。


「なずなと歌誉と、皆を見てて、遅くなったけど――やっと覚悟決めたよ。異族を殺すんじゃない、共存の道を探る戦いなら僕は、君と一緒に戦えると思う」

「ただ勝つより余程難しいわよ、それ? ちゃんと、分かってる?」


試すような、挑戦的な視線で、なずなは桐吾を射抜く。

桐吾は思う。この十七年という歳月を想起する。

支配。暴虐。悲哀。諦観。恭順。理不尽。


筆舌に尽くしがたい辛酸と苦汁を舐めてきた。抵抗するよりも屈する事の方が、遥かに容易だった。夢や希望や未来程、空疎に乾き散る言葉もない。


だが、桐吾は宿す。一度は潰えた光を。それが泡沫であろうとも、光である限り宿す。

それは辛く苦しい、しかし悪くはないもので。


「上等だよ」


桐吾は笑みを浮かべる。不器用な笑みだ。まだ震えが残っている。だが、いまはそれでいい。その笑みと言葉を忘れず胸に抱いていければ、それで。


「だからなずなも、もっと頼っていいんだ」

「え?」


なずなが戸惑いの声を上げる。


「もう、一人で抱えないでほしい。辛い時は愚痴っていい。分からない時は一緒に考えよう。もっと頼って、寄りかかってほしい」


驚いて目を丸くする彼女には、やはりその考えはないようだった。

桐吾は訴える。


「一人で抱え込まずに協力した方が、きっといい結果が得られる。何より僕らはついさっき、それを証明したばかりだし」


もう彼女は救われていい。救われるべきなのだ。

自傷の固定観念でがんじがらめになった、その呪縛から。


「刻みたいなら僕に刻め。敗北の悔しさも勝利への執念もどんと来いだ。答えられる事なら教える。分からない事なら支え合う。やり過ぎな時には僕も愚痴を返す。それでまた喧嘩して吐き出して、仲直りしていこう」


桐吾は手を差し伸べる。その瞳に映るのは、傷だらけになりながら荊の道を独力でひた走ってきた、頑張り屋で意地っ張りな女の子だ。


膝を抱えていた腕はいつの間にか放れ、なずなも立ち上がっている。

意志の強さを感じさせる大きな瞳が揺れる。静かに潤んでいく。夕陽の光が乱反射して、瞳の中にいくつもの光が生まれる。そして頬へと伝い落ちる、一筋の涙。

それは網代なずなが人前で見せる、初めての涙だった。


「呆れたりしない……?」


声を震わせて、彼女は問う。


「うん」

「笑ったりしない……?」

「しないよ」

「迷惑じゃない……?」

「ないって」

「嫌ったり――」

「しないよ。怒ったりも無視したりも、迷惑がったり面倒くさがったりもしない」

「本当に……?」

「うん」


桐吾の迷いのない言葉に背中を押されるようにして、なずなはおずおずと手を伸ばす。

差しのべられた仲間の手を、初めて握ろうとする。


「信じて、いいのね……?」

「だって僕は――」


ガラララガシャンッ!


乱暴に開け放たれた扉の向こうで、息を切らして闖入した生徒が一名。

歌誉だ。


「ここに、いた!」

「ととところでなずな身体の調子は大丈夫なのかいっ?」

「ええそれはもうバッチリ! 怪我にとどまらず肩凝りまで解消されてもうスッキリ爽快よ桐吾君!」

「そそそいつぁ良かった! おっと歌誉! 歌誉じゃないかどうしたんだい!?」

「まま全く奇遇ねこんなところでどうしたのかしら良ければ相談に乗るわよ!?」

「……」


全国作り笑い選手権があれば優勝候補筆頭であろう二人の笑顔を、歌誉は憮然とした表情で見つめる。咄嗟に涙は拭った。夕陽も弱くなってきた。大丈夫だ。


腹のうちを探るような視線に、桐吾となずなの笑みがどんどん引きつっていく。汗もどんどん浮いていく。なぜだろう、やましい事は何もない――はずなのに。


「間一髪、だった」

「な、何が?」

「わからない。けど、そんな気がする」


名推理と言えばそうなのかもしれない。

桐吾となずなは、先程までのやり取りを確かめるように視線を交錯させた。戸惑いと気まずさに固くなっていた表情が、ふっと憑き物が落ちたように緩められる。


「怪しい」


何やらアイコンタクトを交わす二人を、歌誉は面白くなさそうに見ている。

その瞳の色は緑のままだった。どうやら魔眼の使用を契機とするそれは、スイッチのように切り替えられるものではなく、不可逆な変化のようだ。


「それより、おかしい! この展開!」


歌誉は随分と腹を立てているようだった。ずんずんと大股で桐吾に詰め寄って、人差し指を鼻先に突き付ける。


「な、何がだよ、歌誉……」

「桐吾、言ってくれた、守るって! なのにどうして、なずなと!」


フラットな表情なだけに余計に怖い。内包する怒気がいかほどか判然としないが、歌誉がここまで語気を荒げるのも珍しい。


端的に言えばキレていらっしゃるのだろう。


「大変、だった!」


良く見れば、歌誉の制服はかなり着崩れている。ジャケットは肩からずり落ちて、スカートの裾からシャツがはみ出し、ニーソックスは片方が足首までずり落ちている。

大告白大会でもみくちゃにされたのだろう。

正視に耐えず、桐吾は素直に謝った。


「あ、うん、ごめん……」

「目、逸らさない」

「あ、はい」

「どうして、いなくなったの」

「ああ、虹子を手伝おうって話しててさ。裁判は無事終わったから放っといても大丈夫だろうって、それで抜け出して――」

「でも、いる、なずなと!」

「うんもう言い訳出来ないって悟ったからいっそ殺してください」

「桐吾」

「はい」


至近距離でじっと見つめてくる歌誉の瞳を、桐吾はたじろぎながら見返す。

つい先程まで、その行為自体には何の脅威もなかったのだから、油断してしまうのは致し方ない事だったろう。

唐突に桐吾は忘我したように表情を失い、淀みない動作でその場に土下座した。


「ごめんなさいすみませんごめんなさいすみませんごめんなさいすみません……」


ぶつぶつと床に向かって謝罪を延々と繰り返す桐吾。

腰に両手を当てて仁王立ちする、どこか満足げな歌誉。

魔眼を使用したのは明白で、なずなは嘆息しながらこめかみに指を立てた。


「あのねえ歌誉。魔眼あんまり使うんじゃないわよ?」

「ん。でも、いまは使い時だった」


早くも魔女としての貫録を備え始めている。

機械仕掛けの人形のように謝罪を繰り返す桐吾を見下ろして、なずなはゾッとした。


「結構えげつないなー、これ」

「反省、させる」


それと、と歌誉は居住まいを正してから続けた。


「なずなに言いたかった、お礼。助けてくれて、ありがとう」


なずなは少し驚いてから、微笑みを浮かべた。

自分も実直な人間だろうが、歌誉も負けず劣らずといったところだろう。


「私の方こそ、ありがと」


二人の少女の顔が、哀愁を帯びた、しかし情操的な夕暮れに染まっていた。

夜襲と裁判を経て、なずなと歌誉とは互いに命の恩人となった。表層的な性格はまるで正反対だが、根底にある部分は、案外共通するところが多いのかもしれない。


「それから、もう一つ……」


それこそが肝要だというように、歌誉は慎重に息を吸い込んだ。

勇気を奮い立たせて、首を傾げるなずなへ、告げる。


「戦う、私も。だからもう一度――教えて、抗い方を」


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