私のものが欲しかったんでしょう? だから全部、あげますわ

神田なつみ

第1話・公爵令嬢ヴィオラマリー

 パン、と乾いた音が王子の私室に響いた。


 ルゼンベルク国の第一王子であるグゾルが、公爵令嬢ヴィオラマリーの頬を打ったのだ。


「ヴィオラマリー、お前、何度言ったらわかるんだ!? 僕の愛しいシェリルリリーをいじめるな!」


 ヴィオラマリーは打たれた頬を押さえながら、それでも毅然とグゾルを見据える。


「……私は、シェリルリリーをいじめるなど、しておりません。シェリルリリーから何か聞いたというのなら、それはあの子の嘘です」


 ここルゼンベルクは、フレイディーグ大陸に存在する小国である。この大陸にはほとんどの国に貴族制度があるが、ルゼンベルクは大陸の中でも最も、身分による格差が激しい国だ。


 そんなこの国の貴族の一つ、ゴールベル公爵家には、二人の娘がいる。

 姉はヴィオラマリー、十九歳。一つ年下の妹がシェリルリリーだ。


 この国ルゼンベルクでは、貴族の中に稀に、花の紋章を持つ子女が生まれる。

 その紋章を持つ子は特別な力を持つと言われており、「奇跡の子」と呼ばれるのだ。


 シェリルリリーは生まれながらにして左手にその紋章を持っており、公爵家という家柄も申し分ないとあって、物心つく前から第一王子グゾルの婚約者に決められていた。「奇跡の子」であり次期王妃であるシェリルリリーを、両親は甘やかした。


 奇跡の子といっても、シェリルリリーが他の人間と違う特別な力を使ったことは一度もない。しかし紋章があるだけで縁起がいい存在とされていたし、国が危機に陥ったときにこそ、奇跡の力は開花すると信じられていた。


 人々はシェリルリリーを愛し、崇め……王子グゾルもまた、婚約者である彼女を溺愛していた。グゾルはシェリルリリーの言うことなら、なんでも真に受けてしまう。よって今は、「ヴィオラマリーが私をいじめるの」と泣きつかれたことによって、グゾルがヴィオラマリーを叱責している状況だ。


 事実無根を主張するヴィオラマリーに、グゾルは侮蔑の眼差しを向ける。


「嘘つきはお前だろう、ヴィオラマリー。こちらにはちゃんと証拠もある。ほら、シェリルリリーが見せてくれたんだ。ビリビリに破かれたドレスに、引き千切られたネックレス。極めつけは、僕が以前、シェリルリリーに贈った愛の詩。その詩を綴った便箋に、紅茶がぶちまけられている! 僕らの愛の証を踏みにじるとは……ヴィオラマリー、お前はどこまで卑劣なんだ!」


「それを、『私がやった』という証拠があるのですか? ないですよね? それらは全て、シェリルリリーが自分でやったものです。私を陥れるために」


「そんな言い訳が通用すると思っているのか? 僕が愛を込めて綴った詩を読んだとき、シェリルリリーは目に涙を浮かべて感動し、『一生大切にします』と言ってくれたんだぞ!? そんな心優しい彼女が、自ら詩を汚すなど、有り得ないだろう!」


「シェリルリリーは、私を貶めるためならなんでもします。まして、金目のものでもなく趣味でもないものなんて、平気でぐちゃぐちゃにしますよ」


 グゾルが「ヴィオラマリーがシェリルリリーをいじめた証拠」として突き出したドレスもネックレスも、もう流行遅れの古いものだ。おそらく、いらなくなったから処分しようと思い、「どうせならお姉様のせいにしちゃえ☆」と考え、自分で壊したうえで目を潤ませグゾルに訴えたのだろう。


 シェリルリリーが興味を示すのは、高価なもの、流行りのもの、他人のものだけだ。愛の詩を贈られたときだって、内心では鼻で笑っていたに違いない。シェリルリリーはそういう人間だと、ヴィオラマリーは知っている。血の繋がった姉妹だから。


「まあ、さすがに『王子から』いただいた詩に紅茶をぶちまけたのは、わざとではなかったのかもしれませんが。おそらく、詩を適当にその辺に置いておいたら紅茶をこぼしてしまって、殿下にバレるとまずいから、私のせいにしようと思ったのでしょうね」


 冷静に述べるヴィオラマリーに、グゾルは顔を真っ赤にして憤慨する。


「貴様、どこまでシェリルリリーを侮辱すれば気がすむんだ! 愛する僕からの詩を汚されて、とても辛かっただろうに……彼女は瞳に涙をためながら、打ち明けてくれたんだぞ」


「自在に涙を操れるなんて、演技派ですわよね。数少ない特技だと思いますわ。もっと別の形で活かせばよろしいのに」


 すると、今までヴィオラマリーへの叱責をグゾルに任せ、お人形のように彼の背中に隠れていたシェリルリリーが、か細い声を出した。


「お姉様……どうして、そんなに酷いことばかりおっしゃるの? 私、本当にグゾル様を愛しているのよ。だからあなたに詩を汚されて、とても傷ついたのに……」


 その声の細さも、もちろん演技だ。グゾルから見えない角度では、こっそりヴィオラマリーに向けて舌を出していた。


「私だって、本当はお姉様を責めるような真似、したくないの……。だけどグゾル様からの愛の証を踏みにじられるなんて、悲しくて……っ。そんなに人の心がわからないままじゃ、お姉様のためにもならないと思って」


「シェリルリリー、君はなんて心優しいんだ。ああ、君とこの卑劣な女が血の繋がった姉妹だなんて、信じられない」


 グゾルはシェリルリリーの腰に手を回して愛を囁いた後、ヴィオラマリーをきつく睨みつけた。


「いいか、ヴィオラマリー。お前が公爵家の娘であり、僕の婚約者の姉であるといっても、次期国王である僕と、次期王妃となるシェリルリリーへの不敬罪で、お前なんかいつでも処刑してやれるんだからな」


 ゴミを見るような目からは、脅しではなく本気であると伝わってくる。むしろ、本当なら今すぐにでも処刑してやりたい、と顔に書いてあった。


 だが実際にそれをすれば、「貴族であるにもかかわらず、処刑されるほどの不敬を犯した娘を出した家」として、シェリルリリーと両親の立場も悪くなる。現国王や王妃は、そんな恥ずべき汚名を持つ家の娘と王子を結婚させたいなどとは思わないだろう。


 グゾルは次期国王とはいえ、現国王である父親には逆らうことができない。ゆえに、ヴィオラマリーを処刑できずにいるのだが……


「そんな、グゾル様……いくらお姉様が私をいじめるからといって、そこまではやりすぎですわ。命は尊いものですもの」

「こんな悪逆女の命まで尊ぶとは、君はなんて優しいんだ。おいヴィオラマリー、シェリルリリーの慈悲深さに感謝しろ! 彼女への謝罪と感謝を表して、絨毯に頭をつけろ!」

「私は、シェリルリリーに謝罪することも、感謝することも、何もありません」


 ヴィオラマリーがそう答えると、パン、と乾いた音がした。また、彼女の頬が打たれたのだ。


「貴様は……本当に、僕を苛立たせる天才だな」


「殿下。もう一度言います。シェリルリリーは殿下に『お姉様にいじめられている』と言っているのでしょうが。その証拠はどこにもないのです。いくら婚約者といえ、一人の女の言い分を鵜吞みにして、ろくに調査もせず人を罪人に仕立て上げ、あまつさえ処刑だなどと言い暴力を振るうのでは、一国の王としてやっていけません。国民のためにも、もう少し冷静になることを覚えてください」


「黙れ。これは暴力ではない、お前が生意気だから躾けてやっているだけだ!」


「……何を言っても無駄、ということですね」


 ヴィオラマリーの瞳から、ふっと光が消えた。それはまるで、諦めのように。


 同時に、グゾルの手によって無理矢理頭を押さえつけられる。額に柔らかな感触がした。さすが、第一王子の私室の絨毯は最高品質だ。だからといって、それを額で味わう必要などどこにもないのだが。


「ほら、ヴィオラマリー。謝罪と感謝の心を、その身にしっかりと刻むことだな!」

「もう、グゾル様ったら。でも……お姉様。その姿、よくお似合いですわ。日頃からそうして、謙虚な姿勢でいらっしゃればいいのに」


 シェリルリリーがクスクスと笑う。彼女のことならなんでも肯定的に捉えるグゾルにはわからないようだが、その笑い声には、明らかに愉悦が滲んでいた。


 頭を押さえつけられているせいで、今のヴィオラマリーは絨毯しか見ることができない。


 だけど、希望の光が消えたその瞳には何か、別のものが灯ったようだった。柔らかな陽光や星明りとはまるで違う、獰猛な鷹のような、鋭い光。


(今まで、シェリルリリーやグゾルが改心してくれないか、微かに希望も抱いていた。だけど、もういい。……これ以上付き合っていても、時間を無駄にするだけだもの)


 真っ赤に燃え盛る炎ではなく。もっと、静かに揺れる炎のように。

 彼女はこのとき、ある決意をしていた――

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私のものが欲しかったんでしょう? だから全部、あげますわ 神田なつみ @natsuno_kankitsurui

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