第8話・浮遊島ユーフィネリア
ローザミレアとヴィルフリートは、黒竜の背に乗り、大空を飛翔してゆく。ノイスヴェルツの上空を覆う、無色透明の魔法結界も黒竜が通る部分は解放しており、障害物は何もない。
黒竜が自らの意志で背に乗せた者は、黒竜の加護によって空気抵抗なども緩和され、魔力防壁によって落下の心配もないため、ただひたすらに快適であった。
「すごいな……こんな景色は初めてだ」
「ふふ、私もですわ。……あなたのおかげよ、フリューゲル」
ローザミレアは、黒竜の背を撫でる。
「フリューゲルというのが、この黒竜の名なのか」
「はい。私が名付けました」
「ほう。……そもそも君は、この黒竜とどうやって出会ったんだ?」
「以前、一人で森を彷徨っていたことがあって。そのときに、偶然」
ローザミレアとフリューゲルの出会いは、約半年前。ローザミレアがまだ「ヴィオラマリー」と呼ばれていた頃に遡る。
(……懐かしいな。ろくなことがない人生だったけど、フリューゲルと出会えたことは幸運だったわ)
ローザミレアは、かつての日々に思いを巡らせる。
彼女がグゾル王子から「シェリルリリーをいじめた罰として、しばらく森の中で頭を冷やしていろ」と、魔獣がうろつく夜の森に一人で放置されたときのことだ。お腹が空いたので、食べられる草でもないかと探していたところ、まだ、ごく小さな黒竜を見つけて――
◇ ◇ ◇
●回想
その黒竜は、大きな猪型の魔獣に追いかけられていた。
伝承では、地上最強の生物とも言われる黒竜だが、奇跡の使い手と出会わないかぎり、真価を発揮できない。どんなに優れた魔道具も、魔力を通さなければ動作しないガラクタであるように。黒竜には奇跡の使い手が必要不可欠なのだ。
翼に傷を負ってうまく飛ぶこともできない小さな黒竜を見つけたのが、ローザミレアだ。黒竜と、それを追いかける魔獣が少しずつ近付いてくるものの、恐ろしくはなかった。姉やグゾルのことで心が疲弊し、麻痺して、もはや何も感じなくなっているというせいもあるが。
姉もグゾルも、人の形をした化け物のようなものだ。同じ言語を用いていたって、ちっとも意思疎通ができない。それに比べれば、黒竜も魔獣も可愛いもののように感じる。
「あなた、いじめられているの?」
彼女は、小さな黒竜にそう語りかけた。
魔獣とは瘴気から発生する、理性のない凶暴な魔力体であり、瘴気によって存在を保っているため、生物を食糧にすることはない。だから魔獣が生物を襲うのは、生存のためではなく暴虐のためでしかないのだ。生きるために必要な狩りとは違う。
「力をあげるわ。その代わり、私のことも守ってくれる?」
――そうして彼女は、「奇跡の力」を使った。
掌ほどの大きさだった黒竜はたちまち巨大化し、見る者を圧倒する迫力と、膨大な魔力を帯びる。身体を覆う鱗は深い闇色であっても、威厳に満ちたその佇まいは、神聖さすら感じさせるほどだった。
黒竜の吐き出すブレスによって、魔獣はたちまち浄化され、消滅した。
「すごい、成功ね。黒竜さん、その姿、とてもかっこいいわ」
黒竜は、歓喜と感謝を表すように鳴き声を上げた。彼女は、硬い鱗に包まれたその身をそっと撫でる。
「ねえ。あなた、名前はあるの? ……ないのね。じゃああなたの名前は今日から、フリューゲルよ」
彼女と黒竜は、お互い今まで虐げられてきた傷を埋め合うように、共に時間を過ごした。彼女には友人と呼べる人間はいなかったが、フリューゲル相手なら心を開くことができた。フリューゲルも同様で、物心ついた頃から周りに同族がおらず孤独だった彼にとって、彼女の優しさは、温かく沁みるようだった。
「こんな生活から逃げ出してしまいたいと思うことは、正直、たくさんあるわ。でも家族だから、今まで我慢してきてしまった。だけどそれも、そろそろ限界ね」
姉だって辛かったはずだ、私にも悪いところがあったのかもしれない……そんなことを何度も繰り返し考えては、見放すことができずにいた。だけど、いつまで経っても少しも自分を省みないあの人達に、もう愛想は尽きている。破滅へのカウントダウンは、既に始まっているのだ。
「ねえ、フリューゲル……もし、私が本当に逃げ出したいと願ったときは……私を連れて逃げてね。一緒に、もっと幸せになれる国へ行きましょう」
かくして奇跡の使い手と黒竜は、共に隣国へと向かい――
今はノイスヴェルツの王子も乗せ、前人未踏の浮遊島を目指して飛んでいるのだ。
◇ ◇ ◇
二人と一匹が空の旅を楽しんでいると、魔獣の群れと遭遇した。悪魔のような翼を持つ、飛行型魔獣が数十匹、ローザミレア達に殺意を向ける。
咄嗟にヴィルフリートが攻撃魔法を唱えようとしたが、ローザミレアが静かに遮る。
「この程度、フリューゲルにかかれば、なんでもありませんわ」
刹那、フリューゲルは口から仄青いブレスを吐き出した。
数十匹はいた魔獣達は、そのブレスを受けるだけで浄化され、消滅する。まさに一騎当千である。
「ほう。すごいな」
ヴィルフリートが感嘆の声を零す。ローザミレアは、友であるフリューゲルが褒められることが誇らしくて、自然と顔が綻んだ。
(フリューゲルのブレスの種類はもっと多いし、その中には規格外の効果を持つものもあるけれど……。それはまだ、いざというときの切り札として、とっておきましょう)
そうして、魔獣を浄化しながら飛び続けること、約一時間強。
次第に浮遊島との距離が縮まり――ローザミレア達はとうとう、ユーフィネリアを目前にしていた。
「間もなく、ユーフィネリアに足を踏み入れることになる。何があるかはわからない。今までとは比べ物にならない凶悪な魔獣がいるかもしれないし、毒の瘴気が満ちているかもしれない。覚悟はできているか、ローザミレア」
「ご安心ください。殿下のことは、必ずお守りしますわ」
「……俺のことじゃない。君は本当にいいのか、という話をしているんだ」
「ええ、もちろん。ここまで来て、今更嫌だなどと言いませんわ。前人未踏の地に、初めて到達できるのです。どうせなら楽しんでいきましょう」
「……君は、本当に素晴らしい胆力をしているな」
「お褒めいただきありがとうございます」
そうしてフリューゲルの背から降り、ユーフィネリアの大地に足を踏み入れて――
ローザミレアもヴィルフリートも、眼前にひろがる光景に目を奪われ、言葉を失う。
「ここが、ユーフィネリア……」
草木が生い茂っているという点では、一見地上と同じようにも見える。だが植物は、地上のものと似て非なるもので、どの木々や草も、薬効や魔力を帯びているようだった。更に、地上と異なる点は植物だけではない。
「こんなに、魔石があるなんて……!」
地上においては貴重品である、魔石。それが、まるで大地に花が咲き乱れるように、木に果実が実るように、豊かな自然に紛れてあらゆるところに点在しているのだ。もう薄暗くなった空の中で、色とりどりの魔石が淡く光を放つ光景は、この世のものとは思えぬほど美しく幻想的だった。
「これだけの魔石があれば、民の生活を、更に豊かにすることができるな」
そう歓喜の声を零したのは、ヴィルフリートだ。
富や名声ではなく、真っ先に喜ぶ点が民のことであるということに、ローザミレアは好感を抱いた。もしもグゾルであれば、この魔石全てを独占し、いかに自分が贅沢をするかしか考えないだろう。
(同じ王族であっても、こうも違うのね……)
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