第7話・隣国の第一王子

 奇跡の子は、黒竜の背に乗ったまま、隣国であり大陸一の大国であるノイスヴェルツを目指していた。


 隣国といっても、このフレイディーグ大陸はノイスヴェルツを中心にしてそれを囲むように他の国々が連なっており、ルゼンベルクもその中の小さな国の一つというだけでしかない。


 そして隣り合っているというのに、ルゼンベルクとノイスヴェルツでは、経済力・魔法技術力・軍事力など、どれをとっても雲泥の差がある。ノイスヴェルツは、全てにおいて大陸最上の国だ。


 黒竜の背に乗って空を飛び続け、やがてノイスヴェルツの国境に辿り着く。しかしノイスヴェルツは国全体を覆うように、無色透明のドーム型の魔法結界が張ってあり、たとえ上空からであろうと、無断で入国することはできない。


 ゆえに奇跡の子は、関所となっている砦に降り立つことにした。

 そこで彼女を待ち構えていたのは――息を呑むほどの美青年だ。


「来たか。シェリルリリー・ゴールベル」


 鴉の濡れ羽のような漆黒の髪に、赤い氷のような、冷たい深紅の瞳。恐ろしいほど整った顔立ちは、生きた人間というより、至高の彫像であるかのようで、見る者を圧倒させる。


「あなたは……」


 彼女は、その顔に見覚えがあった。今まで直接言葉を交わしたこともなければ対面したこともないのだが、肖像画などで見たことがあったからだ。何せ彼は、この大陸の重要人物である。


 黒竜の背から降りた彼女は、最上のお辞儀カーテシーで敬意を表する。


「――ヴィルフリート王子殿下。お会いできて光栄に存じます」


 そう、彼こそがこのノイスヴェルツの第一王子にして、次期国王となることがほぼ確定している男。


 ノイスヴェルツの伝統として、国王が王子に王座を譲る前に、本当に王位に相応しいか見極めるため、王権の一部を預けて王子に治世を任せる期間がある。ノイスヴェルツの現国王は健在だが、その伝統のため、ヴィルフリートは現在、様々な事象に関し国王に代わって決定する権利を有している。


「ああ。俺も君を待っていた、『奇跡の使い手』」


 彼女とヴィルフリートは初対面である。だというのに、ここに来るのをわかっていたかのような言動を、彼女は不思議に思った。


「私がここに来ることが、わかっていらしたのですか?」


「ルゼンベルクでの結婚式には、祝福のため、我が国からも使者を送っていた。その使者から伝令水晶で、『奇跡の使い手が王子に婚約破棄を言い渡し、黒竜を使役してノイスヴェルツの方角へ向かった』との情報が入ったからな」


 伝令水晶とは魔道具の一種で、それを持つ者同士であれば、遠く離れた場所にいても会話ができるという道具である。ルゼンベルクにはまだない技術であり、ノイスヴェルツでも王族やごく一部の貴族しか所有する者はいない、希少な品だ。


「ルゼンベルクには『奇跡の使い手』というものが存在することは、以前から知っていた。だが何か特別な魔法を使ったという話は聞いたことがないし、てっきりただのお飾りのようなものかと思っていたのだがな。……黒竜を使役したとなれば話は別だ。使者からの報告を聞き、転移魔法でここまでやって来たというわけだ」


「まあ。ヴィルフリート王子殿下が直々にいらしてくださるなんて……光栄でございます」


「直接出向くほどの価値があると判断したからな」


 赤い氷のような瞳が、彼女と黒竜をじっと見据える。見極められているのだろうな、と彼女は思った。


 黒竜はこの大陸において伝説の存在だ。凶暴な魔獣でも一掃できる強大な力を持つとか、国に癒しや恵みを与えるといった様々な伝承を持ちながらも、その力を目の当たりにした者は誰もいない。黒竜は黒竜のみでは力を振るうことができず、奇跡の使い手と出会うことで初めて真価を発揮できるからだ。


「殿下にそう言っていただけるのであれば、安心しましたわ。……では、私はノイスヴェルツに受け入れていただけるということでよろしいのでしょうか」

「ああ、もちろん。――と言いたいところだが。その前に、確かめさせてほしい。君の奇跡の力と、黒竜の力を」


 彼女は笑顔を崩さなかった。ここで無条件に受け入れてもらえるほど甘い話はないだろうなと予想していたからだ。ある意味、想定通りともいえる。


「ええ。具体的には、何をすればよろしいのでしょうか?」

「『あれ』だ」


 ヴィルフリートは短くそう言って、天上を指した。


 ノイスヴェルツの遥か上空には、巨大な浮遊島がある。文字通り、浮遊する島だ。なぜ島が浮遊しているのかは解明されていない。おそらく何らかの魔力の影響だろうと予想されているが――そもそも、その浮遊島に辿り着いた者が存在しないからだ。


 大陸一の技術力を有するノイスヴェルツであっても、飛行の魔道具はいまだに開発成功していない。転移魔法も、そもそも最上級の高等魔術であり、転移前の場所と転移先の場所、両方に大がかりな魔法陣が必要となる。ゆえに未踏の地に転移魔法で移動することはできない。この大陸には、天上の島に到達する技術がないのだ。


 ゆえに、浮遊島――ユーフィネリア島は一応ノイスヴェルツの領空内にあるということでこの国の領土とされているものの、前人未踏の、誰も辿り着くことのできぬ幻の地とされていた。


「ノイスヴェルツは、かねてよりユーフィネリア島を調査したいと望んでいた。何せ、あの島は我が国の上空にある。何の力で浮遊しているのか不明な以上、いつか突然落下してくる可能性がないとも言えない。この国には上空にも結界を張ってあるとはいえ、未知の島の落下をどの程度防げるかわからん。ユーフィネリア島は、我が国にとって脅威だ。そして希望でもある。伝承では、あの島には豊富な魔法資源があると言われているからな」


 ヴィルフリートの言葉に、彼女は頷く。


「わかりました。私がこの子に乗って、あの島に行けばよろしいのですね」

「黒竜の背に、もう一人くらい乗れるだろう。俺も共に行く」

「まあ……殿下が?」

「誰も同行しないのでは、島に到達したと言われても、君の報告が嘘か真実かわからないだろう」

「その通りですわね。ですがユーフィネリアは、私も行ったことのない未知の領域です。何があるかわかりません。殿下が直接お向かいになるのは危険では?」

「問題ない、武術も魔術も一通り極めている」


(……同行することで、私という人物を見極めようとしているのかもしれないわね)


 これは、試験のようなものなのだろう。ユーフィネリアに到達できるかどうかという点もそうだが、おそらく「奇跡の使い手」の人格のチェックでもある。


(私が、黒竜の力を使ってノイスヴェルツに反旗を翻すような人物ではないか、確かめたいのでしょうね。……でも、だったら存分に観察してくださって構わない。私は『ノイスヴェルツに』危害をくわえる気は全くないもの)


 ――ルゼンベルク王家には反逆するつもりだけどね、と、彼女は心の中で付け加える。


「かしこまりました。では殿下もお連れします。にしても、臣下ではなくご自身で同行するとは、ヴィルフリート殿下は勇敢ですわね」


 それが次期国王として、良いか悪いかは判断が難しいが。国を混乱に招かぬよう、国王は自分の命を危険に晒さぬことも重要だ。とはいえルゼンベルク王のように自分の命ばかり大事にして臣下を駒としか扱わないのも問題である。国益のため自ら率先して行動するという点においては、彼女は少し好ましく思った。


「別に。万が一命を落としたのであれば、俺は王に相応しくない者だったということだ。俺には優秀な弟が何人もいる。俺が死んだら、代わりに弟達の誰かが王となるだろう」


 自分の死の可能性と、代わりはいるということを淡々と話すヴィルフリートに、彼女は微かに驚く。そしてその表情を見逃さなかった彼は、続けて口を開いた。


「別に自分を卑下しているわけでもないし、命を粗末にする気もない。ようは生還すればいいだけだ。優秀な弟が何人もいるからこそ、俺が最も王に相応しいのだと、皆に認めさせる必要がある。であれば、怯えている暇などないというだけのことだ」


 ヴィルフリートの言葉に嘘はないようだった。彼は己の、王としての資質に、驕りではない自信を持っている。だからこそ、未知の領域にも恐れず挑むのだ。


「かしこまりました。では、早速参りましょうか」

「……結構な難題を突きつけたつもりなんだが、君は、少しも怯まないんだな。話が早くて助かるが、本当にいいんだな?」

「駄目だったら、私もそれまでだったということですね。それに」

「それに?」

「誰も足を踏み入れたことのない未知の領域に行けるなんて、少しワクワクしませんか?」


 そう。彼女はほんの少し、高揚を覚えていた。

 何せずっと狭くて暗い牢の中に閉じ込められていたのだ。自由に動けること、見知らぬ場所に行けることが楽しい。本来は緊張を覚える場面だというのに、まるで冒険家にでもなった気分だった。


 彼女の言葉に、今度はヴィルフリートが目を見開く番だった。

 そして彼は、滅多に見せない微笑を浮かべる。


「……ふ。確かにそうだ。俺も黒竜に乗って空を飛ぶなんて初めてだしな。君との空の旅路は退屈しなさそうだ、シェリルリリー」


 ヴィルフリートの笑みも言葉も、彼女にとって嬉しいものだった。だけど最後に呼ばれた名だけが、胸に引っかかる。


 彼女は「シェリルリリー」として生を受け、しかし八歳のときに「ヴィオラマリー」になり、そのまま生きようと決意した。だがあまりにも理不尽な姉と婚約者に愛想が尽き、「シェリルリリー」である自分を取り戻したのだ。……あらためて、なかなかに奇妙な人生である。


 何にせよ、「ヴィオラマリー」は元々姉の名だし、「シェリルリリー」もこの十年間姉が使っていた名だ。今更どちらで呼ばれても違和感を抱いてしまう。


「……大変恐れ入りますが、殿下。私は自分の故郷を捨て、過去の名も捨てたいと思っております。私のことは……そうですね、『ローザミレア』とお呼びいただけませんか」

「君が望むのならそうしよう。では……ローザミレア」


 シェリルリリーとヴィオラマリー以外の適当な名前を、と思って咄嗟に答えた名ではあったが、呼ばれてみると、不思議なほど自分にしっくりくる。ヴィルフリートの声は低く涼やかで、彼が口にすると、その名はとても尊いもののように思えた。


「ありがとうございます、殿下。そうだ……名前のついでに、こっちもこうしてしまいましょう」


 ローザミレアの身体が、淡い光に包まれる。

 すると、今まで銀髪碧眼だった容姿が、赤髪に、紫水晶のような瞳に変わった。


(この先、鏡を見るたび『シェリルリリー』のことを思い出す生活というのも、嫌なものだからね)


「驚いた。奇跡の使い手というのは、自分の姿も自在に変えられるのか?」

「変えられるのは自分の姿のみで、衣服までは無理ですけどね」

「そのようだな。では、ユーフィネリアに出発するために、もう少し動きやすい服を用意させよう」


 何せ今のローザミレアは、結婚式から逃げ出してきたときそのままの、純白のドレス姿だ。美しくはあるが、冒険には向かない。


 そうしてローザミレアはグゾル好みに誂えられたドレスを脱ぎ捨て、新しい衣服に着替え――

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