第25話・虐げられていた令嬢は、真の幸せを掴む

 ルゼンベルクの罪人達の粛清が終わってしばらく経ち、ノイスヴェルツの人々は忙しくも平穏な日々を送っていた。


 そんなある日、ノイスヴェルツ騎士団の団長から、ローザミレアのもとにとある報告が届いた。


「ゴールベル公爵と夫人を捕獲した功績で、褒賞としてノイスヴェルツ騎士団への入団を望んだ者がおりまして。以前ローザミレア様に救われたことがあるらしく、感謝を述べたいと申しております。謁見をお許しになりますか?」


「私に、救われた……? どなたかわからないけれど、会いたいと望んでくれているのなら、お会いしましょう」


 そうしてノイスヴェルツの応接間で、ローザミレアとの対面を許されたのは――


「お久しぶりでございます。あなたはもう、覚えていらっしゃらないでしょうが……。昔、ルゼンベルク王都平民街で、あなたに救われ、奇跡の石をいただいた者です。名はダリウスと申します」

「王都平民街で……あ! 幻影の魔法を込めた石を渡した、あのときの男性……?」

「覚えていてくださったのですか!? ありがとうございます」

「……待って。そのときあなたを救ったのは……『ヴィオラマリー』でしょう?」

「はい。ローザミレア様、あなたが、あのときのヴィオラマリー様でしょう?」


 言い当てられ、ローザミレアは驚いた。ルゼンベルクの人々にとって、自分は「シェリルリリー」であるはずだからだ。


「どうして、それを……?」

「処刑された方のヴィオラマリー様は、『私はシェリルリリーだ』と主張されていました。その後の言動や行動を見ても、あなた様が、俺を救ってくださったヴィオラマリー様だと思ったのです」


 的確に見抜かれたことに、ローザミレアはさすがに動揺していたが。彼の目に敵意や不信はなく、むしろ輝くような瞳でまっすぐに見つめてくれている。だからこそローザミレアも、臆さず彼を見つめ返した。


「騎士団長から聞きました。ダリウス殿、あなたがゴールベル公爵と夫人の暴虐を防ぎ、捕らえてくださったそうですね。彼らは私の親ではありましたが、許されざる罪人でした。しかも報告によれば、逃亡の際、罪のない人々を殺して身代わりにしようと企んでいたとのこと。公爵と夫人を捕らえてくださったこと、心より感謝します」


「そんな。感謝しているのはこちらの方です。平民は人権がないルゼンベルクで、あなただけは、自分にも優しく救いを与えてくださった。あなたは俺に、希望を与えてくれたのです」


(……ルゼンベルクでは『悪女ヴィオラマリー』と言われていた私に……そんなふうに思ってくれていた人が、いたなんて)


 じんと、心が温まる。ローザミレアの顔に、花が開くような柔らかな笑みが浮かんだ。


「そんなふうに言っていただけて、嬉しいですわ」


 その笑みを見て、ダリウスもまた、感激の微笑みを浮かべた。ずっと憧れていて、しかし手の届かない人だと思っていた相手と対面し、笑みを向けてもらえたのだ。彼にとってこの上ない幸福である。


「それで、ダリウス殿。あなたはノイスヴェルツ騎士団への入団を望んだのですか?」

「はい。貧しい平民でしたから、剣技も馬術も初心者なのですが。ただ、体力には自信がありますので! これから特訓して、いずれはこのノイスヴェルツで、ローザミレア様のお役に立ちたいのです」


 ダリウスは目を輝かせ、そう言った。平民であった彼は自身の言う通り、騎士としての所作は何も身についていない。それでも、ローザミレアへの忠誠は誰より確かだった。


「ありがとう。今後を楽しみにしています、ダリウス殿」



 ◇ ◇ ◇



 その夜、ローザミレアはヴィルフリートの部屋で、ダリウスについての話をした。


 ヴィルフリートは執務で忙しく、二人はいつも一緒にいられるわけではない。だが二人の時間を大事にしたいと、時間があるときは部屋で共に過ごすようにしているのだ。


「……それで、ダリウス殿が笑顔で感謝を告げてくれて……とても嬉しかったです」

「そうか。ルゼンベルクにも、ちゃんと君を慕っていた者がいたようで何よりだ。……だが」


 いつもローザミレアを見るときだけは甘くなる赤い瞳に、微かな不穏さが混じる。


「君を慕って騎士となり、傍で守ろうと望む男がいるというのは、少し妬けるな」


 ローザミレアはぐっと、飲み物も飲んでいないのに吹き出しそうになった。


「で、殿下。ダリウス殿は別に、私に敬意を抱いてくださっているだけで、妬くようなことは何もありません」

「どうかな。君はこの手のことに関しては無自覚だから、気をつけないと。以前の舞踏会でだって、君に見惚れている男は何人もいたんだ。気付いていたか?」

「舞踏会……? 殿下と踊るのが楽しくて、周りなんてあまり気にしていませんでしたわね」

「……ふむ。予想外に可愛い答えで、何も言いづらくなってしまったな」


 どうしたものかと考え、ヴィルフリートはローザミレアとの距離を詰める。


「なあ、ローザミレア」

「なんでしょう」

「君は、俺が好きか?」

「にゃっ」


 あまりの動揺で、ローザミレアの喉から変な声が抜けた。ヴィルフリートはその反応を楽しむように、にやりと口角を上げる。


「随分と可愛い声を出すんだな」

「い、いえあの……というか、いきなり何をおっしゃるのですか、殿下」

「何って、気になることを聞いただけだが?」

「……私の全部をあげると、以前お伝えしたでしょう?」

「ああ。だが、あまり『好き』と言ってもらったことはない気がしてな。……君の口から、その言葉が聞きたい」


 くすくすと甘い笑みを浮かべながら、ヴィルフリートはローザミレアに迫る。


「あぁ……ぁぅ……」


 こういうことには全く慣れていないローザミレアである。だからこそ、普段は気恥ずかしくて、あまり好きだと口に出せないのだ。顔は真っ赤になり、目はぐるぐると回りそうだ。


「俺は君を愛しているよ。ローザミレア」


 ぼんっと、ローザミレアの頭から煙が吹きそうだった。頭が熱くて、何も言えない。


(でも……ちゃんと、伝えないと。私の気持ち……)


「ヴィルフリート、殿下……」

「ん?」


 ローザミレアはヴィルフリートに身を寄せ、彼の服の裾をそっとつまんだ。


「……大好きです。ヴィルフリート殿下」

「――――」


 ヴィルフリートは言葉を失い、口元を手で覆う。


「……まずいな。君は、可愛すぎる」

「も、もう。またそんなことを……」


 照れながら彼女は、ヴィルフリートの服を掴んだまま……ぎゅっと、その手に力を込める。


「……私、こんな日々が訪れるなんて、思っていなくて」

「そうだな。俺も、こんなに愛しい人と出会えるなんて思っていなかった」

「幸せすぎて……少し、怖いです」


 ローザミレアの言葉を、ヴィルフリートはふっと、優しく笑い飛ばしてくれる。


「未知の浮遊島に行くのは恐れないのに、幸せは怖がるとは、君はやはり変わっているな」

「も、もう」

「だが、そんなところも好きだよ。……安心してくれ、怖がる必要はどこにもない。君の幸せは、俺がもう、誰にも壊させない」

「殿下……」

「……ヴィルフリート、と呼んでくれ」

「ヴィルフリート……」


 二人の距離が次第に縮まり――窓から差し込む月明りの中で、二つの影が重なる。

 ローザミレアは、自分の全部を、愛しい人に捧げて。

 代わりに愛しい人から愛される幸福を、全身で受け取ったのだった――



 ◇ ◇ ◇



 やがて、時は流れ……


(……とうとう、この日がやってきたんだ)


 今、ローザミレアが纏っているのは、精緻なレースがふんだんにあしらわれた純白のドレス。……花嫁衣装である。今日は、ローザミレアとヴィルフリートの結婚式だ。


 最愛の女性の花嫁姿を目にしたヴィルフリートは、赤い瞳を微かに見開いた後、今までで一番というほどの笑顔を浮かべた。


「やはり、俺の花嫁は美しいな。世界で一番綺麗だ」

「ありがとうございます……あなたも、世界で一番素敵ですわ」


 厳かな式の後、王都で盛大なパレードが行われた。数え切れぬほどのノイスヴェルツの民と、この日のために王都へ訪れていた旧ルゼンベルクの民が、皆眩しいほどの笑顔で祝福を送ってくれる。


「殿下、ローザミレア様、どうぞお幸せに!」

「我々ルゼンベルクの民が幸福を得られたのは、お二人のおかげです! これからもお幸せに!」


 ゆっくりと進むパレード用の馬車の上で、二人は花の雨を受ける。フリューゲルもまた、笑顔で二人を祝福していた。ローザミレアは心からの笑みを浮かべる。


「ヴィルフリート……私、幸せです」


 幸せだけど、もう、怖くはない。

 この幸せは、二人で守ってゆくと誓ったから。


「俺もだ。これからもっと、共に幸せになろう」


 やがて二人はノイスヴェルツの国王と王妃となり……フレイディーグ大陸史上でも類を見ないほどの栄光を極め、民達に幸福をもたらすことになる。


 二人は、ノイスヴェルツ史で最も民に愛された王と王妃として、歴史に名を刻むのだった――

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