第36話・癒しの力
「どいてください! その人を助けないと……!」
ローザミレアは倒れた男性を助けようとするが、大勢の人々に阻まれてなかなか辿りつけない。
「なんだね、お嬢さん。あの男を助けるつもりなのか?」
「警察や医者には言うなよ! この夜会のことが知られたらまずいからな」
威圧感を漂わせた男達が、ローザミレアの前に立ち塞がるが――
「文句がある者は、俺が相手になる」
ヴィルフリートが、彼らに剣先を向ける。
この夜会は参加者による武器の持ち込みは禁止されているが、皆が怪我人の方に注目している間に、平民同士の見世物のため用意されていた武器の数々の中から、剣を抜き取ったのだ。
氷のような怒りを纏って剣を構える彼は、恐ろしいまでの迫力を放っていた。対峙する男達はその冷気に怯んだものの、ここで退くのは矜持が許さなかったらしく、彼らもそれぞれ武器を手にする。
しかし、ヴィルフリートは幼い頃から暗殺者や魔獣から己を守るため、王宮の教師によって剣術を学び、研鑽を重ねていた。彼の実力は騎士団の者達をも凌駕する。そこらの貴族達など相手になるはずもなく、全員武器を手から落とされ、彼の足元に尻もちをつくこととなった。
(今のうちに……!)
ローザミレアは怪我人に接近するが、そんな彼女の前に、体格のいい男が立ち塞がる。
「待てよ。あんたみたいなお嬢さんに何ができるっつーんだ」
下品な笑いを浮かべている男は、旧ルゼンベルクの下級貴族だ。
「せっかく昔のルゼンベルク気分を味わえる夜会を楽しんでたっつーのに。あんたみたいな偽善者は、見てて苛々するんだよな。ちょっと泣かせてやろうか?」
彼はローザミレアを、奇跡の子ではない、王妃でもない、何の力もないただの小娘だと思って舐め切っている。そんな彼に対して――
「そこをどきなさい」
「……っ」
ローザミレアは、周囲の空気を凛と震わせるほどの気迫で告げた。
それは、相手の男も思わず怯み、息を呑むほどの威厳であった。
奇跡の使い手として、そしてノイスヴェルツ王妃としての品格だ。誰をも圧倒する紫水晶の眼力に、周囲は無意識的に彼女の前を空けた。
「フリューゲル!」
極限まで縮小してテーブルクロスの下に隠れていた黒竜は、ローザミレアの一声で、会場を壊さない程度に巨大化し、彼女のもとへ飛んでくる。
「癒しのブレスを!」
やはりローザミレアの一声で、フリューゲルは口から淡く煌めくブレスを吐き出す。
そのブレスによって、回復薬では治せないほどであった致命傷も、みるみるうちに癒えて男は意識を取り戻した。
まさしく、奇跡の光景。普通の人間であれば、感動するところであるが。
己の保身のことしか考えていないこの場の貴族達にとっては、心臓が凍る思いであった。
「黒竜の力を使ってる、ってことは……」
「王妃……!? 王妃だ!」
「に、逃げろぉっ!」
ザワッ、と動揺が走り、皆一目散に逃げ出す。この違法夜会に参加していることを王妃に知られれば、破滅は免れないからだ。
貴族達が混乱し、一斉に出入口に集中する中で。あまりにも呆然として、その場に立ち尽くしたまま動けぬ人物がいた。
「何……あれ。あのローズって娘が、ローザミレア……? それに、ヴィンセントのあの強さ……。もしかして、国王陛下なの……!?」
その人物とは、ルイーザである。彼女は、これまでの「ローズとヴィンセント」と自分の会話を思い返し、屈辱に震える。
「あいつら、身分を隠してこの私を馬鹿にしていたのね……!? 許せない……!」
しかもこの状況は、完全に詰んでいる。自分がこの夜会にいたことは、彼らに知られているのだ。ローザミレア達は、この違法夜会にいた貴族達を裁くつもりだろう。このままでは、イルヤーシュ家の地位も崩れることになる。
ただでさえルゼンベルクがノイスヴェルツに統一されて以前のように贅沢ができなくなったのに、これ以上落ちぶれることなど耐えられない。どうせ、破滅は免れないのであれば――
「ジェイラス! あなたは、私の言うことならなんでも聞くわよね!?」
「ええ、もちろんです、ルイーザ様」
「なら、命令よ!」
ルイーザにとって幸か不幸か、ローザミレア達は怪我人の方に夢中で、こちらのことになど気付いていない。だからこそ彼女は爪先立ちをし、ジェイラスの耳へ、小声で囁いた。
「――ローザミレアを、殺してきなさい」
◇ ◇ ◇
「ローザミレア様、本当にありがとうございます……! あなた様は俺の、命の恩人です!!」
「俺からも、お礼を言わせてください! ローザミレア様のおかげで、彼を殺してしまわずにすみました……本当にありがとうございます!」
他の貴族達は皆逃げ去り、ローザミレア達と、虐げられていた平民達だけとなった会場内で。ローザミレアに救われた男と、彼を傷つけてしまった男が、彼女に深い感謝を捧げていた。
「今夜、この夜会で起こったことは、全てフリューゲルが見ています。主催者と参加者には、後々断罪を下しましょう」
こうして、この場は一件落着、後は城に帰るのみと思っていたのだが――
「動くな」
……低い声が、その場に響いた。
「動けば、この男を殺す」
ジェイラスが、この夜会において給仕をしていた平民を捕らえ、その首に剣を当てている。
(……まずい)
今この場にはフリューゲルがいるけれど、ブレスを吐けば、人質の平民も巻き込んでしまう。
「何が目的ですか、ジェイラスさん」
「ローザミレア様。あなたを殺して、私も死にます」
「……ルイーザに頼まれたの?」
「……いいや? これは、私の意思だ」
これまでローザミレアの前では、軽い笑顔や、ルイーザを慕う、しまりのない顔ばかり見せてきたジェイラス。
そんな彼が、今までの顔からは想像もつかなかった、酷薄な笑みを浮かべる。
「貴様が幸せになることなど許さない」
「――っ」
空気だけで心臓を刺すような、凄まじい殺気。さすがのローザミレアも息を呑む。
「貴様は、生かしておけない」
(これは……あの予知夢の……)
「……ジェイラスさん。あなたは何故、私を殺したいのですか」
「何故、だと……? そんなの、こちらの台詞だ。何故、貴様が王妃としてのうのうと幸せに暮らしているんだ……」
憤怒、悲哀、憎悪。
ジェイラスは、全ての負の感情が満ちた視線をローザミレアに向け――
「ヴィオラマリー様が処刑されたのに、貴様が生きていることなど許さん……! シェリルリリー・ゴールベル!」
「……えっ?」
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