第20話・亡霊は心の中に

 ――結局、ゴールベル公爵と夫人は、ローザミレアとの対面こそ叶ったものの、一切の減刑を許されず、そのまま別れることとなった。


 公爵と夫人は、それぞれ牢の中に入れられ、囚人としての日々を送るようになったわけだが。


 目を閉じるたび、幼い頃の娘の声が聞こえてくるようだった。


 ――お父様、お母様……助けて……


 ……いつだっただろう? 幼い娘が「まだ」そんなふうに、自分達に助けを求めてきていたのは。


 だって成長した娘は、もう自分達に助けを求めてくることなどなかった。いつだって、全てを諦めたような目をしていて。だけど、ほんの僅か……心のどこかで、周囲が変わってくれることを願って、理不尽に耐えていた気もした。


 自分達だって、最初から「ヴィオラマリー」のことが煩わしかったわけではない。そりゃあ、貴族として、第一子は男子が欲しかったので、彼女が生まれたときに少し落胆はしたが。それでも自分達の子として、可愛がってきたはずだ。……「シェリルリリー」が生まれるまでは。


 シェリルリリーは、生まれながらにして奇跡の紋章を持つ子だった。だからこそゴールベル公爵と夫人も周囲から盛大に祝福され、持て囃された。第一王子との婚約さえ決まり、周囲から羨ましがられた。人生は順風満帆だと思い、有頂天になっていた。だから少しばかり、ヴィオラマリーを気にかけることを忘れていた。その頃シェリルリリーは、ヴィオラマリーに寄り添っていた気がするけど。


 ……だが別に、その頃はまだほんの少し、ヴィオラマリーに目を向けていなかったというだけだ。公爵令嬢として、衣食住などは何不自由ない生活をさせていたし、家事を押し付けることもなかった。


 変わったのは、十年前からだ。以前まではいつだってヴィオラマリーを思いやっていたシェリルリリーが、突然「お姉様が私をいじめるの」と訴えるようになったのだ。


 奇跡の子を虐げるなどとんでもないと、それから何度もヴィオラマリーを罰することになった。真冬の寒い日に、暗く狭い部屋に一日中閉じ込めたりもした。食事を抜いたりすることも日常茶飯事であった。罰と教育を兼ねて、使用人にやらせるような重労働をさせるようにもなった。


 ヴィオラマリーが、自分達の知らないところで身体に傷をつくっていたり、衣服がズタズタに切り裂かれていたりしたことに、気付いていなかったわけではないのに。


 ――『お父様、お母様ぁ! お姉様がいじめるの、助けてぇ!』


 そう言えば甘やかしてもらえるとわかっていて、目を潤ませ擦り寄ってきた娘。


 ――『お父様、お母様……助けて……』


 必死に泣くのを我慢し、心から救いを求めていた娘。


 ……わかっていたはずだ。本当に助けが必要なのは、ヴィオラマリーの方なのだと。


 だがシェリルリリーは奇跡の子であり、王子の婚約者だ。王子もシェリルリリーのことを気に入っており、彼女を叱責することは恐ろしかった。王子に何か言われる可能性があるからだ。ヴィオラマリーが虐げられているからといって、王家に逆らえるわけがない。


 だからゴールベル公爵と夫人は、見て見ぬふりをすることを、選んだ。


 ヴィオラマリーさえ悪役になって、我慢してくれさえいれば、すべてが丸くおさまるのだからと。娘を犠牲に捧げてきた。目を閉じ、耳を塞いで、徹底的に真実を遠ざけ続けてきた。


 やがてヴィオラマリーが自分達に助けを求めることはなくなったが、何も言われないのも責められているようで居心地が悪くて。「お前が悪い、お前が悪いんだ」と、ヴィオラマリーにも自分にも言い聞かせるように叩いたこともある。


 そんな公爵と夫人は、この牢獄の中で――夢を、見るようになった。


 断頭台に寝かされた「ヴィオラマリー」が、助けを求めてくるのだ。


 ――『お父様、お母様……助けて……』


 実際には、断頭台で処刑されたのはシェリルリリーなのだが――

 どちらであろうと、両親の罪が重いことに変わりはない。


 そもそも実の親でありながら、奇跡の紋章を持つ妹にばかり目を向け、姉を気にかけなかった両親の愚行が、全ての悲劇を招いたのだから。そして両親が「お姉様がいじめるのぉ」などと嘘をつくシェリルリリーを叱らず甘やかしたからこそ、彼女をどこまでも増長させることに繋がったのだ。


 悪夢は終わらない。夢の中で処刑されたヴィオラマリーが、「助けてくれなかった」自分達に怨嗟を向けるのだ。実の親でありながら、妹ばかり可愛がり、姉が断頭台に追いやられても、庇いもしてくれなかった両親。許さない、地獄に堕としてやると――


 これは奇跡の子の力などではなく、公爵と夫人の後悔、長年蓋をしてきた娘への罪悪感が、夢となって表れたものである。


 そして夢の中でヴィオラマリーは、あのときの言葉を口にする。


 ――『……罪には罰を。それが当然でしょう?』


 ヴィオラマリーは、首を刎ねられた。

 ローザミレアである彼女は、奇跡の力があったからそれを逃れられただけだ。

 どこかで一歩間違えば、ローザミレアは、本当に処刑されていた運命もあっただろう。

 牢獄に入れられ、手足に枷をつけられ、断頭台に寝かされて――


 そこで、ザアッと音がした。悪夢を見ていた公爵は、牢獄の固い寝台から跳ね起きる。


「ひいっ!」


 今の音は、単なる外の風の音だ。

 だがゴールベル公爵には、死の足音のように聞こえた。身体中がびっしりと冷たい汗をかき、心臓は恐怖によって壊れそうなほど音を立てている。


「ああ、ああああああ……! 亡霊が……あの子の亡霊が、私達を呪い殺す気なんだっ!」


 するとカツカツと、冷たい床を鳴らす靴音がした。公爵はまた、ビクッと大袈裟に震え上がる。


「騒々しいぞ。何を言っている」


 足音の正体は亡霊ではなく、牢獄の看守である。


「あああ……私は、殺される。あの子の亡霊に、殺されるんだ! 私達があの子を、見捨ててきたから……っ!」

「何の話だ、夢でも見たのか? 亡霊に殺されるのではなく、貴様は囚人として正式に処刑されると決まっているのだぞ」

「あの子は、私達を恨んでいるのだぁっ! 処刑よりもっと恐ろしい殺し方をするに違いない……! ああ、許せ、許してくれっ、ヴィオラマリー……!」


 悪夢は繰り返される。何度も、何度も何度も何度も、ゴールベル公爵の前で、自分達が虐げてきた娘の首が落ちる。娘は自分を責めている。実の父親でありながら、彼女を苦しめることしかしなかった、愚かな父親を――


 そうして公爵と夫人は、処刑日よりもずっと早く、精神を摩耗させてゆくこととなった。


 また、同じように囚人として牢獄に閉じ込められているグゾルの中にもまた、激しい後悔が芽生えていて――

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