第2話・従順だった公爵令嬢の反撃

 王城から王都公爵邸タウンハウスへ戻り、ヴィオラマリーが自室で読書していると。突然、ノックもなしに扉が開けられた。今度はグゾルの代わりに、両親が彼女に厳しい視線を向ける。


「またグゾル王子殿下から苦言を呈されたそうだな。シェリルリリーから聞いたぞ」


(……苦言を呈された、なんて可愛いものではなかったように思うけど)


 こちらの言い分が聞いてもらえることもなく、一方的に叱責され、あまつさえ暴力を振るわれる。そんなもの、単なる蹂躙でしかない。


「グゾル殿下とシェリルリリーの結婚には、我がゴールベル家の未来がかかっているんだぞ。ましてシェリルリリーは『奇跡の子』なんだ。本来なら姉といえども、お前みたいな何の取り柄もない女が近付くことすら恐れ多い存在なんだからな。なのにお前は、いつもシェリルリリーを泣かせてばかりで……恥を知れ、この馬鹿娘が」


「ヴィオラマリー、あなた、『奇跡の子』であり王子の婚約者でもあるシェリルリリーに、嫉妬しているんでしょう? まったく、心の醜い子。少しはシェリルリリーを見習いなさい」


 父も母も、いつも通りヴィオラマリーの話は聞かず、彼女をなじるばかりだ。


 グゾルに平手打ちされたせいで、ヴィオラマリーの頬はまだ赤い。両親だって気付いていないはずがないのに、それについて深く考えることを放棄しているのだ。


 王子が娘に暴力をふるった、などと王家に指摘して不興を買うのは恐ろしいし、万が一王子とシェリルリリーの婚約を破棄されるようなことがあっては、ゴールベル家にとって大きな損失となる。だから何があったとしても「ヴィオラマリーが悪い。悪いのだから、何をされても自業自得であって仕方がない」と己にもヴィオラマリーにも言い聞かせ、ひたすら彼女を悪人に仕立て上げている。


「罰として明日の食事は抜き。それから、物置の掃除をしておくように。少しでも埃があったら鞭打ちだからな」


 そして、ヴィオラマリーを悪人とすることがすっかり当たり前になっている両親は、今では彼女をストレス発散の捌け口にしている。


 ヴィオラマリーは悪人だからどんな扱いをしてもいい。本来は使用人がするような家事を押し付けようが、完璧にできなければ体罰を与えようが構わないし、そんなヴィオラマリーを眺めて楽しむことも、「悪を罰する正義の行いであるから問題ない」と正当化して、堂々と彼女に非道な仕打ちをしている。


 今までは、それが当たり前だった。

 だけど――


「馬鹿じゃないですか? そんなのご自分でおやりなさいな」


 ガシャン、と大きな破砕音がした。


 ヴィオラマリーが、読書のお供に飲んでいた、水の入ったグラスを卓から叩き落したのだ。ちなみに、彼女は両親によって、勝手に紅茶やミルクを飲むことは禁じられている。公爵令嬢としては有り得ないことだが、喉が渇いたときは水しか飲むものがなかった。だからシェリルリリーの言っていた「王子の詩を紅茶で汚した」というのは、そもそも起こりえないことである。


 ……ともかく。床は硝子の破片が散乱し水に濡れ、両親は呆然とヴィオラマリーを眺めていた。そんな両親に、ヴィオラマリーは毅然と告げる。


「今まで理不尽な扱いを受けてきても耐えていたのは、仮にも肉親であるがゆえの慈悲であり、いつかは態度を改めてくれるかもしれないという、猶予のつもりでした。ですがあなた方もシェリルリリーもグゾル殿下も、改心は望めません。だから私、もう、我慢するのはやめますわ」


「この……っ、ヴィオラマリーの分際で、何を生意気なことを言っている! お前は黙って私達に従っていればいいんだ!」


 父が、ずかずかとヴィオラマリーに近付いて殴りかかろうとする。

 するとヴィオラマリーは、机の横にあらかじめ用意していた、金属製の杖をすっと構えた。


「私に手を出そうというのであれば、私も暴れますわ」


 ガシャン、と。水のグラスが割れたときより、更に大きな音がした。

 ヴィオラマリーが、金属製の杖で自分の部屋の窓硝子を割ったのだ。

 割れた窓から、夜風がヒュウウと入り込んでくる。


「私が今後もおとなしく思い通りになるなんて、思わないでくださいね。お父様、お母様」


 割れた窓を背景に佇むヴィオラマリーの顔には、酷薄な笑みが浮かんでいる。

 両親は、娘の様子が明らかにいつもと違うことに動揺していた。


「ふ、ふん。自分の部屋の窓を割ったところで、お前が寒いだけだろう!」

「それもそうですね。今度はお父様とお母様の寝室の窓を破壊しますわ」


 金属製の杖を持ったままにこりと微笑めば、父と母はやはり目を丸くする。

 なぜヴィオラマリーが普段とここまで違うのか、意味がわからなくて、不気味だと感じたらしい。両親はそのまま、乱暴に部屋の扉を閉めて、行ってしまった。


 しばらくすると、今度はヴィオラマリーの部屋に、シェリルリリーがひょこりと顔を出した。


「お姉様、どうかしたの? お父様とお母様が、顔を青ざめさせていたけど」


 すると、シェリルリリーは割れた窓を見て「まあ!」とおかしそうに笑みを浮かべる。


「ずいぶん派手にやったわね。らしくないじゃない、お姉様?」

「今まで、我慢していたのよ。理不尽な扱いを受けても、一応家族だからね。でも、もういいわ。これからは好きにやらせてもらうから」

「自棄になったってこと? それで暴れたって、ますます自分の評判を落とすだけなのに。あははっ、本当に無様ね!」


 シェリルリリーは下等な虫でも見るかのような視線を向け、普段ぶりっ子をしているときからは想像もできない残虐な笑みを浮かべる。


(……私は本当に、皆から侮られているわね)


 家族以外の貴族達も、シェリルリリーの言い分を信じて自分を悪女扱いするし、人間の味方などいない。慕ってくれるのは動物達くらいのものだ。


「言っておくけど、お姉様。あなたは何をしたって無駄よ。『奇跡の子』も、次期王妃の座も、全部ぜーんぶ私のものなんだから!」


 シェリルリリーは、「奇跡の子」の証である花の紋章を見せびらかすように、左手を掲げる。


(何をしたって無駄、か。そう思っているなら、その方が都合がいい。……油断しまくっていて隙だらけ、ってことだもの)


 ヴィオラマリーが恐ろしい復讐を考えているなど思いもしないシェリルリリーの、自分の勝利を確信した笑みが、彼女の目にはひどく滑稽に映った。

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