第32話・誘惑など無意味

 ルイーザの護衛と二人きりになったローザミレアは、あらためて彼と向かい合う。


(せっかくだから、この人から何か情報が得られないか、探ってみよう)


「私、ローズと申します」


 偽名を名乗ると、彼はにこりと人懐っこい笑みを浮かべて挨拶を返した。


「はじめまして。私はジェイラスと申します。はは、初対面なのに一緒に行動するなんて、なんだか不思議な状況になってしまいましたね」

「そうですね。それにしても、あなたは護衛なのに、ルイーザ様にお付きしていなくてよろしいのですか?」


 ローザミレアの問いに、ジェイラスは肩を竦める。


「ルイーザ様は、私などの言うことは聞いてくださいません。あの方がついて来るなと言うのであれば、私は従うだけですよ」

「そうですか……なんだか大変そうですね」

「いえいえ」


 ジェイラスは再びにっこりと笑い、頬を染めて答える。


「そんな少し我儘なところも、お可愛らしいでしょう? お守りするべきご令嬢にこのようなことを言ってはならないのですが、ルイーザ様は本当に見目麗しいですから!」


 デレデレと、恋する少年のように語るジェイラス。なんだか昔を思い出すな、とローザミレアは思う。ルイーザは以前から我儘であったが、抜群に可愛らしい容姿をしているため、男性陣からは人気があった。シェリルリリーとルイーザが二人並ぶと、周囲の男性達の視線を集中させたものだ。


「ああ、ですがローズさんは、せっかくパートナーといらしていたのに、残念でしたよね。ルイーザ様が申し訳ありません」

「いえ、ジェイラスさんが謝ることではありませんから」


 そこで一度、会話が途切れる。ローザミレアは次の話題について考えた。


(違法夜会について、情報は欲しいけど……)


 いきなり「違法夜会の情報を知っていますか?」などと聞くのはあまりにも怪しすぎる。もう少し雑談を試みよう、と考えた。


「ジェイラスさんは、ルイーザ様に付き合って娯楽場で遊んだりすることはないんですか?」

「ありませんね。私はあくまで護衛ですから。遊んだりせず、ただルイーザ様をお守りするだけです。それが私の仕事ですので」

「なるほど。……ジェイラスさんは、ご自身のお仕事に誇りを持っていらっしゃるのですね」

「ええ、天職ですよ。誰よりあの方のお傍にいられますから。ルイーザ様は、誰にも殺させません」


 ローザミレアは不思議な気持ちになる。彼女から見たルイーザは身勝手な人間でしかないのだが、ジェイラスにとっては違うのだろうか。性格がどうであれ、外見が美しければ構わないということだろうか。


(まあ、この人がルイーザのもとでも幸せに日々を送れているのなら、構わないわ。幸せなんて、他人が決めるものではないし)


「ふふ。ジェイラスさんは、ルイーザ様のことをとてもお慕いしているのですね」

「いえ、そんなそんな。いえその、もちろん守るべきお嬢様としては、ルイーザ様のことばかり考えていますが」


 今まで、デレデレと頭から花を撒き散らすようであったジェイラスだけれども。

 何故か一瞬、ほんの一瞬だけ、素の顔を見せるかのように目を伏せた。


「――平民と公爵令嬢との恋なんて、叶うものではありませんから」


 彼は、次の瞬間にはすぐ気の抜けた笑顔を浮かべ、頭を掻く。


「ははっ。私の恋なんて、実るようなものじゃないんですよ」


 ローザミレアは、今の彼の態度にどことなく――違和感を覚えた。

 だが、その違和感が具体的に何なのかというのを、説明することができない。


「さて、ローズさん。せっかく娯楽場に来たのに、遊ばなくていいんですか。何かやりたい遊戯ゲームがあるなら、案内しますよ。いつもルイーザ様の付き添いで、場内のことならそれなりに知っているので」

「あっ、ありがとうございます」


 ローザミレアはそのまま、ジェイラスに娯楽場内を案内してもらうことになった。

 一方、ヴィルフリートとルイーザは――



 ◇ ◇ ◇



 娯楽場内の個室。酒杯を傾けながらカードを楽しめる場にて。ルイーザはヴィルフリートにすり寄っていた。


「ふふっ、ヴィンセント! あなた、こんな場所で私に会えるなんて、幸運だったわね」


 ルイーザはヴィルフリートの偽名を呼びながら、餌をちらつかせるように自慢を口にする。


「ねえ。私、現王妃とも友人なのよ」


 今、ヴィルフリートの設定は成り上がりの商人だ。王妃にも伝手があると告げれば、食いつくと考えたのだろう。


 ヴィルフリートはルイーザに何の興味もなかったが、王妃という言葉を出されたことで、少し探りを入れてみようかと思った。


「さすがですね。ルイーザ様から見て、現王妃様はどんな人物ですか?」

「それがね……聞いてよ。最近、ひさしぶりに彼女と話したんだけど。なんだか王妃になったからって、すっかり高飛車になってしまってぇ……」

「……へえ?」


 ヴィルフリートの感情に冷たいものが宿ったのに気付くことなく、ルイーザはぺらぺらと語り続ける。


「だってぇ、王妃だってルゼンベルクの出身なのよ? それなのに、今までのルゼンベルクはおかしかったのよー、なんて言うんだから。おまけに、私のドレスが気に入らないだとか、髪型が似合わないだとか、自分のものと比べて、皆の前で私を貶めたの……! 自分は他のご令嬢達にちやほやされていたのに、酷い……」


 ローザミレアはもちろん、ドレスだの髪型だのに関しては言っていない。ルイーザが被害者ぶるために、尾ひれをつけて大袈裟に言っているのだ。


 ヴィルフリートにはもちろん、彼女の言葉が嘘だとわかっていた。だからこそ、ルイーザの言葉を聞けば聞くほど、心が氷のように冷えてゆく。それでもやはりルイーザは気付くことなく、ヴィルフリートに色目を使う。


「最近、以前のルゼンベルクのように自由に振る舞えなくなって、息苦しいったらないわよね。……ねえ。人生はもっと自分に正直に、快楽を追求すべきだと思わない?」


 ルイーザはピンクの口紅が引かれた唇に弧を描き、人差し指でつっとヴィルフリートの膝を撫でた。パートナーのいる男性にこんな触れ方をするなど、明らかにマナー違反だ。表情にこそ出さないものの、ヴィルフリートは心底気色が悪いと思った。


「最近、つまらないことばかりだったけど。あなたみたいな美しい男性に会えたのは、幸運だったかもね。……私、ひと目見たときから、あなたのこと、素敵だと思ったのよ?」


 彼女は自分が微笑めば、どんな男も喜ぶと思っているようだ。確かに一般的に見ればルイーザはかなり可憐な容姿なのだが、ヴィルフリートには何の意味も持たない。ヴィルフリートの目に、ローザミレア以外の女が美しく映ることなどないのだ。――彼の心は、ユーフィネリアでローザミレアの温かな言葉を受けたときから、彼女だけに囚われているのだから。


「ねえ、ヴィンセント。このままここを抜け出して、もっと愛し合える場所へ行かない?」

「ご冗談を。ルイーザ様には、婚約者がいらっしゃるのでしょう」


(……仮にお互いパートナーがいなかったとしても、この女に目を向けようとは微塵も思わないが)


「あなたが言わなければバレないでしょう?」


 だからこの件は絶対に口外するな、言ったらどうなるかわかっているでしょうね、と言外に語りながら誘うルイーザを、ヴィルフリートは心底軽蔑した。平気で自分の婚約者を裏切れるところも、他人のパートナーを奪い取って楽しもうという魂胆も。虫唾が走る。


「つまり私が言いふらしたら、多くの人に知られることになってしまいますよ。せっかく婚約者がいらっしゃるのですから、お相手を大切になさってください」


 ヴィルフリートはそう言って、席を立つ。これ以上一秒でもこの女といたくない、と思っていた。


「な……ちょっと、この私の誘いを断る気? 不敬よ」

「ここはもうルゼンベルクではありません、ノイスヴェルツですので。真っ当なことを言っただけで、不敬だなどと裁くのは違法ですよ」


 そう言って、ヴィルフリートは薄く笑う。喜びや嬉しさといった感情は皆無の微笑だ。むしろその逆の感情を宿している。人は、呆れるほどの怒りと嫌悪を抱いたとき、一周回って笑えてくるものだ。


 そして――その氷のような冷気は、ヴィルフリートの美をいっそう研ぎ澄ませる。見る者を凍らせる空気を纏った彼は、変装していても誤魔化しようがないくらいに、ぞっとするほど美しかった。ルイーザは魅了されるように、呆然と彼に見入っていた。


「愛するパートナーを待たせていますので、私はこれで失礼します」


 そうしてヴィルフリートが出て行った後も、ルイーザは彼の冷たく美しい美貌の余韻に圧倒され、しばらくその場を動くことができなかった。


「……何なのよ」


 ルイーザにとって、自分に従わない男など初めてだ。

 もしも相手が平凡な男で、ここが今でもルゼンベルクであったのならば、生意気だと鞭打ちにでもしてやったところだけど。あの美しい顔で言われると、不思議と不快ではない。それどころか――


(すごく……いい。やっぱり、あの男を、奪ってやりたい――)


 手に入らないものだからこそ、誰かのものであるからこそ、奪ってやりたい。

 奪われた女の、悔しがる顔を拝んでやるために。


 そんな醜い欲望が、破滅を招くことになるというのに――

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