第24話・ヴィルフリートの想い
ノイスヴェルツの監獄を出て、王城へ戻る馬車の中で。
ヴィルフリートとフリューゲルは、複雑な思いを抱えながら窓の外を眺めていた。
「……ローザミレアは今まで、あんな奴に、あれだけ苦しめられてきたんだよね」
「……本当に、忌々しいな……」
彼らの心に、棘のように刺さっているのは、その思いだ。
牢獄の中で、回視のブレスを受け絶叫していたグゾルの苦しみは、そのまま十年分のローザミレアの苦しみである。そう思うと、やりきれない。
もっと早く出会えていたら。もっと早く助けられていたら。彼女は心に傷を負わずにすんだだろうか。ヴィルフリートは、膝の上の拳を強く握りしめる。
(ルゼンベルク王家への粛清が叶い、彼女がもう満足しているのだとしても。俺は一生、奴らを許さない。……奴らが処刑された後も)
ローザミレアは、グゾル達のことに関し「復讐できて満足です。後はもう二度と顔も見たくありません」と言っていた。もちろん、あれだけの心の傷が、そんなすぐに忘れられるわけがない。それは、早く忘れたいと願う彼女の、自分への暗示のようなものかもしれないが。ただ彼女の中では、これまでのことは一応一区切り、ということになったようであった。
だがヴィルフリートは、割り切れなかった。今までさんざんローザミレアの心に傷を負わせたグゾルに対し、処刑だけでは足りない、更なる地獄を見せてやりたいと望んだ。これはノイスヴェルツの王子としてではない、一人の男としての感情だ。
いずれにせよ、だからこそ彼は、同じ気持ちを持つフリューゲルと共に、監獄へ足を運んだのだ。けれどあんな奴と十年も過ごしてきたローザミレアの苦しみを再確認し、心が黒く淀んでいた。
「……せめて、これからの未来は。彼女が何にも心を煩わされることなく笑っていられるようにしよう」
真剣な面持ちで言うヴィルフリートに、フリューゲルはふっと微笑む。
「ヴィルフリートは、すっごくローザミレアのことが好きなんだね。二人が出会えて、本当によかったよ」
「ああ。俺は、君にも感謝しないとな、フリューゲル。君が彼女を乗せ、この国に連れてきてくれたのだから」
純白のウェディングドレスを纏い、黒竜に乗って空から現れたローザミレア。あの日のことは、今でもヴィルフリートの胸に、鮮やかに刻まれている――
◇ ◇ ◇
ヴィルフリートは、この大陸で最も大きな力を持つ国、ノイスヴェルツの第一王子として生まれた。だからこそ、幼い頃から善も悪も見てきた。見ざるをえなかった。
以前、本人が口にした通り。暗殺されそうになることも、容姿の並外れた美しさによって不埒なことをされそうになることも何度もあった。犯人には相応の罰が下されたが、皆一様に、ヴィルフリートに呪詛を吐いていった。
――『憎きノイスヴェルツの王子め。お前などどうせろくな王にならぬのだから、今ここで死ねばいい……!』
――『お前が悪い。お前のその美貌が、私を惑わしたんじゃないか。お前さえいなければ……!』
危害をくわえられ、呪詛を吐かれるたび、この世とはとても醜悪なものなのではないか、何もかも消えてしまえばいいのではないか、と心が歪みそうになった。
それでも善性を保っていられたのは、少なくとも自分の家族達は、ヴィルフリートにとって尊敬できる人物だったからだ。
両親は、国王と王妃としての務めを立派に果たし、民からも支持されていた。弟達も皆優秀で、ヴィルフリートの誇りだった。
そんな母は、十二年前、彼が八歳のときに死んだ。
魔災という、魔力による災害が原因であった。魔力による穴――ブラックホールのような穴が突如として出現し、人々を吸い込んでしまうのである。
多忙の王に代わり辺境を視察していた王妃は、突然の魔災に巻き込まれ命を落としたのだ。優秀な護衛が多数ついていたのだが、大規模な魔災を前にはなすすべもなかった。絶望の穴に吸い込まれた王妃と護衛達はそのまま消え、ヴィルフリートは、母の亡骸に対面することすら叶わなかった。
幼くとも既に王子として、心を乱してはならないと自分を律していたヴィルフリートは、泣くことはなかった。それでも、母を喪って平気だったわけではない。そんな彼に、王が言葉をかけた。
「王妃のことは無念だった。だが、王妃は今まで充分に生きてくれた。彼女は役目を終え、安らかに眠る時が訪れたということだろう。――そういう運命だったのだ」
王は自分も辛い中で、ヴィルフリートを励ますためにそう言ったのであった。ヴィルフリートにもそれはわかっていた。
だがその言葉は、ヴィルフリートの心の柔らかな場所に残り続けることとなった。
強く生きようが、正しく生きようが、人間である以上、死ぬときは死ぬのだ。死んだら、そういう運命だったということなのだ、と。
ヴィルフリートは自分の命を軽視しているわけではない。幼い頃から次期国王としての自覚を持ち、周囲の誰より努力を重ねてきた己に誇りを持っている。だが、いつも心のどこかに埋められない空虚さがあった。
王妃がいなくなった後も、もちろん悲しみも混乱もあったものの、時間の経過とともに人々は日常を取り戻していった。世界は壊れることなく回り続けている。まるで、最初からそういう世界であったかのように。
自分の存在には何の意味があるのだろう。それは人間なら、誰もが一度は自問するものかもしれない。王族ならば代えのきかない特別な存在だと平民は考えているのかもしれないが、それは間違いだとヴィルフリートは思う。
この国が好きだし、民のことも大事に思っている。多くの人々が幸せになればいいと願う気持ちは本物だ。
だが自分がいなくても、他の誰かが王となり、世界は回ってゆく。そう思っていた。
そんな彼のもとに、ローザミレアは舞い降りた。
ヴィルフリートが最初に思っていたのは、単に黒竜の力が欲しいということであった。
飛行技術のないこの大陸において、人を乗せて飛ぶ竜というだけでも大変な価値がある。王子との結婚式の最中で婚約を破棄し逃げたという奇跡の使い手が、どんな人格の持ち主なのかは気になるところだったが――
ルゼンベルクという国の悪評は、ヴィルフリートもよく知っていた。他国のことであり、今まで国王が介入しないようにしていたので、放置されていただけで。
王子の婚約者である公爵令嬢。普通に考えれば恵まれた立場のはずだ。それが結婚式の最中に逃げ出すなど、よほど不当な扱いを受けてきたのだろうと想像がつく。奇跡の使い手の姉が同日に処刑されたというのも、気になる点であった。
いずれにせよ、余程人格に問題があり、黒竜の力を使ってノイスヴェルツに危害をもたらすような者でないかぎりは、受け入れたいと思っていた。……だがローザミレアという人間は、ヴィルフリートの期待を軽々と超え――長年の彼の空虚さを、埋めた。
彼女はユーフィネリア到達という、人類にとっての不可能を可能にした。恐怖することもなく、未知の旅路を楽しんで、笑顔で。
もし彼女がノイスヴェルツの転覆を企む者であれば、空での旅路も、無人の浮遊島に二人きりという状況も、ヴィルフリートを殺す格好の機会だっただろう。彼は正直、その覚悟もしていた。だがローザミレアはヴィルフリートを殺すどころか、飛行型魔獣から守り、彼の命を尊んだ。全てが規格外だ。停滞感のあった日常が、灰色の世界が色付いてゆくようであった。
――『……殿下。あなたはここに来る前、死ぬようであれば自分はそこまでなのだと、仰っていましたが。この地に辿り着いたということは、やはりあなたが王になるべき御方だということなのでしょう。その尊い命、大事になさってください』
そう言って微笑む彼女に――抗いようがないほど、強烈に、惹かれた。
それまで運命というものには、負のイメージしか抱いていなかった。
だがもし彼女との出会いが運命だというのであれば、悪くないと思える。
それに――彼女にとって運命とは、自分の手で切り拓くものなのだろう。何せ王子との結婚式から、黒竜に乗って逃げてきた女だ。
彼女のそんな強さが好きだった。そして彼女の脆いところも、全て受け止めたいと思った。
ルゼンベルクで不当な扱いを受けていたのだろうと予想はしていたものの、知れば知るほど、彼女のこれまでの境遇は異常で。彼女を苦しめてきた奴らに対する憎悪が止まらないのと同時に、ただただ彼女を慈しみたかった。
(……こんな気持ち、生まれて初めてだ。ローザミレア、俺は――)
◇ ◇ ◇
その後、ヴィルフリートはノイスヴェルツ城へ戻ってきた。
ローザミレアの部屋の扉をノックし、彼女の返事を受けて入室する。
「ヴィルフリート殿下。どうかなさいましたか?」
少し前までのローザミレアは、ルゼンベルクへの復讐を望み、そんな自分への罪悪感で憂いを帯びていた。
今、その瞳から憂いは消え、ただまっすぐにヴィルフリートを見上げてくれる。
そんな彼女を見ていると、どうしようもなく、愛しくて――
たまらなくなり、彼女を抱きしめる。
「どっ、どうしたのですか?」
ああ、駄目だ。赤くなって狼狽える様子が、途方もなく可愛らしい。
「――愛している。ローザミレア」
愛している。君の全てが欲しいと思うほどに。もう誰にも傷つけさせず、ずっとこの腕の中に囲っておきたいと願わずにはいられないほどに。
かつての胸の空虚さは、もうどこにもない。
この胸の中はもう、全て、君で満たされているから。
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