第10話・ノイスヴェルツの歓迎
ユーフィネリアから、フリューゲルの背に乗って降下し――やがてローザミレアとヴィルフリートはノイスヴェルツ王都へ辿り着いた。城下町の衛兵達にはヴィルフリートが事前に伝令水晶で、黒竜に乗って降りることを伝えてあったため、兵達にも民衆にも混乱はない。
混乱はない――が、割れるような拍手と歓声はあった。皆、ユーフィネリア到達という歴史的な偉業を前に興奮しているのだ。
「我々はこの黒竜の力を借り、前人未踏のユーフィネリアへ到達した。この魔石が、その証拠だ。我が国は、この先更なる繁栄を迎えるだろう」
フリューゲルの背に乗ったままヴィルフリートが掲げたのは、人間の顔ほどある大きさの巨大な魔石。地上のものとは色も大きさも違い、通常より遥かに強い力を持っているとひと目でわかった。もう暗くなった空の下で、魔石は眩い輝きを放つ。
民衆が更なる歓声でヴィルフリートを称える。するとヴィルフリートは、よく通る声で言葉を続けた。
「彼女は奇跡の使い手。この国での名は、ローザミレア。ユーフィネリアへの到達は、彼女の奇跡の力、そしてこの黒竜フリューゲルの力なしには有り得ないものであった。皆、ローザミレアとフリューゲルに喝采を!」
予想していなかった言葉に、ローザミレアは驚く。反射的にヴィルフリートの後ろに隠れそうになったが、「偉業を成し遂げたのだから堂々と喝采を受けておけ」と前に出されてしまった。
照れくさいながらも、おずおずと様子を窺うと――ローザミレアの瞳に映ったのは、夜闇の中で街の魔石灯に照らされた、ノイスヴェルツの人々。
ルゼンベルクの平民達は皆栄養不足で痩せ細り、ぼろ切れのような服を着ていた。だがここにいる人々は健康的な体型で衣服も清潔感がある。貴族ではない人間も、高い水準の生活ができているのだとひと目でわかった。
だが、何より彼女の瞳に焼きついたのは――人々の、眩しいほどの笑顔だ。
「ローザミレア様、ありがとうございます!」
「ローザミレア様!」
「今まで誰も到達できなかったユーフィネリアに、辿り着けたなんて……」
「あの黒竜と心を通わせたってことよね!? すごい!」
(……こんなに大勢の人に、笑顔を向けてもらえるなんて)
ヴィオラマリーと呼ばれていた頃、家族や周囲の貴族達は、とっとと消えろと言わんばかりに冷たい目を向けてきた。勉学や家事をどれだけ頑張ろうが、評価されることはなかった。
(どうしよう……嬉しい)
胸がぎゅっと熱くなり――人々の笑顔に応えるように、ローザミレアも顔を綻ばせた。
◇ ◇ ◇
「もう、殿下……。あのような宣言、さすがに大袈裟ですわ」
人々の前を離れ、いよいよ王城が目の前に迫ってきた中で。ローザミレアは頬を染め、小さく呟いた。一方ヴィルフリートは、悪びれぬ顔でローザミレアを見つめている。
「ああ言っておけば、君はもうこの国から逃げられないだろう? あれだけの民衆の笑顔を裏切る気にはなれないだろうからな」
(……別にもともと、逃げる気なんてありませんでしたが)
「後日、あらためてちゃんと歓迎の場は設けるさ。元公爵令嬢なんだから、ダンスはできるだろう? 舞踏会でも開くか」
「別に、そこまでしていただかなくても……」
「舞踏会は嫌いか?」
そう言われてしまうと、返答に詰まる。
舞踏会にいい思い出はない。ヴィオラマリーだった頃は、決まった相手がいなかったので誘われるまま様々な相手と踊っていたが……。「本当はシェリルリリーと踊りたいけど仕方なく姉で我慢してやる」といった男性や、「誰でもいいから一夜の関係を結びたい」と目をぎらつかせているような男性ばかりだった。これまでの彼女にとって、舞踏会というのはただ疲れるだけの場でしかなかった、のだが。
だからこそ――御伽噺のようにただ甘く幸せな舞踏会というものを、楽しんでみたいという憧れはある。
「即答しないということは、少なくとも嫌いではないようだ。では、決まりだな」
「で、ですが。そんなことしていただいていいのか……」
「いいに決まっているだろう。奇跡の使い手を我が国に迎えるんだ、何もしないようではノイスヴェルツの名折れにもなる」
そう言われてしまえば、確かにそうかもしれない。ローザミレアはそれ以上の言葉を呑み込む。
「そう遠慮するな。俺が、君と踊りたいんだ。今まで舞踏会というのは退屈なものだと思っていたが、君とならきっと楽しいだろう」
彼の言葉に、顔が熱くなる。
だが一方で――自分は重要なことを彼に隠している、と胸が軋む。
ヴィルフリートは、ローザミレアが王子との結婚式の最中で婚約破棄して逃げたことは知っているが、姉と魂を入れ替えて処刑したことは知らない。……それを知ったとき、彼はどんな反応をするのだろう。少なくとも、こんなふうに甘い視線を向けてもらえることはなくなるだろう、と思う。
(……浮ついた気持ちを抱いては駄目。私の目標は、ルゼンベルク王家の粛清。そのことだけを考えるようにしよう)
「さて、もう城に到着するな。しかし、フリューゲルはさすがに城の中には入れないし、庭園にいてもらう形でいいだろうか」
「そのことでしたら心配ありませんわ。――フリューゲル」
ローザミレアが名を呼ぶと、フリューゲルは城門の前に降り立つ。
二人が背から降りると――フリューゲルの身体が、淡い光に包まれた。そして、その身体がどんどん縮小化してゆく。
「私と一緒にいれば、フリューゲルは自由に身体の大きさを変えられるんです」
さっきまで迫力に満ちた巨竜だったフリューゲルが、今や掌サイズの、まるでぬいぐるみのような可愛らしい姿となっている。
「ほう、便利だな。では行こう、ローザミレア、フリューゲル。君達を、我が城へ歓迎する」
◇ ◇ ◇
正門を抜け、城までの長い距離を専用の馬車に乗せてもらい――ようやく王城の中へ入る。見渡す限り最上の材質で建築された、芸術の集大成であるかのような城。どこもかしこも塵一つなく磨き上げられ、あまりの眩しさに目が眩みそうだ。
(ルゼンベルクの王城には、慣れていたけれど……ここは更に美しいわ)
ローザミレアは使用人が用意してくれたドレスに着替えると、掌サイズになったフリューゲル、そしてヴィルフリートと共に謁見の間へ通された。ノイスヴェルツ王はルゼンベルク王と違い、穏やかかつ聡明な御方で、緊張していたローザミレアは拍子抜けするほど温かく迎え入れられた。
国王以外の人間……警備の兵士や使用人達も皆親切で、ローザミレアに嫌な顔をする者など一人もいない。
もともと現在は国王がヴィルフリートに王権を預けてある状態であるため、ヴィルフリートが彼女を歓迎すると決めた以上、彼に絶大な敬意と信頼を向ける臣下達はその決定に従う。それに、やはりユーフィネリアに到達したという偉業の影響は大きい。誰もがローザミレアに尊敬の眼差しを向けていた。
謁見の後は、大広間で食事の時間だ。ノイスヴェルツ城の料理長が、最高級の食材を使って腕をふるった、芸術品のような料理の数々。あまりに久々に食べる豪勢な食事、そして生まれて初めてというほどの美味さに、ローザミレアは舌鼓を打つ。
(綺麗な服を着て、美味しい料理を食べて……こんなの、いつ以来かしら)
ローザミレアは、ヴィオラマリーとしてゴールベル家にいた頃、シェリルリリーの言いつけで地味な衣服しか着ることを許されず、また公爵令嬢だというのに召使いのような扱いで家事を担っていた。人にご馳走を作ってもらえること自体、本当に久々なことである。
そうして幸福を満喫した彼女は、やがてヴィルフリートによって広い客室に案内された。天蓋付きの寝台に、天井にはシャンデリア。絨毯も調度品も、全てが最上品だ。
「ここが君の部屋だ、好きに使ってくれ。必要な物があればなんでも用意させよう」
「ありがとうございます、殿下」
「さすがに今日は、色々なことがあって疲れただろう。ゆっくりと休んでくれ」
「……はい、殿下」
ヴィルフリートが部屋を出ると、ローザミレアはふかふかの寝台の上に身を投げ出した。彼女の傍に、掌サイズのフリューゲルも身を丸める。
(……予定通りに行ったこともあるし、予想外のこともたくさんある一日だったわ。……私の運命は、この先どう転がるのかしらね)
否。ただ転がされるだけの人生に甘んじてはいけない。予定外の事態があったとしても、ルゼンベルク王家と両親への復讐は、必ず果たしてみせる。
「……ねえ、フリューゲル。私はこのまま突き進むわ。どうか、見守っていてね……」
ローザミレアがフリューゲルの頭を撫でる。
そうして、一人と一匹が柔らかな寝台で微睡みに落ちてゆく中で。
一方ルゼンベルクでは、グゾルと王が、憤怒に震えていた――
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