第34話・溺愛夫は、他の女に興味がない
「あれに騙される男がいるというのなら、さすがに愚かすぎやしないか」
ヴィルフリートは、ルイーザに惹かれる男の気持ちが心底理解できない様子だ。ローザミレアは苦笑する。
「うーん。好みは人それぞれ、ということなのでしょうか……」
(少なくともジェイラスさんは、ルイーザのことを好きみたいだったしな……)
「俺は、君でなければ嫌だ」
ヴィルフリートは真剣に、ド直球に言う。
(そんなにはっきり言われると、嬉しいけど照れるのですが……!)
「え、えと。それは、その……あ、安心いたしました」
「……妬いてくれたのか?」
「ええと、その……多少は」
「心配することなどない。俺の頭の中は、君のことで満たされているのだから」
抱きしめられる力が強められ、耳に唇を近付けられた。吐息とともに甘い囁きが注ぎ込まれ、心臓が壊れそうだ。
「君こそ、大丈夫だったか? あの護衛と一緒にいて、何かされなかったか」
「はい。彼も、ちょっと不思議な人でしたが、悪い人ではなさそうでしたよ」
「それはそれで妬けるな。君にとって印象の悪くない男が、君と共に時間を過ごしたとは」
「自分は心配することはないと言っておいて、直後に妬かないでください」
「それは、君も俺と同じように、他の奴になど興味がないということか?」
ヴィルフリートは、少しだけ意地悪な笑みを浮かべて問う。答えはわかっているだろうに、あえてローザミレアの口から言わせたいみたいだ。
(もう……本当に、この人は)
普段は冷静なのに、ローザミレアのこととなると、悪戯な子どものような一面を見せる人。ローザミレアは彼の、他の誰にも見せないその顔が、とても好きだった。
「そ……そうです。私の頭の中だって、ヴィルフリートのことでいっぱいですよ」
顔が熱くなるのを自覚しながら告げると、ヴィルフリートはくつくつと甘やかな笑みを浮かべる。
「……可愛いな、ローザミレア」
耳もとに当たる彼の笑い声と吐息がくすぐったくて……だけど、心地いい。
「君がこんなに可愛いのに、他の女に目を向けるはずなどない」
ああ。また、頬に熱が集まる。彼の甘い声に、私だけを見つめてくれる瞳に、酔ってしまいそうになる。
(……幸せだわ、とても)
◇ ◇ ◇
剣が、こちらに向けられている。
明確な殺意を持った、鋭い刃。
私の命を狙う剣だ。
――『貴様が幸せになることなど許さない』
そう――幸せ。私は今、確かに幸せであるけれど。
……私は、本当に幸せになる資格のある人間だろうか?
ルゼンベルクの公爵、奇跡の子として生まれ……それでいて、近年に至るまで、王家や家族の暴虐を止めることのできなかった自分。やがて彼らを全員処刑台に送り、自分だけ生き残った、私。
私は結婚式で、誰より愛しいヴィルフリートに、共に幸せになろうと誓ったけれども。きっと、そんな私のことを許せない人々は、確かに存在するのだ――
◇ ◇ ◇
(……また、あの夢)
朝の光を感じながら、ローザミレアは瞼を上げる。
すると目に入ったのは、愛しい夫の顔だ。
「……ローザミレア。また、嫌な夢を見たのか?」
一瞬ドキッとしたが、ヴィルフリートには、予知夢のことは言っていない。昔の、姉やグゾルの夢を見たと思っているのだろう。
「……いえ。大丈夫です、ヴィルフリート」
予知夢のことが気にならないわけではないが、何せ的中率三割なのだ。わざわざ言うことではないと思う。
それにあんな夢を見るのは、自分の気持ちの問題なのでは? とも思っていた。ヴィルフリートと幸せになると決めた気持ちに嘘はないのに。あまりにも幸福な日々を送っていると、どこか不安が込み上げてくるのだ。
(結局、私が幸せ慣れしていないという話なのよね。今まで、さんざんな人生を送ってきたからなあ……)
「本当か? ……君は、辛くても耐えてしまうところがあるからな。何かあるなら、無理はしないでくれ」
「ふふ。ありがとうございます、ヴィルフリート」
おかしな夢は見るものの、それからも何事もなく日々は流れ――
◇ ◇ ◇
王と王妃として、書類仕事や社交など、忙しく日々を過ごし。
やがて、違法夜会が開かれるという日が訪れた。
ジェイラスから入手した情報をもとに、あの後日、あらためて
違法夜会は、表向きは普通の夜会である。だが、明らかに普通の夜会と比べて異質な点があった。料理や飲み物を運んでくる給仕――平民達が鎖つきの首輪をつけられ、わざとボロ切れのようなみすぼらしい格好をさせられている。
そんな平民達に対し、故意に葡萄酒を床に零し、拭かせる者。
臭い、汚い、醜いなどと永遠に怒鳴りつける者。
目つきが気に入らないなどと難癖をつけて鞭で打つ者。
それをこの場の誰もが、娯楽として愉しんでいる。
まるで、かつてのルゼンベルクの縮図だ。今この場では、以前までのように傍若無人に振る舞えなくなった旧ルゼンベルクの貴族達が、過ぎ去りし栄光に縋りつき、弱者を虐げることで鬱憤を晴らしている。それは明らかに、法にも人の道にも背くことであるのに。
異常な光景を繰り広げながら、人々は陶酔していた。
「ああ、やはりこうでなくっちゃ! 私達はこう在るべきなんだ!」
「平民を人間扱いするなんて、ノイスヴェルツはおかしい」
「平民は愚かで汚らしい。貴族がこうして躾けてやるのは、当然のことなのに!」
平民達は貴族の娯楽として虐げられているが、どんなに貴族に苦しめられたところで、ろくに金など貰えないのだろう。おそらく貴族達に弱みを握られているとか、脅されているとか、いずれにせよ逆らえないようにされているのだ。
(酷い……あまりにも、酷い)
一体、どこまで性根が腐っているというのか。
拳を握りしめ、湧き出る憤りに耐えていると――
「あらっ」
真剣にこの状況を憂いているローザミレアにとっては、あまりにも軽い声が耳に届いた。
「ヴィンセント! まあ、また会えるなんて、運命かしら」
二人が振り返ると、ヴィルフリートに秋波を送るようにして、ルイーザが近寄ってきた。後ろには、ジェイラスの姿もある。
(偶然、ではあるけど……。ルイーザ、好きそうだものね、こういうの。この場にいても驚かないわ)
「ねえねえ。せっかくまた会えたんだから、二人で過ごしましょうよ、ヴィンセント」
ルイーザはローザミレアのことなど目に入っていないように、ヴィルフリートに腕を絡めようとする。この前拒否されたというのに、全く懲りていない様子だ。しかしヴィルフリートは、冷めた目で身体を翻し、その腕を避けた。
「ちょっと、つれないわね。この私にそんな態度をとって、許されると思っているの?」
「この夜会は違法です。イルヤーシュ家の令嬢がこんな場にいたなど、言いふらされたくはないでしょう?」
実際には、現時点で既に王と王妃にバレているわけで。もはやルイーザはこの時点で後に罰せられることが確定しているわけだが――まだ二人のことを自分より身分の低い人間だと思っているルイーザは、ムッとした様子で言い返す。
「何それ。あなたが言いふらすっていうなら、私だって言いふらすわよ!」
「そうですか。ただの商人とイルヤーシュ家では、違法行為に手を染めていたと知られたとき打撃ダメージが大きいのは、そちらの方だと思いますがね」
ルイーザは、ぐっと言葉を詰まらせる。だがすぐに、ふふんと笑みを浮かべた。
「内緒にしてくれたら、とってもいいこと、してあげてもいいんだけどなぁ。ふふっ、こんなこと、誰にでも言ってるわけじゃないんだからね?」
品のない誘いである。ましてそれを、堂々とローザミレアの前で言うあたりが信じられない。一度は拒否されたというのに、「どうせ男なんて皆、根は単純なんだから」という侮りがあるからこその行動である。……ルイーザにとって、今まで自分に落ちない男などいなかったから。
「あっ、ごめんなさぁい。私ったら、ヴィンセントが素敵だから、つい。ローズさんの前でこんなこと、失礼よねえ」
ルイーザは、大きな瞳をうるうるさせて言う。
するとヴィルフリートは、何の感情もないような表情で告げた。
「ええ、本当に」
あまりにもばっさりと切り捨てられ、ルイーザは驚愕で目を見開く。
ヴィルフリートは、ローザミレアを抱き寄せて更に告げた。
「はっきりと言いましょう。俺は彼女を愛しています。あなたには微塵も興味がない」
「でっ、でも……。その子に束縛されて。本当は嫌なんじゃないの?」
「嫌なわけがないでしょう。彼女は身も心も、何もかもが愛らしい。もっと俺を縛り付けてほしいくらいです」
「……私よりも、その子の方が可愛いって?」
「はい。何を当たり前のことを言っているのですか? 自分のパートナーが最も可愛いのは当然です。他の女に目を向けることなど、ありえません」
ルイーザは口をぱくぱくさせ、「でも」だの「だって」だの言おうとしているが、結局何も言えずにいた。
「パートナーのいる相手に手を出そうとする人間を、俺は軽蔑します。……俺があなたのものになることは、永遠にありません。わかったら、早く俺の前から消えてください。これ以上彼女との時間を邪魔されたくないので」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます