第5話・姉妹の過去

 ――これは、過去の話である。


「シェリルリリー」はゴールベル公爵家の次女であり、生まれながらにして「奇跡の子」の証を持っていた。だからこそ物心つく前からグゾル王子との婚約が結ばれ、両親も彼女を可愛がった。


 そして、両親は長女である「ヴィオラマリー」に目を向けることはなかった。


 だけどシェリルリリーは、一つ年上の姉のことをいつも気にかけて、仲よくしようと試みた。それを拒んだのは、ヴィオラマリーだ。


「何よあんた、妹の分際で私を哀れむ気!? 調子に乗るんじゃないわよ! 『奇跡の子』なんて、生まれつき証を持ってたってだけじゃない!」


 シェリルリリーがどれだけ友好的に歩み寄ったとしても、ヴィオラマリーはいつもそうやって彼女を怒鳴り飛ばし、人形でも本でも花瓶でも、周りにあるものはなんでも投げつけた。


「あんたさえいなければ、私が王子様と結婚できたかもしれないのに! 『奇跡の子』の座を! 『王子の婚約者』の座を! 私に寄越しなさいよ!」


 ヴィオラマリーはいつも、シェリルリリーのものを欲しがっていた。そうして彼女を憎み、親の目がないところでシェリルリリーを虐げていた。シェリルリリーはそんな姉を落ち着けるべく、彼女が欲しがったものはなんでも譲ることにした。誕生日に貰ったドレスでも、大切にしていた人形でも、全て。


 だが姉は満足することなく、シェリルリリーが下手に出るほどエスカレートして、陰湿な嫌がらせを繰り返した。刃物を持ち出し、見えないところへ傷をつけることも多々あった。


 そんなある日……ヴィオラマリーが九歳、シェリルリリーが八歳のとき。純白の鳥達が無数に空を舞い、歌うように鳴いていた日のことだ。


 シェリルリリーが、「奇跡の子」の力を覚醒させるため魔法の練習に励んでいたところで、ヴィオラマリーが嫌がらせのため体当たりをしてきて――その瞬間に、「それ」は起きた。


「あ……れ? 私、お姉様になってる……」

「私、シェリルリリーになってる……!?」


 ――そう。二人の肉体と魂が、逆になった。

 このとき既に、二人は一度入れ替わっていたのだ。


 そして、「奇跡の子」の証を持つ妹の肉体を手に入れたヴィオラマリー……「シェリルリリー」と化した彼女は、興奮と高揚で目を血走らせていた。


「ふふ……あはは! やっぱり、私が『奇跡の子』だったんだ! いい、今から私が『シェリルリリー』よ! あんたは今日から、誰にも見向きされない『ヴィオラマリー』として生きなさい! あははははっ!」


 ヴィオラマリーになった元・奇跡の子は、このとき、姉を哀れんだ。「シェリルリリー」になれたことを心から歓喜し、元の自分を「誰にも見向きされない」なんて平気で言う彼女に同情したのだ。


 実際、証を持たずに生まれてきたことに関しては、姉のせいではない。妹ばかりを可愛がったのは両親が悪い。姉は性格が歪んでいるが、両親の愛を得られなかった被害者ともいえる。


 だから魂の入れ代わりによって「ヴィオラマリー」となった奇跡の子は、それを受け入れよう、と思った。


 自分が「ヴィオラマリー」になることで、「シェリルリリー」になった姉が満足し、幸せになれるのであれば。彼女に「シェリルリリー」を譲り、自分はこの先一生「ヴィオラマリー」として生きようと、覚悟を決めたのだ。


 こうして「ヴィオラマリー」になった彼女は、これで平穏な人生を歩めると思っていた。もう、毎日姉に責められることから解放されるのだから――


 ……だが。「王子の婚約者」という無敵の立場を手に入れた「シェリルリリー」は、嫌がらせをやめるどころか、以前よりも更に激しく彼女を虐げるようになった。


 どれだけ酷いことをしたって、両親やグゾルに「お姉様が酷いの~」と泣きつけば、皆が味方になってくれることに、味をしめたのだ。誰もが自分をちやほやしてくれることが快感で、止まらなくなっていった。


「私は奇跡の子! そして王子の婚約者なのよ! あんたは私に絶対逆らえない! 悔しいでしょ、あははははっ!」


 そしてグゾルも、自分の婚約者の中身が別人になったなどと気付くこともなく――むしろ、こんなことを言っていた。


「シェリルリリー。以前の君は、女のくせに勉強なんかして生意気だったし、僕にも本を読むことを勧めてきたりして、嫌だったんだが。最近の君は、僕のやることに口出しせずニコニコ笑っているだけで、とてもいいな。女性として魅力的だよ」

「まあ! うふふ、グゾル様。私、とても嬉しいですわ!」


 ……今はヴィオラマリーである奇跡の子が、以前勉強ばかりしていたのは。次期王妃になる者としてしっかり教養と知識を身に付け、勉強が苦手で努力もしないグゾルのため、国政を支えられるようにと考えてのことだ。


 グゾルに対しても、国王となる者がいつまでも「勉強なんて嫌いだ!」とろくに本も読まないのは問題だと思い、彼にも読めそうな簡単で面白い本を選び、勧めていたのである。それすら、グゾルはろくに中身も見ずに放り出していたが。


 今の「シェリルリリー」は、ただニコニコと笑って無条件にグゾルを肯定しているだけだ。一国の王となる人物がこのままでいいはずがないのに、国の未来のことなど何も考えていない。


 それでも、ヴィオラマリーとして生きるのだと決めた少女は、耐えていた。


 ……私を虐げることで、シェリルリリーの気がすめば。

 ……シェリルリリーもグゾルも、年を重ねて分別がつくようになれば。


 そんなふうに、いつか、どこかで皆が改心してくれることを、期待していた。

 自分の血の繋がった家族や婚約者が、そこまで愚かだなんて、信じたくなかったから。


 だけど長年虐げられて、とうとう我慢の糸が切れ――彼女は、復讐を決意した。

 それは、彼女にとってはとてもシンプルな復讐。

 入れ替わっていた肉体と魂を「元に戻す」だけなのだから。


 ……そもそも姉妹の魂と肉体が入れ代わったきっかけについて。姉は「本当は私が奇跡の子だった! それを何かの間違いで妹が証を持って生まれてしまった。見かねた神様が、ちゃんと運命を正してくれたのよ!」なんて信じていたけれど。


 本物の奇跡の子は、わかっていた。空に無数の白い鳥が羽ばたき歌うように鳴いていたあの日は、十年に一度の「輝照日」という、魔力が満ちる特別な日。奇跡が起きる、めでたい日であるとも言われているので、王族の結婚式はこの日を選んで行われることが多い。


 そんな特別な日の、魔法詠唱中に体当たりされたことで奇跡の力が誤った発動をし、二人の魂が入れ代わった。だが奇跡の子には、輝照日のうちでさえあれば魂を元に戻すことができたのだ。シェリルリリーになれたことをあまりに喜ぶ姉の姿を見て、そうしないことを選んだだけで。


 奇跡の力は、肉体ではなく魂に宿る。だからこそ、肉体を手に入れただけの偽物は今まで何の力も使うことはできなかった。だが本物の奇跡の子は。頭の中で念じるだけで、いとも簡単に入れ替わりを行うことができたのだ。


 かくして奇跡の子は、元の肉体に戻り――今まで彼女を虐げてきた偽物もまた、元の自分の身体で、断頭台に引きずられてゆくのだった。

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