第3話 分かってるなら目ぇ閉じなさいよおおッ!
◆
悲鳴を上げる間もなかった。桐吾は己が失態を激痛として受け止め、その場から背後へ大きく跳躍した。痛みに顔面を押さえ悶絶する。
だが、悠長な事はしていられない。鉤角が追撃を加えてくるのが、手指の間から見えた。
「うかつだなァッ! オイッ!」
その拳は単調だが、威力は十全だ。体重差が数倍もあり、且つ凄まじい速度で放たれる一撃を、桐吾は紙一重で回避した。否、回避というのもおこがましい。たたらを踏んで尻餅をついた事で、結果として攻撃が当たらなかったに過ぎない。
視界が悪い。額からの出血が酷い。
桐吾は血を拭って鉤角を見上げる。月を背景に雄々しいその立ち姿は、抵抗の気力を削ぐに充分な迫力があった。必殺の牙が、怪しく鈍く光る。
「人族ってのァ面白えなァ。同族での仲間意識が馬鹿みてェに強えェ」
「それで繁栄してきたのが人族だって、ドンが言ってましたよ……」
「その繁栄の結果がこれかよォ! 俺らにも魔族にも、エルフにも吸血鬼にも、その他諸々にも等しく敗戦し支配されているこの現状があッ!」
龍が拳を振り上げる。怖い。死ぬのは怖い。思わず救いを、奇跡を願う。しかし、そんなものは訪れない。あるとしたら十五年も昔に起きていたはずなのだから。
だが――
「だから取り戻すのよ。失くしたものの全てを」
「――あァ?」
応じる声があった。第三者のものだ。凛とした静かな、しかし良く通る声。
次の刹那――轟音が桐吾の耳朶を叩くと同時、眼前の鉤角は姿を消していた。突如として繰り出された横手からの猛襲に、為す術も無く吹き飛ばされたのだ。
「な、何だ……ッ!?」
現れた圧倒的質量を前に、桐吾は驚愕する。
其れは鉄の音を軋ませながら、悠然と進み出る。その身の丈は二メートル強あり、その存在感は龍族にも劣らない。
人と同じ四肢を持つが、その外殻は無数の鋼鉄で構成されていた。各部からは、鼓動を思わせる力強い機械の駆動音が発されている。
外見はかなりずんぐりとした印象を受ける。特に肩部と胸部の装甲が厚いせいで、逆三角形のようなシルエットを持つ。外殻だけでも相当な重量があるはずだが、しかし所作は機敏である。先刻も、疾風を思わせる一撃を見せた。
その鋼鉄機械は桐吾を背後に庇うように立ち、剣に似た大振りの武器を構えた。
「せ、生体機械族……?」
「違うわよ失礼ねッ。貴方と同じ人族よ」
頭部にあたる部分が一瞬だけ振り向き、桐吾の呟きを一蹴した。
「……あと三分か」
状況について行けず、疑念も尽きない。彼女――声音で判断するに、彼女でいいのだろう――の呟きの意図も掴めなかったが、それを尋ねる機会は失われた。
前方、植え込みに放り込まれていた鉤角がむくりと起き上がる。その顔には憤怒が浮かんでいた。そして鉤角の全身を覆うようにして、赤い蒸気が膨れ上がっていく。
「な、何よあれ?」
「……知らないんですか? 龍族特有の反応です。彼らは興奮状態に陥ると、全身の汗腺から赤い蒸気を噴出す――」
「ヘえ。毒ではないのね?」
「あ、はい……。けどああなると、もう手が付けられません……」
「そう。いいじゃないの、分かりやすくってッ!」
理解を得るや否や、彼女は鉤角へ向かって駆け出した。爆発的な推進力だ。踏み抜いたコンクリートには亀裂が走っていた。手中の武器を下段に構え、鉤角へと肉薄する。
「テメエェ、ふざけた格好しやがってぶち殺すぞコラァッ!」
「うるっさい! こっちには時間がないのよッ!」
鋼鉄機械が、掬い上げるような一閃を放つ。鉤角は両腕を交差して防御とする。
「――――ッ!」
一帯に響くのは、まるで鉄同士が衝突したような快音だ。鉤角は勢いに押されて後退するが、耐え凌いだ。両者が、顔をつき合わせて視線を交わす。
拮抗するかに見えた競り合いは、しかし長くは続かない。彼女の方から一歩を退き、片足のスラスタを噴かせながら、もう一方を軸足として急回転、横薙ぎの一撃へと替えた。
その攻撃の瞬間、彼女の武具が変容した。
刀身に青白い光が宿る。余剰した力が漏れだし、刀身は雷光を纏う。鉤角は先と同じように鋼鉄の鱗で受け止めたが、その瞬間――雷光が爆ぜた。
「………ッ! ぐ……がァッ!」
雷音が轟く。稲光が鉤角の全身を駆け巡る。鋼鉄機械が素早く武具を正眼に構えた。
「はああああッ!」
繰り出された刺突が、正確に鉤角の喉元を穿つ。無骨な図体からは想像もつかない、理想的な一刀だった。雷光の奔流が再び迸り、鉤角を包み込む。
断続的な爆発音が収束する頃、鉤角は仰向けに倒れ伏した。
だらしなく舌を出して白目をむいている。痙攣を続ける彼は、完全に昏倒していた。
「勝った、の……?」
当の本人が、呆然とその事実を呟く。
数秒の間をおいて鋼鉄機械は桐吾へと向き直った。武具を腰鞘に納刀しながら、金属音を軋ませ、一歩ずつ歩み寄る。
「貴方が何者かは分からない。外部の人間が入ってきた事さえ、初めてだしね」
「君、は……」
「
彼女――なずなは、ゆっくりと桐吾へと手を差し出す。
「それでも、とにかく助けられて良か――」
しかし彼女の言葉は、突然の警告音によって遮られた。
音はなずなの装甲内部から聞こえているようだった。だが実際には、そんな事を考える時間もなかった。突然、眼前の装甲が前後に開いたのだ。
圧縮された空気の抜ける音と共に、装甲は下方へ折り畳まれ、内部が露出していく。
そこに少女が現れた。
腰まで伸ばした黒髪には僅かに朱が混じり、意志の強さを反映させたような独特の艶を放つ。切れ長の双眸に大きな瞳が目を惹く。
見惚れる程の美少女だが、桐吾を閉口させた理由はそればかりではない。
そんな美少女が――あられもない下着姿で登場していたのだ。血色の良く健康そうな肌は抜群のスタイルで、それを申し訳程度に純白の小さな布が包んでいた。
『……』
桐吾となずな、互いの思考が停止する。沈黙したまま、視線を交わす。
鋼鉄機械の『充電してください』というメッセージが夜陰に響く。それが三回繰り返されて、ようやく彼らは我に返った。
「み、みみ、みみみ――」
「あわわわわあのそのえーとっ――見るな?」
「分かってるなら目ぇ閉じなさいよおおッ!」
次の刹那、鉤角の一撃を喰らった額に更なる衝撃が走った。
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