第38話・生きていて

「私はかつて、貴族でありながら平民を思いやってくださるヴィオラマリー様に心を救われたのだ。シェリルリリー、貴様がヴィオラマリー様を虐げ、彼女を断頭台へ追いやったのだろう。貴様の蛮行を……私は、許さない」


 向けられているのは、確かに殺意なのに。

 その殺意が、ローザミレアの胸を熱くする。


(ああ……この人は、『ヴィオラマリー』のために、憤ってくれていたんだ)


「――ありがとう。あなたは、私を想ってくれていたのですね」


 ローザミレアが微笑みを浮かべると、ジェイラスが眉を動かす。


「『私』だと……?」


 まだ殺意は消さぬまま、しかし困惑で動けずにいる彼に、フリューゲルが口を開く。


「君の言う『ヴィオラマリー』は死んでないよ。奇跡の力で、過去に入れ替わっていた魂を元に戻したからね。断頭台で処刑されたのは、シェリルリリーだ。――ローザミレアは、君の想う『ヴィオラマリー』だよ」


 その言葉に、ジェイラスは大きく目を見開いた。


「なっ……!? ……こ、この状況から逃れるために、嘘をついているんじゃ……」


 まだ人質を放さない彼に、フリューゲルが説明する。


「ルゼンベルクがノイスヴェルツに統一されてから、旧ルゼンベルク地方は、少しずつ良くなっているでしょう? シェリルリリーが王妃だったら、こんなにいい国になると思う?」


 ――それは確かに、とジェイラスは考える。シェリルリリーが人々を救済するなど、ありえない。あの女であれば、色香によって王を惑わせ、旧ルゼンベルクを、以前より更に上流階級の人間が支配する世になる方向へ持っていくだろう。


「だが、そんなこと……っ。到底、信じられない……」


 ジェイラスは困惑に震えながらも、まだ剣を握りしめたままだ。

 するとフリューゲルが、ローザミレアに尋ねる。


「ねえ、ローザミレア。ジェイラスに回視のブレスを使ってもいい?」

「……そうね。でなければ、にわかには信じがたい話でしょうし」


 ローザミレアが頷くと、フリューゲルがジェイラスに語りかける。


「ジェイラス。その人質を放してくれたら、君に、今ここにいるローザミレアが、ヴィオラマリーだって証拠を見せてあげるよ。人質を捕まえたままだと、その人の方にもブレスがかかっちゃうからさ」


 ジェイラスは困惑した。人質を解放したらヴィルフリートに拘束されるのではないかと考えなかったわけではない。だが、目の前の女が、自分の慕うヴィオラマリーだと確認したいという欲に抗えなかった。


 彼は人質を解放する。もとより、罪のない平民を殺すつもりなどなかったのだ。シェリルリリーならともかく、ヴィルフリートなら人質を見殺しにはしないだろうと思い、盾として利用させてもらっただけで。……それも卑劣なことだと、十分に自覚はあったが。


 そうして、ジェイラスは回視のブレスを受けた。


「……!」


 彼が見たのは、「ヴィオラマリー」の記憶。


 ヴィオラマリーが、シェリルリリーやルイーザに虐げられていたこと。それでも、ルゼンベルクに良き国になってほしいと願い、周囲の人々がいつか理解してくれることを望んでいたこと。その期待を砕かれ、復讐の火を灯したこと。牢獄で痩せ衰える日々に耐えながら、やがてシェリルリリーと入れ替わっていた魂を元に戻し、ノイスヴェルツに逃げたこと――


「ぁ……、……これが……真実……っ」


 今までの現実を覆され、ジェイラスは打ち震える。

 そんな彼を、ローザミレアはまっすぐに見つめ、問う。


「……わかっていただけたでしょうか。私は、かつてのヴィオラマリー。奇跡の力によって、生き延びていたのです。……そしてそれは私が、シェリルリリーを断頭台へ追いやったということでもあります。ジェイラスさん。あなたは、私を軽蔑しますか」


「そんな、こと……どうだっていい、です」


 彼の手から、剣が滑り落ちる。

 そうして、ジェイラスはその場に膝をついた。


「生きていた……生きていて、くださったのですね……! あなたが生きてくれていた、それだけで、何もかもどうだっていい……っ」


 殺意を漲らせていたその瞳から、一筋の涙が落ちる。

 それはヴィオラマリーの無事を心から喜ぶ、美しい涙だった。


 しかしその光景を、呆然と見ている人物の影が。

 驚愕と怒りで、わなわなと震えているのは――ルイーザだ。


「何をやっているのよ、ジェイラス! ローザミレアを殺せって命令したでしょう!? 大体、あんた、私のことが好きだったんじゃないの!?」


 ジェイラスは涙を拭いて立ち上がると、冷たい瞳をルイーザに向ける。


「ヴィオラマリー様を虐げ続けた、貴様のような性根の腐った人間を、愛せるはずがないだろう。今まで傍で貴様に尽くし続けていたのは――裏切って殺してやるため。地獄に突き落としてやるためだ」


 これまでジェイラスがルイーザに向けてきた笑顔の面影は欠片もなく、彼はただ氷のように冷たい瞳をルイーザに向ける。殺意を伴ったその視線に、ルイーザはさすがに背を震わせた。


「な……何よそれ! 酷い……! 酷すぎるわ!」

「貴様はそれだけのことをしてきた。上辺だけどれほど着飾ろうが、貴様の魂は醜悪そのものだ。罪のない人々を虐げ続けた極悪令嬢め、これまでの自分の行いを猛省するがいい!」

「ふ、ふざけないで! この私を愚弄するなんて許さないわ!」


 キーキーとけたたましい金切り声を上げるルイーザに、フリューゲルが、やれやれとばかりに息を吐き出す。


「ま、いずれにせよ、ルイーザはもう処刑は免れないけどねー。さっき言った『ローザミレアを殺せって命令したでしょう!?』って言葉、ボクを含めここにいる全員が聞いていたわけだし」


 フリューゲルの言葉を聞いて――ルイーザは一瞬、絶望の顔を浮かべたものの。

 直後、何かに気付いたように、にやりと唇の端を上げる。


「ローザミレア! ジェイラスはあんたを慕って、こんなことをしでかしたのよ。でも、どんな理由があろうと、やろうとしたことは王妃の殺害。あんた、王子暗殺を企てた罪でルゼンベルク国王陛下とグゾル殿下を処刑しておいて、まさかこいつのことは見逃すなんてこと、しないわよねえ!?」


 ――確かに、ジェイラスは事情を知らなかったとはいえ、明確な殺意をもって王妃であるローザミレアを殺そうとした。許されざる大罪である。


「自分の好きな相手には優しくするのに、嫌いな相手は処刑するんだったら、そんなの、あんたが憎んでいたルゼンベルクの王族達と何が違うっていうのよ!? あはは、あははははっ! あんたは自分を好いてくれて、自分のために剣をとってくれたこの男を、殺すしかないのよ! でなければ、あんたは、かつてあんたを虐げた奴らとご同類になってしまうんだもの!」


(……『王妃を殺害しようとした』という罪であれば、ルイーザとジェイラス、平等に罰を与える必要がある)


 命令したのはルイーザだが、実行しようとしたのはジェイラスなのだから。


 だが、ジェイラスを処刑してしまいたくない。ローザミレアの中には、そんな思いがあって――

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