第13話・あるルゼンベルクの男

 ルゼンベルクという国は、身分による格差が激しく、身分の高い者が平民を支配する国である。


「平民の分際で私に気安く声をかけるな、この愚図!」


 これはローザミレアがノイスヴェルツに逃げる、少し前のこと――王都に、貴族が平民を怒鳴りつける声が響いていた。


 ルゼンベルクの王都ゾリドラ、その市民街にて。煌びやかな宝飾品をじゃらじゃらと身に着けた貴族の男性が、安価な布の服に身を包む男性に怒り散らしているのだ。


 事の発端は、あまりにもシンプルかつ理不尽。貴族が指輪を道に落とし、平民がそれを拾って「落としましたよ」と声をかけた。すると貴族側が「平民が貴族の物に許可なく触れ、勝手に声をかけるなど無礼である」と理不尽に怒り出したのだ。


「ああ、汚い! この指輪は大事にしていたというのに! 平民の貴様が触れたから、汚れてしまったではないか!」

「俺は、落とし物だから声をかけなきゃと思っただけで……」

「ふん! どうせ拾って渡せば、謝礼が貰えると思ったのだろう。なんて卑しいんだ。やはり平民は意地汚いな。そうだ、落としたというのは嘘で、貴様が勝手に盗んだのではないか?」

「違います、盗んでなんていません」

「では貴様は、この私が大事な物を落とす間抜けだと言いたいのか!?」

「い、いえ、そうではなく……」


 ああ言えばこう言う。取りつく島もなく、平民は困惑と恐怖で震えることしかできない。


「そもそも平民というのは、汚いし臭いし、教養もない。同じ空気を吸っていると身体が汚れそうだ、嫌だ嫌だ!」


 平民を見るのが嫌だというのなら、富裕層向けの商店が立ち並ぶ貴族街に行けばいいだけの話である。


 わざわざ平民が暮らす市民街へやって来て怒鳴るというのは、結局は単なる憂さ晴らしだ。平民という、どんな扱いをしても構わない玩具を使って愉悦に浸りたいだけなのである。実はこの男、指輪も故意に自分で落としたのだ。平民に難癖をつけてストレスを発散するために。


 そんな理不尽極まりない場面を、傍から見ている一人の平民男性がいた。

 彼は名をダリウスといい、王都の市民街で建設の仕事をしている。


(……俺も昔、同じようなことがあったっけ)


 ダリウスは、思い出す。数年前、「平民の分際でこちらをジロジロと見ていただろう」という因縁をつけられ、否定したら「私の勘違いだと言うのか!? 無礼な!」と怒鳴られたのだ。その貴族は従者に鞭を出させて、往来でダリウスを鞭打ちしようとした。


(だけどその際に、助けてくださった御方がいる……)


 ダリウスの記憶には、そのときの凛とした声が、今でも鮮やかに刻まれている――



 ◇ ◇ ◇



●回想



 ダリウスに、今にも鞭が振り下ろされようとしていた、その瞬間。貴族の男に声をかけた人間がいた。


「おやめなさい」

「誰だ……ぐっ」


 貴族の男は、振り返ると言葉を詰まらせた。

 相手が平民ではなく、貴族だったからである。


「私はヴィオラマリー・ゴールベル。同じ貴族として、あなたの理不尽な行いは見過ごせません」


 貴族の男は子爵であり、ゴールベル家は公爵。しかも、ヴィオラマリーは悪名高いとはいえ、妹のシェリルリリーの方は王子の婚約者。王家の後ろ盾がある家なのだ。敵に回してはいけない、と子爵は判断した。


「り、理不尽だなんて、そんな。私は躾のなっていない平民に教育を施してやろうとしただけで……」

「理不尽な暴力は、教育などとは呼びません。今後、二度とこのようなことはおやめなさい」


 ヴィオラマリーが毅然とそう言うと、子爵は顔に大量の汗を浮かべた。


「は、はは……。これはこれは、申し訳ございませんでした……。では、私はこれで……」


 結局貴族は逃げるようにして従者を連れ、すごすごと去っていった。

 ぽかんと目を見開いていたダリウスに、ヴィオラマリーが声をかける。


「大丈夫でしたか?」

「は、はい! ありがとうございます……」

「感謝されることではありません。あのような行いが許されないのは当然です」

「……そんなことを言ってくださる貴族の方は、なかなかいません。あなた様のような方の存在は、我々平民にとっての救いです」


 ルゼンベルクでは、さっきのような貴族の理不尽な行動は珍しいことではない。貴族は平民を蹂躙していい、ルゼンベルクの貴族達はそんなふうに思っている。


 その事実に胸を痛めたヴィオラマリーは、持っていた鞄からとあるものを取り出すと、ダリウスに渡した。


「これを」


 彼女が差し出したのは、一粒の丸い石だ。


「これは……?」

「あなたの身を守ってくれるでしょう。またあのような理不尽な目に遭ったら、これを使ってください」


 ヴィオラマリーは、それだけ言うと去ってしまった。その後彼女は王都のタウンハウスから領地へ戻り、ダリウスと二度と会うことはなかった。


 ダリウスは生活が苦しくても、ヴィオラマリーから貰ったその石だけは、決して売らずに持ち続けていた。売ったとしても、生活のためであればヴィオラマリーは怒らないだろうが、ダリウスは彼女の誠意に報いたかったのだ。


 何よりダリウスにとって、貴族でありながら平民を軽んじず、一人の人間として尊重してくれる彼女の存在は、希望そのものだった。


 貴族の間では悪女などと噂されているようだが、ダリウスはそんなこと少しも思っていない。あの御方は、理不尽に立ち向かってくださっただけだ。自分は彼女に、勇気と希望をいただいたのだ。


 だから自分も、あのときの彼女のように、困っている人がいれば助けを差し伸べられるようになりたいと――ダリウスは、そんなふうに思っていた。



 ◇ ◇ ◇



 そして今ダリウスの目の前に、あのときの自分のように、理不尽に貴族に責められている男がいる。


(ヴィオラマリー様は、俺を助けてくださった。なら俺も、誰かを助けるべきだ)


 ただヴィオラマリーと違い、彼はただの平民だ。下手をすれば、あの彼の代わりに鞭打ちか、それ以上の罰を与えられるかもしれない。


(それでも――)


 彼は、己を鼓舞して駆け出した。そして、貴族の男に向けて、ヴィオラマリーから貰った石を突き出す。


(どんな効果があるのかはわからないが……ヴィオラマリー様がくださったものなんだ。きっとなんとかなる!)


 すると、次の瞬間――


「ぎゃああああああああああああああああああああ!!」


 貴族の男は、王都中に響き渡るような悲鳴を上げる。


「なっ、ななな、なんだ、あの化け物は!?」


 彼は上空を指差すが、そこには何もいない。青く晴れた空がひろがっているだけだ。


(もしかして、幻影を見ている……? ヴィオラマリー様の石の効果か)


 その場でダリウスだけがそう気付いたが、事情がわからぬ周囲の者は、困惑するしかできない。


「ど、どうなさったのですか、男爵様」


 貴族の護衛も眉を下げ、主人を落ち着けようとする。


「馬鹿者! あそこに化け物がいるだろう! 早く倒せっ、倒せぇ!」

「落ち着いてください。そちらには何もいません」

「なんだと!? 私が嘘を言っていると申すのか!? この無礼者!」

「い、いえ、そういうわけでは……」

「ともかく、早く逃げろっ! 逃げるんだぁっ!」


 貴族の男は護衛を連れ、血相を変えて逃げ出す。彼に責められていた男と、ダリウスはその場に残された。


「い、一体なんだったんでしょう……?」


 ダリウスに助けられた男が、ぽかんと呟く。


「おそらく、この石の効果です。巨大な化け物の幻影を見たのでしょう」

「な、なるほど……あなたが、その石を使って助けてくださったのですね。ありがとうございます!」

「いえ。感謝の気持ちなら、ヴィオラマリー様に向けてください」

「えっ?」


(ヴィオラマリー様、ありがとうございます。平民にとって未来の暗いこの国でも……あなたの存在が、心を照らしてくださいます)


 しかしダリウスはその後、ヴィオラマリーが王への不敬で処刑されることになったという噂を耳にした。


 彼はおおいに打ちのめされ、なんとか処刑を止めさせられないものかと懊悩した。だが、一介の平民である彼にできることなど何もない。国王の決定を翻すことなど、どんな貴族であっても不可能である。ダリウスは絶望した。


 それでも諦めきれなかったダリウスは、処刑の日、なんとかヴィオラマリーを連れて逃げようと断頭台に突進し――あえなく兵士に止められた。


 だが、断頭台の傍にいたからこそ、彼はそのときの言葉を、確かに聞いた。



 ――『違う! 私はヴィオラマリーじゃないっ! 私は、私はシェリルリリーよ!』



 その場にいる誰もが、処刑に恐怖した囚人の戯言として、その言葉を歯牙にもかけなかった。だが、ダリウスにはわかった。


(ヴィオラマリー様は、処刑の恐怖を前にしたってこんなことは言わない。皆、奇跡の子はシェリルリリー様だと言っていたが、彼女には何の力もない。対してヴィオラマリー様が自分にくれた石には、奇跡のような幻影の力が宿っていた……)


 彼の疑念は、その後の「シェリルリリー」からグゾルへの毅然とした宣言で確信に変わった。


 それから、花嫁が突然婚約破棄という前代未聞の行為で兵士全員が呆気にとられ、王子の「シェリルリリーを追え!」という命令で、全兵士が混乱しながら黒竜の行方を追うことになり、ダリウスのことは忘れ去られた。


 けれどそれからもダリウスはルゼンベルクの王都市民街で働きながら、常に彼女の噂に聞き耳を立てていた。噂によると、黒竜に乗った彼女はノイスヴェルツに逃げ、幸せに暮らしているのだという。


(ああ、本当によかった。ヴィオラマリー様は名を変え、生きているんだ)


 彼女が同じ国にいなくても、幸せに生きてくれているというだけで、ダリウスには充分だった。


「どうか、お幸せに……」


 ――貴族達の間では、残虐な悪女とばかり言われてきた彼女だが。

 彼女を信じ、無事を祈る者は、ルゼンベルクにも確かに存在したのだ――

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