第11話 背中で泣く男


「あーあ、朝っぱらから酷い目に遭ったなぁ。後で、博士にお礼を言わなきゃな。でも、結局、買い物は出来なかったし、時間はギリギリだし……仕方ない、あのパン屋に寄っていくか。あそこあんまり行きたくないんだけどな…」


 コンビニを出た丈太は、時間を確認し、溜め息交じりに目的の店へと歩き出した。奇妙な事にやってきた警察は強盗犯をパトカーに乗せると、丈太や他の客、それに店員達にも話を聞かずあっという間にどこかへ走り去ってしまったのだ。丈太にやられてのびていた強盗犯達も抵抗らしい抵抗をせず、大人しく警察に従っていたようだ。その手際の良さには、残された丈太達も一体何が起こったのか、よく解らないままである。

 事情聴取などされなかったのは幸運だったが、それでももうどこか別の店に寄って買い物をする時間はなさそうだ。その点、これから丈太が向かおうとしている店は学校へ行く途中の住宅街にあるので、寄り道しても時間的には問題がない。では何故行きたくないのかと言えば、それはひとえに、味の問題である。


「う……相変わらず誰もいないな、ここ」


 丈太が入ったのは、『ベーカリー・小麦の迷宮』という名前の個人経営のパン屋だ。名は体を表すを地で行くその店は、とにかくマズい事で有名で、迷宮入りしているのはパンの味と揶揄される有り様である。産まれてこの方この街で育ってきた丈太だが、いつからこの店があるのかは覚えていない。ただ、誰もが口を揃えてマズいと言い、いつ行っても客が入っていないのに潰れないという、もう少しで街の七不思議に加えられそうな店であった。


 店の外観はレンガを模したもので統一されていて、所々に蜘蛛の巣が張っていたりとかなり薄汚れている。外から見る限りでは陳列されているパンもよく解らず、辛うじて営業中の看板がかかっているから店をやっているのだとわかるほどに暗い。正直、どんなに味が良かったとしても、この店に入るのは相当な勇気が必要だろう。


 入口のドアを開けるとカランカランと鈴が鳴り、店内に客の訪れを教えていた。昔ながらの喫茶店のようで雰囲気はいいのだが、店内には様々な食材のニオイが充満していて、入っただけで胸焼けがしそうなほどだ。臭いの元は赤青緑黄色、そして黒…という、見た目にもあまり食欲をそそられないパン達が原因である。レイアウトもあまり考えられていないようで、まるで駄菓子屋に一山いくらかで売られているお菓子のような雑な配置が目立つ。


(久々に入ったけど、やっぱキツイな……!)


 正直言って、何も買わずに引き返したいというのが本音だった。以前、この店に入ったのは小学生の頃で、その時は店の評判を知らずに入り、小遣いをはたいて買ったパンが全てマズいという最悪を引いて泣いたものだ。あれから数年……もしかすると味は改善されているかもしれないと、一縷の望みをかけて入ってみたのだが、この客の入りからしてその賭けは分が悪そうだった。


「いらっしゃいませー!おやおや?!高校生のお客さんだー!いやぁ珍しいこともあるもんですねぇ、うちは学校の近くにあるのに中々学生さんが来てくれなくてー。まぁ、若かろうがご高齢だろうがお客さん自体が珍しいんですけどね。ハッハッハ!」


「あ、あはは…どうも……」


(い、居たたまれない…!)


 元気よく店の奥から出てきたのはまだ若い女性であった。彼女は名を飯場小麦はんばこむぎという、歳の頃は二十代後半と言った所の女性店主だ。栗色の髪は後ろでまとめられ、顔のサイズに比べて大きな眼鏡が印象的な、少し小柄な女性である。こうも閑古鳥が鳴く店を切り盛りしつつ、明るく笑っていられるのは、ある意味強い女性なのかもしれない。とはいえ、客からすればこういう場合は愛想笑いしてもいいのかすらよく解らないから困ってしまう。何笑ってんだと怒られやしないか、丈太は内心ヒヤヒヤしていた。

 その空気に耐えられなくなった丈太は、手近にあったクロワッサンとパニーニ、そしてカレーパン……の隣にあったあんぱんを買うことにした。カレーパンを避けたのは、さっきのカレーカレーとうるさい男の顔が浮かんで尻込みしたせいである。

 

「えっと、これとこれと……あと、これもお願いします」


「おお!そんなに買って頂けるんですか?毎度ありがとうございますー!……まぁ、毎度なんて言うほどお客さん入ってないんですけどね、ハッハッハ!」


「そ、そうです……か」

 

(……笑えないんだよなぁ、さっきから)

 

 こういう自虐というものは、言っている本人はいいのだが、聞かされる方は堪ったものではない。相手との関係によってはそのノリについていく事も可能だろうが、数年振りに入っただけの客と店員の関係では、とてもそんな気安い態度は取れないだろう。はっきり言って、客が少ないだけに顔を覚えられそうで凄く嫌だと丈太は思った。


「ありがとうございましたー!」


 元気のいい挨拶を背に受けながら、丈太は店を後にした。店の中からは「また来てくださいねー!」という朗らかな声が聞こえていて、丈太の精神はすっかり削られてしまっている。店主の小麦は決して悪い人間ではなさそうな所が、余計に罪悪感を増幅させてくるのだ。買い物をすると疲れるパン屋など、そうそうないだろう。

 そうして学校へ向かいつつ、丈太は紙袋に入ったクロワッサンを一つ取り出してかぶりついてみた。表面は焦げていて、ゴリッとした触感がする割に中は一部が焼けていない。それだけでも食べる気が失せるのだが、さらに噛めば噛むほど鼻を抜ける妙な脂の匂いがする…よく味わってみればバターではなく、これは牛脂だ。パンを齧って口一杯に牛脂の味が広がるなど前代未聞だろう。丈太は思わず顔をしかめて、ボソリと呟くのだった。


「……やっぱ、マズいなぁ、ここのパン」


 

 

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