第15話 器用な人間関係を渉外といい、不器用なそれを友情という
翌日、桐吾は学校を休んだ。
とはいえ、それ自体は別段珍しい事ではなかった。研究開発に専念出来るよう、彼や田路彦などの一部生徒には出席義務が免除されている。
出席率は、いまでは半分程度といったところだ。
例に漏れず、今日もCラボに缶詰めになっている。
日暮れ時まで時間を割いているというのに、しかし進捗は芳しくなかった。
机上に視線は落とされてはいるが、その実ぼんやりとして、瞳は微動だにしていない。
昨夜のなずなとの衝突が、頭から離れないでいた。
気まずい思いがしこりとなって胸中に残っている。
欠席の理由も、開発への専念など口実に過ぎず、実のところ彼女とどう接していいかが分からなかったのだ。
歌誉は出席したと聞いたが、結局なずなとは、一日中目を合わさなかったという。
長年、従属するだけの対人関係しか結んでこられなかった桐吾にとって、友人との喧嘩は初めての経験だった。
自分が間違っていたとは思わない。それはいまでも変わらない。なずなの熱弁は、どう見たって度を超していた。かといって彼女が間違っていたのかと言えば、それも違う。
寧ろ、考え自体は正しいのだと思う。だが実直に過ぎるあまりに、それは狭隘で排他的な思考に陥っている。
自分も、もっと上手い言い方があったのではないか。桐吾はそんな風に懊悩していた。
恐らく、ほんの少し噛み合わないだけなのだ。
だが、その少しの齟齬が致命的になってしまっている。
「書記殿。手が止まって五分経過しているぞ」
「う……。ごめん」
背後を振り返って謝罪するが、指摘した本人はこちらを見もしていない。
背中合わせにデスクに向かう田路彦は、放課後からの参加だった。
「これで何度目なのだ」
「……七回目です」
「なぜ我輩が書記殿の一挙手一投足に傾注しなければならないのだ。おかげでこちらの集中も乱されっぱなしだ。それがどれだけ業腹かは書記殿自身もよく分かっているだろう」
「いやあのその、本当すみません」
素直に謝るしかない。
見かねた田路彦は嘆息を重ねて、わざとらしく壁掛け時計を一瞥した。
「そろそろ六時なのだな。これからこんな催しがあるが、行くか?」
振り向いて伸ばしてきた手に握られていたのは、一枚のチラシだった。色鉛筆で彩り豊かに着彩されたそれには、女子らしい丸っこい手書きの文字で「豆パーティー開催のお知らせ」とあった。
桐吾はチラシに向けていた胡乱な視線を、そのまま田路彦へ向ける。
「……これ、何?」
「見ての通りなのだ。会長殿が主催する、言ってみれば生徒会役員の親睦会だな。自走式プラントの弐号機で栽培した作物の試食会も兼ねている。詳しくは知らんが、まあ豆なのだろうな」
「……なずなも来るのか?」
「基本的に出席は義務だそうなのだ」
義務と聞いて、桐吾の表情が露骨に曇った。
何だっていまみたいなタイミングで、虹子はこんな催しを企画したのか。そう思う一方で、その気まずさを打破するのが企図である事も容易に想像は出来たが。
「……って事は、田路彦もだよな?」
「縋るような目をするな気持ちが悪い。……普段ならば頼まれても参加しないのだがな。今回は、会長殿が是非にと食い下がってきたのだ」
不本意だという本音が、眉間に寄った皺に見え隠れしていた。
いつもなら、あくまでも自分は仮の役員だからと断っただろうに、その様子からして、相当熱心に勧誘されたのだろう。
「会長殿は生徒会室で先に準備を始めているらしい。――六人分のな」
桐吾に田路彦、主催の虹子に、巳継と歌誉――そして、なずな。
指折り数えながら渋面するも、田路彦は既に机を片付け始めている。
「行くしかないのか……」
「会長殿を敵に回すと後が面倒だぞ」
「虹子も怒ると怖いのか?」
「いや。泣く」
「……分かった」
どうやら、観念する他ないようだった。
結局くるくる回っていただけのペンを、桐吾は諦念と共に引き出しにそっとしまった。内心に不安を抱えながらの足取りは、鉄の枷を引きずるように重い。
Cラボを出ると、廊下から差す夕暮れの光や人の往来で、時間が経過した事を実感する。ラボには窓がないものだから、時間の感覚が希薄になりがちだ。
間もなく日没となるこの時間帯には、帰路につく者や、逆に夜勤で出勤してくる者が多く、往来は賑やかだった。
すれ違う大人の研究員達と軽く挨拶を交わしながら、桐吾と田路彦はアシハラ学園へと向かう。
「そういえば、今日は来るの遅めだったね?」
「ああ、旧世資料館に寄っていたのだ」
「へえ。技術系の本でも?」
訊ねる桐吾に、田路彦は苦笑した。
「書記殿は本当に研究一筋だな。そうではないのだ。マジ狩るガール・プリメラの続きを借りにな」
「えっと、アニメだっけ?」
「うむ。書記殿も娯楽の一つでも嗜んでみてはどうだ? 気晴らしになるぞ」
そう言う田路彦も相当な時間を開発に費やしているが、彼は娯楽も生活に欠かさない。開発が疎かになる事もなく両立しているのを見るに、思考の切り替えが上手いのだろうなと思う。桐吾も思案してみるが、いまいちピンと来なかった。
「うーん……。いまは研究が娯楽かなあ……」
「熱心というよりも中毒の境地だな」
「あんまり知らなくてさ、娯楽って。資料館でも結局技術書漁っちゃうし。ゲームは賭博のイメージだし、音楽はBGM程度にしか聴かないし。アニメになると完全に異文化というか、想像出来なくて」
「一度観てみるといいのだ。見識が広まる」
「……僕の場合、最初に触れたきっかけがなずなのコスプレだからなあ」
「ああ入り方を間違えたパターンか」
「間違えたというか、事故というか」
「見目麗しい美少女のコスプレなど眼福ではないかまあ吾輩は御免だが」
「何だろうこの同意も否定も敵を作りそうな感じ。罠?」
「芸の道は模倣からというが、あれは劣化コピーだな」
「誰が劣化よ誰が!」
「おやいたのか会計殿。気が付かなかったのだ。全然、もう全っ然」
「対面から歩いてきて気づかないわけないでしょうが!」
曲がり角に差し掛かろうというところで、廊下の向こうから、両手を腰になずなが早足で近づいてきていた。登場するなり剣呑な表情で田路彦に食って掛かる姿は、生徒会役員というよりもチンピラのようだった。
少なくとも元気そうで、桐吾はそっと胸を撫で下ろした。
「ほう。では会計殿は劣化コピーではないと?」
「な、何よ……」
堂々と問いを返されるとは予想外だったのか、なずなは後ずさる。
「自分がプリメラに比肩しうる存在だと、本気でそう言うのだな?」
「そ、それは……ッ!」
なずなが雷を打たれたような衝撃に見舞われた――ような気がした。
「二期第一話で初めてコスチュームがラブ・ジェラシー・バージョンへと進化した時のあのプリメラのひたむきな愛と純情が自分にもあると、そう言うのだな会計殿?」
「うっ……」
田路彦が何やら畳み掛け、なずなが苦しそうに呻く。
「言えない……! ファンとして、プリメラに肩を並べるなんておこがましい事絶対に言えない……っ! 受け入れるっ、甘んじて劣化コピーを受け入れるわ!」
なぜ涙目。
頭を抱えて髪を振り乱すなずなは本当に悔しげだった。
論破した田路彦の方は特に感慨もなさそうに、あっさりと話題を切り上げた。
「それでこそ会計殿だな。では歩こうか書記殿、劣化コピー殿」
「ぐう……っ」
「ぐうの音は出るのだな」
「~~~っ」
最早唸る事さえ禁じられたなずなは地団太を踏みながら、廊下を曲がった田路彦の後をついていく。
話題に置いていかれた桐吾は、なずなと会話どころか、視線さえ交わしていなかった事に気づく。意識的に避けられていたのか、田路彦の口撃でそれどころではなかったのかは判然としない。が、会話のきっかけを失くしてしまった。
話さずに済んだ事に対する安堵と気まずさが同居して、どうにも居心地が悪い。
こんな事なら同じアニメを見ておくべきだっただろうか、と見当違いの煩悶をする桐吾の内心を読み取ったかのように、田路彦が水を向けた。
「そういえば劣化コピー殿。書記殿がプリメラに興味を示していてな」
なずなの動きが音速を超えた――ような気がした。
「ホントにー!? 旧世資料館でも技術書にしか興味を示さなかったこの偏執的カタブツの桐吾君が!? 是非観るべきよっていうか観なさい! 観て! ください! 三期までの全三十六話分、レンタル押さえておくから! はあああやっとプリメラの魅力に気づいてくれたのね同志が増えてくれて嬉し……い………わ……………ぁ」
一息にまくし立てたなずなが、息継ぎのタイミングでようやく我に返った。
気づけばなずなは桐吾の手を取って、祈る様な仕草で詰め寄っていた。両者の顔は目と鼻の先の距離で、何かのきっかけで唇が触れてしまうのではと危惧する程だった。
桐吾は事態についていけず、なされるがまま硬直している。
破顔したまま同じく硬直したなずなの顔が、見る見るうちに真っ赤になっていった。
「な……ぁ」
「えっと……あ、もしかしてこれ、僕が謝った方がいいのかなーなんて……?」
「何すんのよもうっ!」
「理不尽ぐぼっ」
取られた両腕が吊り上げられるように左腕で引っ張られ、がら空きになった鳩尾にボディブロウを打ち込まれた。反射的かつ理想的な動きは達人の域にすら到達していた。
桐吾は為す術もなくその場に沈み込む。
「もう! 行くわよ田路彦!」
「会計殿、あれは流石に不憫だぞ……」
「もう! 何なのよもう!」
腹部を押さえてうずくまる桐吾は、涙で滲む視界になずなを見上げる。背中を向けてさっさと行ってしまいそうな彼女へ向けて、声を絞り出す。
「……今度、観せてくれないかな、その、プリメラ……」
なずながぴたりと足を止める。
しばし逡巡したような間があいてから、背を向けたまま、
「……準備、しとく」
と、幻聴かと疑うほどに小さな声で呟いた。
それだけ言うと、なずなは逃げるように大股で歩いて行ってしまった。結局、向かう先は同じだというのに。
どうにか和解の一歩を踏み出せたような気がして、桐吾は顔を綻ばせた。痛みに顔を歪めながらでは、どうにも不器用な表情にしかならなかったが。
「うむ。まあ結果ナイスパスだったのだな」
「……キラーパスで腹を痛めたんですがそれは」
「名誉の負傷なのだ。誇ると良い」
「不器用だよなあ……」
「何を言う。書記殿や会計殿こそ、その代表なのだ」
「う……」
「器用な人間関係を渉外といい、不器用なそれを友情という」
「誰の言葉?」
「思いつきなのだ。テストには出ない。さて、吾輩達も行くのだ」
「少し待ってくれないか?」
「?」
「痛くて立てそうにない……」
結局、鈍痛が収まって歩き出したのはそれから十分後の事だった。
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