第21話・牢獄の王子

 暗く冷たい、牢獄の中。ルゼンベルクの豪奢な王城とは比べ物にならないこの場所が、現在のグゾルの居場所だ。そして彼はもう死ぬまで、この場所から出られない。


 グゾルはこの牢獄の固い寝台で寝起きし、一日三度の粗食で生きている。牢獄の食事は、贅沢に慣れたグゾルの舌には合わず、毎日吐き出したくなっている。だが他に食べる物がなく、空腹には耐えられないため屈辱的な思いで嫌々口にしていた。


 こんなはずではなかった、とグゾルは思っていた。

 一体どこで間違えたのだろう、とも思っていた。


 シェリルリリーと初めて出会った頃――今にして思えば、まだシェリルリリーとヴィオラマリーが入れ代わる前。グゾルは自分の婚約者について、可愛らしく、奇跡の紋章を持つ、自分に相応しい女の子だと思っていた。


 その頃から既にグゾルは、大切な第一王子として周囲からちやほやされていた。欲しいものはなんでも与えられ、どんな我儘だって聞き入れられた。彼は幼い頃から、それが当然だったのだ。王子として家庭教師はついていたが、グゾルの「もっと美人の教師でなければ嫌だ」「僕に無理矢理勉強を押し付ける教師は嫌だ」という言葉で次々とクビにされ続け……。次第にクビを恐れて、誰もグゾルに強く「勉強しろ」とは言えなくなっていた。


 そんな中で苦言を呈したのが、当時のローザミレアである、シェリルリリーだった。


「グゾル殿下。私達は将来、王と王妃になるのです。国の未来のためにも、勉強は必要です」

「勉強なんて楽しくない。僕は遊んでいる方が好きなんだ。シェリルリリーも、一緒に卓上遊戯テーブルゲームでもしないか」

「私達は、人々の血税によって食べ物にも着る物にも困らない生活をしているのですよ。そのぶん、将来立派に国を支えていけるよう努めなければ」


 当時のシェリルリリーは、まだ六歳だというのに、既に大人のようなことを言う少女だった。グゾルには、それが堅苦しかった。せっかく顔は悪くないのだから、王妃や父上の側室達のように、僕の機嫌をとってニコニコ笑っていればいいのに、と。


 彼女の聡明さは、グゾルにとって次第に忌々しいものへと変わっていった。いつしかグゾルは彼女のことを、自分の思い通りにならない、生意気な女だと思うようになっていた。


 そんな彼女が、ある日を境に、突然変わったのだ。


「グゾル様! 私、グゾル様と遊びに行きたいですわぁ! 私、めいっぱいおしゃれしますから、一緒に観劇にでも行きませんこと?」


 あの彼女が、自分に媚びてくる他の女達と同じように、空っぽの笑顔でニコニコしていたのだ。まるで別人のようだった。


 今思えば、それはシェリルリリーとヴィオラマリーが入れ代わったから、だったのだが。グゾルは、彼女に自分の気持ちが通じて、変わってくれたのだと思った。


 それまでの彼女は、「無駄に権力に頼るのはよくない」と言って、困ったことがあっても王家を頼ることはなかった。彼女はいつだって凛として、自分の足で立っていたのだ。そんな彼女が――


「グゾル様ぁ。お姉様が私をいじめるんです! 助けてください!」


 うるうると瞳を潤ませて、自分に助けを求めてくれた。

 グゾルは、興奮した。とても気分がよかった。


 彼女に頼られ、ヴィオラマリーを叱責するたび、ヒーローになれた気分だった。何なら、彼女がもっと虐げられてほしいとすら思っていた。彼女が酷い目にあわされるほど、自分は彼女を守り、救ってやれる正義になれるのだから。ヴィオラマリーを叩くだけで優越感と自尊心が満たされるのだから、こんなに楽なことはない。


 ――だが、やはりグゾルには、不思議なことがあった。


 それは、ヴィオラマリーの態度だ。


「グゾル殿下。シェリルリリーは嘘をついています。彼女の言葉だけを信じ、ろくな証拠もなく感情的に私を責めるようでは、王子として相応しい態度とは言えません。国の未来のためにも、冷静な心をお持ちください」


 こちらを見るその瞳は、何故か以前のシェリルリリーと重なった。

 だからこそ、グゾルは余計、ヴィオラマリーに苛立った。


 この世で唯一、自分の思い通りにならない女。他の女と違い、自分に従わず、口出しをしてくる女。有象無象とは違う……特別な女。


 そんな目で僕を見るな。お前も今のシェリルリリーのように、僕に笑いかけ、僕を頼ってくれればそれでいいのに――


 そうだ。僕は、お前に、僕を見てほしかった。ただ、僕のことを気にかけてほしかったんじゃないのか?


(ああ、シェリルリリー……ヴィオラマリー……今は、ローザミレアか。僕は……僕は……)


 牢獄の、狭く硬い寝台の上で。グゾルは己の、決して認めたくないが、認めざるをえない感情と向き合う。


「ローザミレア……もう一度、君に会えたら――」


 グゾルがそう、独り言を呟いたとき。


「この期に及んでまだ、ローザミレアに会いたいなどと言っているのか?」


 冷たく呆れ果てた声が、グゾルの耳に入り込んだ。

 顔を上げると、檻の向こうに見えたのは、ヴィルフリートと、小さな黒竜の姿だ。


「な……!? 何故ここに……!」

「貴様の様子を見に、だ。貴様のことだから、どうせまた往生際悪く脱走など試みるつもりではないかと思ってな。もっとも、ノイスヴェルツの監獄は、簡単に脱走などできる造りにはなっていないが」

「ぐ……っ、なあ、頼む! 脱走などしないから、もう一度彼女に会わせてくれないか」

「何を馬鹿げたことを。貴様はローザミレアに乱暴しようとしたうえ、暗殺を企てた罪でここに入ってるのだぞ。会えるわけがないだろう。第一、彼女はもう貴様の顔など見たくもないさ」

「だが、こんな何もない牢獄に入れられ、己を見つめ返した中で……僕は、気付いたことがあるんだ」

「気付いたこと?」


 ヴィルフリートが問うと、グゾルは思春期の少年のように恥ずかしながら告げる。


「その……僕が昔、わざと彼女の好きな本を燃やしたり、彼女の髪を切ったりしたのは。好きだから、意地悪をしていたのかもしれん」


 グゾルにとってこの告白は、「僕の行為は悪意ではなく好意によるものだった。少年の可愛らしい恋心によるものなのだから、許されるだろう?」という、自分を肯定してもらうためのものだった。


 だがグゾルのそんな期待と裏腹に、ヴィルフリートは眉を顰め、心底呆れ切ったように彼を見下ろす。


「『好きだから』などと言えば、なんでも許されるとでも思っているのか? 相手の大事な物を燃やすのも髪を切るのも、立派な罪だ。……貴様にとっては彼女の気を引くための行為であっても、ローザミレアは深く傷ついたんだ。許されざる行為だという自覚を持て」


「つ、罪なんて大袈裟な! 好意によるものなんだから、そのくらい笑って許せばいいだろう! そうだ、あいつの身体に触れたのだって、好ましいという気持ちがあったからだし……別に減るものじゃないのだからいいじゃないか。お前だって、同じ男なんだから、わかるだろう!?」


「貴様がどんな気持ちであろうが、相手が嫌がっていたのなら重罪だ。許さない方が心が狭い、と相手を責めるのもどうかしてる。貴様の一時の不埒な感情のせいで、彼女の心は大きく擦り減って、一生忘れられない傷を負ったんだ。理解できるはずがない。同じ男として恥ずかしい」


「だが僕は昔から、本当はあいつに惹かれていたんだ! ようやく気付いたんだ! シェリルリリーと結婚したのだって、妬いてほしかったから……。あいつさえ頭を下げて頼んだのなら、側妃にしてやってもよかったのに!」


「妬いてほしくて別の女と結婚するなんて、相手を試すような行為をするから悪いんだ。貴様の言い分はあまりにも幼稚すぎる。そもそも、愛だなんだとほざいているが、貴様は結局『ヴィオラマリー』を処刑しただろう」


「それは、だから……っ! 処刑してしまえば、あいつが僕以外の誰かのものになることもないし……僕に泣いて許しを乞うかもしれないと思っていたし……。とにかく僕は、シェリルリリーも、ヴィオラマリーも、愛していたんだっ! 僕は真実の愛に気付いたんだ、彼女を呼んでくれ! 話し合えば、わかり合えるはずだ!」


 支離滅裂である。自分が処刑される未来は避けられないと知り、とにかく自分を正当化しようとしているのだろうか。ヴィルフリートは心底グゾルを軽蔑し、深く息を吐いた。


「ねえねえ、ヴィルフリート。ボクに任せて」

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