第二章

第26話・王妃ローザミレア

 ――『ねえ。あそこにいるのが私のお姉様、ヴィオラマリーよ』


 ――『ええ? シェリルリリーのお姉様にしては、随分冴えないわねぇ。姉妹なのにこんなに差があるなんて、かわいそ~う。うふふっ』


 これは、ローザミレアが「ヴィオラマリー」と呼ばれていた頃の記憶だ。


 舞踏会の場。ヴィオラマリーから少し離れたところで、シェリルリリーが友人であるイルヤーシュ公爵家の令嬢に、姉を紹介していた。二人は、ヴィオラマリーにわざと聞かせるように、クスクスと笑いながら悪口を言い合っていた。


(冴えない、か。まあ、そうでしょうね)


 シェリルリリーはいつだって流行りのドレスに身を包み、最高級の化粧品を使用している。対してヴィオラマリーは、シェリルリリーが「お姉様に華やかなドレスなんて似合いませんわ! 綺麗なドレスを着たところでどうせ皆の笑いものになるだけなんだから、地味なドレスを着ていればいいんですのよ」と言い、両親はシェリルリリーの言いなりであるため、綺麗で可愛らしいドレスなんて買ってもらえなかった。化粧品も同様に、ヴィオラマリーは使うことが許されていない。


 家族に家事ばかり押し付けられて手は荒れ、全体的にどことなく疲労感が漂う。冴えないと言われるのも当然だという自覚はあるが……だからといって、陰で笑われたら、気分がいいものではない。


 ――『いくら公爵令嬢とはいえ、あんな垢抜けない女に求婚する男性なんているのかしらぁ? 仮に婚約者ができたとしても、絶対家柄目当てよね。本当にかわいそ~う』


 やがてそのイルヤーシュ家の令嬢は、シェリルリリーと一緒になってヴィオラマリーを虐げるようになった。ヴィオラマリーのことを、何をしても構わないお人形だとでも思っているように。ヴィオラマリーのドレスをわざと汚したり、本を破いたりして。愉快な遊びでもしているかのようにクスクスと笑っていた。


 ……今のローザミレアにとって、全て過去のことだ。


 けれどひどく蔑まれ、軽んじられ、身も心も傷つけられた記憶は、今でも時折脳裏を掠めてしまう。胸が冷たく軋むけれど――


『……ローザミレア』


(そうだ……今の私は、ローザミレア)


 今の私はもう、一人ではない。

 愛する人が、私の名を呼んでくれる――



 ◇ ◇ ◇



「……ローザミレア」

「……!」


 瞼を上げると、ローザミレアの瞳に、ヴィルフリートの顔が映った。


 もう夫婦になってしばらく経つ。彼が執務で忙しいとき以外は寝台を共にしているというのに、目覚めてすぐにその美しい顔が目に入ると、いまだにドキドキしてしまう。


「大丈夫か。うなされているようだったが」

「ああ、はい。少し……昔の夢を見ていました」

「そうか。だが、今の君には俺がついている。何も心配することはない」


 ヴィルフリートは、心を解きほぐすように、優しく頬を撫でてくれる。

 ローザミレアはその手に自分の手を重ね、顔を綻ばせた。


「はい。……ヴィルフリートの顔を見たら、暗さなんて吹っ飛んでしまいましたわ」

「そうか。なら一日中俺の顔を見ているといい」

「ふふ、そうはいきませんでしょう。ヴィルフリートには執務があるのですから」

「俺は、君のことならずっと見ていたいがな。きっと永遠に見ていても飽きない」


 朝だというのに、とびきり甘い。果実の砂糖漬けに、更にたっぷり蜂蜜をかけたかのようだ。ローザミレアは、身体がふにゃりととろけてしまいそうだった。


 ――ルゼンベルクがノイスヴェルツに統一されてから、半年。ヴィルフリートはノイスヴェルツの王となり、現在のローザミレアは王妃である。


 二人は民を光へと導いてくれる奇跡の王と王妃としてノイスヴェルツの人々から慕われるとともに、いつも仲睦まじい夫婦として、幸福な日々を送っていた――



 ◇ ◇ ◇



 ある昼下がり。ローザミレアは、ノイスヴェルツの公爵家が主催するティーパーティーに参加することとなった。社交は王妃の大事な務めだ。貴族同士の関係性や各領地の現状把握など、得られる情報は多い。


 パーティーといっても舞踏などが行われるわけではなく、ようは規模の大きい茶会だ。公爵邸の庭園に大勢の貴族の夫人や令嬢が集まり、青空の下で紅茶と菓子を嗜みながらお喋りに興じるわけである。もっとも、そのお喋りの裏には、貴族同士の腹の探り合いや、上級貴族に媚を売っておきたいなどという目論見も多々含まれているが。


 ローザミレアは王妃という立場もあり、王家と懇意にしておきたい貴族達から、すぐに囲まれることになった。立場の関係で最初は皆緊張している様子だったが、ローザミレアとしても貴族とは友好関係を築いておきたく、王妃としての品位は保ちつつ和やかに接したため、楽しい時間が過ぎてゆく。


 小一時間ほど経過した後、ローザミレアは化粧室に立った。


(それにしても、思ったより規模が大きいわね。まだ話せていない人も何人もいるし……)


 鏡を眺めながら、今まで話したご婦人方の顔や名前、情報を整理する。

 そうして、パーティーへ戻ろうとしたところで――


「ああ、よかった。いたいた!」


 ――聞き覚えのある声が、軽い調子でローザミレアに声をかけた。


「ねえ。私のこと、覚えてる?」


(っ、この人は――)


 忘れるはずがない。長いローズピンクの髪に、大きな青い瞳。

 薄い紅の引かれた唇は、以前よくシェリルリリーと共に、ヴィオラマリーを傷つける言葉ばかり吐き出していた――


「イルヤーシュ公爵家の……ルイーザね」

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